明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



赤井赤子と出会ったのは金魚坂の金魚ファン向けの披露会であった。新潟の業者が連れて来たのだが、ひときわ大きな琉金でその分、尾ビレの立派さは一番であり、すぐに決めた。小学生の頃から、中断しながらも熱帯魚を飼っていたが、金魚は、そのどんくさい動きが好きになれなかったが、改めて撮影してみると、その動きこその可愛らしさがようやく理解出来た。 一昨日は撮影しながら話しをしたが、新潟では学生の間柔道をやっていたそうで、県大会入賞に届くか、と言うレベルだったらしい。今回は嫁入り前にもかかわらず、背中まで露わにしてしまい、新潟の両親に知られてはいけないので、琉金の赤井赤子とだけにしておいて欲しい、と言うので承知した。「私にも二階堂ふみちゃん見たいに映画の話しが来るかしら。」「金魚の化け物の映画などそうあるわけがない。」「おじ様のいぢわる。」「おじ様はね、一度若い娘から、そう言われてみたかったのだよ。」 ちなみに赤子は金魚坂から、いずれ我が家に来る予定である。その時は背中と言わず全裸だろうと四の五の言わせず撮り放題である。だがしかし、『金魚の飼い方』には金魚に名前を着けてはいけない、とあった。死なれた時の悲しさゆえであろう。ところが赤子はウチに来る前に自動的に赤井赤子と言うことになってしまった。だったら彼女にちなんで〝大外刈り〟〝隅返〟〝腕緘(うでがらみ)。柔道技でもつければ悲しさ半減となるのではないか。『大外刈りが死んだ。』あまり悲しくない。

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 『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



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遅くなったが昨日、チラシの入稿に手間取りながらようやく。入院していた母も今回の炎症は相当腫れたようだったが、風呂にも入れ、退院手続き。必ず持って来いというので鳥のカラ揚げ、らっきょなど持って行った。そんな一日から本日は金魚娘の撮影である。風邪で絶不調の娘に、行きつけの居酒屋の女将さんに浴衣を着せて貰い、タクシーで某マンションの和室ヘ。この部屋では、拙著『貝の穴に河童の居る事』の室内場面、『牡丹燈籠』のお米とお露を撮影した。 今回は浴衣のへこ帯を金魚の尻尾に見立てよう、という趣向である。素材の違う二種類の帯を使った。これは意図通りにいったと思う。『蜜のあはれ』は最初の思いつきは老人と本物の金魚の絡みであったが、それだけでは足りない。金魚娘は例によって一般の素人だが、おかげで、私の悪い癖である過剰になりがちの所が適度に抑えられ。丁度良い感じである。打ち合わせがなかなか出来ず困ったが、ようやく。すぐに犀星二体目にかからないとならない。今度は金魚娘が〝おじ様〟を背景の中で待ち受ける番である。

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 『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

 

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最近やっている手法も頭に浮かんだそのままかというとそういう訳ではない。小学校の雨の日の休み時間に漫画『鉄人28号』の登場人物の警察署長を描こうとしていた。良く知っているキャラクターである。ところが描けない。頭に在るはずなのに描けない。後で考えれば、描けるほど鮮明に頭にあった訳ではなかった。子供であるからその辺は理解出来ない。私が犀星の肌にまとわりつく金魚を思い付いた時、犀星も警察署長程度にしか頭に無かったが、その分、時間をかけて犀星を作ったからこそ、完成作は、より鮮明な物として可視化された訳である。ある女流写真家が引き算で制作すると言っていたが私はそれが出来ない。浮かんだイメージは金魚一匹であったが、一晩で三匹増えていた。 いずれにしても、イメージに関してみると、おおよそ小学校の時に一通り悩み済みな気がするのである。聞いたって答えてくれるような大人などそこらにいなかったし、しまいに大人は怒りだす。気の利いた人物は図書室の本の中にしかいなかった。

 

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絵画調であるから私なりのピクトリアリズムだなんて言っているが、今回犀星に僅かに陰影を残したカットを使ったのだが、すると、僅かに陰影を出しただけで、犀星はいつもの日本画調ではなく西洋画調?になった。 暴風の中、武蔵小杉のピアニスト嶋津健一さんのスタジオに機関車トーマスの4代目トップハム・ハット卿こと田中完さんと共に集まり『金魚坂』での朗読ライブの打ち合わせ。今回で三回目となるが、ちゃんと話すのは初めてである。義太夫との二部構成であった深川江戸資料館内の時と違い演目も一つ増やし、全体的に長尺になる。三十席の店内だけに、ピアノ朗読共に過去二回とはまた変わってくるだろう。その辺はお二人に任せる所であり、私は長尺に合わせ画像の入れ替え、増量するだけである。 嶋津さんは金魚坂近くの赤門の出であり、親戚は見渡す限り東大卒だらけ、田中さんはコンピューターを学びそのままいっていたなら、と言うし、それに対し、小学校一年の時、足し算引き算が一回だけクラスで一番早かった事があり、それが数字関連?の人生上のピークであり、掛け算割り算以降は坂道を転がりっぱなしの私がこうして打ち合わせをしているのであった。

