石原都知事の「日本人は痩せた民族」発言に見る自分と東京を日本の中心に置いた自己中心性

2012-05-27 12:45:46 | Weblog

 ― 石原慎太郎は「日本は痩せた国家だ」と言うべきだったろう。―

 勿論、日本を痩せた国家としたのは偏に創造性なき貧弱・お粗末な日本の政治である。

 2020年夏のオリンピックに東京都が立候補。一次の書類審査で東京(日本)、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)の3都市が通過、最終決定は来年2013年9月アルゼンチンで開催のIOC総会に委ねられる。

 五輪誘致成功のカギは開催各国国民及び開催都市市民の開催支持率にかかっていると言われている。東京は2016年立候補では書類審査トップ通過だったが、支持率が5割台に低迷、野田内閣支持率よりずっとマシだが、そのことが影響したリオデジャネイロ最終決定だとされている。

 当然、今回の東京開催のカギは日本国民、東京都民の熱烈な開催支持率にかかっている。

 東京都知事・石原慎太郎としたら前回大苦(おおにが)の苦杯を舐めた二度目の立候補である。大いに期待したいところだろうが、期待に反してIOC調査で、マドリード(スペイン)78%、イスタンブール(トルコ)73%、東京(我が日本)47%の後ろから数えてトップというやつ。

 小中高校と私の学校時代を通したテストの成績が逆から数えて常にトップだった状況と似ているから、同情を禁じ得ない。

 だが、頭脳優秀な石原慎太郎にとって許しがたい現実だったのだろう。後ろから数えてトップの支持率について一言申し上げた。

 5月25日の記者会見。

 石原都知事「日本人は何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった。

  人の心はまちまち。(支持率を)上げる努力をするだけのことです」(時事ドットコム

 日本人は自分の欲望を追求することだけを考える自己中心の人間ばかりになって、そういった人間ばかりが集まる「痩せた民族」になってしまったと嘆いている。

 この嘆きは多くの日本国民の胸を鋭いドスのようにグサリと突き刺し、彼らをして恥いらせたに違いない。

 しかしこの発言は自分を中心に置いた、いわば自己中心の考えから成り立っている。

 立候補は自身の発案である。1次審査を無事通過したが、IOC調査で日本国民の開催支持率が3都市のうちでビリから数えてトップだったことから、大いなる嘆きを投げかけることになった。

 全て自己中心の構造を取っている。全て自分中心の解釈である。

 この自己中心を許しているのは東京が日本の中で富と人間が一番集中している優秀な大都市だからだろう。日本で一番の大都市であるばかりか、世界でも有数の大都市に数えられている、そのような大都市の知事である。

 いわば石原慎太郎は日本の中心の中心に位置している人物であり、特に権威主義的に自己中心が許される場所に立っている。常々オールマイティ意識に駆られているとしても不思議はない。

 オールマイティ意識をバックとした自己中心だからこそ、五輪開催支持率50%を切っている国民の冷めた熱意に我慢ならなかった。何ゆえの冷めた熱意なのか、検証することなく、たちどころに「痩せた民族」だと断罪した。

 この検証しないこと自体が自己中心であることを証明している。自己の判断を絶対としたのである。

 もし石原慎太郎が自己中心の考えに立っていなかったなら、検証もせずにたちどころに「痩せた民族」だと断罪することなかったろう。

 自己中心だからこそ、たちどころの断罪となった。

 立候補を表明する前に日本国民は立候補をどう考えているのだろうか、東京都民はどう考えるだろうか、なぜ前以て世論調査を行わなかったのだろうか。

 勿論、低支持率だからと言って、立候補を断念する絶対理由にはならない。低支持率に関わらず敢えて賭けに出ることもあり得る。野田首相は2011年民主党代表選で前評価は3位につけていたが、最終的には1位を獲得することになった。

 だが、前以ての世論調査が立候補に冷めた熱意しか示さなかったとしても、その時点で国民のことを「ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった」と考えることはあっても、その断罪が国民の反発を却って誘い、なおさらの支持率低下を招きかねないからと口に出して言うことを憚るかもしれない可能性は否定できないが、敢えて立候補の賭けに出るとしても、それなりに覚悟は決めたはずだ。

 その覚悟は例え国民・都民を度し難い存在だと軽蔑することはあっても、否応もなしに自己の対極にその度し難い国民・都民を置かざるを得なくなって、逆説的な意味の於いてだが、自己中心から僅かではあっても離れざるを得なかったに違いない。

 立候補を断念した場合は、「痩せた民族」だと断罪、自己中心を貫くのだろうか。

 「人の心はまちまち。(支持率を)上げる努力をするだけのことです」と言っているが、自己中心から離れて国民・都民の心情を考えざるを得ないキッカケとなる可能性も捨て切れない。

 いや、以上のことは全て幻想で、日本の中心である、すべての面に於いて一極集中した東京の中心に位置する都知事として自己中心を捨てきれず、断罪意識を持ち続けるのだろうか。
 
 石原都知事自身は富と人間、その他諸々が一極集中した、日本の中心となっている東京の中心に位置する存在だが、東京都民が日本の中心である東京に住んでいるからといって、経済的・精神的に全て日本の中心に位置しているわけではない。

