「東京維新の会」の「日本国憲法無効・大日本帝国憲法現存」思想と橋下徹容認の国家主義的危険性

2012-10-10 11:01:34 | Weblog

 〈日本維新の会と連携する東京都議会の会派「東京維新の会」が9月定例会(都議会本会議10月4日)で「日本国憲法は無効で大日本帝国憲法が現存する」との請願に賛成した。〉《「大日本帝国憲法が現存」請願に賛成 東京維新の会》asahi.com/2012年10月9日20時8分)

 請願者は京都市の住民ら。

 請願内容は「日本国憲法は占領憲法で国民主権という傲慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄すべきだ」などと主張。

 いわば天皇主権肯定・国民主権否定の主張ということになる。

 「東京維新の会」の野田数(かずさ)代表が紹介議員の一人となっているという。

 但し請願自体は民主党や自民党などの反対で不採択。

 記事は橋下徹日本維新の会代表の発言を伝えている。

 橋下徹日本維新の会代表「地方議会は維新八策のうち地方に関係することは100%賛同してもらわないといけないが、そうでない部分は政治家の自由行動だ」

 維新八策の地方政策に関係しない「部分は政治家の自由行動だ」で果たして済むだろうか。民主主義の日本の時代と民主主義の日本の世界に民主主義を否定する国家主義を持ち込むべく衝動を抱えているのである。

 国家主義を基本的な裸の思想としているからに他ならない。

 【国家主義】「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(『大辞林』三省堂)

 日本に於いて国家を至高の存在としている根拠は万世一系の天皇にある。

 大日本帝国憲法はまさに天皇を頂点とした国家主義によって書かれている。日本維新の会が傘下団体の東京維新の会の思想・信条に関係ないとすることはできないはずだ。

 橋下代表の発言を次の記事が詳しく伝えている。《橋下大阪市長ウォッチ 東京維新の会「帝国憲法復活を」 橋下氏「そんなんほっといたらいい」》J-CASTニュース/2012年10月09日17時52分)


 請願書は、「東京維新の会」メンバーの紹介で、京都市在住の男性ら5034人が提出。

 請願内容――「我々臣民としては、国民主権といふ傲慢な思想を直ちに放棄し、速やかに占領典範と占領憲法の無効確認を行つて正統典範と正統憲法の現存確認をして原状回復を成し遂げる必要があります」

 記事。〈旧仮名遣いで独自の主張を展開。現行の皇室典範の破棄も求めている。〉

 国民を「臣民」に位置づけている。まさに戦前日本の世界である。

 橋下徹日本維新の会代表「(一連の経緯について)聞いてませんけど、うちは共産党とは違うんでね、分権型の政党を目指そうと言っている訳ですから、各地域の色んなグループが、自らの責任でもって活動することについて、ある意味、党本部の方で、あれやこれやとは言いませんよ。

 地方議会に憲法を破棄する権限はない。そんなんほっといたらいいんですよ、何やろうが。実際に権限と決定権があるところで、どういう方針をなすのかというのが一番大きな政党の役割。

 (「東京維新の会」の「憲法破棄」の考えについて)日本維新の会としての方針としては、憲法破棄という方針はとらない。あくまで改正手続きをとっていく。理論上は憲法破棄ということも成り立ちうるのかもしれないが、その後現実的に積み重ねられてきた事実をもとにすると、簡単に憲法について破棄、という方法はとれないのではないのか」――

 やはり傘下団体がどういった思想・信条に基づいて政治行動しているかまで問題としない発言となっている。 

 東京都のHPにアクセス、請願の採択を探してみた。《総務委員会速記録第十一号》(2012年9月18日)として載っていた。
 
 藤田総務部長「この請願は、京都府京都市の南出喜久治さん外5034人から提出されたものでございます。紹介議員は、土屋たかゆき議員、野田かずさ議員です。

 その要旨は、憲法、典範、拉致、領土、教育、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は原状回復論でなければならないことを公務員全員が自覚すべきであるとする決議がなされること。占領憲法(日本国憲法)が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする決議がなされること。