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「作品が写真だ、って言うのは描いた絵ではなくカメラで撮った物だからって意味?」「そうそれだけ。写真の写真的な部分を省いちゃったから、これは写真じゃない、って言われるのは構わないんだけど。カメラで撮った事は言っておきたい。良いレンズ描写ですねなんて事で感心されるのは真っ平。頭の中のイメージに陰影がないことに気が付いて、スーパーの袋落としそうになったのはまだ去年だったか。陰影無いのにレンズの味なんてさらに無いから要らない。〝`夜の夢こそまこと〟である。 室生犀星と金魚第一作。犀星は魚自体が大好きで詩も残している。その中の一行より個展タイトルは、〝我が肌に魚まつわれり〟。そのまんまだが、なぜかフェイスブックにアップできたのに、ブログにアップが何故か出来ない。

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83年に、個展で購入頂いた作品を届けに行った時、私は未だに阿佐ヶ谷、高円寺辺りの区別がつかないのだが、高架下脇の道を向こうから、当時の石井聰亙が歩いて来た。映画館で観た『狂い咲きサンタロード』で衝撃を受けていたので、これが石井聰亙か、と思いながらすれちがった。あいつが先に『蜜のあわれ』を映画化したおかげで私が本物の金魚でやるはずが止める事になったじゃないか、とあの時の事を思い出したものである。 しかしその日は別な衝撃を受ける事になる。届け先はデザイナーだったが、今手が離せないのでビデオでも観ていて下さいというので、ずらりと棚に並んだVHSのなかに見つけたのは三島由紀夫の『憂国』であった。破棄されたと聞いていたので、何でそんなものがこにあったのか。後に三島を作る事になるとは夢にも思わず。そして、『あんたに先超されてやられてしまって色んな死に方考えるのも大変だよ。』なんて事になるとは。室生犀星が終われば、『椿説弓張月』で竹釘を全身に打ち込まれ悶絶している芳年調、三島にとりかかる。本来三島に『聖セバスチャンの殉教』をやられていなかっら、まず最初に作っていたのがセバスチャンの三島だったの間違いない。私としたら、私が作るべきセバスチャンを見つけた、という思いである。私の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』の最終カットは、もう何年も前に決まっている。そのためには、市ヶ谷に再び行かなければならない。三島にウケることしか考えていないこのシリーズは、最初からこのテーマしか頭にはなく、三島で他にやりたい事はひとつもない。

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陰影を出さない手法は、リアルにしているつもりの塗装が汚れにしか見えず、すぐにベタ塗りし直し事無きを得たが、今回は、なるべくペーパーをかけずにいた仕上げが、やはり単に雑に見えてしまってやり直す事にした。人形として見る分にはこちらの方がリアルに見えるのだが、やはり塗装と同様、この手法には全く適さない。一度撮影して切り取ると、思い込みなども引っ剥がされてしまうのであろう。ペーパーをかけ、着彩し、再び撮影。なんだかその気になっていたらしっぺ返しを食らった感じである。よりクールにかからないとならないと肝に銘じた。 しかし作った私に対して撮影者が別で、「この着彩や仕上げでは使い物にならない。もし私に陰影を無くして撮影してもらいたいなら、直ちにやり直してくれ。」と、他人に言われる事を考えたら、よっぽどマシである。 母、先日退院したと思ったらまた入院。また同じく脚が炎症を起こして腫れたそうである。幸い痛くはないそうなので本人はケロリとしている。 金魚坂に行き、会期その他ようやく総て決まった。休みが少々変則的な分ちょっと長めに。

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午前中『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観る。どうせ毎回同じような不満が起きると思いながら。やはりデカ過ぎる。自衛隊のセーバーがゴジラに叩き落とされていたころと時代が違う。兵器の強力化に伴い、怪獣が大きくなるのは仕方がない。黒蜥蜴が大きくなるにつれ、明智小五郎がデカくなるのと事情は一緒であろう。それにしてもゴジラが醜い。顔はほぼ噛みつき亀である。スタイルも悪い。私の子供の頃はゴジラがカッコイイと思って映画館に行ったものだが。怪獣大戦争だったか?と似たようなストーリーであった。あの時のゴジラのシェーが、私の怪獣映画卒業を早めた。

