明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


本日も蒸し暑い。3時を過ぎて青木画廊に行くと芳名帳に澁澤龍子さんのお名前が。お会い出来ずに残念。 工芸学校を出て岐阜の山の製陶工場に就職した。陶芸作家になるべく、すぐに修行を開始したいところであったが、3年前に亡くなってしまったが、トラックの運転手をして金を貯めて同級生になった6つも歳上の苦労人など見ていると、好きなことにしか興味がない私など社会に出てとても使い物にならない。そこで1年、ロクロもない製陶工場で性根を叩き直そう、と殊勝な考えで就職をしたのであったが、そこへ年上の娘が夏休みに遊びに来た。読めと差し出したのが桃源社の澁澤龍彦集成のうち『エロテイシズム』であった。手製の紙のカバーがされたそれは、万引きしたものだ、と余計なことをいっていたが、私はそれまでこんなことを書く人がいるとは知らなかった。今思うと、どこをどう解釈したのかよく解らないのだが、似合わないことをしているんじゃない、といわれている気がして、殊勝な志は元の木阿弥となってしまった。その後もう一年茨城の山奥で陶芸に関わったが、すでに壷や茶碗を作る気は失せていた。 その後人形制作を始めたことと澁澤は無関係であったが、悪戯電話でもして声だけでも聴きたいなどと思ったが、作っている物が黒人のミュージシャンではどう考えても接点はない。亡くなった時は30分ぐらい呆然とした。それがあろうことか、作った澁澤像を澁澤邸で撮影させていただくことになるとは思わなかった。これは拙著の表紙に使った作品。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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