――当たるも八卦、当たらぬも八卦――
文部科学省が全国学力調査で成績がトップレベルだった秋田、福井両県などの成績上位県を対象に、どんな取り組みが好成績につながっているのか本格的に調べることになったと今年の8月下旬にマスコミが伝えていた。
どういった答が出るか分からないが、マスコミが既に秋田や福井の高成績(好成績?)県の小中生徒は「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等、基本的な生活習慣が身についている生徒の割合が全国平均よりも相当に高い傾向にあると伝えていたことから、権威主義の地域性が強いことが理由の高成績(好成績?)ではないかと思っていた。
私の言う権威主義とは親や教師、会社で言えば上司等の上の者が自らの指示・命令によって子どもや生徒、部下等の下の者を無条件に従わせ、子どもや生徒、部下等の下の者は親や教師、上司等の上の者の指示・命令に無条件に従う、いわば上位者に権威を置いて、その権威に従う上から下への一方通行の関係性――相互に主体性・自発性に基づいて自らの責任で行動する要素を一切省いた関係性を指す。
この関係性が日本人のほぼ共通した思考様式・行動様式となっている。
当然、日本の教育に於ける知識・情報の授受に関しても、生徒の行動に関しても上位者として権威を持った教師の命令・指示に下位者の生徒が無条件に従う権威主義の関係性にある。
最近は教師の権威が薄れて教師の言うことを聞かない生徒が存在するが、基本的には教師対生徒の上下の権威主義関係で成り立っている。
日本の教育が暗記教育であるのは権威主義の関係性に於けるこの無条件性――教師が教える知識・情報を生徒自らが考え、思考して自分なりの知識・情報へと高めるのではなく、教えるままになぞり、記憶する、あるいは教師の知識・情報をそのまま生徒の知識・情報とする無条件性の構造を取り、このような構造を成り立たせる唯一の方法が暗記だからである。
いわば暗記自体が権威主義性によって成り立っている。
結果として、生徒の成績は生徒それぞれの暗記能力にかかってくる。教師が伝える知識・情報を如何に多くそのまま暗記できるか、その量(暗記量)の多い生徒が好成績を収める暗記量と成績の比例関係が生じる。
秋田や福井の生活習慣を権威主義性からの傾向と見たのは、基本的な生活習慣にしても、暗記教育の知識・情報の授受と同じ形式の教師や親等の上からの指示・命令が生活指導に於いても作用した権威主義性の生活習慣の場合と、生徒自身が自らそうあるべきだと自発的、主体的に確立した生活習慣のケースと大きく二つに分けることができるはずであるから、秋田や福井の生活習慣が上からそうするよう仕向け、下が忠実に従っている権威主義性の生活習慣であると断定できないわけだが、一般的には都会よりも地方の方が権威主義性の上下の人間関係が色濃く残っていることからの第一印象であった。
権威主義性の生活習慣だとすると、学校社会に於いても権威主義性の関係力学が働いた教育となっているということであり、学校と家庭に相互反映した上からの指示・命令を下が従う地域性の風景としてあるものであろう。
いわば教師や親の指示・命令が都会よりも有効な状況にあり、生徒が親や教師の言うことに従って勉強もし、復習もし、予習もし、読書にも時間を取り、その結果としての高成績ということになる。
当然、そこには自発性が存在しないことになり、あるいは主体的に学ぼうとする姿勢からの勉強ではなく、暗記をベースとした勉強、もしくは予習、復習であり、少しは役に立っても、読書にしても要点を機械的に暗記する読書の可能性が高くなる。
このことを証明する一つの資料がある。秋田県の学力の状況と主な取り組み(全国学力・学習状況調査結果報告)(平成20年12月21日( 日) 秋田県教育委員会)
この中に、「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」というアンケートがある。
「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」
学校質問紙調査結果概要
○ 全国の平均値との差(「よく行ったた」 「どちらかといえばよく行った」の合計)
(例えば+20.0%となっていたら、全国の平均値に20%上回るということであろう。)
(きめ細かな指導)の項目
・「放課後を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」
小学校 「はい」――+19.30%
中学校 「はい」――+27.69%
・「長期休業期間を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」
小学校 「はい」――+12.0%
中学校 「はい」――+14.7%
・「国語の指導として、補充的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+11.6%
中学校 「はい」――+11.9%
・「国語の指導として、発展的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+0.7%
中学校 「はい」――+8.9%
・「算数( 数学) の指導として、補充的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+11.80%
中学校 「はい」――+ 9.0 %
・「算数( 数学) の指導として、発展的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+12.5%
中学校 「はい」――+12.0%
(生活)
・「算数( 数学) の指導として、実生活における事象との関連を図った授業を行いましましたか」
小学校 「はい」――+14.5%
中学校 「はい」――+14.6%
(調査活用)
・「H19全国学力・学習状況調査の自校の結果を学校全体で活用しましたか」
小学校 「はい」――+16,5%
中学校 「はい」――+18.0%
・「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」
小学校 「はい」――+43.0%
中学校 「はい」――+44.9%
(連携)
・「地域の人が自由に授業参観などができる学校公開日を設定していますか」
小学校 「はい」――+17.7%
