北澤民間事故調委員長指摘の日本人の「組織の中で問題を指摘できない」行動性とは権威主義的行動性

2012-10-14 12:39:39 | Weblog

 1カ月半前の古い発信だが、少々興味深い発言があって書き留めておいた記事をブログ記事にすることにした。

 《原発事故調トップ3人が提言》NHK NEWS WEB/2012年8月31日 21時14分)

 この記事は東京電力福島第1原発電事故検証の政府、国会、民間の3委員会のトップが日本学術会議が事故の教訓を学ぼうと開いた催しで初めて公の場で一堂に会し、9月発足予定の国の原子力規制委員会の在り方について提言したという内容。

 畑村洋太郎政府事故調査・検証委員会委員長、黒川清国会事故調委員長、北澤宏一民間事故調委員長3人。

 畑村委員長(事故対応の失敗について)「『どうすればうまくいくか』ということばかり考えてきたが、事故に備えるには『どうするとまずいことになるのか』を突き詰める必要がある」

 記事は、安全の考え方を抜本的に転換すべきだとの訴えだとしている。

 「どうすればうまくいくか」を考えるには、考える過程で常に「どうするとまずいことになるのか」の試行錯誤を相互対照としているはずだ。

 例えば、「どこまでやったなら、メリットとすることができるのか」と考える場合、「そこまでやらなかったときのデメリットは何か」の考えを常に相互対照しながら試行錯誤を進めていかなければ、危機管理とはならない。

 いわば「どうすればうまくいくか」と「どうするとまずいことになるのか」をコインさながらに常に両面に置いて対策を施さなければならないということであろう。

 だが、福島第1原発の場合、原子力安全委員会が1990年に策定した「発電用原子炉施設に関する安全設計審査指針」で、電力業者の意向を受けて全電源喪失に対する備えを必要ないとしたことから、その備えをしなかったことと、地震学者等が大地震と大津波の過去の歴史の指摘に対して指摘通りの対策を施さなかったことが事故発生の引き金となったことから見て取れることは、コスト意識を優先させて、「どこまでやったなら、メリットとすることができるのか」(=「どうすればうまくいくか」)ばかりを考えて、「そこまでやらなかったときのデメリット」(=「どうするとまずいことになるのか」)まで考えなかったことになる。

 いわば前者と後者を相互対照させたコインの両面とする思考形態を危機管理としなかった。
 
 興味を持った発言は次である。

 北澤民間事故調委員長(事故の背景について)「組織の中で問題を指摘できないといった戦前の軍部と共通する問題があった。

 (原子力規制委員会の在り方について)こうした日本人の特性を十分考慮してコントロールすることが必要だ」

 「組織の中で問題を指摘できない」とは先ずは下の者が上の者に対する態度を言うはずである。上の者が下の者に対して「組織の中で問題を指摘できない」としたら、指揮・命令の資格を失う。

 尤も上の者が下の者に対して「組織の中で問題を指摘でき」たとしても、すべての場合に於いて問題がないとすることはできない。

 このことは後で述べる。

 下の者が上の者に対してなぜ「組織の中で問題を指摘できない」のかと言うと、常々言っているように上の者が下の者を無条件に従わせ、下の者が上の者に無条件に従う権威主義の人間関係を行動様式としていて、そのような行動様式に支配されているからに他ならない。

 この組織の中での上下の人間関係が国と地方の関係に移行させたのが中央が地方を従え、地方が中央に従う中央集権の上下関係となる。

 この中央集権の上下関係は時代が遡るに連れてほぼ無条件の支配と従属の上下関係だったが、地方の時代と言われるようになってこの上下関係は緩んできたものの、それでも依然として上下の力学は色濃く残っている。

 権威主義的な上下の人間関係力学から、下の者が上の者に対して「組織の中で問題を指摘できない」場合、下の者から上の者に対して伝えなければならない下からの知識・情報は、それが下の者の手柄となって組織全体の利益となるといったような場合は指摘の対象とはなり得て知識・情報の共有を図ることができるだろうが、逆に下の者の責任に深く関わって組織全体の不利益となるようなケースでは満足に伝えられなかったり、あるいは滞って時間を徒にかけたり、最悪、責任逃れの自己保身から隠蔽されたりして、組織内に知識・情報の滞りのない共有とは反対の知識・情報の断絶や停滞が発生することになる。

