国家主義者・天皇主義者の安倍晋三自民党総裁が昨日の10月17日(2012年)、秋季例大祭が催されている靖国神社を参拝。自らの国家主義・天皇主義を靖国参拝で表現しようとしたに違いない。
《自民安倍総裁が靖国神社参拝 「公約」先取り実行》(MSN産経/2012.10.17 18:41)
午後5時2分、モーニング姿、党の公用車、記帳「自民党総裁 安倍晋三」。玉串料私費。
安倍晋三(参拝後記者団に)「国民のために命をささげた方々に自民党総裁として尊崇の念を表するため参拝した」
下線を引いておいたが、他の記事は「国のために」となっているのに対して、この記事は「国民のために」となっている。
単なる誤字だろうか。誤字ではないとしたら、「国民のために命をささげた」とすることで、侵略戦争という誤った「国のために命を捧げた」とする国家に対する追従性、もしくは共犯性を薄めると同時に大日本帝国軍人の「国民のために」という利他主義と連帯性を強調することで戦争を美しく正しいものとしようとする意図を感じざるを得ない。
安倍晋三は首相としては国民から「尊崇の念を表」されることはなかった。国民から「尊崇の念を表」されることはなかった元首相が戦死者を「尊崇の念を表するため参拝した」。果たして参拝される戦死者は安倍晋三に参拝する資格を認めるだろうか。
記事はこの参拝を、今年9月の党総裁選記者会見で、「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極み」と発言していたことから、〈政権奪還前に“公約”を先取りして実行した形だ。〉と持ち上げている。
当然、万が一にも日本にとって不幸となる首相就任ということになった場合、参拝を勇躍強行することになる。勇躍強行しないとなったなら、「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極み」の言葉に反することになる。
但し首相になった場合の参拝について。
安倍晋三「首相になったら参拝するしないは申し上げない方がいい」
「痛恨の極み」が些か怪しくなった。「痛恨の極み」とはそれ程にも弱々しい感情なのだろうか。悔しくて悔しくて仕方がないと責め苛まれる程の激しい後悔に襲われる強い感情を表す言葉のはずだが、安倍晋三に関してはそうではないらしい。
首相就任後の参拝の意向については《安倍総裁 靖国神社に参拝》(NHK NEWS WEB/2011年10月17日 19時6分)では次のように紹介されている。
安倍晋三「今のような日中関係や日韓関係の状況のなかでは、総理大臣になったときに参拝するかしないかについては申し上げないほうがいい」
要するにその時の日中関係や日韓関係の状況次第の参拝ということになって、参拝しない場合も出てくる。
状況主義優先を貫くということであって、自己信念優先主義ではないということである。
だったら、「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極み」などと言わなければよかったはずだ。日韓、日中関係の状況に応じて参拝できないことが生じた場合に備える自身の言葉に対する危機管理であろう。
それとも首相に就任したとしても中韓との外交状況から参拝できなかった場合、退陣後再び、「今回も首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極み」などと発言するのだろうか。
安倍晋三が「首相在任中に参拝できなかった」経緯を見てみる。
小泉内閣時代、自民党幹事長代理だった安倍晋三は2005年5月2日、ワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で講演。
安倍晋三(中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて)「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ。
靖国神社に参拝しても決して軍国主義になったわけでもなく、日本は戦後60年、平和な国としての道を歩んできた。中国は共産主義の国で、信教の自由がない。彼らがやっていることは内政干渉で、日中平和友好条約に違反している」(YOMIURI ONLINE)
当然、安倍晋三が首相になった場合、靖国参拝を「責務」とすると見られたはずだ。「責務」としてこそ、自身の言葉に対する危機管理を果たせたことになる。
