明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、唐獅子牡丹を三島の背中に描いてもらっている彫Sから電話をもらった。エグくなってしまっても、と、少々遠慮気味である。三島自体がエグいといえばエグいし、このブログも“明日できること今日はせず”と“及ばざるくらいなら過ぎたるほうがマシ”とどちらにしようか迷った私である。遠慮せずに、と伝えた。 太宰治制作を断念したのは“及ばざるくらいなら過ぎたるほうがマシ”な私としては、よく決心したと思っている。迷っているようなことをいっていながら、きっと我慢できずに始めてしまって苦しむことになるだろう、と内心思っていたからである。止めたことで大分楽になる。かもしれない。 そこへ彫Sより作業中の画像付メールが届いた。「手彫り感を出したくて、あえてムラに」だそうである。つくづく私が描かないで良かった。私が見るに、少なくとも東映のヤクザ映画には負けていない。しかもこんな小さなスペースに。腕も着手して良いか、というので勿論!と答えたのはいうまでもない。最後に眼を入れるのは刺青も仏像も人形も同じである。

『特別展 深川の人形作家 石塚公昭の世界』

 『朗読、音楽、スライドで味わう 乱歩と鏡花』予約受付中

特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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本日は実にキャッチーなブログタイトルである。 個展用のホームページには、人形か写真のどちらかでも出品予定の人物をズラズラ載せたが、拡大プリントが増えた分、作品は減るので、近いうちに修正しないとならない。 夕方フィルムスキャンのお願いと追加分のプリントを見に行く。オイルプリントにもした江戸川乱歩の『盲獣』。これは合成ではなく、ただヌードに乱歩像を置いただけだが、 乱歩の頭部は実物大で充分だったが、それ以上の大きさである。乳首は賭博用のツボぐらいか。乳輪にいたっては30センチはありそうである。この作品は乱歩が背広を着ているモノクロバージョンもあるのだが、乳首の生々しさでこちらを選んだ。 以前盲獣の尻だらけのカットを大きくして銀座青木画廊の個展に出品したことがある。幼児に「オシリオシリ!」と好評をはくした。大きかったら面白いだろう、と永井荷風のストリップ劇場の踊り子の脚や、やはりヌードに配した谷崎潤一郎、今回の乳房など巨大化させて喜んでいるが、私の幼児性が露呈しているようで、いい加減にしておかなければならない。そういえば、『ボッカチオ'70』のフェリーニのパートで看板から抜け出る巨大な女を演じたアニタ・エクバーグ。最近亡くなったが、何故かサイン入り写真を3枚も持っている私であった。

『特別展 深川の人形作家 石塚公昭の世界』

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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グループ展でご一緒した白石ちえこさんの作品は、アンダー気味の画面から漂う余韻のおかげで、写っていない物まで見えてくる。常に何か引くように心がけていると聞いたが、そのため観る側に想像の余地を生じさせるのであろう。これは私には全くできない芸当である。頭に浮かんだ物を取り出してやっぱり在ったな、と確認するのが私の制作の原点だが、取り出しそびれることが耐えられないのである。よってもっともっとと引くどころか足してばかりである。結果余韻などという高級な物は漂うはずもないが、その代わり方法こそ奇妙かもしれないが、私の頭に浮かんだそのまま見たまんまである。外側の世界にレンズを向けず、眉間にレンズを当てての念写が理想だが、そんな能力がないのでこんなことをしている。などといっていたから、それで良いのであろう。 それにしても初の試みの拡大プリント。大きすぎて未だに正対したことが一度もなく。見るのは常に斜めである。会場に飾り付けるまでお預けということに。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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私の処女出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル社;絶版)は当初乱歩作品の写真集という話であり、名場面の数々を並べるはずであった。しかし話が決まった後、しばらく編集者に放っておかれたら、ストーリーをかいつまんで追うような物に変化してしまっていた。結果それでいくことになり、おかげで5月6日の朗読ライブの第一部、スライドを上映しながらの『屋根裏の散歩者』『白昼夢』『人間椅子』が可能になったわけであるが。 何がいいたいかというと、私の場合、当初の予定と変化することが往々にしてある、ということである。今回は人形展時を別にすれば、初の試みである大きなプリントを4、その他のプリントを5、オイルプリントを1程度と考えていた。ところが最近、横110センチ×縦150〜のプリントされるのを見ながら、F104ジェット戦闘機に乗っている三島由紀夫を、戦闘機の先まで写っているカットと、操縦席に寄っているカット、どちらが拡大に向いているか相談していたら両方プリントしましょう、といわれてしまった。すでにジャズ、ブルースシリーズのモノクロ判を拡大していただくことになっており、その時点で予定していた枚数を超えている。頭の中でダムが決壊する音が聴こえた。小さなプリントは今後展示する機会もあろう。担当者にいったら「どうやって展示するんですかー。」あの広いスペースでそんな台詞が発せられることになるとは思いもしなかった。

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某メーカーにお願いしている短辺150センチ、縦2メートル超のプリントは、すべて任せるという条件で、プリントしているところは見られないのだが、もう一種、縦150センチくらいのプリントは、昨日、ピアノのようなプリンターから、モニター通りの作品が出て来るところを見せてもらった。本日伺うとすでにドストエフスキーが。 正直いうと私自身、この大きなプリントに、どう対処して良いのか把握しきれないでいる。 我が息子が親父の思惑を超えた姿で帰ってきた、とでもいえばいいのか、眩しくてちゃんと目を見られないのである。会場に搬入後、全体を離れて眺め、ようやく抱きしめてやれるような気がしている。なにしろ普段、頭部が手のひらに収まる7、8センチ程度のサイズに作っているのだから、こんなでかくなっちゃって、と戸惑うのはしかたがないだろう。今回の展示の中心となる。 5月6日(金)の朗読ライブはゴールデンウイーク中とはいえ平日である。個展の方は観られない方が多いだろうと思っていたが、その日は特別夜間開館ということで21:30まで(最終入館21:00) だそうである。

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午前中より私の辞書に載っていないことばかりをする。シュルレアリズムといえば“手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い”という有名な言葉があるが、まな板の上のミシンかこうもり傘の如し。今日のところは何とかこなし、半分放心状態のまま帰宅。 2メートル超のプリントは某メーカーにお願いしているのだが、もう一回り小さい、(といっても短辺が1メートル超)を某所にお願いすることになっていたが、時間をいただいたので、さっそくデータを持ってお邪魔する。都合の良い時に、と思っていたが、さっそくプリントをしていただいた。エドガー・アラン・ポーの世界初の推理小説『モルグ街の殺人』。犯人はオランウータンだった、という話だが、映画その他随分観たが、不思議なくらいオランウータンが使われていない。チンパンジーであったり、良くて着ぐるみである。そこで、オランウータンにこだわった。結果、プリンターから出て来たのは実物のポーより、あきらかに大きいアラン•ポー。ついでモノクロームの澁澤龍彦。それを見て方針が固まった。 ようやく個展情報が資料館のサイトに。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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一日  


朝からバタバタと一日中。雑用を済ませた後、母を介護センターへ、ここへきて5泊6日は実に有難い。それに母も行きたくてしょうがないときているから渡りに船とはこのことである。 しかしそれにしても、何かが変わるきっかけとなる個展は、いつも状況はゴタゴタである。これはどういうわけなのか。上から見ている奴が妙なシナリオを書いているとしか思えないのである。 しかし助かっているといえば母のことや雑事に振り回されていても、日本刀もった三島に刺青を入れようとか、ああだこうだ制作したりモニターを見つめていると、実に馬鹿々しい世界だが、おかげで精神衛生上は健康を保てているようである。今後さらにバランスを保つには、より馬鹿々しい方向にまい進すべきである。 夕方、『タウン誌深川』の花見だというのでポスターを持って出かける。花見といっても編集室での飲み会であるが。あまりに近所でもあるし、ちょっと挨拶して仕事するつもりが、一日をリセットしちまえ、と飲んでいるうちに最後まで。結局作品に一度も触れず。明日になれば、だいぶ落ち着く予定なので、こんなことは最後にしたい。 深川江戸資料館のサイトには、5月6日の朗読会の告知は載っていたが、肝心の個展の情報がここに及んで何もアップされておらず。お尻叩いてようやく7日にアップされるという。大丈夫なの?

