次号の『タウン誌深川』では、江戸から明治ヘの重要人物について書いた。いつになく真面目な出だしでたまにはこんな感じで、と思わなくはなかったが、中盤で耐えられなくなり失速。結局、途中から子供の頃の、お隣のおばちゃんの話になってしまった。まあ、歴史上の事は、そういう事を書く人に任せておけば良いだろう。 お隣のおばちゃんには、実にお世話になった。子育てが初めての母は子沢山のおばちゃんが心強かったという。父が脱サラして共働きとなり、兄妹を鍵っ子にしたという事もあったろう。妹は寂しかったそうだが、私は欠片もそんな気になった事はない。放っておいてくれれば好き勝手している。未だにそうだが。 遊んでいて喉が渇くと気が急いて、早く遊びに復帰したいものだから、数メートル手前のお隣の台所に勝手に上がり込み、真鍮製の蛇口に針金でブラ下がっている、赤いアルマイトのコップで水を飲んだ。昔は“鉄管ビール”といったが、水道水は、うちのメッキの蛇口で飲むより、お隣の真鍮の蛇口の方が明らかに美味かった。 ただ今、東京オリンピック以前の東京化計画を進めており、掃除機も買わず、ホウキとブリキのチリトリという有様である。お隣のおばちゃんを思い出して、台所の蛇口をじっと見つめる私。こんな事がやたらと詳しい、大手ゼネコンの元部長殿がいるから、今度聞いてみよう。
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』