関越自動車道観光バス事故に発した道路の安全性報道に見る事実誤認

2012-05-06 11:12:07 | Weblog

 ――道路の安全は第一義的には運転手・運転者がつくるという意識の徹底・普及、情報の発信を忘れてはならない――

 4月29日(2012年)未明、群馬県藤岡市関越自動車道での7人死亡、39人重軽傷の高速バスツアー事故で、バスが最初防音壁手前のガードレールに接触、ガードレールを外側に押し広げたためにバス前部が防音壁と正面から向き合う形となり、そのまま防音壁側面にバス左側面からほぼ4分の1辺りの位置で正面衝突することになって、左側座席7列目付近まで突き刺す形となり、大事故に至った。

 問題はガードレールと防音壁が接続・固定の一体型ではなく、10センチ程離した分離型であったことが、車体との接触によってガードレールが外側に曲がった結果、バスが防音壁側面と正面に向き合うことになり、被害を大きくしたのではないかと新聞もテレビも一様に取り上げて、もし一体型だったなら、死者数を抑えることができたのではないのか、被害を小さくできたのではないかと論評したり、識者の声を伝えたりした。

 新しい高速道路ではガードレールと防音壁は接続・固定の一体型となっているが、1998年の国交省の通達によるもので、それ以前の古い高速道路では分離型のままだという。

 高速道路建設を少しでも大掛かりにして建設会社に少しでも多くの利益を振る舞うためではなく、危険と見たから、一体型の通達を出したのだろうから、通達以前の高速道路も分離型から一体型に直すべきだったはずだが、これがお役所仕事ということなのか、行政の怠慢そのものであろう。

 だからと言って、一体型だったなら、被害を小さくできたのではないかという指摘に全面的に与(くみ)することはできない。この指摘は一体型のみに目を向けた可能性であろう。

 観光バスはガードレールを数十センチ程外側に押し曲げる程に接触しているのである。その衝撃は決して小さくはないはずで、接触した瞬間に居眠りから覚醒し、運転手である以上、本能的に反射神経が働いてブレーキを踏んでいてもよさそうだが、ブレーキ痕がどこにもなかったとマスコミは伝えている。

 勿論、ブレーキを踏んだとしても、防音壁側面への正面衝突は避けられなかっただろうが、踏むと踏まないとでは被害に違いが出てくるはずである。

 居眠りしていても、右足はアクセルに置いていた。運転席のスピードメーターの針は時速92キロを指して止まっていたというから、居眠りしていても92キロの速度を出して走行し、92キロの速度で防音壁側面に正面衝突し、バス車体の左側部分を縦に断ち割る程の衝撃を与えた。アクセルを離すだけでも、防音壁正面衝突までのほんの僅かな時間だろうが、エンジンブレーキがかかって衝突の衝撃をほんの僅かながら和らげていたはずである。

 ましてやガードレール衝突の衝撃で居眠りから覚醒してブレーキを反射的に踏んでいたなら、かなりの違いが出ていただろう。
 
 だが、居眠りから覚醒することもなく、当然、ブレーキも踏んでいなかった。

 このような状態であったなら、もしガードレールと防音壁が接続・固定の一体型だったとしても、ガードレールを外側に押し曲げたことからすると、ガードレールに接触した後、ほんの数十メートルの距離であっても、引き続いて防音壁をこする形で走行するか、防音壁に接触した反動で逆に道路中央方向に跳ね返される状態となって、防音壁から次第に離れる形で走行するか、いずれかの形を取ることが考えられる。

 そして居眠りから覚醒した途端、防音壁をこする形で走行していた場合、反射的に右に急ハンドルを取らずに防音壁から少し離して車の態勢を維持できる状態とするような冷静なハンドル操作ができるだろうか。

 このことは防音壁に接触した反動で防音壁から次第に離れる形で走行していた場合にも言える。

 驚いて右に急ハンドルを切るのが人間の本能的な反射神経であろう。前者の場合、右に急ハンドルを切ったために走行車線を走ってきた後続車と接触、もしくは衝突の危険性を考慮外に置くことはできないはずだし、後者の場合は走行車線、あるいは追い越し車線を走ってきた後続車との接触、もしくは衝突、そういったことがなくても、ハンドルを切り過ぎて横転、あるいは中央分離帯を乗り越えて対向車と衝突ということも、現実に度々ある事故である以上、否定できない危険性であるはずである。

 いわば一体型だから、被害を小さくすることができたのではないかという指摘は一体型のみに目を向け、他の危険要素を考えない可能性に過ぎない事実誤認ではないかということである。

 また生活道路や通学路で速度制限を従来以上に規制したり、道路の一定区間に腰高の赤いポールを左右両側に一列ずつ立てて、その区間の一定位置にスピードを極端に落とさなければ走行できないように左右両側からくびれをつくる形で狭くしたり(女性の細くくびれた腰の形を思い出していただきたい)、交差点の手前の四点や一定区間途中の路面を人工的に山なりに高くして、そこを通ると車がバウンドして、その衝撃で居眠りからの覚醒に役立たせるといったアイデアで事故を減らすことができた、あるいはできるとテレビが紹介していたが、あくまでも普通に近い運転の車か、たいした居眠りではない車に役立つ事故の減少であって、事故自体も軽微な被害であったはずだ。

 このように断言できるのは、こういったアイデアが京都府亀岡市府道で起きた集団登校中の児童・保護者と保護者の胎児合わせて4人を死亡させた、18歳少年の無免許・居眠り運転に役立つとはとても思えないからだ。

 少なくとも深い居眠り運転には速度規制は意味を持たなくなる。暴走を一定距離維持できる道路幅といった条件を備えた場所では、暴走車も速度規制を超えた存在となり得る。

 また路面を人工的に山なりに高くしてあったとしても、運転しながら、前後不覚の状態で居眠りしていて、何かにぶち当たった衝撃で初めて覚醒するこれまでの事故例からすると、車の小さなバウンドぐらいの衝撃は夢現に感じる程度のように思える。

 さらに運転中に心臓発作や脳の発作で運転手が意識を失った場合、それが20キロの徐行程度の速度であっても、道路に対する様々な規制は役に立たないことになり、園児や児童の列にまともに飛び込んだなら、決して被害は少なく済まないだろう。

 様々にアイデアして、道路を各種規制したり、通行者の安全を確保する努力は続けなければならないが、それで以って事故を少なくすることができた、役に立つとする視点からのみ見て、それで終わる自己完結型の受け止め、報道姿勢は全体を見ない事実誤認そのもので、避けなければならないはずだ。

 道路の安全は第一義的には運転手・運転者がつくるという意識の徹底・普及、情報の発信も必要なこととして忘れてはならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする