明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日のブログをアップしないまま出かけてしまったので連続。 江戸東京たてもの園で、園内のたてものを背景に撮影したものを、被写体となった人形と共に展示した時。そこでカップルの会話を耳にしたが、この人形を撮影して、と書かれているのにかかわらず「これは違うよ」。人形が手前にあるから人間大に見えているだけなのだが。人間の錯覚、思い込みを利用し続けているのは私なのだが。今回も知っていて御覧の方々を別にするとどうしても絵に見えるようで、例えば、虎の満月や黒蜥蜴の煙草の煙は描いたなど、細かく説明するとかえってややこしくなるかもしれない。いっそすべての責任を手漉き和紙のせいにしてしまうのが得策かもしれない。半分は本当ではあるし。 江戸川乱歩の御令孫、平井隆太郎さんに来ていただいた。まだ乱歩邸にお住まいの頃から撮影させていただき、4年続いた『中央公論アダージョ』は乱歩のモノクロ写真を使ったパイロット版を見たナベツネ氏の「カラーで」。の一言で、取材時に隆太郎さんの推薦で私が担当することになったと聞いていた。油井昌由樹さんに来ていただく。毎回来ていただくので何度も書いているが、高1の時に何処にも売っていなかったバンダナを買いに、油井さん経営の日本初のアウトドアショップ、スポーツトレインにお邪魔した。常連であった黒澤映画出演時の、黒澤明の話を伺う。 ご近所の方々に来ていただき、馬肉と焼酎で締める。
 
銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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ここ何十年も出不精をこじらせ、特にこの1年は、電車に乗って出かけるとしたら麻布十番の田村写真くらいで、顔会わせるのも近所の連中ばかりである。いや拠点の店がなくなってしまったので、それすら減った。おかげで今回の人疲れは半端ではない。冬眠から醒め山を下りた熊の如し。以前、もっとも好きな人物画家であるクラナッハの大きな展覧があったのに、しかも期間が長かったにかかわらず出かけなかった自分に、もう見る方は捨ててしまったな、と感じた。 本日、2年前の深川江戸資料館の『深川の人形作家 石塚公昭の世界』に来てくれた小さなおばあさんが来てくれた。元気な聞き覚えのある声ですぐ判った。今回もあの時と同じくじっくり観てくれた。好きな小説家ばかりだ、といっていた。御感想ばかりで質問は一切ない。 観たことがない物に関して、目になかなか明りが灯らないのをオイルプリントによる1回目の2000年『ピクトリアリズム展』で痛い程感じた。そこで技法を公開する為に、PCを買い、イライラしてマニュアル本を壁に叩き付けながらホームページを作った。その点今回は、描いた物ではない、陰影を出さないように撮影して配しただけと、せいぜいその程度をお伝えする程度で済んでいるのは何よりである。正確にいうならば、フォトショップで描いたのは、『金閣寺炎上』の火の粉『刺青』谷崎潤一郎の女郎蜘蛛の刺青『黒蜥蜴と江戸川乱歩』の黒蜥蜴の煙草の煙『陰獣』江戸川乱歩の鞭痕『猛虎図』の満月『牡丹灯籠』の円朝を含む鬼火は筆で描いた物から作成。『ゲンセンカンの女』を主人公に似せて変え『蛸と少女』も顔出しNGだったので変えた。この両者は粘土で人形を作る要領で、他の人とはやり方は違うだろう。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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オイルプリントによる『ピクトリアリズム展1』は2000年だったが同じくオイルプリントの『ピクトリアリズム展Ⅱ』は2015年のハスノハナであったが、その時、酔っぱらって来て、素手で私の作品を触ろうとしたり、ホッピーに焼きそばを注文しようとした爺さんは、いつも私の個展を利用し、それにかこつけ女性と一緒に来る。素面で女性と二人で電車に乗ることに耐えられない爺は前もって飲んで現れるのは判っていたから前日に、「最近、銀座の画廊は酔っぱらいの被害があるので呼気の検査があるので検出したら追い出されるぞ」。といっておいたが、あきらかに酒気帯びで来た。来た早々、あちらで呼気の検査して、といったら。元トラック運転手。そうなんだ、と本気にして事務所に向かおうとするから「ウソだよ!」。酔っぱらって救急車9回、パトカーに2回乗っている爺さんなど、呼ばなければ良いではないか、という話だが、なにしろ今回、蛸に絡まれている北斎の身体部分をやってもらっているから来るな、とはいえないのである。しかしいうとややこしくなるので、蛸と北斎について触れられなければいわない。 7月の終わりから8月の1ヶ月間、青木画廊から近い某所で個展が決まった。まだ明らかにできないが、画廊には名刺サイズの告知が置いてある。合成をしていなかった頃の、最初期の作家シリーズ、昨日書いた“名月赤城山撮法”時代のモノクローム作品になるだろう。ひとたび人形持って街に出れば、たちどころに何カットも物にしたものだが、今では5時間の睡眠で1カットに1週間かかるなどざらである。何故こんなことに、などと振り返ることは禁物である。明日は3時を目標に在廊予定である。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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昨日は完徹のあげくの飲酒でヘロヘロであった。昔と同じつもりでいてはいけない。それでも相変わらず二日酔いをしないので、朝の5時に何事もなかったように目醒めは良い。夏にやはり銀座で展覧があるのでそのための準備。おそらく初期の合成などやる前の、片手に人形、片手にカメラを持ち、手を伸ばして人形を捧げ持ち撮影する形から、新国劇、国定忠次の名場面になぞらえ“名月赤城山撮法”と称された、いや私がいっていただけだが。その頃の作品が主となるだろう。ちなみに、今回の個展の中でも陰影を除去した手法を私の大リーグボール3号とすると、名月赤城山撮法は大リーグボール1号であるが、96年頃始めたが、今ではスマフォで誰でもやっている。 4、50センチの人形が、人間大で立っているように見せるには、人形のサイズ、人形と背景、人形とカメラとの距離、またさらに大事なのは角度であるが、これがちょっと狂うとそうは見えないが、熟練しほぼ百発百中であった。これを始めたきっかけは、たまたまカメラを持っていた人が、人物といきなり出合ったような雰囲気を出したかった。人形自体はじっとしているから、三脚立てて撮っていてはそんな感じにはならない。 今日は日曜に関わらず、あいにくの雨であった。知人から、来週の日曜にする。とメール来る。日曜は今日が最後と返事。江戸川乱歩の生誕地三重県名張市より『乱歩謎解きクロニクル』(言視舎)を出されたばかりの中相作さんから名張の隠れ酒『乱歩誕生』が届く。ぬき落し、と書いてある。本来ならば杜氏しか味わえなかった 厳選した原酒を一年間低温で熟成させたそうで濃厚。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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北斎をなんとか展示出来る程度に仕上げて完徹。もうこの歳になるとこたえる。一日フラフラしていた。会場に行くとちゃんとまとまって展示されていた。これだから私は余計なことをしない方が良い。 子供の頃に、頭に浮かんだイメージは何処に行ってしまうんだろう。と思っていたが、私の制作は、そのイメージを取り出し、やっぱり在ったな、と確認したいが為である。という意味では、今までで最もその感じが出ているだろう。眉間にレンズを当てる念写が理想という意味でも、さらに昨年の自分を驚かせることも出来ただろう。 手漉き和紙が案外、カラフルな感じが合う。他のプリントとは色の調整がやっかいで、そこはプリンターの田村政実氏の尽力による。手漉き和紙を使用する他の人にないであろう利点は、私のあまりに生な企みを、作品としてぐっと落ち着かせてくれることにある。007がワルサーPPKにサイレンサーを付けることにより、より良い人殺しを実現させているようなものである。これは想定外の効果であった。 人の一生は高校生の夏休みのバイトのようなもので、慣れた頃には夏休みは終わるように出来ているのだろう。しかし自分が変わり続けることにより、夏休みはいくらでも長引かせることができると考えている。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

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今回人形は出品するつもりはなかった。二年前に出せる物は全部出したし。ところが搬入の直前、何か在った方が良い、という話しになり、深川江戸資料館で出品したばかりだが、まずは古今亭志ん生を持っていくことにした。北斎は間に合うかどうか。撮影用のつもりでいたし。明日間に合えば。 DMは表が蛸に絡まれた北斎だし、と裏面は遠慮気味にしたら燃える金閣寺になっていた。さらに元々モデルを笑わそうとした2点のうちの1点、『円谷な女』を青木さんは良いといってくれたのが意外であった。乱歩関連では銀座上空の二十面相が一番良いといわれてまた意外。色々出品してみるものだな、と思った。 今日は絵の具買ったりあちこち歩いて疲れた。すると先日聴こえて来た森林太郎軍医総監の“疲労菌には酒精を用いての消毒殺菌が有効である”。という声が再び。“この菌に関しては”閣下の説が正しい、と私の内なる声がやかましい。作業も残っているし、殺菌し過ぎないよう気を付けたい。オイルプリントによるピクトリアリズム展のⅠは2000年であった。画廊のオーナーに会期終了のその日まで解らない、を連発されたのには閉口した。つまり版画なのか写真なのかと。今回は絵なのか写真なのか、という方が現れるだろうが、半分は陰影排して並べただけであり、修験者の術のような物は一切使っておらず説明はほとんど不要である。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

