安倍晋三の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式挨拶の原爆投下「非道」の歴史認識は戦前日本擁護の歴史認識

2013-08-10 08:31:19 | 政治


 
 安倍晋三が8月9日(2013年)、被爆68周年に当たる長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式に参列、挨拶している。《長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ》(首相官邸HP/2013年8月9日)から、挨拶前半を抜粋。

 安倍晋三「本日、被爆68周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 68年前の本日、一発の爆弾が、7万を上回る、貴い命を奪いました。12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き長らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の、言葉に尽くせぬ苦難を強いました。

 一度ならず、二度までも被爆の辛酸を嘗めた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を、美しい街として蘇らせました。今日は、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と、達成に、感謝を捧げる日でもあります。

 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、『核兵器のない世界』を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」――

 安倍晋三は4月23日(2013年)の参院予算委員会で、丸山和也自民党議員の「村山談話」には曖昧な点があるとの質問に対して次のように答弁している。

 安倍晋三「ただいま丸山委員が質問をされた点は、まさにこれは曖昧な点と言ってもいいと思います。特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」――

 侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない上に国と国との関係で、どちら側から見るかで侵略の意味・内容が違ってくるために普遍妥当性を持った一般的解釈は存在しないと言っている。

 5月15日(2013年参院予算委員会。

 小川敏夫民主党議員「総理、あなた御自身の認識で、かつて日本は、あるいは日本軍は中国に侵略したのですか。あるいはあれは侵略ではなかったんですか。そこのところをはっきりと総理の認識を教えてください」

 安倍晋三「私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが、しかし、言わば歴史認識において私がここで述べることは、まさにそれは外交問題や政治問題に発展をしていくわけでございます。言わば私は行政府の長として、言わば権力を持つ者として歴史に対して謙虚でなければならない、このように考えているわけでありまして、言わばそうした歴史認識に踏み込むことは、これは抑制するべきであろうと、このように考えているわけでございます。つまり、歴史認識については歴史家に任せるべき問題であると、このように思うところでございます」――

 前の発言と合わせると、侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない上に国と国との関係で、どちら側から見るかで侵略の意味・内容が違ってくるために普遍妥当性を持った一般的解釈は存在しないから、侵略等に関わる歴史認識は歴史家に任せるべきだということになる。

 だとすると、原爆投下についても、同じルールを当てはめなければならない。「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけ」だから、原爆投下に関わる「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」としなければならない。

 勿論、アメリカ政府が「原爆投下は戦争終結を早め、100万人の米兵の生命を救うためだ」と自己正当化していることは、安倍晋三の歴史認識方法論に立っていないのだから、許されることになる。

 だが、安倍晋三が原爆投下を「非道」と批判する歴史認識を自ら下しているのは、「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけ」だから、原爆投下の「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」だとする自らの歴史認識方法論を踏み外す越権行為となる。

 大体が「侵略という定義」は「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」と言っていること自体、日本の戦争は侵略ではないと定義づける歴史認識を自ら下しているのである。

 中国と韓国は日本の戦争は侵略戦争だと既に断罪する歴史認識を下している。それとの関係で、「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」と言っているわけだから、日本の戦争は侵略戦争ではないという歴史認識の披露に他ならない。

 だが、直接的に「日本の戦争は侵略ではない」と言うことができないから、「侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていない」だとか、「「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違う」だとか、「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」だとか言っているに過ぎない。

 要するに安倍晋三の歴史認識方法論はご都合主義の産物に過ぎない。

 今年4月のジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会提出の核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同したものの、日本政府は署名しなかったのだから、非人道性を訴えるという意思に反する安倍晋三の原爆投下の「非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」の歴史認識がホンモノかどうか極めて疑わしく、多分に平和祈念式典向けの言葉に過ぎないだろうが、言葉面(ことばづら)は正しい歴史認識と言うことはできる。

