野田首相の羽田国交相世襲立候補公認せずに見るマヤカシ

2012-11-19 10:38:41 | Weblog

 非自民・非共産連立政権での首相経験もある民主党の77歳羽田孜が今期限りの引退を表明、2012年11月16日今回の衆議院解散で正式引退となった。当然、その後継者が問題となる。羽田孜の長男羽田雄一郎(45歳)は13年前の1999年10月初当選の参議院議員であり、現在国交相を務めている。

 《羽田元首相後継に雄一郎氏…「世襲にあたらぬ」》YOMIURI ONLINE/2012年11月11日13時43分)

 民主党の羽田孜元首相(衆院長野3区)の後援会「千曲会」が11月10日、長野県上田市内で正副会長会を開催、長男の羽田雄一郎国土交通相(参院長野選挙区)を後継者として事実上一本化する方針を決めたという。

 父親の羽田孜は首相になる前は細川政権で外務大臣、自民党時代は大蔵大臣や農水大臣を歴任している。息子として父親の履歴に近づくか、乗り越えることを目指す意志を抱いていたとしても不思議はない。行く末の可能性として総理大臣を頭に描いているとしたら、あるいは明確に野心しているとしたなら、参議院議員でいるよりも、衆議院在籍である方が有利となる。

 後継者を目指すのは当事者からしたら、当然の流れとも言える。

 但し民主党は2009年4月23日午前、党本部で政治改革推進本部(岡田克也本部長)総会を開催、同党国会議員の世襲を制限する党の内規をつくり、2009年マニフェストに政治不信解消を目的として、「現職の国会議員の配偶者及び三親等以内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することは、民主党のルールとして認めない」と世襲禁止を謳っている。

 佐藤圭司千曲会会長(参院議員3期の実績を挙げ)「世襲にはあたらない。政治情勢が紛糾する中で、いつまでも待っている訳にはいかなかった。我々の意見を固めて党と相談したい」

 記事結び。〈県連の北沢俊美代表と倉田竜彦幹事長が7月、党本部に確認要請を行っていたものの、明確な回答は示されていなかった。〉――

 答は7日後の11月17日に出た。「公認せず」が答である。

 《衆院選:民主、羽田国交相公認せず 「脱世襲」強調》毎日jp/2012年11月17日 21時45分)

 記事は書いている。〈民主党は内規で、現職議員の死亡・引退直後に同一選挙区から3親等以内の親族が立候補することを認めていない。これを厳格に適用することで世襲候補の多い自民党との対立軸を鮮明にする狙いがある。〉――

 自民党との違いを見せるためなら、政治改革からの方針ではなく、選挙を有利に導こうとする方便からの非公認方針であって、一種のマヤカシとなる。

 野田首相(11月16日衆院解散直後記者会見)「脱世襲政治を推進するために政治改革の先頭に立つ。世襲政治家が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する古い政治に戻ってはならない」

 なかなか勇ましい「脱世襲政治」宣言となっている。但し世襲政治家が多い自民党に対抗する意味合いも含んだ声高な世襲禁止宣言だとすると、純粋な動機だとは言えなくなる。

 元々がキレイゴトが多い首相である。

 翌日の11月17日、首相発言を受けての安住幹事長代行の仙台市での対記者発言。

 安住淳幹事長「新しく立候補する方には(内規の)規制があり、守る。脱世襲は政治改革の一丁目一番地。いろんな人に政界に出るチャンスを与え、政治を変えるのが民主党の原点だ」――

 北沢俊美元防衛相・党長野県連代表「雄一郎議員は参院で3期当選した現職大臣。確立した政治家としての立場を全然考慮していない」

 地元と中央との利害対立である。

 別の「毎日jp」でも、野田首相の世襲禁止の発言を伝えている。

 野田首相(11月18日、首相公邸前で記者団に)「脱世襲は私が政治改革推進本部の事務局長の時に決めた内規だ。貫徹する。例外は作らない」

 民主党議員として立候補を認めず、公認を与えないということであっても、民主党の党籍を離れて無所属として立候補はできる。父親の羽田孜は2009年(平成21年)7月21日の第45回衆議院議員総選挙で、次点に120万票以上の圧倒的な差をつけて当選している。

 その前回は130万票以上の差、さらにその前回は140万票以上の差をつける圧倒的な強さでの当選となっている。

 いわば地元選挙区では盤石の地位を築いていた。

 例え無所属で立候補しても、国交相の知名度、羽田孜の息子であることの知名度、親のジバン・カンバン・カバンを引き継いだなら、現状の民主党の不人気を差し引いたとしても、当選は確約されているようなものであろう。

 問題はその後である。予想では民主党の党勢は退潮すると見られている。中には惨敗の見方もある。当然、喉から手が出る程に無所属から一人でも多く民主党に入れて数を増やしたい欲求に駆られることになったとしても不思議はない。

 あるいは羽田雄一郎氏側から復党を願い出るというケースも考えることができる。

 喉元通れば熱さを忘れた頃合いを見計らって、復党を認めるといった事態が起きはしないだろうか。

 一旦、復党を認めたなら、世襲立候補禁止方針は「現職議員の死亡・引退直後」と銘打っている以上、次からは民主党公認候補として正々堂々と立候補できることになる。

 党の公認を得ずとも当選できる自信のある世襲議員が離党して、あるいは初立候補であったとしても、無所属立候補・無所属当選を一旦果たして復党、あるいは入党という手続きを取りさえすれば、自ずと世襲政治家が増えていくことになる。
 
 結果的に「脱世襲」と言いながら、世襲政治家の存在を民主党内に認めることになる。あるいは世襲政治家に対して民主党は党内に居所を提供することになる。
 
 これは一種のマヤカシではないだろうか。

 こういった事態が起きた場合、野田首相が言っている「いろんな人に政界に出るチャンスを与え、政治を変えるのが民主党の原点だ」の主張に反するはずだ。

 野田首相が「脱世襲は私が政治改革推進本部の事務局長の時に決めた内規だ。貫徹する。例外は作らない」と勇ましく宣言するなら、例え無所属で立候補して当選しても、復党・入党の類いは認めないとする禁止事項を内規に規定して初めてマヤカシとなることから免れることができるはずだ。

 だが、そういったことになりかねないことについては一言も触れていない。

 細野民主党政調会長が11月12日衆院予算委員会で質問に立ち、自民党の世襲議員批判を行なっている。

 細野(自民党に世襲議員が多いことを指摘し)「私は自分の力で政治家になりたいと思い、この世界に入った。親のすねをかじって政治家になったのとは全く違う」(時事ドットコム)――

 世襲政治家であろうとなかろうと、政治能力を欠いていて、結果責任を出せなければ意味はない。親の脛をかじっていて苦労知らずだからと言って、政治能力を欠いていることにはならない。

 逆に親の脛をかじるだけの生活の余裕はなかった、苦労を経験しているからといって、その苦労が常に政治能力や他人に対する思い遣りに結びつく保証とはならない。

 11月18日日曜日のフジテレビ「新報道2001」でも批判している。

 細野「誰にでもチャンスがある民主党と、党五役全員が世襲で、総裁選候補もすべて世襲だった自民党は、在り方そのものに大きな違いがある」(MSN産経

 民主党には世襲議員ではない若い議員が多く占めていて、そのような若い議員が若いうちは世襲という問題は起きないが、引退時期を迎えたとき、その後継を息子や娘に引き継がない、あるいは一旦無所属立候補・無所属当選して入党という手続きを取らなかった場合、初めて誰もが認めることができる「誰にでもチャンスがある民主党」となる。

 だが、残念ながら、日本は権威主義社会である。能力よりも権威が幅を利かす。学歴、親の職業・地位、家柄等々の権威が。権威主義社会だから、親にしても子どもに自身の権威を継がせたい衝動を抱えることになる。優れた家柄を自分の代で終わらせたくないと。

 権威主義がつくり出した自民党の世襲議員の多さでもあって、民主党も自民党のように長い歴史を経たとき、多くの世襲議員を抱えない保証はない。

 そうであったとしても、政治能力、結果責任は世襲か否かで決定する要素ではないはずだ。

 このことは、ブログに何度も書いているが、菅無能が首相になったときにつくづく思った。

 2010年6月8日の首相就任記者会見。

 菅無能「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」――

 政治世界に於ける活躍の素質を普通の家庭という環境に育った、非世襲のサラリーマンや自営業の志を持った息子に置いている。

 いわば志を持つという条件付きながら、普通の家庭という環境が政治世界に於ける活躍の素質を約束し、そういった素質が政治世界に多く占めることが「本来の民主主義の在り方」だと言っている。

 当然、世襲政治家は政治世界に於ける活躍の素質は持たないことになる。
 
 しかし菅無能自身、政治世界に於ける活躍の素質が約束されているとしている非世襲のサラリーマンの息子で、なおかつ志を持っていながら、政治能力を決定的に欠いていた。

 リーダーシップもなかったし、合理的判断能力も欠いていた。

 何も自民党の肩を持つわけではないが、私に言わせれば、世襲批判は菅無能を学習できなかった無考えが言わせているか、単なる選挙戦術か、いずれかに過ぎない。

 自民党を世襲で攻撃するよりも、世襲政治家である安倍晋三の国家主義を攻撃の対象とすべきだろう。

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国会質疑が復興予算流用は官僚主導がなせる業であり、政治主導確立が如何に必要かを教えている

2012-11-18 12:59:05 | Weblog

 記事題名のウラの意味は復興予算流用は政治が官僚主導となっていて、政治主導が機能していないことの不始末だということである。

 ここで言う国会質疑は11月13日(2012年)の衆院予算委員会での「日本維新の会」松野頼久議員の復興予算流用問題追及と答弁を指している。

 質疑応答を取り上げる前に「全国防災対策費」がどのような基準に基づいて、その使途が認められているか、一度ブログで紹介したが、再度ここに記してみる。 

 《全国防災対策費についての考え方(概要)》(内閣府(防災担当)/H23.12.7)