 当然、上の者は組織内部の知識・情報を満足に共有しないまま、あるいは満足に把握しないまま組織を運営することなって、組織運営に阻害を来すことになる。一般の運転者と同様の車の運転の知識・情報を共有しないまま、あるいは把握しないままに車を運転するようなものである。

 事故を起こさずに済んだとしたら、奇跡である。

 後で述べるとした、上の者が下の者に対して「組織の中で問題を指摘でき」るケースに関してだが、それが滞りのない知識・情報の伝達であったとしても、その知識・情報が的確で正確な内容を備えているなら問題はないが、何しろ下の者が上の者に対して「組織の中で問題を指摘できない」権威主義的な上下の人間関係に災いされて正確な知識・情報の正確な共有を満足に期待できない事態を受けた上の者から下の者に対する“問題指摘”――知識・情報の伝達である。

 そのような知識・情報が何らかの歪みを生じていないと保証することは決してできない。

 いわば上の者が下の者に対して発信する知識・情報がそもそもからして上下それぞれがそれぞれの力関係に無関係にスムーズな相互共有のプロセスを経ていたなら、誤っていたり欠けていたりする知識・情報の伝達であったとしても正す機会を持ち得るが、経ない場合、下の者から「組織の中で問題を指摘できない」待遇を再度受けることになって、誤った情報、欠けた情報が正す機会もなく上の者と下の者との間で循環することになりかねない。

 北澤民間事故調委員長はこのような「組織の中で問題を指摘できない」という権威主義的な上下の人間関係・行動様式が「戦前の軍部と共通する問題」だとしている。

 このことを裏返すと、日本人は権威主義的な上下の人間関係・行動様式を戦前の時代から現在の民主主義の時代に於いても引きずっていると翻訳可能な発言となる。

 原発事故に於ける菅官邸の危機対応に関して言うと、菅が上に立つ者として責任を引き受ける姿勢を取らずに、逆に自身の責任となって進退問題に発展することを恐れたがために下の者の上の者に対する「組織の中で問題を指摘できない」権威主義的な上下の人間関係・行動様式をなお色濃く招き寄せて官邸内ばかりか、官邸とと他機関との間の知識・情報の共有に障害を来たしたことが復旧・復興の遅れの原因になったということなのだろう。

 北澤委員長は結論を「日本人の特性を十分考慮してコントロールすることが必要だ」と発言しているが、「日本人の特性」としてある権威主義的な上下の人間関係・行動様式からの解き放ちこそが自由闊達な知識・情報の共有を図って、「組織の中で問題を指摘」可能となるという意味になるはずである。

 だが、テレビでよく見かけるが、下の者が上の者に対して対面するとき、何度もペコペコと頭を下げる様子を見ると、非常に難しい課題の「コントロール」に思えて仕方がない。

 記事は黒川国会事故調委員長の発言も取り上げているから、ついでに。

 黒川委員長「日本では仕事の評価が所属する組織の中だけで行われている。原子力規制委員会では常に外からの目で評価を受けることが重要だ」

 権威主義的な人間関係からの日本人の行動様式は上下の関係力学を主体としているから、あるいは上下の関係力学に縛られているために必然的に縦割りを組織構造とすることになる。縦割りは組織内のセクショナリズム(=縄張り構造)を生むと同時に組織全体でみた場合も他組織との間でセクショナリズム(=縄張り構造)を来すことになって、「仕事の評価が所属する組織の中だけで行われ」る組織内評価が勢い罷り通ることになり、時には独善に陥るということなのだろう。

 北澤委員長の発言にしても、黒川委員長の発言にしても、日本人が人間関係を上下で縛る権威主義を行動様式としているのだから、一面的には当然の姿勢としなければならないはずだ。

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