麻生太郎に教える、過去の手口を学ぶということは手口と目的を相呼応させて得た成果をも学ぶことを言う
手口が目的に応じて決まり、目的の実現に向けて手口が実行されていく手口と目的の相呼応する関係を考えた場合、過去の手口を学ぶということは、既にそこに現れた、手口と目的を相呼応させて得た成果をも学ぶことを言うことになる。
確かに麻生太郎は7月29日の東京都内のホテルでの講演では、「ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる」と警告しているのだから、ヒトラーの独裁権力掌握とその後の欧州侵略、ユダヤ人虐殺の成果を学ぶべきとする意思を覗かせた発言ではないことは分かるが、日本の政治の重要な地位を占める政治家が過去の手口を学ぶということは、既にそこに現れた、手口と目的を相呼応させて獲得した成果をも学ぶことを勧めることになるという認識もなく、「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と、憲法改正の学ぶべき例として挙げる愚かさ、その客観的認識能力の欠如が問題となる。
さらに講演では、ドイツ国民は「本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」と、ドイツ国民の積極的な協力のもとに、麻生太郎が「ナチス憲法」と言っている全権委任法を成立させたように言っていながら、『発言撤回コメント』では、「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた」と、学ぶべきとした「手口」を平然として「悪(あ)しき例」にすり替えて自己正当化を謀る狡猾・鉄面皮な点も、日本の政治の重要な地位を占める政治家には自らが負い、果たすべき責任上、許されていい品性ある態度であるはずはなく、手口を学ぶということはどういうことを意味するのかに対する客観的認識能力の欠如と併せて、その政治家としての資質・責任のみならず、品性自体が問われることになる。
当然、無認識な上に自己正当化のために前に言った言葉を180度変えてウソをつく品性のない人物を閣僚に用い、党の重職に就けた任命権者の責任も問われることになる。
ところが、任命権者である安倍晋三は問題視しない態度――責任を問わない態度を取っている。自らの任命責任もないことになる。
《首相「ナチス肯定は断じてない」》(NHK NEWS WEB/2013年8月4日 17時3分)
8月4日の視察先の島根県津和野町で。
記者「野党側が今の国会での審議を求めているが、麻生氏の発言をどう考え、対応するのか」
安倍晋三「麻生氏はすでに発言を撤回している。安倍政権として、ナチスを肯定的に捉えるということは断じてなく、あってはならないと思っている」――
発言を撤回すれば、免罪できるなら、名誉毀損罪も詐欺罪も恐喝罪も、精神的、あるいは金銭的、物質的被害を与える前の未遂の段階であるなら、今までの名誉を傷つける発言、誤魔化そうとした発言、脅し取ろうとした発言を撤回したなら、未遂罪は問われないことになる。
そのような発言を誘発させる認識能力が問題なのであって、発言だけの問題ではない。発言を撤回しても、認識能力の程度の低さはそのまま残る。
だから、我が麻生太郎は問題発言を繰返すことになる。
安倍晋三は麻生個人の地位上の資質・責任、その認識能力、品性そのものを、「安倍政権として、ナチスを肯定的に捉えるということは断じてなく、あってはならないと思っている」と、政権としての態度に置き換えて、問題なしとする狡猾なゴマ化しを見せている。
麻生太郎の発言撤回のゴマ化しに輪をかけた安倍晋三の品性があるとは言えないゴマ化しに過ぎない。
安倍晋三が問わずに無罪放免とし、自浄能力を発揮しないというなら、野党が国会で安倍晋三の任命責任と併せて問うしかないだろう。