被災地域と密接に関連する地域において、被災地域の復旧・復興のために一体不可
 分のものとして緊急に実施すべき施策


東日本大震災を教訓として、全国的に緊急に実施する必要性が高く、即効性のある
 防災、減災等のための施策


 緊急性

 近いうちに発生が懸念される地震・津波(三連動地震、首都直下地震、日本海溝・千島海溝地震)等の災害に備えた施策等

 即効性

○ 効果の発現が直接的かつ無条件であること
○一連の施策のパッケージ化
○ 早期の効果発現(少なくとも5年以内) 等

 事業規模

 全国的な緊急防災・減災事業 1兆円程度 

 二つの基準が設けてある。一つは被災地域の復旧・復興と一体性と緊急性を持った事業であること。

 二つ目は全国的に緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業であること。

 このようになるはずだ。

 上記の「全国的に」という言葉は全国どこでもという地理的意味であるよりも、全国共通してという、“全国共通性”を示唆している言葉でもあるはずである。

 全国共通して緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業であると読み解くべきであろう。

 例えば学校耐震化等である。

 この解釈が間違いであっても、被災地域の復旧・復興と一体性と緊急性を持った事業であることと、全国的に緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業を限定とした財源支出でなければならないとしていることに変りはない。

 いわば、復興予算の流用と言われている事業がこの二つの基準を満たしているかどうかに基づいて議論は展開されなければならないが、議論はそういった展開とはなっていない。

 但し記事題名通り、復興予算の好き勝手な流用が官僚主導のなせる業であり、脱官僚主導・政治主導確立が如何に必要かを教えている。

 勿論、政治主導が万能というわけではない。政治の側の責任ある立場に立った官僚に対する予算編成に関わる主導的なチェックと、官僚の側の政治に対する政策実効性のチェック等の機能性とバランスが必要で、このような相互補完性が各事業の費用対効果を高めていく、いわば国民益により適う政治の展開が可能となるはずである。

 では、松野頼久議員の復興予算流用問題追及と各閣僚の答弁を見てみる。 

 「日本維新の会」松野頼久議員の復興予算流用問題追及(衆院予算委/2011年11月13日)

 松野頼久日本維新の会議員が防衛省が復興予算で福岡で食堂を造っている、松本では風呂場の建て替えをしている。大分、北海道、佐賀、長崎、群馬でもこのような施設整備を行なっている。今回の復興予算のどのような項目で支出しているのかと問う。

 城島財務相(顔を下に向け、視線を原稿に落としっ放しにして棒読み)「復興予算として計上した事業についてですが、風呂場、浴場、厨房の建て替え、東日本大震災で自衛隊は極寒、冠水、余震等による二次災害の恐れがある倒壊家屋の瓦礫処理等、過酷な環境下でも活動を行って参りました。

 このような隊員のですね、肉体的、精神的なケアを万全に行うためには、その回復基盤としての、えー、厨房や浴場等の生活関連施設の適切な維持は不可欠である、というふうに思います。

 なお、東日本大震災では、仙台駐屯地、松島基地の浴場を被災者に入浴支援に用いており、状況によっては被災地の被災者の利用に寄与することも考慮する必要があるのではないかと思います。

 えー、このため首都直下、東海、東南海地震等の懸念が高まっていることも踏まえ、リョウ、ロウ、老朽化が進み、大規模災害発生時に適切な機能が果たすことにできない恐れがある施設を優先して、必要な建て替えを対象として行うことにしたものです」

 松野議員「確かに自衛隊の隊員の皆さんが大変頑張って頂いた。これはもう認めることです。感謝もしております。

 ただ、その復興予算からこの立替の予算を出すというのは、とても納得ができないんではないかと思うんですね。で、まあ、今までも議論があったと思いますが、『全国防災費』という文言が3党合意に入ったことによって防災事業に使っている。ま、これも如何なものかと思いますが、今回のはですね、今回のは老朽化欠損、そして隊員が多量に汗をかいて、食品衛生上の、これはふさわしくない状況だから、これを改善する。

 要は防災とも全く関係のない予算ではないかと私は思っているのですが、このへんに関しては如何ですか」

 森本防衛相「今、あの、先生のご指摘のように東日本大震災は10万7千人の自衛隊員が出て、人命救助、あるいは生活支援をしてきました。

 で、そういうときに、えー、一番重要なのは施設、あるいは施設の能力、えー、能力そのものが結局は防災・減災に役に立つわけで、これからどのような災害が全国で起こるか分からないので、自衛隊の重要な拠点の施設をいつでも災害に対して、一般の方に人命救助、あるいは生活支援ができるように、このような、食堂厨房、あるいは、え、入浴場の修理をする、ということで、これは全部やってるわけではないですけど、ここ九州だったら、九州、例えば、食堂であれば、福岡別府、あるいは浴場であれば、松本、健軍(熊本県熊本市東区東町・健軍駐屯地)などやっています。

 これは重要なことで、つまり、どこで起こるかわからない災害に対して拠点の自衛隊がその施設の能力を使って、いつでも生活支援をするために、えー、今、不備になっている施設を整備しようというもので、これは決して私は、災害救援に、えー、無益なものであると考えてはおりません」

 松野議員「それを言ったら、何でも建て替えができるじゃないですか。何でも使えるじゃないですか。

 私は建て替えちゃいけないって言っているわけじゃありませんよ。隊員が生活、向上、大事なことだと思います。でもそれは一般会計できちっと、予算を要求して、施設整備費取ればいいじゃないですか。

 なぜ、こういう姑息なことをするんですか。災害にかこつけて。まるで復興詐欺みたいなことをするんじゃありませんよ。私はそう思いますがね。

 あの、追加で言わせて貰います。法務相。えー、法務大臣にお伺いします。

 これは八丈島の検察庁、今、設計の予算が入っています。また、島原カタノ(?)では埋蔵文化財調査とかいうことで予算が入っています。

 この埋蔵文化と復興予算とどういう関係があるのかご説明いただきたいと思います」

 滝法相「えー、今委員から三点についてご質問を頂きました。えー、この、おー、委員のお作りになった資料の中で、おー、施設整備の、おー、このー、おー、おー、経費でございますけども、いずれもですね、えー…、この、耐震調査の結果、あー、危ないと、こういうような、耐震、調査ですね、耐震調査の結果、危ないと言われた施設の、おー、について、全国防災という格好で、それの建て直しの準備をしようと、こういう、ことからの案件でございます。

 で、その中で特に委員から指摘のありました、埋蔵文化財の調査。それは、新たな敷地をいじる際の、おー、文化財調査ということで、えー、要するに、建て替えるための敷地の調査を、この、この、全国防災でやっている、と、こういうことでございます」

 松野議員「要は、老朽化施設を建て替えるのに、これは何でも復興予算でやる。それ(復興予算)は国民みなさんが長い所得税や法人税を含めて、増税によって賄われている特別会計であります。

 で、みんな国民はその殆ど、あれだけの被害を被った、被災地のために使われるもんだと思って、私も法案に賛成を致しました。多くの国民が被害地のために使われるだろうと。

 それが被災地から全く関係のないですね、例えば島原とか、九州の、その検察庁の立替だとか、また、防衛相の風呂場やキッチンの改修工事に使われると、殆ど思っていないと思いますよ。

 きちっと、一般会計で、老朽化して建て替える必要があるならば、一般会計の施設整備費として予算を計上すればいい話で会って、復興に潜り込ませて、如何にも復興ですよと言って増税をした。

 この予算から流用するべきではない、と私は思います。

 で、伺います。これ資料、お願いします。これ平野大臣がですね、こういうように10月19日の参議院の決算委員会でこのように、行政監視委員会でこのようにおっしゃっています。

 『必ずしもピッタリ、と復興財源の使途として当てるものとして適切かどうかというものについて、疑義を生じた、疑義を持った事業もあります。これは勿論、各省との折衝の中で各省が了解したわけではありません』

 これ、了解していないものがなぜこうやって、予算計上として出ているのか、お応え頂きたい」

 平野復興相「あの、その趣旨はですね、私は、復興財源としての適切な事業としては、私としては判断できない。今、その点について各省と議論していて、各省との中で折り合いができていないという趣旨で申し上げました。

 今引き続きその作業をしておりますし、間もなく行政刷新会議でも同じような議論(仕分け)が始まります。そういった議論を踏まえて、且つまた、今委員がおっしゃられたような、そういった趣旨も踏まえまして、予算の適正な執行、これをしっかりとチェックすると同時に来年度予算にも反映させたいと、いうふうに思っています」

 松野議員「これはあの、今度仕分けをされると言いましたけども、仕分けというのは今までの継続事業、いわば90年からの継続事業をもう一回チェックするという意味であって、全く今の政権がつくった予算を自分で仕分けるというのも、これはおかしな話だと思います。

 仕分けをしないでいいような予算をぜひつくって頂きたい。

 あのー、仕分けをされると言いましたが、今の防衛省に関してはヘリコプターの映像伝送装置、法務省は被災地域に於ける再犯防止施策、これしか仕分けの俎上に乗っていないじゃないですか。

 一体、もう全部ひっくり返してですね、本当にこれが必要なのか、私は財務省の主計から取り寄せました。全部。たくさーん、被災地とは関係のない事業が私が見ただけでも、たくさん入っています。

 この一個の風呂場・キッチンだけのことを、小さい話を指摘しているわけではない。復興のために復興予算はきちっと復興のために使う。このことを是非お願いしたいと思います」

 野田首相「あの、基本的には復興基本法や基本方針に基づいて予算をつけたはずでありますが、えー、事業によっては今のご指摘のような、ご批判、ご指摘を受けざるを得ないものがあると思います。

 従って、24年度は予算の執行に当っては精査をしながら進めたいと思いますし、え、加えて、25年度の予算編成についても、これは真に被災地に必要とする予算はしっかりと手当は絞り込んでいきたいというふうに考えます」

 松野議員「あのー、岡田行革大臣がですね、えー、要は全国防災で1兆円、えー、もう使い切ってしまった。えー、来年の1兆円をどうしようかという発言をされています。

 これ、全国防災、まだ続けられるんでしょうか。お答えください」

 岡田ご都合主義者「まあ、ここはですね、この場でも、あの、今日も議論になったんですけども、全国防災ゼロと、いう議論は、あまりないんだと思います。

  つまり、法律の中に全国防災のこと書いてあるわけですから、あの、被災地のために集中的に使うということは、今、総理が言われたとおりですが、だからと言って、それ以外の、大震災に備えた全国防災について、この特会(特別会計)で見ないというのであれば、これは、法改正まで行わないと、それは難しい。

 その全体の案分(あんぶん/「割り振り」)をどう考えていくかという問題だと思います」

 松野議員「するとまだ、例えば九州の事業にもまだ使われるということですか。私は全く理解されないと思いますよ。

 一般会計予算でちゃんと整備すればいいじゃないですか。こんな姑息的なことをせずに、で、例えばですね、この、さっき述べた一つの例ですけれども、福岡の厨房の、このキッチンの修理、これね、まだ24年度も、25年度も予算要求する形になってるんですよ。

 ですかえら、この全国、これが果たして全国防災かどうかも分かりませんけどね、法律の趣旨に則ってるかどうかも分かりませんが、まだ、これが続くような形で、今のところは予定になってるんです。

 ですから、是非これはやめて頂きたい。お答えください」

 岡田ご都合主義者「まあ、あの、委員が取り上げられたものが全国防災の、オー、厳しい定義に当てはまるかどうか、というと、私はやんはり色んな議論が、そこにあり得ると思います。

 まあ、いずれにしても、えー、まあ、私は、直接取り上げていないものも含めて、一定のルールというものをつくってですね、その中で厳しく見ていく必要があるというふうに考えておりますので、そういう趣旨でしっかりやって行きたいと思います」

松野議員「総理、あの民主党に所属していた頃、野党で『特別会計プロジェクトチーム』というものを総理と一緒にやったことを覚えております。総理が座長で私が副座長でありましたが、当時の野党の民主党はこういうムダ遣いを一個一個洗い出して、如何に税金のムダ遣いに切り込むか、徹底的な特別会計、特殊法人、天下り、これにメスを入れるというのが国民の期待を集めたんではないかと思います。

 是非ですね、その、ときの初心に戻って、やって頂きたい。このことをお願いして、質問を終わります。ありがとうございました」

 先ず松野議員の自衛隊の厨房や風呂場の建て替えが復興予算で計上するのは相応しいのかとの追及に対する城島財務相の答弁。

 確かに自衛隊員の過酷な任務による「肉体的、精神的なケアを万全に行うためには、その回復基盤としての、えー、厨房や浴場等の生活関連施設の適切な維持は不可欠である」が、その事業が被災地域の復旧・復興と一体性と緊急性を持った事業であるか、あるいは全国的に緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業であるか、最終的に政治が決めた二つの基準に則っているか否かの判断に基づいた答弁とはなっていないし、最初から最後までほぼ顔を下に向け、原稿に目を落としたまま、早口の棒読みで答弁している。いわば事務方(=官僚)が用意した原稿を読み上げたに過ぎない。

 この光景からして官僚の復興予算使途の自己正当化の言いなりに従っている官僚主導追随を示しており、政治主導を官僚主導の下に置いている姿となっていることを証明しているに過ぎない。

 尤も政治主導の政治となっていたなら、政治の側の官僚の側に対する予算編成に対する主導的なチェックが機能していたはずだから、災地域の復旧・復興と一体性と緊急性を持った事業にも、全国的に緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業にも当てはまるとは言えない自衛隊の厨房や風呂場の改修に復興予算を回すといったことは起こらなかったに違いない。

 城島は「松島基地の浴場を被災者に入浴支援に用いて」いるからと、自衛隊の浴場修理を官僚作成の原稿通りに読み上げて、官僚の自己正当化に無条件に従った政治主導の放棄を曝しているが、どう自己正当化を働かせても、二つの基準に適合するようには見えない。

 被災地域の復旧・復興と一体性と緊急性を持った事業に当てはまらないし、もう一つの要件である全国的に緊急実施の必要性とは、そうしなければ大災害が発生したとき、多大な人命被害が懸念される等を意味しているはずで、風呂場や厨房の修理が該当するとは思えない。

 森本防衛相は時には顔を上げて自分の言葉で答弁するが、原稿を読んでいることに変りはなく、城島は自衛隊員のケア、森本は自衛隊施設の能力の維持の違いがあるだけで、発言の趣旨自体は城島の答弁と同じとなっている。

 「災害救援に、えー、無益なもの」ではないとしても、緊急実施の必要性と即効性を要件とした防災・減災事業には見えないし、一般会計で行うべき事業であろう。

 滝法相の文化財調査に関わる復興予算計上の、「えー、この、おー」を多用した、狼狽えを僅かに見せた答弁にしても、基準に適合するかどうかの視点からのものとはなっていない。

 単に全国防災からの支出で工事を行なっているという表面的な説明で終わらせている。閣僚でありながら、官僚の言いなり、官僚主導にひれ伏した、政治主導などどこにも窺うことのできない情けない姿をテレビカメラに映し出したのみである。

 野田首相にしても勿論のこと、基準に則っているかどうかからの判断は放棄、まるで他人ごとのような答弁となっている。改めてその発言を取り上げてみる。

 野田首相「あの、基本的には復興基本法や基本方針に基づいて予算をつけたはずでありますが、えー、事業によっては今のご指摘のような、ご批判、ご指摘を受けざるを得ないものがあると思います。

 従って、24年度は予算の執行に当っては精査をしながら進めたいと思いますし、え、加えて、25年度の予算編成についても、これは真に被災地に必要とする予算はしっかりと手当は絞り込んでいきたいというふうに考えます」

 「基本的には復興基本法や基本方針に基づいて予算をつけたはずでありますが」と言っているが、そうはなっていない矛盾、不適合を問題としているのである。

 矛盾、不適合がなぜ発生し、批判を受けることになったのかの方面からの答弁が必要だが、他人事としているから、そういった視点さえ持つことができない。

 松野議員自体が基準に則った事業であり、予算計上であるのかの線に忠実に添った質問となっていないから、相手も官僚が用意した答弁で済ますことができる。

 「全国防災対策費についての考え方(概要)」を持ち出して、あなた自身は概要で決めた基準に則った事業であると考えているのかと一言尋ねたなら、官僚答弁を崩すことができたはずだ。

 平野復興相の答弁は無責任そのものの官僚主導となっている。

 平野復興相「私は、復興財源としての適切な事業としては、私としては判断できない」

 二つの基準に適合する事業かどうかの判断さえできないというなら、閣僚は辞めた方がいい。復興担当相として自身が判断して、認可するか否かが政治主導であって、その責任を負っているはずだ。

 だが、「各省との中で折り合いができていない」と官僚主導丸出しのことを言っている。 

 岡田ご都合主義者は、全国防災は法律に書いてあることで、ゼロにはできない、特別会計からの計上を認めないということなら、法律を変えるしかないと、これまた無責任なことを言っている。

 二つの基準に基づいているかを政治主導で厳しくチェックし、最終責任を政治の側に置けば済むはずだが、そういった姿勢さえ取ることができず、単に「全国防災」が法律に書いてあることを基準に事業の適切・不適切を決めている。

 当然、「全国防災」を名乗れば、二つの基準に関係なしに大概の事業が許されることになる。

 岡田は仕分け等で、「一定のルールというものをつくってですね、その中で厳しく見ていく必要があるというふうに考えておりますので、そういう趣旨でしっかりやって行きたいと思います」と言っているが、既に二つの要件で基準が出来上がっているのであって、その基準に基づいて判断すべきを、「一定のルールというものをつくって」とトンチンカンなことを言っている。

 さすが副総理を務めるだけのことはある。

 最後の松野議員の発言。

 松野議員「総理、あの民主党に所属していた頃、野党で『特別会計プロジェクトチーム』というものを総理と一緒にやったことを覚えております。総理が座長で私が副座長でありましたが、当時の野党の民主党はこういうムダ遣いを一個一個洗い出して、如何に税金のムダ遣いに切り込むか、徹底的な特別会計、特殊法人、天下り、これにメスを入れるというのが国民の期待を集めたんではないかと思います」

 要するに野田首相は自ら約束したことを有言不実行とした。言葉倒れとした。言うだけで終わらせた。

 官僚主導から脱却できず、政治主導を確立できなかった結末としてある有言不実行であり、言葉倒れであり、言うだけで終わったということなのだろう。

 政策の実効性・効率性を獲得して国益や国民の生活に貢献する費用対効果を生むためには何よりも官僚主導からの脱却、政治主導の確立が必要ということである。

 安倍晋三(民主党は)「間違った政策、間違った政治主導の結果、世の中は混乱し停滞している」(時事ドットコム

 民主党を批判しているが、間違った官僚主導を確立し、政治文化とし、伝統としたのは戦後ほぼ一党独裁状態だった自民党政権であり、あまりにも堅固にさせてしまったから、なかなか解くことができない困難に直面しているのではないのか。

 安倍晋三にしても、脱官僚主導・政治主導確立ができなければ、従来どおりに予算のムダや事業のムダは至るところで生じ、その分政策効果を削ぐことになるだろう。

 そのことはかつての自民党政権自体が証明してきたはずだ。

 贔屓の引き倒しになるかもしれないが、「国民の生活が第一」の代表小沢氏は何よりも政治主導の確立の必要性を自覚している。日本の統治機構を根底から変え、地域主権を確立、日本の政治を信に国民生活に直結するためには政治主導の確立以外に方法はないと。

 勿論、最初のところで触れたように官僚主導を否定するのではなく、政治側が最終責任者として上に立った政治主導とバランスを保った官僚主導の位置づけが必要なのは断るまでもない。

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野田首相、2012年11月16日解散ウソ混じり・ゴミ混じり記者会見

2012-11-17 10:28:18 | Weblog

 昨日(2012年11月16日)の野田首相の解散記者会見を取り上げる前に、先ず最初に野田首相が11月14日の党首討論で解散を求める安倍晋三の追及に対して自身の正直さについて、自分を「正直の上にバカがつく」程のバカッ正直だと最大限に自己評価して、「近いうちに国民の信を問う」はウソをつくつもりで言ったのではないと述べた発言を取り上げてみる。

 《【衆院解散】決断は突然に 党首討論要旨》MSN産経/2012.11.15 00:13)から関係箇所のみを取り上げてみる。

 安倍晋三「私が総裁に就任して1カ月半、首相に『(衆院解散の)約束を果たすべきだ』と厳しい言葉を投げかけてきた。それは国民の政治への信頼に関わるからだ。民主党は消費税率を上げる必要はないと約束して政権を取った。その約束を違えて主要な政策を百八十度変えるのだから国民に改めて信を問うのは当然だ。強力な新しい政権が経済と外交を立て直すべきだ。勇気を持って決断してほしい」

 野田首相「『近いうちに信を問う』と言ったことに嘘はない。小学生のとき成績の下がった通知表を持って帰り、おやじに怒られると思ったが、頭をなでてくれた。生活態度の講評に『野田君は正直の上にバカがつく』と書いてあり、おやじはそれを見て喜んでくれた。私の教育論はそこから始まる。偏差値ではなく数字に表せない大切なものがあると。だから嘘をつくつもりはない」――

 偏差値や数字で表される成績よりも、数字には表すことができない正直さを大切にする野田首相の教育の原点は自身の幼少の頃からの「正直の上にバカがつく」美徳が出発点だと誇り、それ程にも自分は正直に出来上がっている、ウソなどつくはずはないと自信たっぷりに自己保証している。

 次に野田首相がウソつきの格好の例としてブログに何度か取り上げてきた、2011年8月29日実施民主党代表選当日の野田候補最後の演説中の発言を再度ここに取り上げてみる。取り上げることによって、解散記者会見の野田首相の発言が如何にウソ混じり・ゴミ混じりかを炙り出していくことになる。

 「ゴミ混じり」とは、純一であるべき事柄に異物が混じっていることの譬えとして使っている。

 《野田財相/民主党両院議員総会民主党代表選の演説》(2011年8月29日)

 野田候補「悲願の政権交代をみなさんと共に実現をさせていただきました。その政権交代、実現をしたあと、担当したのは財政です。えらいときの担当となりました。税収が9兆円以上落ち込んでしまった中で、先ずやるべきことはバケツの水をザルに流し込むような勿体無い遣り方は改める、そこは徹底したいと思います。

 しかし、白アリ退治、行政刷新会議を通じての戦いを進めてまいりました。気を抜くと、働きアリが収めた、その税金に白アリがたかる構図は、気を抜くとまた出てきます。私は引き続き行政刷新担当大臣を専任大臣として行政改革を推進をするべきだと思います。

 先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」――

 「先ずやるべきことはバケツの水をザルに流し込むような(予算の)勿体無い遣り方は改める、そこは徹底したい」と、「徹底したい」という言葉まで使って予算のムダ遣いの根絶を訴えているが、もしムダ遣いを改めることができていたなら、復興予算の流用は存在しないはずだから、存在するということは例外的な一つの例とすることはできず、逆に全体的にムダ遣いが横行している証明となって、有言不実行をも証明していることになる。

 ムダ遣いの根絶と「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」は国民に約束したことで、「それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と消費税の増税の可能性を訴えている。

 いわばあくまでも順番はムダ遣いの根絶と「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」であって、最後の最後が消費税増税だと、優先順位をつけている。

 民主党がマニフェストで国民に約束した政策が民主党政権の誕生に貢献したように野田首相の代表選最後の演説で約束した政策やその順位付けが野田政権の誕生・野田首相誕生に最終的に貢献し、国民と対峙する構図をつくり出したのだから、この最終演説は民主党議員や党員、サポータ向けに限った言葉ではなく、国民との契約と位置づけることができる。

 国民との契約でもありながら、その契約を果たさないうちに優先順位を180度逆転させてマニフェストに4年間は上げないと公約していた消費税増税法を先に達成した。

 これを以てウソをついたと言わずに、何と表現すればいいだろうか。

 野田首相は上記演説で、「政治に必要なのは夢、志、矜持、人情、血の通った政治だと思います」と言い、「一人ひとりを大切にする政治は私の原点です」と高らかに謳っている。

 優先順位を180度豹変させることで、民主党所属の多くの議員、党員、サポータに対してこれらの言葉を裏切っただけではなく、国民に対しても自らが発信したメッセージを自分から裏切ったのである。

 では、昨日の解散記者会見発言をウソがあるかないかの視点から見てみる。発言は首相官邸HPから採った。

 先ず冒頭の発言。

 野田首相「この解散の理由は、私が政治生命をかけた社会保障と税の一体改革を実現する際に、実現をした暁には、近いうちに国民に信を問うと申し上げました。その約束を果たすためであります」

 だが、民主党代表に当選させ、首相の座への道を切り開いた演説での約束事・対国民契約から言って、最初に政治生命を賭けるべきはムダ遣いの根絶と「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」であって、これらを成し遂げた後に政治生命を賭けるべき「社会保障と税の一体改革」としなければならなかったはずだが、冒頭発言からウソ混じり・ゴミ混じりとなっている。

 続いて白々しく次のように発言している。

 野田首相「政治は、筋を通すときには通さなければならないと思います。そのことによって、初めて国民の政治への信頼を回復することができると判断したからであります」

 「筋を通す」とは自身の発言に対して行動を違えないこと、言行一致を言うはずだ。そうすることによって、「初めて国民の政治への信頼を回復することができる」

 だが、違えたことによって、野田内閣支持率は20%を切り、国民世論を強力なバックアップとすることができなかったこのような政治不信状況が政治の混乱を招く一因ともなった。

 ところが野田首相自身は筋を通していると信じている。バカッ正直な上に残念ながら客観的に自己を省みる自省心を欠いているから、そのような肯定的な評価が可能となるのだろう。 

 野田首相「身を切る改革は誰もが主張していても、国会議員の定数の1割の削減もままならない。そうした決められない政治が政局を理由に続いてまいりました。その悪弊を解散することによって断ち切りたい、そういう思いもございました」

 自身が最優先事項として消費税増税よりも何よりも「議員定数の削減」を挙げていたことをケロッと忘れている。バカッ正直であるということは恐ろしい。

 そして野田首相は首相就任からの440日間を振返る。

 野田首相「一心不乱に国難とも言えるさまざまな課題にぶれずに、逃げずに、真正面から同志の皆さんとともに立ち向かってまいりました。ねじれ国会である中で、動かない政治を動かすために、全身全霊を傾けてまいりました。政治を前へ進めようと思いました。大変険しい山でありましたが、その道を一歩一歩進もうとしました。

 険しい山だった理由はいろいろあります。何よりも、膨大な借金の山、長引くデフレ、いずれも自民党の政権からの負の遺産です。これはとても大きいものがありました。加えて、欧州の債務危機、あるいはさまざまな災害等々の困難もありました。そういう問題を一つ一つ現実的に政策を編み出し、推進をしてきたつもりであります」――

 優先順位を変えておいて、「一心不乱に国難とも言えるさまざまな課題にぶれずに、逃げずに、真正面から同志の皆さんとともに立ち向かってまいりました」と正々堂々と発言できる心臓はバカッ正直だけあって見事である。

 確かに「膨大な借金の山、長引くデフレ」は「自民党の政権からの負の遺産」である。だが、民主党政権はその負の遺産を取り崩すために果敢に取り組んだのだろうか。逆に税収不相応に国家予算を増額し、結果的に赤字国債を増やした。

 ムダ遣いの根絶だけではなく、国家予算自体を絞り込むことがほんの形式程度に終ったからだ。
 
 また、欧州の債務危機や東大日本大震災を挙げて、「そういう問題を一つ一つ現実的に政策を編み出し、推進をしてきたつもりであります」と言っているが、どういう成果を上げつつあるのか、一言も触れていない。

 被災地復興を例に取ると、除染も瓦礫処理も、産業の回復も目に見える形で進んでいないからだろう。

 野田首相「『福島の再生なくして日本の再生なし』と申し上げましたが、震災からの復旧・復興、原発事故との戦い、日本経済の再生、まだ道半ばであります」

 「道半ば」は前々から言っていて、「道半ば」をいつまで続けるのか、そこから一歩も出ていない状況にある。被災地では民主党政権に対する不平・不満、批判が渦巻いている。

 以上見てきたように野田首相はバカッ正直とは言い難い言葉の裏切りを国民に投げつけた。その結果の内閣支持率だろうが、マスコミは記者会見最後の質疑応答で、野田首相が言うように「筋を通すときには通す」政治家であり、「国難とも言えるさまざまな課題にぶれずに、逃げずに、真正面から立ち向かう」政治家であるなら、なぜ内閣支持率はこうまで低いのか、その理由を教えてもらいたいとなぜ尋ねなかったのだろうか。

 消費税増税が嫌われたと答えるかもしれないが、実際は財政再建に向けた消費税増税の必要性を問う世論調査では当初は賛成・反対共50%前後で均衡していたのである。それが消費税反対が上回ることになっていったのは野田首相自身が自らの言葉の数々を自ら裏切ってきたことが周知されるに至ったからだろう。

 野田首相の実際の姿は筋を通すときには通さず、国難とも言えるさまざまな課題にぶれ、逃げ、真正面から立ち向かわなかった姿の積み重ねであった。

 野田首相は次いで国家の基盤をなす重要政策である社会保障政策、経済政策、エネルギー政策、外交・安全保障政策、政治改革政策の5つを挙げ、これらの政策を自民党の政策と比較して、民主党政策を肯定、自民党政策を否定している。

 肯定はいい。結構毛だらけ、猫灰だらけ。

 だが、民主党代表と首相への道を開いた出発点となる代表選最終演説で発信した自らの言葉をそもそもからして裏切り、それらをウソとし、ゴミ混じりとしたのである。

 筋を通す、ブレない、逃げもしない、真正面から立ち向かう実行能力を欠いていたからこその実行能力に関わる信用失墜――自身の言葉に対する裏切りであって、その前科を犯している以上、国家基盤形成の重要政策を掲げて、いくら優れた政策だと誇ったとしても、既に欠いていることが証明された実行能力自体が戻ってくるわけではない。

 自身の言葉を裏切るウソ混じり・ゴミ混じりの同じことの繰返しを必然とするのは目に見えている。


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小沢代表党首討論言及「政治主導と地域主権」が日本政治最善化の要諦であり、解散はその解決策ではない

2012-11-15 12:01:02 | Weblog

 政治の停滞を打破するキッカケとして解散・総選挙は必要であろう。党首討論で議題となった議員定数と議員歳費の適正化も必要なのは断るまでもない。だが、解散にしても、議員定数と議員歳費の適正化にしても、中央集権の呪縛から逃れることができていない現在の日本の不効率な政治を根本的に変える最善の鍵になるとは誰もが思っているわけではないだろう。

 昨日の党首討論では野田首相と安倍自民総裁が解散条件として議員定数削減と議員報酬削減の実現を激しく遣り合って、さも日本の政治に最必須の重要課題であるかのように両問題に焦点を当てたが、単なる制度のスリム化と政府年間予算額から見ると、僅かながらの財政支出の負担軽減に過ぎないし、「政治主導」を確立できなければ、それだけのことで終わるだけではなく、解散にしても日本の政治を変えるキッカケとはならないはずである。

 官僚主導からの脱却・政治主導の確立こそが日本の政治の質を根底から変える要諦だということである。

 尤も政治主導が絶対だとは言わない。官僚を主導する政治家の資質も問題となる。
 
 最初に断っておくが、小沢氏が討論で指摘した「政治主導と地域主権」に関して地域主権の確立自体が強力な政治主導なくして実現不可能の条件となるはずである。

 いわば政治主導の確立が最初で、地域主権の確立は政治主導の確立に呼応する形を取るということである。

 このことは後に述べるとして、昨日の党首討論の内、小沢「国民の生活が第一」代表の野田首相に対する主張を全文、小沢氏に敬意を込めて取り上げてみる。 

 『国家基本政策委員会合同審査会(党首討論) 野田VS小沢代表』(2012年11月14日)

 小沢国民の生活が第一代表「『国民の生活が第一』の小沢でございます。与えられた時間は10分間でございますので、できるだけ簡潔に申し上げたいと思います。

 野田内閣になりましてから、あー、大事な場面で3党合意、というのが、あー、出てくるわけでありますが、まあ、今の議論(野田首相と安倍自民総裁の党首討論)を聞いていると、(首を傾げながら、)ホントーによく合意したなと思うくらいでありますが、(自分でも噴き出し笑いする。議場にも失笑が起きる)おー、まあ、私は、あのー、与党と野党が、あー、意見交換して、コンセンサスを得るということに反対のわけではありません。それは大いに結構なことだと思います。

 ただ、大きい政党がですね、えー、合意したからと言ってですね、この合意を、そのまんま他の政党もついて来いと、おー、ま、いうような遣り方というのは、これは国会運営、あるいは法案審議についても、ちょっと、おー、親切な、丁寧な遣り方ではないと、そう、オー、思います。

 そういうような手法はですね、勿論全てが正しくいっているときはいいんですけども、おー、往々にして、えー、その当事者、政党のエゴや目先の利害で以って議論が導き、出される場合が多いわけでありまして、特にですね、うーん、まあ、これが終わってから、あー、委員会で議論というわけですが、あー、特例公債法案につきまして、これを、まあ、3党合意ということで、うー、ありますけども、おー、この-、オー、内容を、オー、見ますと、おー、大概、誰が見てもですね、えー、やっぱり、おー、このー、内容につきましては、憲法上、あるいは財政法上の、おー、大きな問題を、おー、孕んでいるんじゃないかと、おー、いうふうに思うと、思います。

 ですから、うーん、このようなことを仮に、いー、議会の大多数で、の大きな政党が合意したんだからと、その事実は事実として、え、大事な問題を含んだ(含んでいる)ことにつきましては、あー、もっと丁寧な、伝統的なですね、多少時間がかかっても、議論をしていくべきではないだろうかと、オー、そういうふうに思っています。

 この点につきましては、あー、特に最近の3党合意という、言葉の中で、えー、若干、うーん、当面の必要性のみで議論されて、基本のことについての問題意識がなおざりにされているんじゃないだろうかということを、オー、心配しておりますので、この点は、この機会に総理に申し上げておきたいと思います。

 総理への、おー、質問ですけれども、うーん、今も、おー、マニフェストの話出てましたが、えー、政府与党でも、おー、次の総選挙へ向けての、オー、マニフェストの作成と言いますか、議論が進んでいるやに、聞いております。

 ま、そん中で、えー、3年前のおー、政権交代の、おー、ときの、おー、マニフェストについて、その関連で、お伺いしたいんですけれども、うーん、まあ、新しいマニフェストをつくるに当って、ま、謝罪か釈明かなんか知りませんけれども、前のマニフェストについて、この、おー、云々ということを報道されている、風の便りに聞いておりますけれども、え、この、おー、2009年のマニフェスト、国民に我々は提示してですね、えー、その、おー、中身の議論・内容についていろいろな議論も勿論あるかもしれないけれども、少なくとも総選挙でそれを提示して、それを国民が受け入れて、そして政権を民主党が、いー、負託したわけであります。

 うーん、ですから、あー、野田さんが今、総理の座におられるのも、おー、3年前の総選挙でありますし、いー、ある意味でそのマニフェスト、国民が信頼し、期待を寄せた結果であろうと、私は思っております。

 そいう中でですね、マニフェストの一番の、おー、前提として、大事な要件は、あー、私は、あー、官僚主導の中央集権から、あー、政治主導の、そして地方分権と言いますか、地域主権、という国の行政、えー、社会の仕組みを根本から変えると、いうことが最大の前提になったんではないかと、いうふうに思っております。

 そこでですね、野田総理に対してですね、うーん、その09年の政権交代のときのマニフェスト、おー、内容がいけなかったと、いうことで議論されているのか、あるいは内容はよかったけど、おー、実際上できなかったということなのか、あるいは、その両方なのか、特に今の、私申し上げました、国の、オー、仕組みを、統治の機構を、行政の機構を根本的に変える、官僚主導から政治主導によって、それを実現すると、いうことで非常に大事な、あー、当時の、マニフェストの前提、根幹をなすものだと思っておりますが、この点につきまして野田総理はどのようにお考えですか、お聞かせください」

 野田首相「あの、09年のマニフェストはまさに当時の小沢、あー、幹事長主導のもとで、え、つくられたマニフェストでございました。

 そこに書かれていることで、えー、例えば『コンクリートから人へ』、であるとか、今ご指摘があった統治機構の抜本的な見直しであるとか、地域主権改革であるとか、あの、考えてきた理念、というものについては私は正しい方向だったと、いうふうに思っております。

 但し、先般も、あのー、検証会等をやりながら、国民の皆様と意見交換をさせて頂きましたけども、財源確保、この財政の見通しについては甘いところがあったと、いうところは率直に認めなければいけないと、いうことであります。

 その上で、財源を確保しながら、例えば高校授業料の無償化であるとか、えー、あるいは農家の戸別所得補償など成果を生んでいるもののありますが、それは、あのー、小沢幹事長時代に22年度の予算編成のときにご決断頂いたように、暫定税率は廃止ということは、約束したことは、できなかったという部分も出てまいりました、ということを、あの、やっぱり事実として申し上げながら、今国民の皆様にご説明をさせて頂いているところでございます。

 で、ご指摘を頂いた統治機構に関わる部分で、特に、地域主権、地方を大事にしていくという考え方に於いては、政権交代以降、地方交付税は間違いなく増やし続けてまいりました。

 え、義務付け・枠付けという制度の見直しもやってまいりました。一括交付金も進めてまいりました。等々、え、コツコツ着々でありますが、地域主権改革というのは、これは私は、あのー、いい方向に向かってきているし、政権交代があったればこそ、実現しつつある、そういう課題だと思います。

 国の統治機構の中ではまさに官僚主導ではなく、政治主導という部分もあるかと思います。この政治主導の解釈は色々とあるかもしれませんが、えー、例えば政治主導を推進するための、もっと、えー、政府の中に、いー、政治家が入るための法律等々、この辺がまだ、未整備の課題等々があることは事実でございますけども、今の地域主権改革を含めて、着実に一定の前進はしていると思っています」

 小沢国民の生活が第一代表「えー、今、オー、基本的な、あー、考え方については、オー、自分も、総理も、賛成だというお話でした。で、具体的にですね、じゃ、これを、おー、実行するにはどうしたらいいかっちゅうこと、なんですね。

 その中で、時間がありませんから、端的に端折って言いますけども、おー、一括交付金ちゅうのは、あの時のマニフェストにも出てた考え方ですが、現実に、一括交付金ちゅうのは総理ももう一度、オー、調べて貰いたいと、思うんですけれども、実際上は、いわゆる、自由に使える、地方が自由に使えるおカネ、じゃないんですね。

 一括交付金ちゅう名前だけは当用(差し当たって用いること)してはおりますけども、実際は、あー、今までと同様、それ以上にですね、ヒジョーに面倒臭い、いー、二重の、チェックがあったり、あるいは書類の量も、お、非常に多くなっております。

 ですから、それは、あのー、何ら補助金と変わらないし、前の補助金以上に、ヒジョーに煩雑になって面倒臭くなっていると、いうのが実際の姿です。

 どうか、そういう意味に於いて、形式、名前ばかりではなくてですね、本当に地域主権に向けた国の統治機構・行政機構を変えると、いうのが、総理も賛成だということであれば、あー、もし、来年度予算が、編成する機会が総理にありましたならば、あー、もう一歩前進して、本当に我々の理想に向かって頑張って、頂きたいと思います。

 時間ですので、終わります。ありがとうございました」(軽く一礼する) 

 小沢氏の以上の主張をマスコミはどこに目がついているのか、不当にも過小評価している。

 《かすむ小沢氏…解散でざわつき、討論も消化不良》
YOMIURI ONLINE/2012年11月15日00時19分)

 〈持ち時間が10分の小沢氏は、民主党政権公約(マニフェスト)の統治機構改革に関する1問しか質問できず、議論は深まらなかった。

 首相が推進し、小沢氏が反発して党を離れる原因となった消費増税については、一言も触れずじまい。直前に首相が衆院解散に言及し、場内のざわつきが収まっていなかったこともあり、「小沢氏は迫力不足で存在感を示せず、消化不良に終わった」との見方が出た。〉――

 〈「小沢氏は迫力不足で存在感を示せず、消化不良に終わった」との見方が出た。〉とさも一般的な評価であるかのように書いているが、実際は一般を装って記事を書いた記者と周辺の評価を書き出したに過ぎないはずだ。

 一般の評価であるなら仕方がないが、そうではなく、新聞社の評価に過ぎなかった場合、世論に影響を与えて、「国民の生活が第一」の政党支持率に対する不当な世論誘導となる。

 《小沢氏、迫力欠く=野田首相と初対決》時事ドットコム/2012/11/14-22:41)

 〈新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は14日、結党以来初の党首討論に臨み、野田佳彦首相と初対決した。小沢氏の持ち時間は10分。小沢氏が民主党を離れる直接のきっかけになった消費増税について追及する場面はなく、迫力を欠いた論戦となった。

 小沢氏は、民主党が2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ政治主導や地域主権改革について「マニフェストの根幹をなす」として、首相の見解をただした。首相は「良い方向に向かっている」「一定の前進はしている」などと淡々と答えるとともに、マニフェスト作りを主導したのが小沢氏だったことに触れて「理念は正しい方向だったが、財源確保に甘いところがあった」と指摘した。〉――