室生犀星に関すれば、金魚との奇妙な日々を描いた『蜜のあはれ』以外にはアイディアはない。金沢に鏡花記念館もない頃、泉鏡花を金沢に持って行って撮影していて、浅野川で撮影してるつもりが犀川で、これじゃ室生犀星だ、と慌てて移動したのを覚えている。金沢に出かける事でもあれば撮影しても良いが、犀星の作家生活を貫く〝切なき思いひ〟を私がどこまで解し描けるかというと、甚だ自信がない。

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映画化されて断念していた犀星と金魚、やはりあの時頭に浮かんだのは本当であった。私の制作の原点は、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのか、一人悩んだ子供時代にある。本当に在るのに。今回も無事取り出し確認した。 この犀星、私に電動式の玩具をよく買ってくれた、叔母の旦那に似ている。子供がいなかったせいか、良く可愛がってくれた。国語の教師をしていたらしい。幼い私を寿司屋に連れて行き、マグロを食べさせたらこれはクジラ?と私が言ったと笑っていた話を聞いた覚えがある。常に酒臭かったが、何しろ玩具を買ってくれるので、臭いどころか香ばしく、芳しいくらいの話であったが、ある朝起きて来なかった。母方の連中はどういう訳だか酒飲みとばかり結婚する。私の父は例外で、寝酒程度であったが。 私のようなタイプは空想するものである。親戚内の評判は芳しくないが、何故か理解してくれ、常にかばってくれる、たまに南洋から絵葉書を送ってくれるような叔父さんの存在を。あの叔父さんなら、犀星と金魚も面白がってくれたはずである。本日は室生犀星を披露するつもりであったが、私自身が香ばしくなって来たので、またいずれ。

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昨日室生犀星の眼鏡を作り、本日着彩。陰影のない手法は陰影の演出をしない、できない、悪く言えばごまかせない分、被写体の出来が成否を左右する。元々人形制作から出発した私とすれば本望であり、望む所ではある。しかし自ら作り出した陰影を自らの手で消すと言う事は、葛藤は生じた。当然である。何年も図書館に行っては浮世絵、日本画を眺めていながら思い付くのに時間がかかったのは、制作者と撮影者が同一の二刀流ゆえである。しかし改めて思うのは、立体感と言う物は、何も陰影だけが作り出す物ではない、と言う事である。写真程製品に依存しているジャンルはないだろうが、今さらながらカメラ、レンズと言う道具は共に良く出来ている。 そろそろ会期も決まり、この辺りで、腹に空気を思い切り吸い込み、水中に深く静かに潜行するように制作する期間に入る。よって本日は、週末にはただ酒を飲んでいるトラックドライバー連中の御目出度い顔を観ておこうと3時に西葛西へ。いつもは免許も持っていない私の前で陸送の話ばかりしている、ドアを開けたと思ったら外に出てしまう程、奥行きの無い連中だが、娑婆の空気もしばらくお預け、とせいぜい馬鹿話で盛り上がったのであった。

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7月の展示の会期中、江戸川乱歩の朗読ライブ『夜の夢こそまこと』の再々演が決まった。ビアノ嶋津健一、朗読田中完スライド石塚。今回は16年の深川江戸資料館のホールでの『白昼夢』『人間椅子』『屋根裏の散歩者』に加え、右手を切断されたピアニストの話『指』を2006年の世田谷文学館以来の再演となる予定である。今回は30席とこじんまりとした店内なので、嶋津健一さんのピアノも内容その他、一味違う響きをする事であろう。今回はホンモノであった私物の乱歩の短冊〝うつし世はゆめ よるの夢こそまこと〟の文字をせっかくなのでタイトルカットに使いたい。 鬱陶しいので髪を切る。高校卒業後、美容師になった友人の実験台になった以外は自分で切ってきた。昔はアマゾンの何とか族並みの直毛で失敗が目立ったが、今は癖っ毛になったのでこれ幸いである。その代わりいい加減、雑に。 床屋嫌いになったのは、髭を剃られながら、布越しにオヤジの鼻息。顔がすぐここにあると思うと可笑しくてたまらず、半ズボンから出た太ももをつねって我慢していた。中学生になり、「髭はいいです。」と言えば良いことに気づいたものの、すっかり床屋嫌いに。この件に関して蛭子能収が、イヤになるくらい寸分違わず同じ事を言っていたので、嫌いになった別の理由を考えたい。

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