明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



《1日目》

すっかり機嫌の回復したKさんと木場からバスで東京駅へ。Kさんとこれに乗るのは浜松に三島由紀夫が乗るF104戦闘機を撮りに行って以来である。思えばその前日、Rさんにハグされたのが、そもそもであった。このバスから一日中Rさんの話。というよりRさんが男だと思い込んだ先日の一週間以外、本日に至るまでずっと私は聞かされ続けている。  私の手には撮影に使うステッキ。作中、河童がこれで腕を折られて事が始まる重要な小道具なのだが、Tさんの祖父、父と使い継がれた遺品で宅急便では送れない、とわざわざ持ってきてくれたので、私が宅急便で房総に送るわけにいかない。しかしバスの車中、人の隙間からオバサンがこちらを窺っているのに気付く。席を譲られてはかなわない。ステッキの先を床に着くのを止める。 寸前まで作業していたおかげで出発が遅れ、房総は和田浦に着くのが遅くなり、あたりは真っ暗。コンビニで酒と食事を買い親戚の別荘へ。Kさんと来るのは4回目である。

《2日目》

駅でレンタサイクルを借りる。今回Kさんは何回コケルのであろうか。 海水浴場は昨年は原発の影響で閑散としていたが、かなりの人出である。。昨年『潮騒あるいは真夏の死』の撮影で、横たわる三島の、海水に浸かるほんの僅かの部分のためにKさんに横たわってもらい、三島像と合成した。今回はまず、河童がとっさにマテ貝の穴に隠れ、そうとは知らずに人間がステッキの先で“かっぽじる”シーンの撮影。晴天でないとならないシーンも多く、色々考えていたのだが、人が多いのと、潮が上がってきており思うようなポジションが得られないので、イメージカット的な物を撮っているとRさんが到着したという連絡。いそいそと迎えに行くKさん。和田港にある蕎麦屋でおちあいてんぷら蕎麦で乾杯。絶好調のKさんには遊びではない、と口を酸っぱくして言聞かせてある。早々に泳ぐ河童のシーン。Rさんに膝下まで海に入ってもらい、テグスに結ばれた河童をKさんにリールで引っ張ってもらう。波が荒く、結局可愛い水中モーター2連ではとても無理であった。しかしなんと馬鹿々しい撮影現場であろう。とはいえイメージ通り。女性のふくらはぎめがけ、一直線に突き進む好色な河童の図である。 引っ張るKさんはこの河童の姿に何かを感じるでもなく、これ以上ない、という笑顔でニコニコ。  生の鯨肉のブロック買い飲み会。Rさんが支度をしてくれていると、Rさんの妹分的なKさん合流。今回、パソコンと外付けハードディスクを持ち込んでいるが、肝腎のそれを繋げるコードを忘れて来てしまい、接続部分を写メで撮り、Kさんに買ってきてもらい事なきを得る。 オジサンの方のKさんは酔うほどに相手の喋る隙間を与えず喋り続けている。これは後で3日間寝込むパターンである。 私が寝た後の明け方、コンビニに行くRさんに付いていくつもりが庭で2回コケ出発に至らず。オデコにさっそく擦り傷。重心が子供と同じなのか、だいたい怪我はオデコである。その過酷な運命は講道館の青畳の如し。

《3日目》

そもそも自分が喋り通しで寝かさなかったのに、この人の常で、酔ったまますぐ目が覚めてしまい、女性の部屋を何度も開けて覗いては、グズグズいっていたらしい。Kさんのリクエストで卵焼きと納豆で朝食。ご飯を朝から食べるところはめったに見られないが、泥酔状態でボロボロご飯をこぼしながらまだ喋っている。 撮影に出発。ところが同時に出発したはずのKさんが来ない。携帯で連絡するとカーブを曲がり切れずコケタらしい。しばらくすると連絡が着て、もう一度コケて地元の人に救急車を呼ぼうか、といわれている最中らしい。東京でも同じ状況の電話をもらったことがある。Kさん笑っていて要領が得ないが、おそらくさすがに情けなかったのであろう。しまいに笑いながら涙声である。62歳にするアドバイスはもう尽きているし、たいしたことがなさそうなのでRさんKさんと撮影に向う。しかし結局風と波で撮影断念。ようやくたどり着いたKさんと東京に帰るRさんと、友人と釣りに行く妹分のKさんと駅で別れる。泥酔のKさんは、足手まといなだけなので、鍵を渡して再び海岸に行き撮影を続ける。 帰るとKさん、駅で寝てしまったそうだが、腹が減ったとコンビニで買った大きなスパゲッテイを食べている。「朝飯作るとかいって作りやがらねェで」。こうなるとほとんどボケ老人である。