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雷雨から雨が上がった頃全27作搬入。始めて全作並べて眺める。趣味も意見も合わないグループ展のような、と思っていたが、あらためて見ると、紛れもなく私一人がしでかしたことに間違いなかった。それにしてもこれをどうやって並べて良いか、しでかした本人は見当もつかず、すべて青木さんにお任せしたが、いつの間にかまとまっていくからさすがである。その最中に日にちを間違えた飯沢耕太郎さん来廊。私の耳には「またおかしなこと始めましたね」。と聴こえたのだが。改めて来ていただけるそうである。 
まさか後に葛飾北斎を作るとは思わず、円谷英二で使った蛸のデータが残っていたので某嬢に絡ませて笑わそうと思っていたら、スイッチが入ってしまったのが『蛸と女』だが、そんな私の邪念も、和紙の風合いにより穏やかに見える。北斎の『蛸と海女』が頭にあったのはいうまでもないが、特にパロデイーというほどのこともなく、タイトルも海女からただ海を取って『蛸と女』にしたのだが、『蛸と少女』に変更。 蛸と女なら、例えばたこ漁師やたこ焼き屋の主人が酒の席上「タコと女とどっちが好きだ」。なんて会話はあり得そうだが、蛸に馴染み深い日本人でも、ほとんどの人が“タコトショウジョ”と一度も発することなく死んでいくだろう。と考えたら面白くなって替えた。 だったら言っておこう、と今何人かの方がモニターの前で蛸と少女、とつぶやいたと思うが、どうせなら銀座の画廊でタイトル読むふりして発してみるのもオツだろう。いやオツということはない。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

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一日  


昔、乱歩の本を出したとき、モニターを前に頭上に手を伸ばし、柱を鷲掴みに力をこめて作業をしていたことを書いたが、今回は肘が痛い。机の角に肘を当てて集中すると押し付けてしまう。それを半年以上続けたせいで曲げても痛いし、伸ばしても痛い。手を握っても痛い。半年以上変化球ばかり投げていたせいであろう。ストレートは投げた記憶がない。そんな28カットを明日搬入である。早く並べて全体を見てみたいものである。まず私が前もって呆れておこう。 そして例によって何処に何を並べたら良いか判らず、となるだろう。小学校の通知表“掃除の時間に何をして良いか判らずフラフラしています”あのおなじみの状態である。二年前の深川江戸資料館の個展も、配置については一言も発することはなかった。 連休前のいつからだったか携帯が見当たらなかった。それは困ったが、制作を中断してまで捜す気にはならず。母からは連日かかってきたであろうことは判ってはいたが。それに連休中、近所の酔っぱらいの爺さんからの電話も出ないで済んだ。それでもこれ以上迷惑はかけられない。捜すと、ふざけるな、というところにあった。どうも充電が怪しいので明日見てもらおう。また無くしたのか、と言われるくらいなら故障のせいにするのも良い。

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昔、某雑誌で人形特集があった時、撮影にみえたのが某巨匠でびっくりした。若い奥さんとお見えになり、振り返っては奥さんの意見を聞いていたのが意外であった。こんな時、うっとおしいかもしれないから、存じ上げない風で終始済ませた方が良いか、とも思ったが、せっかくだから、と撮影終了後、色々お話させていただいた。まだ古典技法がどうの、という時代ではなかったが、オイルプリントをお見せしたら好意的に反応していただいたのも嬉しかった。 送られて来た雑誌を見たら、それは確かに私ではあったけれど、私がピアノだとしたら鍵盤と鍵盤の間を撮られていた。写真家というものは、こんな所を撮るものなのか。被写体になって、始めてそんなことに感心した。そんな御縁で何度か個展にお邪魔したが、未だにモチーフ、手法、感材など果敢に試されていることに感銘を受けた。 その後幾年月。昨年より私が始めた手法を、あの方なら見ていただけるのではないか、と急に思い立ち、検索してHPの問い合わせからでは失礼かと思ったが、メールを差し上げたら翌日、「度重なる病気や加齢で東京への外出が激減してしまいましたが、とても面白そうで、伺いたいなと思っています。」とメールを頂いた。やっぱり、あの方はそういう方だ。と。 ところで余談であるが、未解決の世田谷一家殺人事件の被害者のご主人の本棚に件の雑誌があったとかで、わざわざ刑事が来た。私の所まで来るとは難航しているのが伺われたが、私の余計な一言で二度の訪問を受けるはめになってしまった。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

