謝罪と訂正
8月31日のブログ《鳩山前首相自身も一枚加わって小沢・鳩山・輿石の神輿に菅首相を乗せる「トロイカ体制」なのか 》の冒頭部分で、首相公邸で開催の菅首相と鳩山前首相の会談日を間違えて「昨8月31日夕方」と書いてしまいました。「昨8月30日」の間違いでした。謝罪します。訂正しておきました。
昨8月31日夕方、民主党本部で小沢・菅、直接会談となったが、挙党態勢、菅一本化に失敗、全面対決となった。各記事によると、小沢・菅会談の前の午前中に菅首相から鳩山前首相に電話が入り、「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」との趣旨の話があったという。
会談の目的を失ったのだから、会談を開く必要はなくなるはずだが、菅首相の方から小沢前幹事長と二人で会いたいということで会談が行われたが、マスコミはこれをセレモニーと見ているが、当然であろう。
小沢・鳩山側が申し出たトロイカ体制なる挙党態勢を拒む以上、全面対決となるのは目に見えているのだから、何の成果も生むことはなくなった会談を省いて早々に全面対決に持っていく決断をすべきを、その決断を取ることができずに菅首相は決めていた会うということに拘った。当然、会談はセレモニーで終わることになる。
必要とされる決断を下すことができずに踏まずともいい形式を踏んだところにも、菅首相の指導力、リーダーシップ欠如を見ることができる。
8月30日の首相公邸での鳩山前首相との会談では前首相からトロイカ体制を挙党態勢の方法として提案した。
鳩山前首相「経済的にも円高などで大変対策が急がれている。こういう時こそ挙党態勢を築くことが重要だ。・・・・挙党態勢とは、小沢先生が(民主党に)加わってからいわゆるトロイカ体制で今日までやってきた、その原点に立ち戻ること」
菅首相「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」
二人は会談後に記者団にこのように発言している。具体的な人事の話はなかったとしても、相手側が意図している人事がどの程度の要職かは判断できていたはずである。当然、菅首相はそのことを念頭に、「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」と言ったはずだ。
鳩山前首相に「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」といった電話を入れたこと自体が人事を軸とした挙党態勢話が会談目的だったことを証明している。
この菅首相のトロイカ体制同意に対して前日のブログで、強硬な脱小沢・反小沢の仙谷官房長官、前原国交相、枝野幹事長、蓮舫等の反応次第だといったことを書いた。
8月30日の菅・鳩山会談の翌日の昨8月31日午後、菅首相は自身を支持する脱小沢派・反小沢派の前原国交相や岡田外相、その他の閣僚を交えて会談をしている。だが、菅首相が「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」趣旨の電話を入れたのは8月31日の会談に先立つ午前中である。
菅首相は菅・鳩山会談後、直ちに話の内容を支持派の重要メンバーに伝えただろうから、賛否の反応にしても直ちに返ってきたはずである。
菅首相の方から伝えなかったとしても、待ち構えていれば、少なくとも8月31日の早朝にはインターネット記事が配信されて、会談の内容を知ることができる。内容を知った者の方から、賛否の電話を入れただろうことは想像に難くない。
賛否に対する菅首相の答が鳩山前首相に電話で伝えた「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」であった。
そして午後になって、菅首相は先に書いた脱小沢の立場の閣僚と会談を持った。答は既に出してあるのだから、会談は答の再確認、あるいは菅首相が取るべき態度の再確認と正式な手続きを踏んでみなで決めたと見せるセレモニーとなったであろうことは容易に窺うことができる。
いずれにしても菅首相の最終的答、最終的態度は鳩山会談で菅首相自身が選択した「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」の答、もしくは態度とは百八十度異なる答、態度となっている。