 ましてや一極集中の東京に対する地方に住んでいる無視し難い数の日本国民からしたら、日本の中心どころか、経済的にも精神的にも阻害された日本の周辺、あるいは日本の辺境に置かれた状況にある。

 具体的にどのような状況かというと、厚労省HPが教えてくれる。

 《生活困窮者 孤立者の現状》(一部抜粋) 

●非正規雇用は働く人たちの3人に1人。若い世代と女性では約半分が非正規雇用という実態
●非正規雇用の殆どが年収200万円以下の低賃金

●正規雇用者と非正規雇用者(パート、派遣、契約社員等)の推移

 ○ 正規雇用者数は近年減少傾向。
 ○ 非正規の職員・従業員は前年に比べて48万人の増加(被災3県を除く)。
 ○ 2011年非正規職員・従業員割合(35.2%)(被災3県を除く)

●性別・年齢別に見た非正規労働者の推移

 ○ 特に女性で非正規の従業員の割合が高くなっている。
 ○ 正規の職員・従業員以外の者の割合は、すべての年齢層において上昇傾向。
 特に15~24歳の層では、1990年代半ばから2000年代初めにかけて大きく上昇。
   (なお、2000年代半ば以降においては、若干の低下)

 2011年男性正規労働者(80.%)
 2011年女性正規労働者(45.3%)

 2011年男性非正規労働者(19.9%)
 2011年女性非正規労働者(54.7%)

●単身世帯は2010年現在で、3割を超える1679万世帯(全世帯数約5184万世帯)、2030
 年には約4割に達する見込み。
●生涯未婚率

 2010年男性生涯未婚率(19.1%)――2030年予測(29.5%)
 2010年女性生涯未婚率( 9.9%)――2030年予測(22.5%)

 2010年男性30~34歳未婚者比率(47.3%)――2030年予測(50.9%)
 2010年女性25~29歳未婚者比率(54.0%)――2030年予測(62.7%)

●2009年度高等学校不登校生徒数(約5万2千人/不登校生徒割合1.66%)
  2010年度高等学校不登校生徒数(約5万6千人〈+約4千人増加〉/不登校生徒の割合1.5
 5% )

●2010年度高等学校中途退学者数(約5万5千人/中途退学率1.6%)・ここ5年は減少傾
 向。

●大学進学率は、20年間で20%以上上昇する一方、大学卒業時に就職も進学もしていないも8
  万人増加。
  
 2011年度大学進学率(54.5%)
 2011年度未就職大学卒業者率(10.7%)

●母子家庭の平均年収は213万円(平成18年度全国母子世帯等調査)
 全世帯の平均年収は564万円(平成18年国民生活基礎調査)

※ 平成18年国民生活基礎調査における母子家庭の平均年収は212万円
 ○生活保護を受給している世帯は約1割

●平成15年と平成19年の「ホームレスの実態に関する全国調査」を分析。
 ・55歳以上のホームレス層の増加
 ・野宿期間が5年以上の長期ホームレスの割合の増加

 ホームレスの「高齢化」「野宿期間の長期化」の様相。

 そして1998年(平成10年)から2011年(平成23年)まで14年連続3万人超の自殺者。

 既に痩せた国家と化している。東京オリンピックがこの痩せた国家を立ち直らせる一大カンフル剤となる確証があるならまだしも、なお一層の東京一極集中に手を貸すことはあっても、地方への富や人間や物流の公平な拡散をもたらして日本の周辺を隅々まで蘇生・格差解消のカンフル剤とならないのは目に見えている。

 場所限定のいっときの華々しい花火大会で終わるだろう。

 亭主の浮気が止まない、離婚騒動の渦中にある女性にとって、年に一度の観光客をたくさん集める街のお祭りの賑やかさはイライラさせる騒音にしか聞こえない場合があるだろうし、離婚後の生活を考えて上の空でいる場合は、遠くの微かに聞こえる音にしか聞こえない場合もあるだろう。

 以後の生活から見て、祭り自体意味のないものに化す場合もある。

 経済的にも精神的にも日本の中心から阻害されて遠く離れた辺境に置かれた国民が、自らの現在の安心も将来の安心も見い出し難いその日暮らしの生活から見た場合、五輪が意味もない祭りに映ったとしても無理はないはずだ。

 そもそもからして東京一極集中は地方を犠牲とした、その空洞化によって成り立っている。

 ビリから数えて東京47%という五輪開催支持率は以上の状況を背景とした国民の冷めた感覚から発した評価ということのように見える。

 オリンピックで熱に浮かされる程の生活余裕はない国民が半数を超えるということでないだろうか。

 あるいはオリンピックにカネをかけるのなら、景気回復にカネをかけて欲しいといった要求の表れにも見える。

 この数字は消費税増税に対する支持率にほぼ重なる。増税反対が50%を超える。財政再建の必要性は理解できたとしても、自分の生活を考えた場合、素直には賛成できない心情がそうさせている半数超えの反対ではないだろうか。

 生活利害者という宿命を負っている人間である以上、生活から離れて政治にしてもオリンピックにしても見ることができない状況に置かれてしまっているということであろう。

 そのことへの理解を思い馳せもせず、「日本人は何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった」とたちどころに断罪する。如何に自己中心に侵されているかが分かる。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする