明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、あまりにも咳が長引くので医者にいった。昨年に続き二回目である。そもそも風邪ぐらいで医者に行ったことがなかったが、悪寒が走るような、熱が出るタイプの風邪は、怪しいと思った時点で、近所の陳建一の麻婆豆腐を食べれば治るが、喉から来る風邪は咳ばかりが長引く。他にどこも悪くないのに喉が痛くなると、これからしばらく一通りあれをやるのか、と最近は覚悟するくらいである。医者には、昨年もらった薬が、あまり効かなかったことを伝え、失礼しようと思ったとき、「あまりお目にかかれないので血液検査しておきましょうか」といわれた。油断していた。 四十を過ぎての区の無料検査は、私はかつての同級生が、並んで待たされていると思い込んでいたので、面倒で受けなかったが、始めて受けた時、意外な“高得点”を得た。修行僧のような結果が出ないことは判っていたが、私を一回りデカクしたような医者に、眉間にシワを寄せられたくはない。しかもその後、何があったかその医者が、すっかりスリムになったと聞き、別な医者に替えた。そこの医院は一転、笑顔で迎えてくれ、煙草を止めれば褒めてくれ、何もした覚えがないのに、検査結果が良かったと、「頑張りましたね」。私も働かないのにお金をいただいたような気分で笑顔である。医者とスチュワーデスは、眉間にシワを寄せてはいけないと思う。 私は二日酔いをしないので、肝臓には対の自信を持っており、医者に飲酒量を聞かれても、「一週間のうちそうですねー」などといっているうち、おそらく、まあそこそこあたりにチェックが入っていただろう。しかしうっかり取られた血液から、不本意な結果が出た。たしかに最近思い当たることはある。 朝食は、ちゃんと取るべきだ、というわけで、すっかり早起きになった私は、T屋に行っては食べているが、問題は夜勤明けのタクシードライバーの皆さんや運送会社勤務のKさんである。彼等と違って私は目覚めたばかりである。昨日の酒が抜けていない主人のHさんが、私の前にあるコップに、さらに何か入れようとするので拒否すると「えっもういいの?」「だから朝飯食いにきただけだっていってるだろ!」

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これから制作に入る人物は、どこが特集場所になるかが非常に重要である。それによって大きく画が変わる。何しろ東京でも、都営地下鉄駅に絡ませないとならない、という決まりがある。私はこの人物の出身校を想定してみたが、肝心のポイントになるものがない。それでもやれるのなら、というところであったが、はたして編集長から提示された特集場所は、これはほとんどベストといって過言ではない場所であった。ネットで検索してみても、立体感を感じさせるロケ-ションである。私も良く知っている。 一日かけて、ほぼ人物の様子が決まった。身を挺して仕事に励んでいる姿である。あとは数種の脇役を揃えたいのだが、色んな物が考えられるので迷ってしまうが、まだ主役の制作に着手もしていないのだから、そこまで考えなくともいいだろう。といいながら、活魚の生きたままお取り寄せサイトなど検索してしまう。活きた本物を使うことが効果的かどうかは判らないが、そんなものまで作っていたら大変である。今月配布号では、入手した物が途中で気が変わって必要がなくなり、むなしく置いてあるが、なま物は失敗したら食べてしまえば良い。

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アダ-ジョ8月配布の22号の特集人物と特集場所がようやく決まる。前回の打ち合わせの時に、某御聖人様の名前も上がっていて、旅行の間は考えないようにしていたが、気が気ではなかった。そこへ昨日、編集長から、御聖人案は白紙になったと知らせがあり、替わって二名の人物が挙がっていた。私は間髪を入れずTに一票!と返信をしていた。  この人物には、大分以前から暖めていた秘策があった。それはこの人物以外には使いようがない、というアイディアである。昔の私なら、作りたかったら作ってしまっていただろうが、私も小学生ではないので、発表の機会がないものを作ることは戒めていた。であるからして、この人物はアダ-ジョで取り上げてもらう以外、私が作る機会はないだろう、と考えていたのである。 実はアダ-ジョは20号の團十郎号から、発行元が替わった。以前の発行元がなくなってしまったからなのだが、当然私などは、発行元がなくなればアダ-ジョもなくなるのだろう、と思っていた。何が残念といって、この名案をもってTを作れなくなることであった。しかしこの幸運なフリ-ペ-パ-は、九代目團十郎ではないが不撓不屈で、何事もないように続いている。
今月29日配布の21号は、風邪をひいているうち完成してしまったので機会がなかったが、気分も良いし、『私が作ったのは誰でしょうクイズ』をもう一度やってみることにした。團十郎で応募いただいた方々には、メ-ルの受信の設定で、余計なことをしてご迷惑をかけてしまったが。それとK本などで顔を合わす方や、今誰を作ってると、私に無理矢理メ-ルなどで聞かされてしまう人でも、そこまでボケるなら仕方がない、と私に思わせるとか、何か応募できるよう救済処置を考えたい。

