9月21日の民主党代表選への立候補を主として党内若手から要請を受けた細野豪志環境相兼内閣府特命担当相(原子力行政担当)が立候補を断念、代表選間近の9月8日茨城県日立市での講演で断念理由を次のように発言している。
細野環境相「41歳で12年しか国会議員を務めていない私が党代表になり、首相になるのは、通常では考えられない。悩みに悩んだが、福島をはじめ被災地には厳しい問題があり、猶予できない状況だ」(MSN産経)
党代表資格を政治的創造性や行動力といった能力に置かずに能力を表す指標では決してない年齢や国会議員任期といった形式に置く非合理性を平気で曝け出した。
いずれにしても環境相として福島原発事故の事後処理に専念したい思いを代表選出馬断念の理由とした。細野は「福島のことが頭を離れなかった」(時事ドットコム)とさえ発言している。
民主党代表選は野田首相の再選で幕を閉じた。細野豪志は望みどおりに福島原発事故事後処理・再生に専念することができるようになった。
だが、予定していた第3次改造内閣前の党人事で細野は環境相を外され、民主党政調会長に起用されることになった。
9月24日の記者会見。
細野豪志「きのう、野田総理大臣から連絡を受けたときは、『原発事故への対応と福島の課題に専念したい』と申し上げたが、野田総理大臣からは『政策調査会長として、党全体で原発と福島の問題をサポートするように』という話があった。大変な役だが、原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭に立てるのであれば受けようと思い、最終的に『やらせていただく』と申し上げた」(NHK NEWS WEB)
政調会長となっても、政府の福島原発事故事後処理・再生に対して党の側からサポートするようにとの指示を受け、それならばと政調会長を引き受けたと人事了承の弁を述べている。
野田第3次改造内閣が10月1日に発足。細野環境相の後任に長浜博行前官房副長官が就任。事務の引き継ぎは10月2日午前。《長浜環境相“福島の方が満足できるように”》(NHK NEWS WEB/2011年10月2日 13時10分)
細野豪志「お願いしたいのはやはり福島のことだ。なかなかうまくいかないことがたくさんあると思うが、福島のみなさんの立場に立ったうえで、大変な国の責任があるという思いだけは持っていただきたい」
福島の困難な再生と困難な生活を強いられている福島の人々のことが頭から離れない様子がありありと浮かんでくる発言となっている。環境相を離れることは相当に辛かったに違いない。引き継ぎを終えて環境省を出るとき、きっと後ろ髪を引かれる思いがしたはずだ。
長浜新環境相「福島の皆様が今度の大臣は名前も聞いたことがなく不安になっておられるとよく分かった。原点に戻って地域の方々の気持ちをくみ、福島の方が満足できるような結果を出せるように頑張っていきたい」
長浜環境相の職員に対する挨拶。
長浜新環境相「福島の生活の再生や岩手・宮城の復旧、それに廃棄物の問題なども積極的に取り組んでいきたい。聞く耳は持つので、問題意識がある人は遠慮なく声をかけてほしい」
なぜか記事は細野豪志の職員に対する離任の挨拶を取り上げていない。政調会長人事を引き受けた時点で既に終えていたのかもしれない。
10月2日午前の引き継ぎから2日後の10月4日、細野豪志は政策調査会役員会(政調役員会)を開催。政調会長代行の一人に福島県選出の増子輝彦元経済産業副大臣を就け、「福島特命担当」のポストを新設して、そのポストを兼任させることにした。
《民主政調役員「福島シフト」 細野氏 問われる力量》(TOKYO Web/2012年10月5日 朝刊)
記事。〈細野氏が福島担当を新たに設けたのは、党の立場から原発事故や震災復興に積極的に取り組む姿勢を示す狙いがある。脱原発依存を強く訴える馬淵氏の政調会長代理起用とあわせて福島シフトを打ち出した。〉――
福島に向けた熱意は相当なものがある。ニセモノだとは決して疑わせることのないホンモノと思わせる熱意を窺うことができるリーダーシップある政調役員人事となっている。
細野豪志(記者会見)「大臣の方が個別の権限は強いが、政調会長は全体を見ることができる。『ここは足りない』という所を積極的に働き掛けていく」
記事は、〈福島復興の第一線で取り組んできた自負をのぞかせた。〉と解説。
但し政府の側の批判も伝えている。
政府関係者「党が過剰に口出しすれば、かえって復興の遅れにつながる」
原発事故の収束作業や被災地の復興事業は政府が担っていることを踏まえた発言だと解説している。
そして記事は次のように結んでいる。〈党政調の決定が政府の意思決定にどこまで影響を与えるかは分からない。閣外に去った細野氏率いる党政調の「福島シフト」が実るかどうか。政調会長としての力量が問われることになる。 (中根政人)〉――
きっと熱い熱意が力強いリダーシップと目を見張る「力量」を引き出すに違いない。先ずは強い意志、モチベーションが予想外の力を引き出す。
この「福島シフト」は民主党政策調査会(政調会)内に新設することになった「東日本大震災復興調査会」と「福島復興再生プロジェクトチーム」を実行主体として行われるそうだ。
10月4日記者会見。
細野豪志「新たに作る調査会や作業チームでは、福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れていきたい。福島県の佐藤知事には、民主党が全面的に支援することで、復興が前に進むと思っていただけるようにしたい」(NHK NEWS WEB)
細野は10月1日まで環境相であった。その3日後の10月4日記者会見で、「福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れていきたい」と言っている。
「福島の再生に向けて、どこに問題があるのか」は環境相に就いている間、環境省のスタッフに命じて復興作業と同時進行で常時検証していかなければならない最重要な作業であったはずである。
だが、党の政調会長に就任してから、「どこに問題があるのかを検証」するということなら、自身が環境相に就任している間は検証していなかったことになる。