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なんでも蛸の価格が高騰しているらしい、ヨーロッパ、中国、しまいにはアメリカ人も食べ始めたという。なんの為に蛸はあんな化け物じみた姿をしていると思っているのか。日本人以外に食われないためである。北斎に蛸を絡ませている時、最後に色を変えるまではほんとに気持ちが悪かった。北斎の描く蛸風に目を変えたが、実際はなんとも凶悪な目をしている。  父が亡くなる前、アメリカ人と結婚した妹が息子二人と共に家族で帰っていたので皆で食事に出かけた。妹の旦那は当時日系企業に勤めていて、しょっちゅう日本に来ては日本人と付き合いがあったからなんでも食べる。蛸の刺身もぺろっと食べてしまった。父が蛸は?という顔をしたが、追加注文することなく、蛸を食べる最後のチャンスを逃してしまった。すぐ亡くなると思っていなかったので、気が付いていた私も放っておいた。その時の父の表情を思い出すたび、北斎に絡ませながらも可笑しくて笑ってしまうのである。食いたい物は食えるうちに食っとけ、という話である。ただしヨーロッパ、アメリカ、中国人は今まで食わずとも困らなかったのだから、蛸の味など生涯知らずに死んでいけば良いと思う。 画廊に搬入してから考えるが、3作品に蛸登場は多過ぎると思う。まして2作品は、モデルを笑わそうとして作った、なんてここでしかいえない。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

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田村写真へ。完成したばかりの谷崎潤一郎が良い感じである。女郎蜘蛛を背負った女性を4、5日もやっていると谷崎が要らないと思えてきたが、谷崎がいてこそであろう。改めて『瘋癲老人日記』と『鍵』はやってみたくなった。使っているのは『阿波紙』の手漉き和紙だが、始めてホームページを見たが、当たり前だが一枚づつ手で漉いていた。今回の手法1号をプリントに行く直前に田村さんから合うのではないか、と連絡が着たのだったが、ここまでくると他の紙は使う気になれないくらいである。 
12日からの個展用全27カット。
『“唐獅子牡丹”其の弐 三島由紀夫』/『“唐獅子牡丹”其の弐 三島由紀夫』/『独居図 永井荷風』/『猫と夏目漱石』/ 『鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ』/『三遊亭円朝』/『月に兔』 泉 鏡花/『蛸と画狂人葛飾北斎』/『赤富士』 葛飾北斎/『医科学校の森林太郎』 森鴎外/『猛虎図』/『牡丹灯籠』其の壱/『牡丹灯籠』其の弐/『ゲンセンカンの女』つげ義春作ゲンセンカン主人より/『帝都上空怪人二十面相』/『黒蜥蜴と江戸川乱歩』/『怪人二十面相と江戸川乱歩』/『火焔太鼓』 古今亭志ん生/『金閣寺炎上』/『ヌード其の壱』/『ヌード其の弐』/『蛸と女』/『円谷な女』/『海女の居る風景』三島由紀夫作“潮騒”より/『汝の安全なる航行を祈る 三島由紀夫作“舟の挨拶”より/『刺青』谷崎潤一郎より/樋口一葉/『陰獣』江戸川乱歩

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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疲れのピークが来ている気がする。遅い洗濯を済ませ、夕方買い物に歩いていた。 森鴎外の母校である医科学校(現東大医学部)を再現し、その前に、軍医総監姿で立たせた。ドイツに留学しコッホのもとで細菌学を学んだせいか、おかげで脚気には脚気菌なるものがあると信じていた。ビタミンはまだ未発見の時代である。ずるずると歩く私に鷗外の声が聴こえた。“疲労感は疲労菌によるものである。酒精による速やかなる消毒滅菌が必要なり。直ちに実行すべし”じゃあないかと私も思っていた。昨日程度の消毒では疲労菌は死ななかったらしい。さっそく早々に開いている酒精を商う店に飛び込み消毒すると効果覿面。疲労感は雲散無消となった。メデタシメデタシ。


