帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

フォーエバーソング と 白菜の漬け物

2014年01月09日 | 僕という人間 その他

 

昨日やったことが二つ、 一つは新しい練習曲に取りかかったこと、あともう一つは新しい白菜を漬たこと。  えへへ

曲は 秦基博さんの フォーエバーソングです。

もちろんひき語りバージョンの方で、 これは”鱗”の時と同じなんですが、 その曲の持つ本来の良さがそのまま出ているからなんですね。

ただ、彼独特のメロディーとリズム、曲の流れ故に、正直言って簡単に弾ける物ではない。

歌無しで単なるギターをかき鳴らすだけなら、至極簡単で楽勝その物なんですが、弾き方と歌い方を完全コピーし、人に聞かせて感動してもらえる?レベルを

一応の目標としている僕には楽じゃない。     下手だから(笑) 

数日の練習、といっても学生じゃ有るまいし、時間が有り余っているという訳では無いので、 短い時間では、さすがに日にちがかかる・・・・ 

自分の感覚では10~20%程度の完成度かな~今現在は。

運の良いことに? 僕は声の音域が広くて高音が出るので、そういった意味では楽なんですが、基本的に音感なんちゅう~ものが世間一般の方レベルより遥かに低く、

ただひたすら繰り返して覚える意外には・・・・

英語の練習と全く同じで、 それ意外に方法なんか無い訳だ。 

 

そういえば、僕はさんつけで、相手を呼ぶことが多い、 例えると秦君ではなくて 秦さんなのだけど、なんで”さん”付けなのかというならそれは”礼”を基本としてるからです。

礼は相手に対する正当な評価をすること、すなわち行為なんです。

これは、スポーツで”礼”を重んじる日本人の考え方の根幹にあるものですが、彼自身は僕なんかより遥かに若く、でも音楽世界では完全なスペシャリスト。

 

まとめると、僕にとってのスペシャリストは、全て”さん”付けなんです、 敬意を常にはらうのが僕の流儀ということ。

なので、最近就職に成功したS君(年末にブログで話を取り上げました)は、もう君付けで呼ぶ事は出来ず、 Sさんとなる。 

同じく、昨年結婚した姪っ子の旦那さんはもうすでにMさんと僕は呼んでいて、 もちろん彼はやはり、彼の仕事の世界ではその道のスペシャリストとして成長をしている途中。

ただ、親しさが増し、その人物が嫌がらなければ 下の名前に君をつけて呼ばせてもらっているのも僕。 えへへ

人生は長い、 若いからと 自分より年下だからと君付けで呼んでいて、やがて社会的地位が逆転することや、なにがしかの形で仕事等で関わりが出来た際に、 

いつまでも旧態然とした上下意識が残る君付けを突然変え事は難しい。 

これは師弟関係も同じ、 僕が教えた若造の階級が上って上司になることは、僕の職場では別段珍しいことではない。

僕は人生の出だしとしての、就職直後勅語に小さな下請け会社から、大手企業に出向に出され、 大卒の中に一人だけ高卒で混ぜられた事から、 君付けすらしてもらえず、

最後まで呼び捨てにされたままだった。

だから、上の連中をみな潰してやったんだけど(笑)・・・・

 

ところが支局の中に、初めて顔を会わせた時からさん付けで呼んでくれていたチーフが幾人かいた。   やがて僕が支局をまとめる本部の部門責任者となって初めてその意味を知ったわけだけど、

それ以前も、以降も、へんちくりんなプライドもなく、相変わらず優しくて気さくで、態度が変わらなかったはその人達だ。

そういった記憶と経験というのはいつまでも人間性に影響をおよぼすもので、 そうした経験から学んだ事を元に、今度は僕が同じ事をしている。 

今の僕を支える懐かしい思い出の一つであり、恩師達とも言えるんですね。 

 

人間性は漬け物みたいなもので、 ただの白菜が、太陽光、 昆布、 鷹の爪、 塩とユズ で漬け物という一つの食べ物に変わる。

特に塩加減一つで味が激しく変化し、石の重さ一つで漬け具合が変わってくる。

家には安物プラスチック製の漬け物器 があって、漬けているのはもっぱら僕だけど、何時も上手に出来るとは限らず、その度に違う味になる。 

同じように 人間関係も自分がどういったアプローチをとるかで後の味は変化し、鷹の爪を入れすぎれば舌にピリピリくるやたら辛い味となり、 塩の種類を換えるだけで

やはり味が大きく変わる、 ユズが新鮮かどうか 白菜の切り方や昆布の量でも変わる。 

 

まあ、面倒だと顆粒の昆布出汁を使ったりもしますが、どれも基本的マナーを守ればそれなりの味になってくれる。 人間関係とおなじですよね。

 

ギターを弾くのも、漬け物をつくるのも、人間関係もまったく同じ構図でできているのかと思うと非常に面白いことが見えてくる、どれに対しても絶対に欠かせない一つの要素。

なんだと思います?  

 

それは”思いやり” なんです 曲への思いやり、 野菜へのおもいやり、 人へのおもいやり。  *優しさではない事に注意。

表面的なものを磨く事、 例えるなら ギターテクニックだけに固執することや、電子式測りを使って正確な調合や吟味等いくらやったとしても、良い味が出来るはずもなく、

最終的には、その”人間のもつ心がその味となる”という事だと僕は思うんです。

ニコニコ

 

ん? あれれ? となると、 僕の周りにいる皆は、何時もまずい物を食わされているという事になるのだろうか?     あっかんべ~!