明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、来年始めに町田の文学館で三島由紀夫展がある、と教えてもらった。ここには日影丈吉像を収蔵頂いている。出不精の私もこれは行かないと、と思っていたら、来年没後五十年だという。昭和45年、1970年であるから、数字音痴の私もさすがに判りそうなものだが。そういえば夏に行った室生犀星展だが、チラシの送付先を調べていたら、犀星展があるという。偶然とはあるもんだな、と思っていたら、犀星生誕130年で、個展の会期中に130年目を迎える事を知った。知っていたらチラシに入れる所である。確か『貝の穴に河童の居る事』の出版日は原作者の泉鏡花の誕生日だったと思う。何しろ母の誕生日をようやく覚えたのが、母の代わりに書類に書くことが多くなったここ数年で、本日の年月日はえーと、といつて居る間に向かいの担当者に教えてもらうのが常である。父の誕生日はおろか、亡くなった日さえ覚えていない。連なった数字のたまたまその日だというだけで、それがどうした、としか思えないのである。数字なんか覚えていたら、容量に難ある我がハードディスクに入る物も入らなくなってしまう。当然私には記念日などというものは何一つ存在しない。車の免許を持たないおかげで、車で人を轢き殺す可能性がないのは何よりであるが、独身のおかげで今日が私達のなんとか記念日なのに、などとかみさんに叱られる可能性がないのも何よりである。 本日は工芸学校時代の連中との恒例の忘年会であった。そういえば私と誕生日が近い奴に、数年毎に「俺達今年いくつだ?」と聞いている。今年脳梗塞で入院した一人の退院祝いも兼ねる。これでメンバー5人中、2人が脳梗塞経験者である。2次会のカラオケで、三島が市ヶ谷に向かうコロナ車中、最後に歌った『唐獅子牡丹』を歌う。



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