小泉内閣は2001年4月26日から 2006年9月26日までの任期である。第3次小泉内閣発足の2005年9月21日に遡る約5ヶ月前の2005年4月27日、王毅駐日中国大使が自民党外交調査会で講演。靖国神社参拝に関する『紳士協定』が日中両政府間に存在していたと指摘。
《「靖国で紳士協定」 中国大使発言 首相強く否定》(朝日新聞/2005年4月28日夕刊)
そして中国政府関係者による話として、この「紳士協定」は首相、外相、官房長官の3人は参拝しないとする口頭の約束で、1985年の中曽根首相公式参拝後の1986年頃、中国側の求めに日本政府が応じたもので、「中国側としては約束はまだ生きている認識」だとしていると記事は紹介している。
町村外相(同4月27日、小泉首相に説明)「(協定は)一度として存在したことはない」
小泉首相(同4月27日夜、記者団に)「王毅大使がどういう趣旨で言ったから分からないが、紳士協定とかう靖国参拝に於いて密約とか、そういうことは全くない」
さらに記事は次のことを伝えている。中曽根公式参拝翌年の1986年。
後藤田官房長官談話「(靖国公式参拝は)戦争への反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れがある」
公式参拝を差し控える表明だとしている。そしてこの年、1986年から公式参拝を中止している。
果して「紳士協定」がなさしめた一定の結末なのかどうか分からないが、「紳士協定」が中国側がつくり出した虚偽であったとしても、他の閣僚、ヒラ議員は許せても、「首相、外相、官房長官の3人」の参拝は許容し難いというメッセージとはなり得ている。
安倍晋三は小泉首相の跡を継いで2006年9月26日に首相に就任。小泉首相の靖国参拝で極度に関係が悪化した中国を最初の訪問国に選び、2006年10月9日、中国を訪問して胡錦涛主席と会談している。
《日中、関係改善で一致》(朝日新聞/2006年10月9日朝刊)
胡錦涛主席(靖国問題について)「中国人民の感情を傷つけた。政治的障害を除去して欲しい」
安倍晋三「決して軍国主義を美化するものでも、A級戦犯を賛美するものではない。行くか行かないか、行ったか行かなかったかは言わない。
双方が政治的困難を克服し、両国の健全な発展を促進する観点から、適切に対処していきたい」
胡錦涛主席の靖国参拝という「政治的障害を除去して欲しい」とする要請に対して、安倍晋三は「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と発言していながら、「適切に対処していきたい」と応じ、結果として次の首相である自身はその在任中、靖国参拝を行わなかった。
このことは単に日中関係は重要で、関係修復の観点からの選択なのか、その選択の中に中国側の「紳士協定」の基準に合わせた参拝自粛のハードルをクリアする意味も含まれた選択なのかは分からない。
どちらであったとしても、「政治的障害を除去して欲しい」とする要請に対して、安倍晋三が「次の首相も靖国神社参拝はリーダーの責務だ」とした自らの信念貫徹優先ではなく、状況次第で態度を変える状況主義優先を貫いたことになる。
「行くか行かないか、行ったか行かなかったかは言わない」と参拝を曖昧化したのは靖国参拝を「リーダーの責務だ」とした手前の表向きのせめてものプライド維持に過ぎないはずだ。
このような態度表明だけで中国側が納得するはずはないからだ。結果として参拝しなかったことを考えると、裏で中国側に何らかの確約があったとしても不思議はない。
いわば中国側は安倍晋三に対して参拝自粛の代償にそれくらいのプライドは許したといったところではないだろうか。
あるいは胡錦涛主席に向かって直接的にそのような発言はせず、マスコミを通した日本向けの発言の可能性を疑うこともできる。
そして今回の自民党総裁選で、「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極み」と発言、首相となった場合の参拝信念貫徹を強く示唆。
さらに総裁に当選、総裁として17日に靖国参拝を実行。だが、首相になった場合の参拝については、自らの参拝信念貫徹意思表明に反して、「今のような日中関係や日韓関係の状況のなかでは、総理大臣になったときに参拝するかしないかについては申し上げないほうがいい」と状況次第で態度を変える状況主義優先に先祖帰りしている。
靖国参拝の是非は別にして、安倍晋三という政治家から信念というものを感じることができるだろうか。