――もし言っているところの「最悪の事態」が回避できなかったなら、それを「不運」だと言い、それで片付けることができるのか
最悪事態回避が幸運に助けられたことなら、最悪事態波及は幸運の助けを得られなかった不運を理由としなければならなくなり、不運で済ますことになる
大自然災害や重大事故発生被害の収束・拡大の決定権が幸運の助け・不運の招来にあるとしたら、人間の危機管理努力が目的とする結果への具体化は偶然性に委ねられることになる
投げたコインの裏表を答とするようにである――
時には原理主義者、時にはアンチ原理主義者と使い分けるご都合主義の原理主義者岡田副総理が10月6日(2012年)三重県桑名市で講演。福島原発事故の最悪事態回避は「幸運」によるものだったと発言したそうだ。原理主義者が、「幸運」を要因とするとは驚きだが、ご都合主義の所以たる所以であろう。
《岡田副総理、原発は慎重に検討=最悪の事態回避に「幸運」-福島事故》(時事ドットコム/2012/10/06-17:42)
岡田克也「(原発事故の)影響は非常に深刻だ。
(今後の原発利用は)何かあったときに極めて深刻な影響を及ぼしかねないことを考えても、慎重に検討していかなくてはならない。
(最悪事態回避は)いろんな関係者が言っているが、これは(ある意味で)非常に幸運だった。最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった。
講演後の記者会見。「幸運」の意味を問われて。
岡田克也「そういう(最悪の)事態になれば、福島ももっと影響が及んで、高濃度(の放射能)で汚染されていた。現状もひどい状況だが、最悪の事態を考えれば幸運に助けられたということ。菅直人前首相も含め専門家も多くの人が(そう)言っている」
あくまでも最悪事態回避を最終的に決めた要因は“幸運の助け”だとしている。
この発想は、例え様々な不備・不足・遅滞・逡巡・過ち・遠回り等々を随所に見せたとしても、各関係機関の危機管理努力やアメリカやフランスの支援を限りなく過小評価することになる。あくまでも“幸運の助け”が与えてくれた最悪事態回避ということになるからだ。
岡田ご都合主義原理主義者は最悪事態回避を“幸運の助け”だとしている理由として、「最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった」ことだとしている
いわば、そうはならず、遥かにそれ以下の現状の被害規模で推移していることが“幸運の助け”によるものだということである
だが、「東京圏も含めて汚染される可能性があった」と言っている「最悪の場合」はあくまでも想定上の可能性であって、その可能性は最悪という結果に至っているわけではない。結果としての最悪事態は事故発生から今日に至る経緯が全てであって、現状の事態を超えるものではない。
今回の福島原発のような原子力事故とその高濃度な放射能物質の拡散といった重大事故の場合、最悪事態の可能性の想定は格納容器の亀裂・爆発、原子炉の損壊、広範囲な放射能物質の拡散等、考え得る範囲にまで及ぶ。
当然、放射能物質の拡散は東京圏のみならず、日本列島全体、あるいは海を超えて海外にも波及する最悪事態が想定可能となる。
だが、そのように想定した最悪事態の可能性を最大限に回避し、縮小・阻止に向けて努力するのが人間の危機管理であろう。その危機管理が満足のいく完璧なものではなくても、それぞれの努力が一つ一つ形を取って、それなりの収束を答とする。
努力が一つ一つ実を結ばなかった場合、危機管理は順次規模の大きな最悪事態を答とすることになる。
決して“幸運の助け”が招いた危機管理の答ではないはずだ。
にも関わらず、最悪事態回避を“幸運の助け”とすることは、逆に人間の危機管理上の関与を無価値とする主張となる。
このような発想の何よりの問題点は、すべての結末が人間営為の絡まりあった総合的な結果であるにも関わらず、その面での肯定的な関与を無視することになるばかりか、否定的な関与を例え批判することはあっても、結果的に問題外に置く働きを持たせることができる点である。
例えば2010年10月20、21日に菅直人を政府原子力災害対策本部本部長とする中部電力浜岡原発事故を想定した政府主催の原子力総合防災訓練を行い、SPEEDIを用いた放射物質拡散のシュミレーションを行っていながら、福島原発事故の際、「SPEEDIの存在すらしなかった」とし、その情報を公開せずに放射能物質拡散方向への被災者の避難を許してしまった官邸の危機管理失態にしても、同訓練で浜岡オフサイトセンターを介して首相官邸と浜岡原発や静岡県庁とテレビ会議システムでつないで情報共有を謀っていながら、そのことを忘却の彼方に吹っ飛ばしてしまって、テレビ会議システムを一度も活用しなかった菅の危機管理の失態にしても、あるいは官邸に対策本部や対策室、対策チームを20近くも立ち上げて、指揮命令系統を混乱させた失態等にしても、現場の原発事故対応や被災者の避難に混乱を与えたはずの否定すべき関与でありながら、さらに原発事故発生の翌日に現場を視察して現場作業に支障をきたし、事故収束の遅れに貢献したはずの否定的関与でありながら、最悪事態回避を“幸運の助け”とすることによって、大したことではなかったと問題外とすることができる。
菅仮免にしても機会あるごとに最悪の事態回避を吹聴していたのも、自身の否定的な関与を不問に付す意図からだろう。但し最悪の事態に至らなかった理由を岡田克也みたいに“幸運の助け”に置いてはいなかった。
菅仮免「今回の原発事故では最悪の場合、首都圏3千万人の人の避難が必要となり、国家機能が崩壊しかねなかった。そういう状況もありました」(国会事故調参考人証言2012年5月28日午後)
菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。色々なことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、(避難範囲決定の)当時の判断として適切だと思う」>(時事ドットコム/2011/09/17-19:58)
言っている内容自体は岡田克也と同じあくまでも想定上の可能性であって、そのような最悪の想定は関係機関の決して万全とは言えなかった危機管理によって、兎に角も阻止することができた状況にあった。
実態としては終わった想定であり、終わった可能性である。
にも関わらず繰返し持ち出すのは、「首都圏3千万人の人の避難」等々の最悪事態を回避して現状事態へと持っていくことができた危機管理に東電全面撤退阻止と政府と東電の情報共有が改善されたとされている政府・東電事故対策統合本部設置が役立ったことを印象づけることができ、自身のその他大部分を占める危機管理の失態を不問に付すことができることからの、その意図に添った最悪事態の吹聴であろう。
岡田克也と菅仮免の最悪事態提示の狙いは同じだということである。
以上の主張を根拠がないとするなら、岡田克也はどのような幸運がどのように働いて、原発事故が現状の事態に収まっているのか、説明責任を果たすべきだろう。