もし検証していて、党の立場からも検証するということなら、環境省の検証は不十分であると見做すことになる。
どちらであったとしても、発言自体に論理矛盾が存在することになる。
10月4日の細野記者会見から3日後の10月7日、野田首相が福島第1原発視察。昨年9月以来の2回目の視察だそうだ。次いで福島県楢葉町の除染作業現場を視察。《野田首相:除染加速を担当相に指示 福島第1原発を視察》(毎日jp/2012年10月07日 23時11分)
野田首相「福島の復興・再生の基盤になる除染をスピードアップしなければならず、先程長浜環境相に指示した」
首相が指示した除染の包括的な対策――
▽環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲
▽関係省庁の連携強化
▽住民への除染の進捗状況の情報提供
〈環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲〉とは、〈これまでの除染は福島環境再生事務所を経て環境省の了承が必要だったが、同事務所に住民や自治体の要望に応じて除染実施を判断する権限を移すことなどを検討。10月中にとりまとめる。〉内容のものだという。
除染が「福島の復興、再生の基盤になる」のは当たり前のことであって、今更改まって言うべきことではないはずだ。原子炉は最早異常事態が想定できないところまで制御が進み、残るは生活環境の回復である。当然、除染が進まないことには被災者は避難先からの生活の原状回復は望むべくもない。原状回復を待つ間に避難先で生活の基盤ができつつあり、そこでの再出発を希望する被災者も出てきている。
だが、「福島の復興、再生の基盤になる」除染加速化の包括的対策は野田首相の指示を待つまでもなく、細野自身が行なっていなければならなかった対策ではなかったろうか。
政府は福島県の除染推進のために政府職員と日本原子力研究開発機構の専門家からなる「福島除染推進チーム」を昨年(2011年)8月24日福島市に発足させている。
当時まだ環境相ではなかった(2011年9月2日就任)細野は原発事故担当相として発足式で挨拶している。
細野豪志「一刻の猶予も許されない除染の問題に取り組むのが福島の除染推進チームだ。
きれいな福島を取り戻し、福島県が本当の意味で復旧、復興に向けて動いてもらう最大の推進役となってもらいたい」(福島民友ニュース)
作業内容――
▽原子力災害対策現地本部と協働して、市町村との連絡・調整、除染計画作りの支援(専門家の派遣など)
▽高線量の12市町村に於ける国のモデル除染事業の推進
人員構成――
チームリーダー(環境省)
チームサブリーダー(環境省)
内閣府 10名
環境省 6 名 (上記の2名を含む。)
日本原子力研究開発機構(JAEA) 22名
以上《我が国の除染への取組み》(原子力災害現地対策本部福島除染推進チーム長・森谷 賢/平成23年10月16日)から
2011年8月24日の発足式から間もない2011年9月2日に環境相に就任しているのだから、既に内定していたのかもしれない。
「福島除染推進チーム」が「福島県が本当の意味で復旧、復興に向けて動いてもらう最大の推進役となってもらいたい」と言っているが、「最大の推進役」にするかどうかは偏に9日後に環境相に就任することになった細野のリーダーシップにかかっていたはずだ。
何しろ党代表選への立候補を請われても、福島の復旧・復興に関わっていたいと断ったくらいの熱意を福島に寄せていたのである。
ところが、2011年8月24日の「福島除染推進チーム」発足から約1年1ヶ月後の、10月7日、野田首相が福島の地に立って、除染加速化を図ることを目的として環境省が持っていた除染了承の権限を出先機関である福島環境再生事務所へ委譲という指示系統の改編まで指示した。
例えこの指示の発信元が細野政調会長であったとしても、あるいは党政調会の総意に基づいた発信だったとしても、細野が強力なリーダーシップを発揮して率いていたはずの「福島除染推進チーム」が目立った除染加速化に役立っていなかったこと――除染の遅滞の裏返しとして現れた指示であることを証明することになる。
実際にも除染の遅れをマスコミは伝えている。
細野豪志は環境相として、あるいはその他の兼任大臣として一体何をしていたのだろうか。
党代表選への立候補要請を「悩みに悩んだが、福島をはじめ被災地には厳しい問題があり、猶予できない状況だ」、「福島のことが頭を離れなかった」と断り、野田首相から、「政策調査会長として、党全体で原発と福島の問題をサポートするように」と言われて、「大変な役だが、原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭に立てるのであれば受けようと思い、最終的に『やらせていただく』と申し上げ」て党政調会長を引き受け、後任の長浜博行環境省に対して、「福島のみなさんの立場に立ったうえで、大変な国の責任があるという思いだけは持っていただきたい」と要望、そして「原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭」に立つべく、政調会長として「東日本大震災復興調査会」と「福島復興再生プロジェクトチーム」を立ち上げて、「福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れてい」くことを福島に関わっていく自らの使命とした。
そしてその成果を佐藤福島県知事に「民主党が全面的に支援することで、復興が前に進むと思っていただける」地点に置いた。
このようにも福島への関わりを強く意志し、福島を頻繁に訪れては復旧・復興の現状をつぶさに目の当たりにし、各作業チームに指示を出していたはずだが、ここに来て野田首相が従来の方針を転換する除染の加速化を打ち出した。
同じことを繰返すことになるが、野田首相のこの指示の発信元が細野政調会長であったとしても、あるいは党政調会の総意に基づいた発信だったとしても、細野のこれまでの作業従事を変更する方針転換は細野がこれまでしてきたことの努力に疑問符をつけることになるはずだ。
口ではいつもいつも立派なことを言っていることに反して、一体何をしてきたのだと。