 新聞社の評価が正当であるなら構わないが、正当でなかったなら、「かすむ小沢氏」「小沢氏、迫力欠く」の見出しの文字だけが一人歩きし、小沢氏と「国民の生活が第一」に対する評価を下げることに貢献するに違いない。

 復興予算のいたずらな流用は政治の目が届かないことをいいことにそれぞれの省庁が自分たちの仕事を増やし、活躍の場をつくって自己評価を高める省益優先の官僚主導を恣(ほしいまま)にしていることが可能とした不適切この上ない予算使途であるはずだ。

 逆説するなら、政治主導が的確に機能していたなら、官僚たちの予算流用といった好き勝手は許さないだろう。

 この一事を以てしても、如何に政治主導が大切かが分かる。

 会計検査院が23年度報告として2009年度ムダ遣い約1兆7904億円に次ぐ史上2番目の513件、計約5296億円の予算ムダ遣いを10月2日午後、野田首相に報告、指摘したのはムダ遣いが復興予算だけではなく、予算全体に亘っていることの証明であろう。

 予算のムダ遣いのうちには不適切でムダな事業も含む。

 予算のムダ遣いの横行蔓延・ムダな事業の横行蔓延は偏に官僚主導が盤石の状態にあるからだ。

 亭主(国民)がコツコツ真面目に働いていて収入(税金)を渡しているのに対して専業主婦の女房(官僚)がブランド買いに走っているようなものである。

 勿論、そこに政治家が一部関わっている場合もあるだろうが、全体的に政治主導の目が光っていたなら、官僚主導の入り込む隙を与えないはずだ。

 よく行政組織=官僚組織はタテ割りだと口にし、その弊害が盛んに言われている。中央集権体制自体が中央を頂点とし、地方を下に置くタテ割りの構造を取っている。

 中央集権体制とはタテ割りの権力体制だということである。

 政府と都道府県の地方政府との関係に於いても中央集権体制を取っているが、政治対官僚の関係に於いて政治主導が機能せず、官僚主導が実質的に国を動かしている以上(そうでなければ、官僚主導とは言わない)、中央集権体制の打破と打破に伴う地域主権の確立は官僚主導からの脱却とその脱却に伴う政治主導の確立が絶対条件となる。

 このような官僚主導からの脱却に対する政治主導の確立の重要性からすると、野田首相と安倍自民総裁が遣り合った議員定数の削減だ、歳費削減だは小さな問題でしかない。

 解散にしても、次の政権が従来どおりに政治主導を確立することができず、官僚主導におんぶした形で政治を推し進めるなら、ムダな予算・無駄な事業を従来どおりに伝統とし、文化とするだろうし、政治家もそこに地元利益誘導で参戦するだろうから、いくら消費税を増税しようとも、その税収をムダが食い潰すことになって、野田首相の言葉を借りるなら、シロアリが食い潰すことになって、さらなる消費税増税で埋め合わせることになりなねず、特に利益の再配分が滞って生じている所得の格差をより広げる懸念が生じる。

 消費税増税による税収増を適正に国民生活に利する方向で使途するか否かも政治主導にかかっている。

 以上の懸念を払拭できなければ、解散もさして意味をなさない。

 例えゆくゆくはねじれが解消して、政権運営が良好な運転を獲得できたとしても、官僚主導の自民党政権がそうであったように財政健全化は中低所得層を犠牲とした各種格差拡大化によって少しは成し遂げても、時々の世界的な金融不況や円高不況等に見舞われて頓挫し、抜本的な解決に至らないのは前科から判断して目に見えている。

 いつ襲うかもしれない不況や大自然災害に備えるためにも官僚主導を消去、政治主導を確立して予算のムダと政府事業のムダを省き、赤字を解消し、将来的には貯金として残しておく努力をすべきだろう。

 政治主導の確かな確立によって、地域主権も真に地域が主導権を握る有効な形で確立することができる。

 マスコミも国民も解散に目を奪われて、何が大切なことか見る目を失っている。

 野田首相と安倍総裁の遣り取りが激しかったからと言って、上辺だけで誤魔化されてはいけない。党首討論に於ける肝心な指摘は小沢「国民の生活が第一」代表のみが成し得た。

 マスコミにしても多くの国民にしても、そのことに気づくだけの目を持っていないことが「国民の生活が第一」の低支持率に反映し、小沢氏の不人気に反映しているということなのだろう。

 小沢氏が党首討論で政治主導と地域主権の問題を持ち出したのは日本の統治機構を根本から変える必要性からの訴えだけではなく、地方を本拠地として国会の場に進出を果たそうとしている第三極に対して「国民の生活が第一」は政治主導と地域主権を主たるテーマとしていることを伝えるメッセージの意味も込めた深慮遠謀でもあるかもしれない。

 マスコミは気づくまい。

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野田首相の国土保全危機管理と財政運営危機管理無能力提示の二つの例

2012-11-14 12:07:20 | Weblog

 ――国家や国土、国民に対する危機管理意識を欠いた人物を我々は指導者としている――

 最初の国土保全危機管理無能力の例。

 日米両政府は当初無人島を使った離島奪還実動演習をプログラムとした日米共同統合演習を予定していたが、沖縄県周辺海域を離島に見立てた離島奪還模擬訓練に変更し、11月5日から実施している。

 実動演習から模擬訓練に格下げしたこの変更は岡田副総理の判断による当初予定の撤回だと、次の記事が伝えている。

 《岡田氏、中国に配慮「決定は駄目だ」 離島奪還訓練断念の舞台裏 首相も追認、米は強い不快感》MSN産経/2012.11.3 09:00)

 但し、外務・防衛両省の説明を聞いた岡田副総理は一旦は了承し、岡田副総理から説明を聞いた首相も異を唱えなかっという。

 〈防衛省は「ゴーサインが出た」と米国防総省に連絡した。〉

 〈同じ頃、両省内には岡田氏の了承をいぶかる情報が駆け巡った。〉

 政府高官「岡田氏は本音では奪還訓練をやらせたくないようだ。まだ安心はできない」

 10月16日、中国外務省が10月16日、訓練計画を批判。

 〈10月中旬になり、この高官の危惧は的中する。奪還訓練の正式決定に向け両省が再び説明に出向く〉――

 岡田副総理「決定は駄目だ」

 〈岡田氏が重視したのは「中国への刺激を避けることだった」という。〉

 別の政府高官「最終的に岡田氏が決め、首相もそれを受け入れた」

 10月25日、キャンベル米国務次官補来日。

 キャンベル米国務次官補(外務省幹部に対して)「一度決めた訓練をひっくり返すのはおかしい。

 政府最高首脳の決定であれば仕方ない」

 《日米共同統合演習始まる 16日まで、離党奪還の模擬訓練など実施》NHK NEWS WEB/2012年2012.11.5 22:17)

 〈陸海空自衛隊約3万7千人と、米軍約1万人が参加する平成24年度の日米共同統合演習(実動演習)が5日、日本各地の基地と周辺空海域で始まった。16日までの期間中、沖縄周辺海域を島に見立てた離島奪還の模擬訓練などを実施。日米の共同対処能力を高め、尖閣諸島をめぐり圧力を強める中国を牽制(けんせい)する。

 離島奪還訓練は当初、那覇市の西北約60キロにある無人島・入砂島で実施する予定だったが、中国や地元感情などに配慮した野田佳彦政権の意向で、模擬訓練にとどめることになった。〉――

 米側の不快感を解消する使節として長島昭久防衛副大臣が米に派遣されることになった。《長島防衛副大臣が訪米へ=離島訓練中止を説明》時事ドットコム/2012/11/08-10:57)

 11月9~11日の日程で米国を訪問、カーター国防副長官と会談予定。

 11月〈5日に始まった自衛隊と米軍による日米共同統合演習で、沖縄県の無人島を使った離島奪還訓練が日本政府の判断で中止されたことに、米側が不満を示しているとの指摘が出ている。会談では長島氏から経緯を説明する見通しだ。

 奪還訓練には地元自治体が反対したことに加え、首相官邸内で「中国を刺激すべきではない」との慎重論が強まったため、政府は中止を決めた。〉――

 11月6日のASEM=アジア・ヨーロッパ首脳会議での発言。

 楊中国外相「中国の立場は一貫している。日本の主張は戦後の秩序を否定するものだ

 600年前の明の時代から中国が支配している」(NHK NEWS WEB

 野田首相も岡田副総理も、尖閣諸島は中国固有の領土だと主張して譲らない中国が尖閣諸島を侵略・占領しないという絶対的保証を国民に対して約束できるのだろうか。結果として起こらなかったとしても、最悪の事態を想定して備えておくのが、この場合で言うと、国土保全の危機管理であろう。

 また備えておくことが相手に対する抑止力として働くはずだ。

 備えなかった場合、緊急的・機動的な行動はなかなか望むことはできない。定期的に備えることによって、緊急的・機動的な行動が身についていき、より的確な国土保全の危機管理へと高めていくことができるはずだ。

 国の原子力安全委員会が原子力発電所の全電源喪失を想定外として備えていなかったことが福島原発事故拡大の大きな原因となった。あるいは平安時代前期869年の貞観(じょうがん)津波の痕跡から東電に対して大津波の危険性を指摘、防波堤をより高くする警告を受けていながら、東電は「十分な情報がない」と無視、津波に襲われて原子炉が浸水することになり、全電源喪失に至った。

 つい1年8カ月前の「想定外」と片付けたこの危機管理の失態を学習し、国土保全に準用すべきを、中国による尖閣侵略を同じく想定外として(想定外としたから、中国に配慮することとなった)野田内閣は結果として学習しなかった。

 危機管理が最悪の事態を想定することから入る学習・反復であるとするなら、決して正解とは言えまい。

 訓練とは実際に備えることを言う。実際に備えるにはより実地に近い形の訓練を必要とするはずだ。実動演習と模擬訓練とでは緊急性や機動性に少なくない差が出るはずだ。泳ぎの訓練を畳の上で行うよりはマシな程度の、沖縄周辺海域を島に見立てた離島奪還の模擬訓練としか言い様がない。

 もう一つの例。

 11月12日の衆院予算委員会、石破自民党幹事長が解散とマニフェストについて野田首相を追及した。 

 石破茂自民幹事長「解散は総理の専権事項だから、私たちは何時何分何秒に解散しろとか、そんなことを言っているのではない。総理は近いうちに信を問うと言ったことはどれだけ重いかということです。そこはね。