中学校 「はい」――+21.6%(以上)
すべての項目に亘って全国平均を上回っている。ここから一生懸命に勉強に取り組む姿が浮かんでくる。だが、授業に於ける「細かな指導」の項目のすべてに於いて、生徒が自発的に取り組んだ結果としての全国平均を上回る成績だとしても、(調査活用)項目の「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」の調査に対する小学校で全国平均を「43.0%」、中学校で全国平均を「44.9%」と、それぞれに大きく上回る「活用」が行われていたことは、他の項目の自発性を帳消しして上の指示・命令に従う権威主義性の暗記教育をベースとした成績だということを示している。
要するに学力に関しては学校が前回の調査問題(=テスト問題)を取り上げて、それをベースに似た傾向の様々な問題を範囲を広げて出し、それに答えさせる訓練に時間を割いて、本番の全国学力テストで少しぐらい違った傾向の出題であっても間違いなく答えることができるように試験問題そのものに慣れさせる、塾や学校の補習授業で行うような、いわゆる“対策と傾向”に普段の算数( 数学)や国語の授業ばかりか、放課後や長期休業期間まで利用して徹底的に取り組み、学校のそのような“対策”に生徒が忠実に従ったという姿が浮かんでくる。
「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の生活指導に関しても、H19年の全国学習状況調査の結果を授業に取り入れ、そういった生活習慣がテストの成績につながるからと、その対策として「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の家庭での生活が全国平均より上回るように授業や補習時間の中で指導し、生徒が教師の上からの指示に素直に従った姿が浮かんでくる。
その結果として秋田の場合、学力に関しても生活指導に関しても授業の中での「活用」が全国平均よりも40%以上も上回るという数値となって現れた。
勿論、全国学力テストが開始される前からその手の生活習慣が存在したとも言えるが、それが秋田の子どもたちの全般に亘る自発性を持った生活習慣であったなら、勉強に対しても相互反映の形で自発性は浸透していただろうから、何も全国平均を40%以上も上回る学校の指導という第三者による上からの指示に生徒が従う構図でH19年のテスト問題と学習状況調査の調査結果を授業の中で活用する必要はなく、普段の授業をしていれば勉強、生活習慣両面に亘って生徒が持つ自分から何事も進んで行う自発性が教師が伝える知識・情報に対しても応用されて自分から理解を深めていき、常に先へ先へと進むことができていたはずである。
あるいは全国学力調査と学習状況調査の調査問題を放課後や夏休みや冬休みといった長期休業期間を利用して全国平均を優に上回る補充的な学習サポートを行うことまでする必要もなかったはずである。
いわば秋田県では全国学力テストに絞った授業が集中的に行われ、生活習慣に関しては元々権威主義性の強い地域性であることから規律正しい生活が守られていたとしても、全国学力テストの成績を上げるために「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の生活習慣を徹底するよう授業を使ったり長期休業期間を使ったりして指導が行われていた。“対策と傾向”なくして、全国1位2位の成績はなかったということではないだろうか。
07年(平成19年)の第3回全国学力調査に於ける学習状況調査では学力1位の秋田県の小学校6年生の通塾率は全国最低であり、学力2位の秋田県中学校3年生の通塾率は全国平均を大きく下回っていて、通塾率と学力テストの成績は比例関係になく、逆に反比例関係にある場合が多いということだが、「放課後を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」の小学校の全国平均との+19.30%の差と、中学校の全国平均との+27.69%の差、さらに「長期休業期間を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」の小学校の全国平均との+12.0%の差と、中学校の全国平均との+14.7%の差が学校がよりよく塾の代わりをしていたことを物語っている。
このような教育状況からは教師や親の命令・指示に子どもが素直に従う権威主義的な自発性を窺うことはできても、権威主義的関係から離れて、教師や親の命令・指示がなくても、それぞれの生徒自身が主体的、あるいは自発的に自らの責任で勉強に取り組む姿は見えてこない。
こういった生徒の姿はやはり地域に色濃く残る権威主義性の影響を受けた受動性からのものであろう。親にしても教師にしても地域社会に生きる大人であり、彼らの権威主義性なくして生徒の権威主義性はないからだ。
大人と子どもそれぞれの権威主義性がうまくマッチして機能していることが忠実に反映した全国学力テスト向けの“対策と傾向”の十全な機能とも言えるかも知れない。
権威主義性、もしくは大人と子どもとの権威主義的関係性を分かりやすく言うと、テレビを見ている子どもに親が、「テレビを見るのはもうやめて、学校の勉強しないさい」と言ったとき、ハイと素直に聞いてテレビを消し、勉強することが常態となっている関係を言う。
もし子どもが権威主義性を離れて自発的、もしくは主体的姿を取っていたなら、親の指示で動く姿が常態となることはなく、一般的には親に言われる前に自身のスケジュールで勉強の時間を定め、そのスケジュールどおりに勉強しているはずである。それがどうしても見たいテレビ番組であったなら、その時間を避けてその前後に勉強時間を取るといったことをしてスケジュールを立て、そのスケジュールを守っていたなら、親が、ああしなさい、こうしなさいと指示して言うことを聞かせる関係が常態化することはないし、逆に子どもに任せることによって親自身も子どもに対して権威主義性から離れることができる。
子どもが親の言うことを聞かずにテレビをずっと見ていたとしたら、親子は権威主義の関係にありながら、親の権威が子どもに通用しなくなっている状況を示す。親子間に自発性、もしくは主体性等の関係要素が全然存在しないゆえの親の子どもに対する干渉であり、子どもの親の干渉に対する拒絶という姿を取っていることになるからだ。