明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



人形の芯は盆栽用の針金。これは作り出してまもなくから変わらない。かなり変わった作り方だろう。昔、『デザインの現場』で紹介されたことがあるが、いずれ動画で公開してみたい。柔らかいアルミ線なのでバランスが悪いと倒れてしまうが、完成すればバランスは取れているので自動的に自立する。首ができ、芯をた立て、昔は胴体に雑誌などを巻いていたが、今はスタイロフォームを使っている。陶芸学校から卒業時に返さないまま40年使っているのロクロの上にガムテープにより固定する。 ただ祈り、耐えるしかない頭部が完成し、ロクロ台の上に立たせた。ここから一気に胴体に取り掛かるわけだが、ここからの約二日はもう何物にも替え難い快楽の時間である。何が脳内に溢れてくるのかは知らないが、幼児以来、私はこの湧きでる物質に執りつかれている。 生まれつき何かをせずにいられない人間というのはいる。それが例え犯罪、変態者であろうと、私は多少同情的である。なにしろせずにおれないということに関しては解るからである。私の場合、それがたかが“人の形を作るだけ”、だったのは幸いであった。そのかわり、この物質に執りつかれていない人の感覚が解らないということはある。「何をやったら良いか判らない」という人がいるが、私には何をいっているのかサッパリ判らず、アドバイスの言葉も出てこないのである。
HP

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