明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


友人から訊いた話。彼女の学生時代の友人で、NY在住の女性がいる。私も昔会ったことがある、その彼女が最近似顔絵描きになり、プロを目指している。という話を先月聞いた。次に三島由紀夫を描こうと考えているそうで、その話を日本人の知人にしたら、昨年日本に帰って、こんな個展を観て来たというのが、私の『三島由紀夫へのオマージュ展』であった。世の中は狭いという話である。
Kさん風邪がなおったのかT千穂にいるとメール。買い物ついでに行ってみると、咳をしながら元気そうである。それにしても、たとえ“へ”とはいえ、額に10センチ以上の大きな傷があるのだから、人相に影響ありそうなものだが、まったく影響がないところがさすがKさんである。本人もまったく気にしていない。 昨日『三丁目の夕陽』を観てきたという。映画など20年も観なかったのに、私が60過ぎてると安い、と教えてから連続して観ている。映画を観て泣いた、と照れていた。あんたは少し、そういう種類の涙を流したほうがいいんだよ。といっておいた。 映画について人と話した経験がないものだから、まだ観ていない私に対して、ネタバレの話を盛んにしているようだが、何いってるかほとんど判らないので放っておいた。

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お祝いのケーキも一休禅師風にいえば、“冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし”といったところである。五十肩にはここ半年以上悩まされているし、風邪もひきやすくなった。 中学生の時、母方の祖父が亡くなり、その亡骸を見て、親が産んだせいで、私もいずれ間違いなく、死ぬ苦しみを味わうことになってしまった、どうしてくれる、と思った。これは今後よほど楽しくて気持ちの良いことがなければ合わないぞ、とも思った。あげくが今の状態というわけだが、ムチで叩かれて喜んでいる人もいるわけだから、楽しくて気持ちの良い状態も人それぞれということである。 無責任に生きているせいであろう、私は年齢より若く見られがちである。40になってもほうれい線がなかったので、割り箸でこすってみたりした。74で亡くなった父は白髪がなく、私も齢のわりに少ないほうであろう。しかし父は自慢のようであったが、傍で見ていて、あまり可愛気のあるものではなかった。やはり齢相応というのが一番である。 昨年Kさんに連れられフィリピンパブに行ったとき、女の子に齢を訊かれた。またか、と少々ウンザリして答えると信じない。齢より上にいう意味などないだろう。すると片言の日本語で「苦労ガ足リナインジャナイ?」といわれ私は固まった。

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昨日から妙に熱っぽい。インフルエンザと風邪の違いを知らないまま、この齢になってしまった。昨年の個展に、工芸系専門学校の時に教わった先生に来てもらったが会えなかった。本日からグループ展だというので是が非でも行かなければならない。神楽坂の赤城神社の近くが会場なので、その前に母と待ち合わせて父の墓参りに行くことにした。神楽坂の途中で待ち合わせるが、母はあっちへ行ったりこっちへ行ったり用事を済ませていて待たされる。次第に悪化してくるのが判る。2時すぎに食事をしながら熱燗を二合だけ。焼け石に水。みるみる寒気。墓参りを済ませ、赤城神社に向かう。泉鏡花の湯島の白梅の舞台は実はここだ、と地元の人に訊いたことがある。すぐそばの『えすぱすミラボオ』というギャラリーへ。到着するとオープニングパーティーが始まった所。Y先生らしき人を見つけるが、なにしろ三十数年ぶりである。胸のネームプレートを確認して挨拶。 デッサンなど未経験でも入れる学校であったが、私の代は、珍しく男が多く、ほとんど各地で陶芸作家を続けている。トラックの運転手をしてお金をためてきた人など、苦労人もいて、6つもつ7つも年上の人たちとの出会いは、得ることも多かった。学校は経営上の問題も起きて、Y先生は学校と生徒の板ばさみで、後に胃潰瘍の手術をしたということであった。以後、東京で展示をされるときは連絡をいただくことに。 息も荒くなり。なんとか帰宅。解熱剤を飲み、これでもかと着込んで布団にもぐりこみ布団乾燥機をオン。夢うつつで訳のわからないことをブツブツいっているのが自分で判った。時間としては僅か30分ほどであろう。汗をかき、峠を越す。下着を換えこれを書く。百鬼園のことを考えている今日この頃だけに。自分で何をいっていたのか悪夢を録音できれば面白かったのだが。

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百間は写真で見ると齢とともに不機嫌そうな、への字口の角度ががだんだん激しくなり、さらにギョロリとした目玉でいかにも皮肉屋という顔になる。 随筆には随分ノラを中心に猫の作品があり、それらを続けて読んでみると、ノラを失った悲しみで、あんな表情になってしまったのかも、と思えてくる。私は小学校一年に始まり、教科書に出てくる肖像写真には、髭を書いたり1カットも残さず悪戯描きをしたのは断言できるが、百間の顔に溢れる涙を描き加えれば、あのへの字の口は、長期にわたって涙をこらえていてああなった、と思うであろう。 『ノラや』他で日々泣き暮らす百間の様子は、特に愛猫を失った読者には涙ものであろう。私の場合は、以前読んだ時にはさほどの感慨を抱かなかったが、読み返してみてこらえ切れなかったのは、『猫が口を利いた』である。亡くなる前年の作品で、ほんの短い小品である。 先生ほとんど寝たままの状態である。その寝床で猫がオシッコをしてしまう。不自由な身体で枕元のちり紙で拭く。すると足の方で声がする。「騒いだって仕様がない。手際よく始末しておけダナさん」。なんとなく聞き覚えのある調子である。寝てばかりいたらなおるわけないので、なおすように心掛けて昔のように出掛けなさい、という。気分が悪くて堪らないので、枕元のシャンペンを飲もうとして猫に引っぱたかれてこぼしてしまう。「何をする」「猫じゃ猫じゃとおしゃますからは」「どうすると云うのだ」「ダナさんや、遊ぶのだったら、里で遊びなさいネ」「どこへ行くのか」「アレあんな事云ってる。キャバレやカフェで、でれでれしてたら、コクテールのコップなど、いくらでも猫の手ではたき落としてしまう。ダナさんわかったか」 このくだりは何回読んでも涙である。何故なのかは解らない。幸い私は書評家ではないので分析などせず、余韻だけを仕舞っておくことができる。“病床文学”とでもいうジャンルがあるなら、傑作の一つであろう。

