明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



友人から、また三島をやるのか?三島のどこがそんなに良いのだ、と半ば呆れた様子のメールが着た。面倒なので〝いま犬死がいちばん必要だということを見せつけてやりたい〟そんなセリフ他に誰が言うか?作りたくなるだろ。と返事しておいた。  四年続いた『中央公論Adagio』の廃刊が決まった時、最終号の田中角栄を作りながら、三島が事件に使った〝関の孫六〟の模造刀を入手した。そしてどうやって調べたか記憶にないが、すでに引退をされていた、元薔薇十字社の社主、内藤三律子さんにお会いした。今思うと、この人見知りがよくぞと、と思う。この方が三島が最後にやりたかった事を考えた伝説の編集者か、と感激であった。あんな嬉しそうな三島は見たことがなかったそうだが、細江英江の『薔薇刑』では、主体性のない被写体なりきる快感があったはずだが、〝私は彼になりたい〟三島は、魚をぶちまけ、腹に出刃包丁刺して死んでいる魚屋に紛しながら、三島がどれだけ嬉しかったか、薔薇十字社版男の死の存在を知らず、三島にウケるにはこれしかない、と男の死を着想した私には良く解る。さすがに内藤さんの場合は、三島を喜ばせるつもりで企画した訳ではないだろう。  あの死に様を見せ付け、それでも三島には足りず、二の矢となって放たれるはずだったのが、『男の死』だった、とずっと私は三島の無念を思い続けている。   11年のオキユルスのオマージュ展で、内藤さんに頂いた一文を久しぶりに拝読し、http://g-oculus.com/exhibition/1105 妙な奴が突然現れて、と言う感じが出ていて、懐かしい。こちらは相変わらずです。出来ればれば来年、ふげん社でお会いしたいところである。 内藤さんに心配されてしまったくらいであるから、友人がメールしてくるのは仕方がない事でこあろう。



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