昨日5月27日、福島原発事故当時官房長官だった詭弁家枝野が国会の原発事故調査委員会に参考人として出席、政府の事故対応について証言したが、詭弁家の面目躍如の発言となっている。
以下、《枝野氏“情報発信十分でなかった”》”(NHK NEWS WEB/2012年5月27日 18時15分)による。
政府の情報発信についての証言――
詭弁家枝野「情報発信そのものよりも情報を政府として集約すること、そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ反省だと思っている。放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあったことは、改めて大変申し訳なく思っている」
記事題名は《“情報発信十分でなかった”》となっているが、「情報発信そのものよりも」という言葉は自分たちの「情報発信そのもの」に関しての評価を他の事柄に関する評価と比較して擁護していることを意味しているはずだ。
いわば詭弁家枝野は「情報発信そのものよりも」という言葉を使うことによって「情報発信そのもの」に関してはさして反省点はないとした。
また、政府として「集約」した情報の「その後の予想や想定ができなかった」ということは的確な情報処理を行うことができなかったということを意味する。
当然、的確な処理を行うことができなかった情報はその発信に際して、的確な情報発信は期待できようがない。的確に処理できなかった情報を間違いなく的確・適切に発信しましたでは二律背反も甚だしい。
要するに枝野は詭弁家らしく、「情報発信そのもの」に関してはさして反省点はないがとしながら、そのことよりも政府としての情報集約、集約した情報の的確な処理(=情報処理)に関しては反省点があると、平気で矛盾したことを口にしたのである。
情報集約と情報処理に反省点があるなら、当然のこととして情報発信(処理した情報の的確な発信)に関しても反省しなければ、整合性を得ることはできない。
ところが、「情報発信そのものよりも」と言いながら、「放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあった」と、最終的には一転して情報発信の不備・不手際を認めている。
当然この情報発信の不備・不手際は情報発信の前段階としての情報集約や情報処理の不手際、あるいは不備が前提となる。
あとでも触れるが、政府全体としてはSPEEDIの公表遅れや緊急事態宣言発令の遅れ、避難指示の自治体への連絡忘れ等、様々な情報発信に関して実際にも不備・不手際を起こしているのである。
にも関わらず、「情報発信そのものよりも」という言葉を使って、いわば反省点はさしてないとしたのは情報発信の主たる役目を負っていた官房長官と政府全体の情報発信に対する責任回避意識が働いていたからだと見られても仕方があるまい。
この情報発信については「asahi.com」には次の発言が載っている。
詭弁家枝野「私なりにベストを尽くしたつもりだ。ファクトについて発表するか躊躇(ちゅうちょ)したことはない。把握した時点で直ちに発表している」
これは詭弁・強弁の最たるものだろう。把握した情報が例え正確な情報であっても、その情報を処理する段階で不備・不手際があったなら、「発表するか躊躇(ちゅうちょ)したことはない」としても、的確・適切な情報発信とならないのは誰の目にも明らかである。
大体がこのようなことを問題としないこと自体が責任の所在を的確に判断していないことになる。
避難区域の設定についての証言――
詭弁家枝野「すぐに戻れるつもりで避難したものの、長期にわたり一時的にすら戻れない人がいる。避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかったことが、結果的により大きな苦労をかけた。大変忸怩(じくじ)たる思いだ」
「避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかった」と言っているが、福島第1原発は地震発生3月11日14時46分から約44分後の15時30分頃の全交流電源喪失を受けて政府に対して「原子力災害対策特別措置法」第10条通報を行っている。
〈「原子力災害対策特別措置法」
第十条 原子力防災管理者は、原子力事業所の区域の境界付近において政令で定める基準以上の放射線量が政令で定めるところにより検出されたことその他の政令で定める事象の発生について通報を受け、又は自ら発見したときは、直ちに、主務省令及び原子力事業者防災業務計画の定めるところにより、その旨を主務大臣、所在都道府県知事、所在市町村長及び関係隣接都道府県知事(事業所外運搬に係る事象の発生の場合にあっては、主務大臣並びに当該事象が発生した場所を管轄する都道府県知事及び市町村長)に通報しなければならない。この場合において、所在都道府県知事及び関係隣接都道府県知事は、関係周辺市町村長にその旨を通報するものとする。 〉・・・・・
