明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



バスに乗っていると、街の風景にもう一景色レイヤーとなって重なっている。房総の海岸を行く三人。『貝の穴に河童が居る事』の近日撮影予定の一場面である。うっかりボンヤリしていると常にこの状態である。ボンヤリしている間だけだから特に問題はないが、撮影予定の人達は、楽しそうに語らいながら私の眼前で蠢いている。 写真を撮られたことはあっても、演技などしたことない人達である。こんな心持で、といっても無駄であろう。撮影はマンションの中庭か公園ということになりそうだが、背景は房総の海岸である。そのシチュエーションを説明し、予定している背景写真くらいは見てもらおうと思っているが、私としては人形を配置するように撮影するつもりでいる。肝腎なのは顔の向きと視線の方向であろう。この三人は笛吹きの芸人と妻である踊りの師匠、その師匠仲間の娘であるが、後にタクシーの運転手と旅館の番頭を加える。事前に制作した画面に動きを与えるため別撮りとしたが、こちらは若干の演技をしてもらうつもりでいる。といっても、世間話でもしてもらいながら歩いてもらう程度である。意識してしまって、左手と左脚が同時に出てしまうようなら、こちらも人形方式で行く。
柔道競技の判定が混乱気味である。原因はジュリーという判定委員だが、そもそもジュリーなどという用語自体が噴飯物である。青い柔道着のように、日本に相談もなく、勝手に決められたのであろう。放っておくとサリーだトッポだピーだ、とさらに奇妙な用語が採用される可能性がある。

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