それにしても雨雲を待ちながら6日間も房総にいて、帰ってきたら雨降りである。これは私がどれだけ自分のイメージに引き寄せられるかの勝負ということであろう。こういう場合、たんに作品が梅雨時にしか見えない、などということでは、私の赤く日に焼けた肌にかけて許されない。それでは手間をかけて、自分の運の悪さを噛み締めることになってしまうであろう。 制作上、何か失敗した場合、作り直して、失敗してかえって良かった、と思う物にしなければ我慢ができないタチである。よって失敗を持ち越したことは一度もない。※(余計なメールを送ってくる友人知人がいるだろうから先にいっておくが、これは単に制作に関する話であって、日常生活における私の話ではない。) 昔映画のタイトルにもなった『アメリカの夜』という映画で用いられる技法がある。フィルターその他を使い、夜のシーンを昼間撮影するというもので、それとは違うが私もかつて、江戸川乱歩の『目羅博士の不思議な犯罪』において、月光輝く夜のシーンをすべて昼の撮影で行った。結果、長時間露光による夜間撮影とはニュアンスの異なる作品になった。もともと人形を使って世界を描こうというのである。おまけに泉鏡花である。まことを写すという意味の写真という言葉を嫌い、まことなど一切手掛けたくない私としては、むしろリアルな世界とは違ったニュアンスが出なければならない。ようするに6日間晴天に恵まれてしまった、運の悪い男になるわけにはいかないということである。
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