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一日  


朝、私の書き方が悪かったか「Kさんのご快愈お祈りします」というメールをいただいた。実にもったいない。その10分前に、Kさんから久しぶりにT屋に行きます。とメールが着ていた。久しぶりも何も、一昨日朝からT屋で飲んで、ブラブラしていて風邪をひいたのである。周囲では心配するだけ損だともっぱらである。
久しぶりにTVでマリアンを観た。大騒ぎだった離婚騒動について語っていた。もう十数年前の話らしい。私がまだ黒人のブルースマンを作っていた83年に、日本TVの『美の世界・アートナウ』という番組に出たことがある。司会の榎本了壱氏のアシスタントをしていたのがマリアンであった。性格も良さそうで、実に可愛いらしかった。 当時私は隣がソロバン塾の長屋に住んでおり、そこにカメラが入った。撮影は音声から何から案外大掛かりで、近所のオバサンが何事だと外で作業しているスタッフに尋ねているのが聴こえた。ご近所からすれば、夜中は電灯が点いていて昼は雨戸を締め切っているし、2ヶ月間ではあるが、妙な犬を従えて歩いているし、胡散臭く思われているのは、回覧板を届けに行けば明らかであったが、その日以来住みやすくなった。 スタジオのマリアンは可愛かったが、それよりスタッフの中に気になる人物がいた。音声を担当していたのが後に『スゥインギン・バッパーズ』を結成するギタリストの吾妻光良さんであった。こっそりサインを下さい、といったら仕事中なのでといわれてしまった。当然である。現在は本社役員であるらしい。 マリアンの娘達は芸能活動をしているようだが、私などからすればお母さんの方がまだまだ良い。

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久しぶりに内田百間を読んでいる。例えば『ノラや』。たまたま迷い込んだノラ猫を飼い、ある日突然どこかへ行ってしまう。チラシを大量に配り、必死で探す老人。涙、涙の毎日である。読み始めは可笑しくて吹いてしまうが、そのうちジンとくる。これが、あのしかめっ面の百鬼園先生と思うからなおさらである。 おそらく作者の姿を知っているのと知らないのでは、印象が違うだろう。ということは、作品世界に作者を登場させる私としては、もってこいの人物ということになる。そこらじゅう必死で探し周り、涙にくれる百鬼園先生。創作の余地大有りである。それにしてもノラはどこへ行ったのであろう。 私は昔、たまたま目が合った犬に走り寄られ、それからまる2ヶ月間毎日付きまとわれたことがある。出かけるときは駅までついてきて、帰宅すると暗い玄関前で待っている。それが突然いなくなった。ある日その犬を見かけたのだが、そっぽを向いて私が眼中にない。好きだ好きだというものだから、そこまでいうなら、と振り向いたら、知らん顔である。おそらくこいつはチョロイと媚びてみたが、将来性がない、と私は捨てられたのであろう。まったく馬鹿にした話である。愛犬が曜日ごとに別の家の飼い犬としてすまして飼われていた、という話は遠藤周作のエッセイだったろうか。
Kさんにメールすると肺炎で寝てますと返事。どうせ医者に行ったわけではなく、勝手な自己診断である。つねに心配させるような、余計なことをいう人である。結核や肺癌という場合もある。それでも6つの数字は送ってくれた。



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Kさんより電話。K本の前にいるけど閉まっているという。開店の4時にはまだ間がある。あ、そうかじゃないよ。こんな時間から飲まないよ、と断わる。すでに午前中飲んだそうだが、それほど酔っていないので、案外簡単に引き下がった。Kさんはシラフでは一人でK本に入らない。K本にはKさんのエロがかった与太話の際限のない繰り返しを、黙って聞いてくれる人などいないし、女将さんに出入り禁止をくらったら、どんな常連だろうとアウトである。風邪をひいて寒気がするので帰って寝るそうである。それがいい。 夜。そういえばKさんに文豪アンケートの12から6つの数字を選んでもらわなければならないが、昔付き合った女性が酔っ払って夜中に電話してくるのを嫌がり、家では携帯の電源を切っているので明日に。しかしT千穂に行くと、Kさん結局帰らずヨーカドーで時間潰していて寝てしまい、それから顔をだしたという。体が冷え切っていて調子悪い、とちょっと飲んで帰ったそうである。また朝から飲んで、とみんな諦め顔である。ウサギだってあれほど寂しがらない。 以前、“私が作っているのは誰でしょうクイズ”をしたときの選者は、仕事を終え、T屋で早朝から泥酔状態のタクシー運転手のTさんであった。今回はKさんに、と思ったが。なんで酔っ払いばかり選ぶのか。おそらくクイズ番組のダーツの的や福引のガラガラなどの、グルグル回転し攪拌されているイメージ。あれが頭のスミにあるので、グルグル状態の人を選ぶのであろう。



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