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三重県の友人の工房で、二泊目の朝だったか田村写真の田村さんから電話をもらった。海外のサイトに私の所有するレンズが紹介されていて、写真が私のサイトから転用され、名前も載っているという。帰宅後見てみるとカ-ル・ストラスという、かつてハリッウッドはパラマウントで活躍した撮影技師が、写真家時代にピクトリアルレンズとして特許をとったレンズが載っていた。掲載許可のメ-ルを貰っていたのかもしれないが、モノをお願いするときは、先方のお使いになる言語でお願いしてこい、というわけで、ゴミ箱行きだったのであろう。勿論知っていればどうぞお使いください、という話なのだが。  このレンズはE-bayのオ-クションで見つけ、田村さんに代理で落札してもらったのだが、私にとってただのソフトフォ-カスレンズではなく、ここで会ったが百年目、というレンズであった。この話は当時何度か書いているが、ストラスという人物は、ロシアバレエの天才ダンサ-、ニジンスキ-がアメリカ公演を行ったさい、おそらくこの4×5インチ用のレンズを木製の一眼レフカメラ、グラフレックスに着けて撮影している。『牧神の午後』の扮装したニジンスキ-も撮っているが特に『ティル・オイレンシュピ-ゲル』のニジンスキ-は、間違いないであろう。このレンズとニジンスキ-を結び付けられるのは、もはや私しかいないではないか!と地球上で唯1人、そんなことに盛り上がったわけなのである。私のサイトから転用するくらいで、希少なレンズであることはことは間違がいなく、予定外の高値になったが、例えば九代目市川團十郎の掛け軸のように、これを手に入れさえすれば、作家として勝ったも同然、と思わせる“ブツ”が、あるものである。 届いた直後に、田村さんから、おそらく水晶レンズ(石英)だと、興奮した連絡をもらったのを覚えている。これは紫外線を通すので、フィルムに、人間の可視の世界と別のものを定着することも可能らしい。 今年はロシアバレエ百年に当たる。日本人にはピンとこないらしく、海外でもリ-マンショックの影響なのか、私が思っていたほどの盛り上がりを見せていないように思える。しかし、その当時の私は、ニジンスキ-を制作し、このレンズで撮影して個展を開くつもりでいた。ところがまず先に制作しようとしたディアギレフは、改良ばかり続けて、未だに完成していない。当然、次に制作するはずの主役のニジンスキ-の改訂版は、着手すらされていない。それもこれも『中央公論Adagio』に係わっているせいである。 八月配布号は、特集人物が決まらないまま、六月も数日経ってしまっている。某御聖人様が候補から外れた、という本日の連絡は幸いではあったが。残る二人の候補者のどちらになるか、連絡を待っている状態である。と、本日の雑記も風に流され、書き出しから遠く離れたところに着地したのであった。

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二人の工房は、いずれも販売のために展示室が設けてあり、久しぶりに作品を見ると、前回にはなかった試みもされていた。二人とも伝統工芸の世界で活躍しており、途中で転向した私としては実に嬉しい。他の連中も全国に散っており、作陶を続ける連中と再会するということは、懐かしさと共に彼等の作品を見られる楽しさがある。N君の展示室には、銀座三越の伝統工芸展会場で、天皇陛下夫妻に説明している写真が掲げられていた。このときは、名古屋でス-ツを買い、私の家で一泊して三越に向かった。天皇に説明している手振りは、彼が松山千春を歌っている時と全く同じであった。 昨日から二人の隣り合った工房を行き来し、両君の作品の中から買って帰るものを選んだ。前回同様持っていけ、といわれるのは判っているが、それでは欲しい物が選べない。特に現金な物で、抹茶を立てて飲むことに急に目覚めてしまい、陶器に何十年ぶりに興味が湧いている。二人の特徴が出ている物を選んだ。さらにIは、群馬で昨年亡くなった同い齢のSの作った、形見の湯呑みを一つくれた。  今回は二人がかりで相手をしてくれたおかげで、彼等が日常の予定を変更しないでいてくれたことも、お邪魔する身としては気が楽であった。以前と違ってみんな携帯電話を持ち、メ-ルもやっている。これからは何かと連絡を取り合えることであろう。再会を約し、Iに四日市まで送ってもらった。一足先に帰った母からは、名古屋で駅弁を買って帰ったが、やはり甘くて駄目だった。というメ-ルが入っていた。

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