そして3月11日16時36分、福島第1原発1、2号機の原子炉水位が確認できず、注水状況が不明なため「原子力災害対策特別措置法」第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと判断、16時45分に政府に「原子力災害対策特別措置法」第15条報告を行っている。
だが、15条には原子力事業者(ここでは東電)の義務規定はなく、政府による原子力緊急事態宣言の発令と原子力災害対策本部設置に関わる規定のみであるが、原発事業者から〈主務大臣が受けた通報に係る検出された放射線量又は政令で定める放射線測定設備及び測定方法により検出された放射線量が、異常な水準の放射線量の基準として政令で定めるもの以上である場合〉を一つの義務とする原子力緊急事態宣言発令と原子力災害対策本部設置の規定であることから、その必要性喚起の東電の報告と見ることができる。
遅くともこの時点で政府はスリーマイル島原子力事故とチェルノブイリ原発事故の資料を取り寄せて、関係省庁の官僚を動員し、原子力安全委員会、原子力・保安院等の知見と合わせて避難や放出放射能の拡散状況等の学習を行なっていなければならなかった。
菅政府が最初の第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ屋内退避指示を出したのは東電の第15条通報3月11日16時45分から5時間近く後の3月11日21時23分である。
多分、スリーマイル島原子力事故とチェルノブイリ原発事故の資料閲覧と討議に5時間近くかかったのかもしれない。
避難と避難範囲は放出放射線量と拡散状況に関係するはずだから、半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ屋内退避指示を出した時点で、それで十分と考えたとしても、以後の事故処理と並行した放出放射線量と拡散状況次第で避難期間は決まってくるのだから、場合によっては長期間の避難は「問題意識」の一つに入れていなければならなかったはずだ。
だが、長期間の避難を「問題意識」の一つとしていなかったということは、当初は長期間の避難そのものを想定していなかったことになる。長期間の避難を必要としないで事故は処理できると考えていた。
だとしたら、枝野は「避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかった」ではなく、「問題意識を持つに至るだけの危機管理意識をみながみな働かすことができなかった」と自分たちの先見性のなさ、情報処理能力欠如を潔く認めるべきだったろう。
逆に「皆さん」と同列にすることで責任回避意識を働かせている。自分だけではない、皆さんも同じだったと。
東京電力や原子力安全・保安院などとの連携についての証言――
詭弁家枝野「必ず発表することは、同時に総理大臣官邸にも報告してくれと言ったが、発表前に承認を求めるということではない。とにかく分かったことは全部出せと、政府内部や東電にも指示していたが、指示が徹底していなかったということで、忸怩たる思いだ」
「忸怩たる思いだ」とあとで反省すればいいというわけではない。「指示が徹底していなかった」ということは偏に情報管理・指揮命令が関係部署に対して行き渡っていなかったということであり、自身及び官邸のマネジメント能力やリーダーシップに降りかかってくる問題であるはずである。
それを「徹底していなかった」と反省だけで済ますのは自分たちのマネジメント能力やリーダーシップについての資質の程度にまで踏み込まないことになり、やはり責任回避意識が働いているからこそできる不問であろう。
菅仮免の事故直後の現地視察についての証言――
詭弁家枝野「『邪魔になったのではないか』という抽象的、感情的な政治的批判は免れないので、『とてもおすすめできない』という趣旨を進言した。しかし、菅総理大臣は『できるだけベストに近い対応をする動きが大事だ』という趣旨のことをおっしゃったので、政治的なリスクを分かったうえで対応されるならば、そこは総理の判断だ」
このことについては東京電力勝俣会長が5月14日の国会の原発事故調査委員会に参考人として出席、次のように発言している。
勝俣東電会長「混乱の極みのなか、発電所で最高司令官の所長が時間をとられるのは芳しいことではない」(NHK NEWS WEB)
この証言から分かることは「抽象的、感情的な政治的批判」といったことが問題ではなく、視察が現場の事故処理の障害となるかならないかが問題であり、そのことが視察の判断基準になるということであろう。
だが、枝野は詭弁家らしく、批判を基準に視察の良し悪しを決めようとした。ここに働いている意識は内閣に対する防衛反応のみである。あるかもしれない批判から内閣を守ることだけを考えて、現場の判断を考えもしなかった。