特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

深川の人形作家 石塚公昭の世界展4月23日より

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夕方某所にて彫Sと会う。彼女のお客を紹介され仕事場で撮影、オイルプリントにして以来である。刺青を入れてる所も見学させてもらい、東映のヤクザ映画との違いを認識。彫って行くとミミズ腫れのようになり、腫れがひくまでレリーフ状になる。顔料や血液、体液を拭き取りながら彫り進めるのだが、当初は体液の匂いに慣れずに苦労したといっていた。彫られている女性も知り合いだったので(知り合いでなくとも)どれどれ?と後学のため嗅いでみようとは思わなかったが。 『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』の時に、市ヶ谷へ向かう車中、「ヤクザ映画ならここで唐獅子牡丹が流れるのだが」と三島が歌い出し、隊員も一緒に合唱したことから、三島の背中に唐獅子牡丹の構想はあったものの、刺青の表現を考えているうち時間切れで断念していた。本物を撮影して“移植”することも考えたが、ウソとホントの間を常に泳いでいるような私であるが、どこがホントでどこがウソか、というのは、実は重要なところなのである。そしてようやく、ウソの三島の背中にホントの刺青師に描いてもらう、というところに落ち着いた。近年の刺青は漫画じみて目を覆いたくなるものが多いが、彼女の場合は古典的なところが良い。当初から彼女にすべてお任せするつもりでいたが、資料写真を見ながら検討し、意見もことごとく一致した。 見ていただいている方々に、必要以上に期待感をつのらせていただくために1カット。

特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

深川の人形作家 石塚公昭の世界展4月23日より

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死の直前篠山紀信に、魚屋や体操選手、様々なシチュエーションで死んでいる所を撮影させたり、映画でチンピラヤクザや剥製にまでなっている三島である。三島本人にウケようといっても簡単なことではない。そう考えると、三島が間違いなくやりたくてやれなかったのが刺青である。たしか澁澤龍彦が学習院に通う息子の親が刺青いれるわけにはいかない、といったと書いていたような気がする。 刺青の件では事件の直前、三島は二人の刺青師に打診しているが、初めから篠山撮影との撮影用だったのか、一人目の時は本当に入れるつもりでいたが間に合わないことを知り、二人目には撮影用といったのか、そこが判然としない。もし本当に入れるつもりであった場合、打診する直前隊員とサウナで打ち合わせしている。つまり背中に何も入っていないところを見せておいて、バルコニーの演説の後、脱いだとたん森田以下、初めて目にする唐獅子牡丹。となったかもしれない。事件直後に『男の死』が出版されて、世間その他、笑っていた連中が驚くことを想像していた三島ならやりかねないだろう。もっとも森田はただでさえグサグサと介錯に失敗しているから、手元がさらに狂ったかもしれない。

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ドストエフスキーを乾燥させながら修正する。三島由紀夫、古今亭志ん生、伊集院静、夏目漱石、エドガー・アラン・ポー、伊集院静がおおよそ仕上げが終わり、本日より着彩に入る。三島は明後日、彫Sに預け、いよいよ背中に唐獅子牡丹が入る。東映の高倉健と池辺良の道行きシーンは確かスタジオセット丸出しだったような気がする。リアリズムより形式美ということで。 いつもであれば、画面に入る被写体には同じような光を当て、合成臭くならないようにするのだが、今回は映画のポスターのように切り張り感が出ても良いのではないか、と考えている。 三島が大映の『からっ風野郎』で演じたチンピラヤクザの格好で、市ヶ谷のバルコニーの上から辺りを睥睨する作品も、今回大きく引き伸ばして出品する予定であるが、(見上げる自衛隊員目線を味わえないだろうか?)考えてみたら、唐獅子牡丹を背負った三島こそバルコニーに立たせるべきではないのか。背中を向けた三島の唐獅子牡丹にどよめく自衛隊員。いずれ必ず。

特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

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ドストエフスキーはなんだか呆然としているように見えるので、実際より苦み走らせたが、その分顔が怖くて少々怪僧ラスプーチンじみる。 資料館より大伸ばしのプリントが二カット届いたが、何か調子が変だという。行ってみると一カットが確かに変。なぜそうなるか判らないが、このカットは当然画像は統合してあるのにアイコンが作業中のレイヤーになっていた。開けば普通にTIFF画像だし、過去に普通にプリントしていたので、そのままにしておいたが、その一層のレイヤーが引き伸ばされていた。私には原因が判らない。 会場のレクホールにて、展示の仕方を打ち合わせる。人形はできるだけ見下ろさない高さにしたいのだが。 帰宅後画像を色々変換してみたら、アイコンが無事内容通りになった。再送する。 無事プリントされた1カット『古今亭志ん生』。たまたまだが丁度実物大である。手をを伸ばしているコップも、『河本』の女将さん愛用の栓抜きも実物大。不思議な気分である。江東区の区報に告知が載る。

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