引っ越し先は、勤め人ではないので、駅から離れていてもかまわなかったが、そのせいで東京だというのに、忘れ去られたように、これほど静かだとは思わなかった。街にチェーン店は見当たらないし、タクシーの運転手が主な客である、暖簾の破けた定食屋は、食べログにはただ安いだけ、なんて書かれているが、五十過ぎの連中を連れて行くと喜ばれる。骨董ではないが、この味を保つには、手を入れてはならない。暖簾は何回くぐれば破けるのかは知らないが、私には 暖簾を補修もせず、その分すら値段に反映させない努力に感じられてしまう。 家の前が小学生の集団登校の集合場所になっているので、朝方の子供達のざわめきを聞くのも心地がが良い。フォークリフトやトラックの音も、子供の頃から聞き馴染んだ音であるし、何が可笑しいんだか、冗談を言い合いながらの働く人等の声も好ましい。かといって、それが落ち着くと昼間だというのに物音一つしない。 夜になると街灯はあるものの、ここが東京である事を考えると薄暗い。これでコウモリでも飛んでいたら昔の東京である。今テレビは家にないのだが、観たら力道山が出てきたり、お笑い三人組でもやっていそうである。先日は、しまいには犬の遠吠えが聞こえ呆れてしまった。辻斬り強盗でも出てきそうである。 私は前回の東京オリンピックはテレビ観戦だったが、その感動忘れがたくあるが、以降の行き先を見失ったかのような東京には関心が無く、何が何してどう変わろうと全くの不感症になってしまった。今度のオリンピックのおかげで、そんな東京人が増えない事を祈ろう。それはともかく、犬の遠吠えをもう一度聞きたい。
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』