 占領典範(皇室典範)の無効を確認し、明治典範その他の宮務法体系を復活させ、皇室に自治と自律を回復すべきであるとする決議がなされることの三点でございます」云々――

 既に分かっていたことだが、大日本帝国憲法下の戦前日本への回帰となっている。この回帰は安倍晋三が兼々主張している「戦後レジームから脱却」に相通ずる。

 安倍晋三は第165回臨時国会終了を受け他首相官邸記者会見で次のように発言している。

 安倍晋三「この臨時国会におきましては、その改正教育基本法とともに、地方分権改革推進法等、政府が提出をいたしましたすべての法律が成立をいたしました。そしてまた、防衛庁の省昇格等、重要な法案もすべて成立をいたしたわけであります。

 こうした法律は、私が所信表明で述べたように、戦後レジームから脱却をして、新たな国づくりを行っていくための基礎となる、礎となるものであります。その意味で、この国会においてこうした成立をみたことは、私は大きな第一歩を記すことになった、このように考えております。」

 国家主義者安倍晋三は戦後民主主義国家日本はアメリカから押し付けられたものと考えて、そのような「戦後レジームから脱却をして、新たな国づくりを行っていく」、その国のモデルを少なくとも自らの郷愁を通した戦前日本に置いている。

 大日本帝国憲法が国家を至高の存在とし、その国家に個人の権利・自由を従属させる国家主義に如何に彩られていたか見てみる。

 大日本帝国憲法は先ず「第一章 天皇 第一条」で、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、「第三条」で、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と天皇の絶対性=国家の絶対性を謳っている。

 天皇の絶対性=国家の絶対性とは断るまでもなく、国民を天皇及び国家に従属させていることによって成り立つ。

 このことの否定となる重大な人権の一つである「信教の自由」に関しては、「第28条」で、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定しているが、明治政府は維新期に神社神道と皇室神道を結合させて国家神道を成立せしめ、国家神道の国教化を図るが失敗。1890年11月29日の大日本帝国憲法の発効によって上記のように信教の自由を保障するが、国家神道を他宗教の上位に置いて、すべての宗教に優越せるものと規定、天皇制イデオロギー及び国家主義思想の理念的拠り所として国民隷属の装置としてきたのだから、実質的な意味での信教の自由を保障していない、見せかけの人権規定に過ぎなかった。

 このことは「第29条」の「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」の言葉通りの規定に反して、憲法以外の一般法で“自由”に制限を加えていることと関連する。

 条文の「印行」(いんこう)とは「印刷して発行する」ことで、出版を意味する。決して「淫行」(いんこう)の誤字ではない。お間違えないように。

 例えば1880年公布の「不敬罪」は憲法に規定はないが、天皇絶対性のもと、他の法律に優先させ、皇室に対して不敬の罪(敬意を払わず、礼儀を失すること)を犯した者を罰する法律であって、国民の言論の自由に制限を加えていた。

 また1893年(明治26)公布の「出版法」は内務大臣の発売・頒布禁止権限規定と、犯罪煽動と皇室尊厳の冒涜に対して取締規定が盛り込んであり、出版の制限を通して言論の自由を抑圧していた。

 1901年(明治34年)3月公布の「治安警察法」は、「第29条」が「集會及結社ノ自由ヲ有ス」と保障している集会・結社、社会運動・労働運動を取り締まって、自由な政治活動を制限し、その制限は当然、言論の自由の抑圧へとつながっていく。

 1909年(明治42)公布の「新聞紙法」は、内務大臣の行政権限による発売頒布禁止・差し押さえの規定があり、言論報道取締まりの役割を果たした。

 時代が下るにつれて、憲法が保障していた個人の自由・基本的人権を有名無実化していったのである。

 個人の自由・基本的人権の有名無実化とは天皇の絶対性・国家の絶対性の強化を裏返ししていることに他ならない。

 表向き大日本帝国憲法では個人の権利・自由を謳っていたものの、他の法律で「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる」国家主義思想を体現させ、その国家主義で以って国民を支配していたのである。

 「憲法を破棄する権限」云々以前に、天皇と国家を上に置いて国民を下に置いた大日本帝国憲法下の戦前日本への回帰を衝動して、国民主権を傲慢な思想だと否定する国家主義を今の時代に主張する勢力が依然として存在し、傘下の組織がそのような危険思想を主張しても、上部組織の橋下代表が「政治家の自由行動だ」と容認する。

 大手を振って国家主義の罷り通りを許したも同然である。

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