だが、独善的かつ独断的な菅に押し切られて、視察を認めることになった。管は視察が「できるだけベストに近い対応をする動き」だと自ら信じこんで。
東電の全面撤退に関する証言――
詭弁家枝野「清水社長との正確なことばのやり取りまでは覚えていないが、『そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する』と私が指摘したのに対し、清水社長は、口ごもった答えだったので、部分的に残すという趣旨でなかったのは明確だ」
「清水社長との正確なことばのやり取りまでは」記憶していないが、自身の清水社長に対する指摘ははっきりと記憶している。ここにご都合主義がないだろうか。
「そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する」という重大な危機感を持ち、そのことを伝えたとしたなら、「口ごもった答え」で済ますわけにはいかなかったはずだ。
「全面撤退するのかしないのか、全面撤退した場合、『どんどん事態が悪化する』が、誰が事態悪化を食い止めるのか、誰が事故処理に当たるのか」、危機感に促されて政府幹部として追及しないでは済ますわけにはいかなかったろう。
だが、「口ごもった答え」で済ませた。危機感に相応しくない、危機感を裏切る何という責任の無さなのだろう。
この証言は当ブログに何度か用いた菅仮免の全面撤退に関わるインタビューでの発言と奇妙な符合を見せる。
《菅前首相インタビュー要旨》(時事ドットコム/2011/09/17-19:58)
記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」
菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに『東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。
社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」・・・・・
枝野の場合は、「そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する」と危機感を抱きながら、相手から引き出した意思表示は「口ごもった答え」
菅の場合は、「とんでもない話だ」と危機感を募らせながら、相手から引き出した意思表示は「社長は否定も肯定もしなかった」
二人とも何のために内閣官房長官だ、内閣総理大臣だと、責任ある立場についているのか分からない。
責任ある立場にありながらのこの奇妙な符合は口裏を合わせているとしか勘繰りようがない。
放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディー)」のデータ公表遅れについての証言――
詭弁家枝野「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う。シミュレーションしていたのに、報告が上がらず、公表されなかったことが、まさに信頼を損なっている大きな原因になっていると思う」
このことが事実だとしても、次のことも当ブログに何度も書いてきたが、大震災発生の3月11日からたったの約5カ月前の2010年10月20日に静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能を喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定した、菅首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」を実施、SPEEDIを用いて放射能拡散のシュミレーション訓練を行なっているのである。
もし菅仮免がこのことを迂闊にも忘却していたということなら、そのことの責任を問わなければならない。
アメリカから総理大臣官邸に常駐したいと申し入れがあったことについての証言――
このアメリカからというのは別記事によるとルース在日米大使のことらしい。
詭弁家枝野「アメリカは情報がないといらだっていた。官邸は、我が国の国家主権の意思決定をする場所であり、国家主権としての意思決定に、外国の政府関係者が直接関わるということはありえない。『官邸の中に、常駐というのは、勘弁してほしい』と申し上げた」
要するに緊急非常事態という例外を考えることができずに被災住民の命、国民の生命・財産よりもタテマエに拘った。
アメリカの原子力専門家の常駐に拒絶反応を見せたが、菅仮免は原子力の素人でしかない大学時代の友人を官邸に招き入れて、内閣官房参与に任命、官邸に常駐させることになった。
以上、「NHK NEWS WEB」記事に基づいて枝野の詭弁家の面目躍如とした無責任を管の無責任と併せて書いてみた。