 ですから、今時、近いうちに解散というのは流行語大賞にノミネートされています。今、世の中で、近いうちにって言うと、失笑が洩れるのはね、『近いうちにここでやる、ゴメン、ゴメン』と言うと信じて貰えないから、近いうちにっていう言葉は言い替えることになっていますから、世の中で近いうちと言うのは禁句になりつつある。

 ウソつきと一緒になりつつある。総理の言葉はそれだけ重いものだということです。

 私達はなぜこの法案に協力したのか。それは我々がこれをやらなければならないということで参院選挙で国民の投票を仰ぎ、そして一定の支持を得ている。そうであらばこそ、賛成をしたのであって、そうでなければ、そこで賛成しないで、総理が議員辞職しょうが何しようが勝手ですが、新しい政権をつくって、我々の元でやったはずです。

 しかももう、(既に)一回、国民の信を仰ぐという形でやったので(「近いうちに国民の信を問う」と発言したこと。)、そのことの重み、責任、それは感じて頂かなければ困ります。相手は国民なんです。我々自民党、公明党だけではない。国民に対して今の言葉、総理、(「近いうちに」について)ずうっとおっしゃいましたね、色んなこと、それが国民に通ると思いますか」

 野田首相「あの、自分の言ったことは重たい、このように強く自覚をしております。強く責任を感じております。ただ、申し上げさせて頂くならば、本来はもっと財政や経済が良かったときに決断すべきだったんですよ。

 小泉さんや安倍さんの時だったんじゃないでしょうか。これ以上先送りできないという責任のもとで、私どもは痛い思いをしながら、判断をしました。

 だけど、合わせて『近いうちに信を問う』と言ったことは間違いありません。重く受け止めております」

  石破茂自民幹事長「総理、最期までそういう言い方をなさるのはやめた方がいいですよ。それはそういうことを百も万も分かった上で、政権をお取りになったはずです。あの時の状況がどのようなものであるか、政権を取ってから分かったなんて言わせませんよ。

 我々は、私は福田内閣にもいた。麻生内閣にもいた。経済の状況は詳(つまび)らかに明らかにしたはずであって、政権の中に入ったから分かったなんぞと言うのは、当選1回や2回ならいざ知らず、ベテランの総理がそこまでご存じないはずはない。

 私は総理がどれだけ政策に真摯にやってきたかは、ある尊敬の念を持ってやってきたつもりです。今の日本の財政状況も、リーマンショック後の状況も、全て分かった上で政権を担われたはずです。

 だとするならば、経済状況が良かったときにやるべきだったみたいなことを言うのはやめてください。どうですか」

 野田首相「勿論、日本の財政が厳しい状況にあることは私も、野党のときに次の内閣の財務大臣をやっておりましたので、承知をしておりました。

 従って、そのための財政改革プランも試案としてつくったこともあります。但し、それ以上に想像を超える事態になったのは、リーマンショック後の税収の落ち込み、それは政権交代以降期に起こりました。

 9兆円の落ち込み。これは想像をしておりませんでした。
間違いなく、それは我々野党時代の税収を聞いても、そういう正確なお答えを政権から頂いておりません。そこは想像しておりませんでした。

 もう一つは、あの金融不安です。欧州の債務危機。これも想像はしておりません。想像をしていないことも任期の担当時には起こります。

 そういうことも相まって、財政に対する危機感をもっておりましたけども、より危機感が高まった。だから、政権をお預かりしている中で感じたこと、そういう表現をさせて頂いております」

 石破茂自民幹事長「それはムダを省けば、財政的にいくらでも出てくるんですといったことをそれぞれの方がみんなおっしゃったのですから、国民の審判を受けたら良かろうと、言うことです。

 総理は今おっしゃったようなことを、どうぞ街頭でおっしゃってください。判断をするのは国民であります。どう見てもそこには論理の飛躍がある。論理のマヤカシがある。私はそのようにしか思われないのであります」

 なお解散時期についての追及が続く。

 「リーマンショック後の税収の落ち込み」と、「欧州の債務危機」は想像していなかったと答弁している。

 だが、1929年10月24日にニューヨーク証券取引所の株価大暴落を発端とした世界的な金融恐慌、「暗黒の木曜日」を人類は経験し、日本にも波及して、「昭和恐慌」として経験することになった。

 果たして事後の危機管理をときの政府は「想像をしておりませんでした」で済ますことができるだろうか。

 1987年10月19日に起こったニューヨーク証券取引場ニューヨークダウの大暴落は1929年10月29日の暗黒の木曜日を上回る暴落だそうで、「リーマンショック」ならぬ、「ブラックマンデーショック」と言われている。

 日本にしても1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間バブル景気の時代を迎え、それが弾けて以後、「失われた10年」とか、「失われた20年」とか言われる経済低迷期に入った。

 バブル時代、誰もが日本の経済は右肩上がりに成長し続けると信じていたから、バブル景気が弾けるとは想像すらしていなかったはずだ。

 だが、のちの政府が財政運営にあたって、「バブル崩壊は想像をしておりませんでした」と言うことができるだろうか。

 崩壊を避け得ぬ事実と受け止めて、取り得る最善の方法を尽くすのが国家を守る危機管理であるはずである。

 大日本大震災にしても、福島第1原発事故にしても、誰もが想像していなかった大災害であったろう。

 為政者は例え想像していない最悪の事態に襲われようとも、歴史上のあらゆる最悪事態を教材として学習し、少なくとも何らかの方法で凌いで国家と国民を守る心構えはしていなければならない臨機応変の危機管理責任を負っているはずだ。

 だが、野田首相は「想像をしておりませんでした」と言って、自らの危機管理責任を避けようとしている。

 この無責任さは何と表現していいのだろうか。

 本題には関係ないが、野田首相が消費税増税は「本来はもっと財政や経済が良かったときに決断すべきだった」と言っている。

 民主党が衆院選投開票日に大勝利して政権交代を確実にした2009年8月30日を半月遡る2009年8月15日の街頭演説で、野田首相は例の有名な「シロアリ演説」を行い、消費税増税に反対している。

 また、民主党は消費税を4年間上げない政策をマニフェストに掲げて選挙を戦い、政権交代の大きな恩恵を受けたはずであある。

 にも関わらず、今になって、「本来はもっと財政や経済が良かったときに決断すべきだったんですよ」と、さも自民党の責任であるかのように言う。

 薄汚い言い逃れの開き直り以外の何ものでもない。

 国家や国土、国民に対する危機管理意識を欠いた人物を我々は指導者としている。


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安倍晋三の一党の代表資格喪失の頭足らずな「国民は無罪と無実は違うと思っている」の小沢氏批判

2012-11-13 09:40:07 | Weblog

 昨日11月12日(2012年)「国民の生活が第一」小沢一郎代表が政治資金をめぐる強制起訴裁判2審で、1審に続いて無罪の判決が出された。

 この無罪判決に安倍晋三自民党総裁が一言物申している。

 安倍晋三「おそらくこういう判決が出ると予測していたが、多くの国民は裁判での無罪と無実というのは別だと思っていると思う」(MSN産経

 「多くの国民」の評価はそうだとして、そこに多数派の正当性を置くことで自身の評価を同じと位置づけ、正当化している。

 確かに「無罪」と「無実」は「別」の意味を有する。それぞれの意味を辞書から取ってみる。

 【無罪】「刑事裁判で、被告人の行為が犯罪にならないこと。または犯罪の証明がないこと。また、その旨の判決」(『大辞林』三省堂)

 【無実】「罪を犯した事実がないのに罪があるとされること」(『大辞林』三省堂)

 「罪を犯した事実がない」のだから、「無実」とは、罪がないことを意味する。

 小沢氏が強制起訴裁判に訴えられて、今回その2審で、1審と同様に「被告人の行為が犯罪にならない」「旨の判決」――無罪の判決を受けたということは「罪を犯した事実がないのに罪があるとされ」たことに相当するはずだ。

 どこに不都合があるのだろうか。そもそもからして検察の取調べに対する裁判所の判断に優る犯罪事実の証明はないはずだ。

 裁判所の判断に優る犯罪事実の証明能力を国会や国会議員が有しているとでも言うのだろうか

 「罪を犯した事実」がありながら、無罪判決を受けたとするのは論理矛盾を来すだけではなく、裁判の否定となる。

 安倍晋三が言いたかったことは、裁判で無罪とされたが、決して無実とは言えないということなのだろう。

 一党の代表である、言葉を正確に用いる情報発信能力に頭っ足らずにも欠いていたなら、代表としての資格喪失を意味する。

 また、一党の代表である以上、推測した「多くの国民」の評価を利用して抽象的・間接的に自己評価を正当化するのではなく、自身の声で直接的に評価を下すべきだろう。

 勿論、自身の直接的な評価である場合、公人である以上、そこに証明の説明責任が生じる。

 だが、「多くの国民」が「思っている」評価を自身の評価とする場合、その証明の直接的な説明責任は「多くの国民」が負うことになって、安倍晋三自身は証明の説明責任を免れることができる。

 自らが負うべき証明の説明責任を免れるために、「多くの国民」の評価を利用したとも言える。

 尤も裁判は無罪であっても、政治責任は残っている、国会で説明責任を果たすべきだという声があり、そのような国会証言によって「無実」ではない証明を行うと言うだろうが、裁判の無罪判決を無視し、調査能力がないことも加わって有罪の固定観念を前提に追及する今までの例からすると、どう反論しようと、疑惑を掻き立て、掻き立てた疑惑を国民に植えつける、一方的且つ不毛な魔女狩りで終わりかねない。

 いわば疑惑を掻き立てることには役立つが、有罪か無罪か、あるいは無実か否かを白黒つけることには役立たない国会説明責任となるのは目に見えている。

 多分、有罪の固定観念を前提に追及する側は参考人招致や国会証言後、白黒つけることことができないにも関わらず、「疑惑はますます深まった」とする常なる常套句を発して、限りなく黒に近づける陰謀を企むだろう。

 いわば白黒をつけることから疑惑を深めて限りなく黒に近づけることに目的をすり替えて、疑惑は深まった、限りなく黒だとすることを以って小沢氏を、その権利がないにも関わらず、裁判所に代わって擬似有罪扱いし、自己満足に浸る、民主的な法概念に外れた対応に出るに違いない。