《4日目》

夜中にデータのチェックなどして3時間ほどで目が覚める。10時間以上寝たKさんは、朝起き、真っ先に昨日まで女性二人が寝ていた部屋を開ける「いるわけないだろ!」。可愛そうに女性二人寝不足であろう。 するとKさん、どうも今日帰る気でいる。観光客がいなくなる、明日こそ現場への荷物運びに手伝ってもらうことになっている。あれだけ遊びに行くわけではないと言い含めてめておいたのに。その撮影は夕方なので、それまで寝ているというKさんを残し撮影にでかける。今回は海岸のシーン以外は梅雨空の話で、小雨くらいでは撮影しようと思っていたが、毎日晴天である。イメージがすでに頭の中に生き々とあるのに、状況がそれを撮らせない。これが私をイライラさせ、写真が長らく嫌いだった原因である。そっちがそういう了見なら(そっちがどっちかは知らぬが)本当のことなど無視してイメージ通りに作り変えるだけである。すでに夜の室内のはずが、わざわざ夏至の日に撮影に行き、結局外光を押え、電球灯る室内に変え、閉じた窓をこじ開け、苦労した分ピッタリの条件で撮影した作品より愛着が湧いている。 夕方酒がかなり抜けたKさんと、予定の場所で撮影する。さすがに曇天の景色を作るなら、コントラストの低い、暗めの状況が良いのは当然である。木漏れ陽をなるべく避け撮影する。  夜、ベランダにカワウソだかイタチだかハクビシンだか、とにかくあの類が突然表れ消える。Kさん曰く「白っぽくないから、あれはハクビシンじゃない」。Kさんの口から発せられた、今回唯一の説得力ある言葉。

《5日目》

本日は埼玉の川口で看板など制作する工場を経営の10代からの友人Kが、抜け殻状態で役立たずなKさんと入れ違いに来ることになった。しかし酔っ払いの方のKさん。これほど気持ちを顔に出して、よく人間界で生きてこられたと思うのである。昨日から声は聞き取れないほど小さくニコリともしない。2日前に体力も笑顔もすべて出し切り、あとは屍状態である。そんなKさんと某駅で別れ、Kの到着を待つ。  本日は神社で撮影である。この場所こそドンヨリ曇っていなければならないが快晴。せめて日没前後まで待とうと、食事する所を探すが、どこも閉まっている。とりあえず神社を下見。 これがまさに作中の神社のモデルであることは間違いがない。泉鏡花が実際ここに来て、そのイメージで書かれた作品であると確信。しかし町の人はもちろん、神社もそのことは知らないのではないだろうか。  Kは昔、私が板橋にいた頃、東京大仏に一緒に行っては蕎麦で飲んだものだが、ある時地面の数ミリの小石を拾っては大仏に投げている。何かと思ったら大仏の蓮華座はポコッという音がする。はたしてその部分はFRP製であった。Kは職業柄素材にはうるさい。そこで石段や鳥居など、素材をチェックしながら歩いた。奉納された年代が書かれているものは判りすいが、コンクリート製では興醒めである。 連日の撮影で疲れている。喫茶店で一休みし、日没まで間があるので食事を済ませ、再び神社へ。ここぞとばりに撮影する。日没が近付くにつれムードは満点になってきたが、ここで伏兵。ところどころに蛍光灯が点りだした。気にせず撮影。結局この日も干物一つ買えず、コンビニで買い物。

《6日目》

この調子だとしばらく晴天であろうし、カットとしては随分撮った。レンタサイクルの返却は5時までである。最後に先日Kさんと行ったところにもう一度行き、食事がてら一杯やって帰ろうということになった。昼くらいなので、先日よりさらに明るい。しかしもともと、ここを撮影すれば、作中のイメージがかなり撮れると思っていた場所である。曇天でなくともイメージカットは撮れるであろう。しばらく撮っていて水面を見ると、木漏れ陽が映り、水底になにやら光り輝く物が沈んでいるように見える。これは撮った物を人に見せても、何だか解からない光景であろう。ロシア及び東ドイツのレンズで撮り終了。  さっき解体を終えたばかりの鯨の刺身で食事。毎度思うが子供たちに給食で、硬い鯨の足の裏みたいな肉を食べさせておいて、美味い部分はいったい誰が食べていたのであろうか。  

房総という場所は、海と背後に迫る自然とで、海と山深い景色が近い距離で撮影できる利点がある。たまたま『貝の穴に河童が居る事』の舞台が房総であったが、人間界と異界、その中間の光景が自転車で移動できる距離で撮影できると踏んでいたので、今作を出版社に提案した。  東京のKさんからは朝からメールが着ていた。帰宅後、メールをチェックしている間もメールや電話が鳴り続けている。判りました。房総でのKさんの振る舞いをそんなにT千穂で披露してもらいたいなら、と出かける。行くとオデコの傷は出かける前からあった、と言い張っているらしい。K本の常連二人が来ていた。一人は旅館の番頭役で出演してもらう。出演者の皆さん、どうもそれなりに楽しみにしてくれているそうで、面白がってくれてこそだ、とこちらも嬉しいことであった。

本日ここ数日の出来事を想い出しながら書いてみた。外は曇天なり。そっちがそういう了見なら(そっちがどっちかは知らぬが)こちらにも考えがある。と決意を新たにする私であった。

 

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