いわば自身の決定、あるいは自身の決断を押し返されたと言うことであろう。この自身の決定、あるいは自身の決断を確かなこととするところから指導力、リーダーシップは始まるはずだが、それが逆の状況となっている。
また自身の決定、自身の決断は言葉によって表現する。一旦下した決定、決断が不確かということは言葉自体を不確かとする。言葉の不確かさは言葉自体を軽くする。
菅首相は「トロイカ体制」について31日午後の前原国交相や野田財務相等との会談で次のように話したと言う。
菅首相「何かあったら(鳩山由紀夫前首相、小沢氏に)相談するという意味だ」(時事ドットコム)
相手が望むトロイカ体制がどういった挙党態勢なのか、具体像を説明しなかったとしても、主役を3人に据えて重要場面を演ずる態勢を意図していたことは大体の察しがついたはずで、「何かあったら相談する」関係構築ではないことぐらい理解していたはずだ。口先だけの挙党態勢ではなく、小沢氏自身の処遇をどうするかであったはずである。
自己決定、自己決断を誤魔化す、言葉を軽くする言い逃れに過ぎない。
菅首相は小沢前幹事長との会談後立候補を表明、記者会見して次のように抱負を語っている。
菅首相「政治とカネの問題で混乱するようなことがない政治をつくりたい」(時事ドットコム)
だったら、鳩山首相とも小沢前幹事長とも最初から話し合いを持つべきではなかった。代表選の一本化を自身で図る挙党態勢を優先させて、何らかの要職で小沢氏を処遇していたなら、国民の批判だけではなく、野党の追及を受けるのは目に見えていた。それを敢えて、少なくとも一時的には人事で縛られることを承知しながら、延命を希望した。それがトロイカ体制の同意だったはずだ。
「政治とカネの問題で混乱するようなことがない政治をつくりたい」は聞こえはいいが、自分で自分の言葉を軽くする後付の言い繕いに過ぎない。
こういった言葉の軽い首相、言葉の軽さに応じて指導力、リーダーシップを欠如させている首相を1年のうち何回も交代させるべきではないという理由のみで大方の国民は続投を支持している。
「毎日jp」記事――《クローズアップ2010:「普天間」民主党代表選争点に 「小沢氏勝てばやり直し?」》(2010年8月29日)が小沢前幹事長が辺野古移設に否定的な考えを示していると伝えている。
かつて次のように発言していたという。
小沢前幹事長「きれいな海を埋め立てるのはダメだ」
記事は、〈共同声明見直しも視野に入れているとみられている。〉と書いている。
代表選で「小沢氏支持」を明言する川内博史衆院議員(鹿児島1区)が6月11日、東京都内で小沢氏と会談。「普天間は国外移設」との持論を説明。その際、小沢前幹事長は以下の発言を行ったと言う。
小沢前幹事長「普天間問題は代表選の争点になるよな」
小沢前幹事長「まず米国にしっかり話すべきだよな」
防衛省幹部の発言も伝えている。
防衛省幹部「代表選で小沢氏が勝って首相になったら普天間はどうなるのか。またやり直しか」
遣り直し、大いに結構ではないか。沖縄にとっても結構。
11月末の沖縄知事選では、自民、公明両党が支援する現職の仲井真氏知事と、社民、共産両党などの支援を受けて「県内移設反対」を掲げる伊波洋一・宜野湾市長に対して「第三極」と自らを位置づけた、小沢前幹事長と親交がある儀間光男・浦添市長を中心とした勢力の動きが焦点に上ってきたという。
この〈「第三極」は「辺野古移設反対」を掲げる一方、一時的な県内移設は容認する立場。〉だというから、一気に国外は望めないかもしれない。だが、普天間から米領グアム、米自治領北マリアナ連邦テニアン等への直接的国外移設こそが指導力を印象づけて、強力に日本の政治を変えていく象徴行為となり得るのではないだろうか。
儀間光男・浦添市長「指導力ある人が求められている。荒療治でも小沢さんが必要かもしれない」
伊波洋一・宜野湾市長「小沢さんが辺野古移設以外への転換を打ち出して勝てば、転換が始まる。そうでなければ知事選で転換を図りたい」
言葉の軽い、指導力、リーダーシップを全く欠いている菅首相には発言の翻しやブレは期待できても、政治の変化は望めない。