明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いよいよ人間達の撮影に向け準備をしている。性根の曲がった哀れで好色、ベトベトと不健康な河童と、河童が尻を触ろうとする娘の健康さを、一つの柱にしたいと考えている。 堀辰雄はこの作品に関して『気味が悪くてならなかった』といっているが、友人の中に『「なんと色つぽいのだらう」と云つてゐる者があつた』そうである。単純に考えれば、色気といえばこの娘の担当であるはずだが、このお転婆娘のどこが色っぽいというのであろうか。 私は鏡花という作家は、様々な仕掛けを作中にほどこす作家だ、という印象を持っている。研究者ではないので詳しい仕組みは判らないが、おそらく意図的に罠を仕掛けていると思われる。でないと、私には鏡花作品の麻薬的な効き目の理由が判らないのである。 堀辰雄は友人の意見に『虚を衝かれたやうな気がした』といっているが、私にしたら堀の『どうも氣味惡くなつて來てしかたがなかつた。』という評にしても、それほどか?と思うのである。これが鏡花に化かされた読者二人ということなのであろう。しかしこの二つの意見は本作にとって重要であると考えており、堀の友人が化かされた鏡花の仕掛けはこれではないか、と私なりに特定している。是非撮影に生かしてみたいものである。 しかし作中、河童に化かされた人間共が奇妙な姿で踊らされてしまうが、房総まで出かけ、河童を泳がせたりしている私こそが、鏡花に化かされている状態なのであろう。

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