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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GW  


世間が休みの時というのは制作がはかどる。学生の頃から正月にも実家に帰らずじまいであった。静かなこともあるが、世間が休みの間というのは、たとえば老人に蛸を絡ませたり、女性の背中に女郎蜘蛛を這わせたりしていても罪悪感というものから開放される。特に悪いことをしている訳ではないが、なんとなくお天道様が眩しくはある。 夜中に谷崎を撮影し、とりあえず刺青の女性の背景の上に配し外が明るくなって来た頃寝た。最近は、寝る時は“ピストルに撃たれたよう”と評されるように、倒れ込むと10秒以内には間違いなく寝ている。母と同居していた時は、普通に話している最中にイビキをかき出すので脳溢血でも起したかと思った、と母に良く言われた。そういえば何度も名前を呼ばれたような気がする この谷崎、いつもと同じように撮影したつもりだったが、あまりフラットにならず。なんだか肉感的になった。しかし主役より陰影がない方が良い背景の女性に元々陰影があったので、こちらもそのまま行くことにした。この谷崎、モニターで拡大するほど人間じみてくる、これでは今回の趣旨と違うな、と思いながら私のルールブックは常に書き換え可能で、消しゴムも要らない。



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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見れば判るような作品には不要だが、先日伺った椎根和さんの写真展に所々説明があって良かった。そこで蛸に絡まれた北斎や、質屋前の樋口一葉、軍医の礼服姿の鷗外など、なぜこの人物はこんなことをしているのか、という説明を2、3行程度で何点か貼ってっておくことにした。ただ蛸に絡まれた『蛸と女』や勝どき橋横の百メートル以上ある巨大な女など、まさか元々ヌードを撮らせてもらった彼女達を笑わそうとして作ったとはいえない。 2年前の『深川の人形作家石塚公昭の世界』では、写る所しか作っていない作品を修整したり、できるだけ多くの人形を出品しよう、という試みであったが、その時感じたのは、一度出来てしまうと急激に醒めてしまって、頭は次のことを考えてしまうので作り飛ばして来たな、と。あくまで頭の中のイメージを取り出して、やっぱり在った、と確認したいがための制作である。であるから昨日書いたように、自分で作った古今亭志ん生観ながら落語を聞いて一杯やったらさぞかし、なんて考えていたのに、出来てしまったらまったくやる気が起きなかった。この時の展示が、実在した人物を新たに作るのはもう止めようという遠因になったかもしれない。 前言撤回常習者の私は、そういいながら葛飾北斎を作ってしまったが、写真を参考に制作するのと違い、頭部が1週間でできてしまった。想像で作る余地があるので面白いし速い。架空のジャズマンを作っていた頃、多用したのがこめかみの血管である。緊迫感が出る。タコに教われる老人に、数十年ぶりに用いた。これは写真が残されているような人物には使えない。 なんだか肖像画だけしかないような人物なら今後も作るかもしれない。といっているような。行き当たりばったりの風船野郎である。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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円朝と志ん生を出品中の深川江戸資料館の落語展を買い物ついでに観に行く。出品中の志ん生の台の下から志ん生の落語が聴こえるという趣向。私も制作中は完成したら一杯やりながら志ん生見ながら聴こうと思っていたものだが、出来てしまったらやりやしない。
昨日の私と今日の私は違う。まして4日前ならなおさらである。つまりご存知、“舌の根も乾かぬうちの前言撤回コーナー”である。江戸時代の彫物は墨と赤(朱)だけであると本職に訊いたが、時代物なのに今回は日本髪ではない。つまり当初からイメージ優先で行こうと決めていた。なにも事実に基づく理由がない訳である。我慢が出来ずに女郎蜘蛛に黄色を入れた。そもそも女郎の顔が小さ過ぎて目立たないので顔には白を入れていたし。何がウソを付くにはホントのことを混ぜるのがコツだ、だという話である。人にいわれるまえに自分でいう。個展会場でホンの数センチとはいえ、やっぱり黄色を入れるべきだった、と思いながら居るのは絶えられない。ネット上の画像をモニターで見るのとは今回は特に違うし。おそらく毒々しい黄色も手漉き和紙によって肌にさしたが如くの落ち着きをみせるだろう。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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