 だが、果たして、アメリカの原爆投下のみを「非道」と断罪する歴史認識のみで正しい評価だとすることができるのだろうか。

 硫黄島の戦い(1945年2月16日に始まって3月17日玉砕)
 沖縄戦(1945年4月1日~6月23日)
 ポツダム宣言――対日降伏勧告(1945年7月26日)
 鈴木貫太郎首相「黙殺」の声明(1945年7月28日)
 広島原爆投下(1945年8月6日)
 ソ連、対日宣戦布告(1945年8月8日)
 長崎原爆投下(1945年8月9日)
 ソ連、対日開戦(1945年8月9日未明) 
 ポツダム宣言無条件受諾(1945年8月14日)
 玉音放送(1945年8月15日)

 日本は硫黄島の戦い前に既に兵士も物資も底をついていた。2006年8月7日放送、2007年8月5日再放送のNHKスペシャル『硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~』によると、硫黄島には最終的には飲料水の乏しい孤島に陸海軍合わせて2万人の兵士が送り込まれが、兵士と言っても、その多くは急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵。中には銃の持ち方を知らない者もいたとしている。

 兵士の士気、物資共に優るアメリカ側は精鋭の海兵隊6万人を派遣、5ヶ日間で占領できると踏んでいた計算に反して、未熟集団の日本軍は激しく抵抗、戦いを1カ月以上引き伸ばし、日本側の戦死者約21900人は玉砕戦法を取ったのだから、止むを得ないとしても、アメリカ軍は戦死者6821名、負傷者22000名の予期してはいなかった甚大な被害を被ることとなった。

 そして沖縄戦の戦死者。

 沖縄県出身軍人・軍属28228人+他都道府県出身兵65908人=94136人
 一般沖縄県民122228人

 米軍兵士12520人(沖縄県援護課発表/1976年年3月)

 日本側戦死者は日本軍兵士よりも一般沖縄県民の方が28000人も上回った。

 アメリカ軍はそれ以前の戦闘からも多く学んだだろうが、直近の事例として、硫黄島の戦いと沖縄戦に於ける日本軍の戦争の質、その徹底抗戦と、特に加えて沖縄住民の集団自決から、硫黄島や沖縄といった小さな島ではない、より多くの住民が生活の場としている本土決戦に応じた場合のより広大と化す戦場での日本軍の後がない徹底抗戦と住民の抵抗に対する自軍の困難な戦いとその困難さに応じた被害の想定規模を学習したはずだ。

 要するにアメリカ政府が公式見解としている「原爆投下は戦争終結を早め、100万人の米兵の生命を救うためだ」とする自己正当化の論理には、「100万人」が過大数字だとしても、基本のところで一理はあるということである。

 この論理を否定するにしても、出来事の経過順から言っても原爆投下に至る過程で直前の発端と見做さなければならない1945年7月26日の対日降伏勧告ポツダム宣言受諾を天皇制維持=国体護持優先に拘リ、「黙殺」とした鈴木貫太郎首相の態度と「黙殺」へと圧力をかけた軍部の態度を「非道」と歴史認識しないわけにはいくまい。

 「黙殺」とせずに、受諾していたなら、まさか降伏を受け入れた場合の日本に対して原爆を投下することはなかったはずだ。それでも投下したなら、アメリカ政府が投下を如何に自己正当化しよううとも、「非道」と歴史認識されるはずだ。

 いわば原爆投下の「非道」を言う以上、同時に原爆投下を招いた当時の日本政府・軍部の「「非道」を俎上に載せないのは公平且つ正しい歴史認識とは言えないはずだ。

 だが、原爆投下のみを「非道」とする歴史認識で済ませている。

 ということは、結果として安倍晋三の原爆投下のみを「非道」とする歴史認識は同時に戦前の日本政府と軍部=戦前日本の「非道」を問題としない、つまり戦前日本擁護の歴史認識となっていることになる。

 ご都合主義の歴史認識論者の面目躍如といったところである。

 参考までに――

 2006年8月20日記事――《東条の孫娘の思考限界に見る日本人の思考限界-『ニッポン情報解読』》  

 2007年8月12日記事―― 《「硫黄島玉砕戦」から読み解く原爆投下-『ニッポン情報解読』》

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