よね!
春休みの娘の話です。
学生時の春休みは案外長いもので、 もったいないので、バイトでもしたら・・・と勧めてみた物の、その時にはすでにいくつか応募をしていたらしい。
ところが現実の壁が立ちはだかった・・・
「モデル(現在無報酬)でお金をもらうなんちゅ~真似は絶対駄目!」と口やかましく言っている家では、金銭稼ぐのは汗水垂らしてというのが基本ポリシー。
千円、5千円、1万円稼ぐことがいかに大変な事か?を先ず知らねば、人としての仕事に対する基礎すら出来上がらないからです。
ポーズとって写真パチパチで、ハイ!数万円なんて事を覚えでもしたら、その時点で人生は終わりだ。
そんなものは若さを金銭換算しているだけの、最も卑しい所行だと、すくなくとも僕は思っている。
故に「疲れろ! 汗をかけ! 叱られろ! 嫌な思いをたくさんしろ!」 と・・・・ ところが、アルバイトとはいえなかなか仕事が見つからないことに家の娘は驚いていた。
バイト募集を見つけると、話を聞いてみるが、 必ず長期の人を求めている!と言われるらしく、うちの子はまだ学生故に、長期=即勉学をおろそかにすること に繋がる。
春休みだけの短期等というのはそうそう無い。
この事で娘と少し話をしたわけだが、 世の中は雇用する側にとって”極めて都合良い人間”しか求めないシステムになっている。
とくに秀でた能力を要さない類の仕事は、まさに奴隷の様にこき使われる 替え玉等、腐るほど居るからだ。
バイトの求人は ”一日3~5時間から 短期OK!” とデカデカ書いて有っても、 実際に応募をすると 「フルタイム しかも土日もでなければ困る、 そして最低3ヶ月」
とくる。
「アホかいな?」 そんな大嘘を平然とつくから人が集まらないわけで、 嘘つき先程、常時人を募集しているもので、都合よく長期間働けるのが良いと行ってくる。
出始めから人を騙すことに抵抗ないのだから、雇う側の頭の中身等、たかがしれている。
*ちなみに、 もし同じ職場のであるなら、このアルバイト採用官?は、僕が喜んで虐めてやるタイプ(自分のご都合優先)の人間。
相手が学生であれば、何が大切で、メインでなければならないか?という面で、雇う側もある程度の配慮は考えねばならないが、それすら出来ないのだから、
正規社員の職場環境もたかがしれているであろう。
言うなれば本質を見通した保護的観点が欠落しており、単に”もう大人なんだから自分で考えての行動であろう”という側面に甘えていると言うこと。
大企業でもこんな感じの観点があり、ブラック企業となれば言うまでもなく、雇用する側のみがっては極限状態となり、雇われる側は まさに奴隷そのものだ。
娘の友達も、同様にアルバイトが無いことに一様に驚いているらしくて、そんな話をしていて僕は、「自分がどう生きていくか?」ということが長い人生にどれだけの
影響を与える物なのか、かという事を娘に淡々と話した。
自分が思う様に生きたかったら、力を付けろ、そして雇用する側が「この人に辞められたら絶対に困る・・・」という思いを起こさせる能力なり技能なりを身につけろと。
世の中は冷たい。
誰でも出来ることしか出来なければ、 どんなに学歴が高かろうがなんの関係もない、現場で求められる能力こそが最高の力で、 簡単に言うなら相手を意図もたやすく
屈服させられれば良いわけだ。
この日本社会では、女性と言えばどの会社も花嫁を募っているようなもので、 現実的に大企業になる程 綺麗な女性が社内に多い。
そして結婚すれば 「さよなら~~~!」 若くて綺麗な替え玉は腐るほどいて、しかも向こうから毎年来るのだから。
男女平等? 雇用均等? 男だけの世界見ても、メチャクチャ差がありまくりで、 そこにきて何が男女平等なのかさっぱり分らない。
生まれたときから皆平等なんて言って育てるから、 上手くいかないと無関係な人を刺したり首を切り落としたり、毒物を撒いたりするわけで、 人は生まれながらに
それぞれ違いがあり、 差も有りまくりで、故に努力し、親切は人のためならずなのだと・・・・
自由と平等は 戦後アメリカがもたらしてくれた物、 しかしながらこの国ではそれが極限までゆがめられて教育に取り入れられてしまっている。
先生そのものが自由ということばすら説明できないという現実、自殺はどうして駄目なのかも同じく。
自由とは本人の思うとおりに気ままにやれること(選択できたり何かをすること)ではなく、 単に特定条件下で許諾された”選択権の広狭”でしかなく、
平等は 一人一人が生まれたときから持つ、将来への可能性を元に、可能な限り良質、かつ人の根本的尊厳に基づく チャンスを均等に提供するだけのことである。
当たり前だが、 この両者ともに、 あくまでもたらす側の都合により形成される物であることは、すぐに分ると思うが、 そのもたらす側の品質を維持するのが
民主主義、すなわち権力の交代制。
勘違いしている輩があまりにも多いので、あえて書くが、 民主主義とは 民衆の都合良く 国の中枢機関が動いてくれることではない。
権力は必ず腐敗するので、 腐敗したら 選挙により 権力を新しく作り直すことそのもの、たったこれだけのことだ。
自由、平等、民主主義というこの三つは上記の通りの定義であるが、いわゆる世の中の知識人といわれる、いや自分で喧伝しているやつばかりだけど、
彼らの言っている事をこの定義に照らして考えてみると、 いかにおかしな事を言っているんだろう・・・・事に、至極簡単に気がつく。
知識人なんて類の人間ほど宛にならないものはなく、 ましてやコメンテーターに至れば、タダの阿呆・・・
共産主義、社会主義は この権力の交代制が存在しない(理論的にはなされることになっているが)、社会構造であり、自由と平等をやたらと口にする
これを信奉している事がすでに論理の破綻を自分で来しているわけで、まあ常に権力側の都合良くねじ曲げられるのが人の世という物。
幸いにもこの国は 憲政史上最低最悪の社会主義政権だった民主党を 民主主義(選挙=権力の交代制)により 自民党へにすげ替えた。
このところ、 相変わらず お花畑思想で真っ赤な脳みそ詰まっているマスコミと知識人やらの下らない政権批判により、 安倍政権の支持率が落ちているかとなんとか・・・・
なんで1mm四方でも良いから脳みそを使わないのだと・・・・ ぼ~っと報道番組やらで流れる コメンテーターの根拠無き言葉を聞いて鵜呑みにしている人間があまりにも
おおいるのかと?
なんとも情けない気持ちになるのは 僕だけなんでしょうかね?