 検察役の指定弁護士が2審判決に対して控訴に出るかどうかで最終判断は決着することになるが、裁判所に白黒の判断を委ねる以外に正当な方法はないと言うことである。

 安倍晋三にしても、自らが発信した「多くの国民は裁判での無罪と無実というのは別だと思っていると思う」とする頭っ足らずな判断は結果的に小沢氏を疑惑漬けにすることには成功するだろうが、疑惑漬けだけで終わることは公党の代表として責任ある態度とは決して言えない。

 検察や裁判所しかできない具体的証拠を自ら並べ立てて、疑惑漬けから一歩出て、これこれを以て有罪だと、無実ではないと証明する責任を小沢氏に対しても負っているはずだ。

 政治資金規正法の不備を指摘する向きもあるが、それが不備だと言うなら、小沢氏一人のみならず、国会議員全体の責任となる。

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野田首相の復興庁に課したタテ割り排除の有言不実行・言葉倒れ

2012-11-12 09:23:36 | Weblog

 昨夜(2012年11月11日)7時からのNHKニュースで、宮城県気仙沼市の漁港を含む南気仙沼地区を例に取って、1メートルも地盤沈下した沿岸部の嵩上(かさあ)げ工事で国の補助が適用されない“空白地帯”が生じていると報じていた。

 その原因が省庁のタテ割りだという。いわば被災地に於いて省庁のタテ割りの弊害が生じていて、その犠牲となっている地域があるということになる。

 「NHK NEWS WEB」記事と、記事は書いていないが、ニュースをそのまま動画にした記事付属のそれから見てみる。

 記事は、《地盤かさ上げ補助に「空白地帯」》NHK NEWS WEB/2012年11月11日 18時7分)

 リンクを付けておいたが、ご存知のように何日かすると記事そのものが削除されてしまうから、要注意。

 地盤沈下箇所は大潮の時間帯や大雨が降ると冠水して、通行は勿論、事業所や住宅再建等を含めた地域再生に地盤の嵩上げが必要となるが、自治体の財政では賄い切れない多額の費用を要することから、国土交通省の土地区画整理事業や、農水省外局である水産庁の漁港施設機能強化事業などを利用して国から補助金を受けて嵩上げ工事を開始、但し両事業の適用外の地区は補助対象から取り残される、復興のいわば“空白地帯”が生じているという。

 気仙沼市の計画では南気仙沼地区で約100ヘクタールの嵩上げ工事を必要としているが、“空白地帯”は44%、水産加工業者などから、「このままでは再建は難しい」という声が上がっていると伝えている。

 菅原茂気仙沼市長「国の補助メニューがない部分がまだ広大に残っている。必ずかさ上げが必要だとお願いしているが、いい案がなかなか国から出ず、街づくりが遅れる原因となっている」

 自治体の要望に応えきれていない国の姿が浮かんでくる。にも関わらず、復興予算を被災地外に流用している。被災地はその苛立ちも加味させて国・政府に対する評価を確実に下げているはずだ。

 記事結び。〈仙沼市や宮城県はこうした「空白地帯」を解消するため、国に補助事業の基準の緩和を求めています。〉・・・・・

 記事は省庁のタテ割りに触れていないが、動画からニュースが伝えていたタテ割りについて拾い出してみる。

 農水省の沿岸部に於ける補助対象地域は漁港区域として管理されている場所に限定。

 国土交通省土地区画整理事業の補助対象地域は人口が1ヘクタール当たり40人以上が条件。

 漁港地帯でありながら、漁港区域として管理されている区域から外れている場所で、なおかつ水産加工場、その他の工場立地地域は勤務時間外には勤労者が工場から引き上げて人口が1ヘクタール当たり40人以下となってしまう地域は農水省からも国交省からも補助金を受けることができずに復興・再生が浮いてしまうということらしい。

 こういった“空白地帯”が市が嵩上げを計画した面積の44%にものぼるということである。

 半分近くの取りこぼしということになる。

 ニュース(動画)は、〈省庁の個別の事業に当てはめるタテ割りの形でしか補助が出されない現状〉という解説でタテ割りを伝えているが、要するに省庁ごとの各取り決めの壁を取り払わなければ現地の要望を順次埋めていく体制とはならないにも関わらず、各省庁それぞれの個別ごとの取り決めにそれぞれが閉じ込もって、そこから脱し切れないタテ割り状況にあることが復旧・復興促進の弊害を生む原因だということであろう。
 
 省庁横断で、いわばタテ割りを排して、それぞれの個別の取り決めを乗り越え、現地の要望に応じ切れていない補助・支援の“空白”を双方向から埋めていく体制が求められているにも関わらず、タテ割りを当たり前としている。

 復興庁「税金を投入する以上、費用対効果が明確ではない所は補助対象にできない。ただ、事業の隙間を埋める制度がないことは課題だ」

 言っていることが矛盾している。大自然災害からの復旧・復興、地域の再生を「費用対効果」の面のみから判断していいのだろうか。被災地の二重ローン解消問題で政府要請によって金融機関が債権放棄する場合、「費用対効果」のみの価値判断からでは、とても応じ切れないだろう。

 それとも金融機関に対しては「費用対効果」は無視しろ、自分たちは重視して、その判断からのみ何事も決定していくということなのだろうか。

 個々の生活体・(企業等の)個々の活動体が機能し、成り立つことで地域全体が機能し、成り立っていたのだから、地域全体の復旧・復興、あるいは再生は個々の生活体・個々の活動体の復旧・復興、あるいは再生を待って初めて可能となる理屈から言って、個々の生活体・個々の活動体全体を復旧・復興の網にかけて、あるいは再生の網にかけてそれらを図らなければ、少なくとも可能な限りそのように心がけなければ、取りこぼしが生じて満足のいく復旧・復興、あるいは再生は望めないことになる。

 時と場合に応じて、「費用対効果」のハードルを超えなければならないということである。あるいは復旧・復興、再生を優先させるためには「費用対効果」を犠牲としなければならないということである。

 だが、復興庁は各省庁がタテ割りから抜け出ることができないように、「費用対効果」の価値観、その呪縛から抜け出れないでいる。

 復興庁は「事業の隙間を埋める制度がないことは課題だ」と今更ながらに言っているが、省庁のタテ割りを排除させて個別ごとの取り決めを乗り越えさせ、各省庁一団となって現地の要望に応じることができるよう、「制度」をコーディネイトするのが復興庁の役割であるはずだ。

 また、そのために復興庁は創設されたはずだ。

 先ずニュース(動画)が伝えている自治体側の声を取り上げて、復興庁が自らの役割を果たしていない状況を見てみる。

 気仙沼市(アナウンサーの解説から)「今の制度は地元のニーズに合わず、なりかねない」
 
 菅原気仙沼市長「まだまだ、そういう(国の援助が届かない)所が残ってるんですね。そうすると、そういう所の街づくりはどうしたらいいのか。

 10分の10(補助100%)というものを最後まで求めていかないと、街が立ち行かなくなるいうふうに思っています」――

 東日本大震災からの復興の司令塔となる復興庁は2012年2月10日発足した。復興庁のトップは野田首相、実務統括の初代復興相は復興対策担当相を務めてきた平野達男。

 被災地に対する出先機関として被災各地に復興局を設けている。

 課せられた役割は予算要求から配分までを一元的に担う復興予算の管理、復興施策の調整、被災自治体の一元的な窓口担当等である。

 「復興施策の調整」は当然、省庁のタテ割り排除が入っているはずだ。但し「復興施策の調整」はあくまでも「調整」までであって、補助事業・公共事業等の実施権限は関係省庁に預けたままだから、復興庁は関係省庁の権限以上の権限を発揮しないと、タテ割りを排除できないことになるが、上記「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたようにタテ割りとタテ割りの隙間に復旧・復興から取り残された“空白”をつくることになっていることからすると、復興庁は関係省庁の権限以上の権限を発揮できていなかったことになる。

 権限を発揮できず、“空白”を作り出していたから、その弁解に「費用対効果」を持ち出したのかもしれない。

 野田首相が復興庁発足に当たって発言している。《首相 がれき処理全国で協力を》NHK NEWS WEB/2012年2月10日 20時4分)

 2月10日復興庁発足当日夜の記者会見。

 野田首相「復興の司令塔になる組織で、大きな役割は2つある。1つは被災地自治体の要望にワンストップで迅速に対応することで、もう1つの役割は役所の縦割りの壁を乗り越えることだ。

 私がトップになり、各省庁より格上の立場で迅速果敢に調整をすることが何よりも大事だ。強力な総合調整の権限と実施権限が付与されており、それを生かすことが被災地の役に立つかどうかのキモであり、私がトップとしてきちっとリーダーシップを発揮していく。

 (さらに続けて)復興庁に魂を入れるのは250人の職員の志だ。現場主義に徹底し先例にとらわれず、被災地の心を心として粉骨砕身でやってもらいたい」

 記事題名となっている瓦礫問題についての発言。

 野田首相「仮置き場に集められているがれきを被災地で処理する能力は限界があり、自己完結できないので、安全ながれきを全国で分かち合う広域処理が不可欠だ。これまで東京都や山形県など積極的に協力いただいているところもあるが、すべての閣僚で各自治体に幅広く協力呼びかけをしていきたい」

 「復興庁に魂を入れるのは250人の職員の志だ」だの、「被災地の心を心として粉骨砕身でやってもらいたい」などと、職員に対してだけではなく、聞く者をして心奮い立たせる物言いとなっているが、「被災地自治体の要望にワンストップで迅速に対応する」、「役所の縦割りの壁を乗り越える」、「強力な総合調整の権限と実施権限」、「各省庁より格上の立場で迅速果敢に調整」等々の役割を復興庁が十分に発揮していないことが原因の、被災自治体側が受け止めている復旧・復興状況であって、どの発言も威勢のよい言葉だけで終わっている印象を拭うことができない。

 要するに、「私がトップとしてきちっとリーダーシップを発揮していく」という宣言自体が有言不実行の言葉倒れとなっている。

 復興予算の流用を許したのも、野田首相のリーダーシップの欠如が大きな原因の一つとなっているはずである。

 発足当日、「復興庁」の看板を野田首相と平野復興相を掛けたときの野田首相の発言。

 野田首相「被災地の期待に応えなければならない責任の重さを感じた」(時事ドットコム

 これも有言不実行、言葉倒れ。

 看板は岩手県陸前高田市の高田松原で津波被害を受けた松で作ったそうだが、どのような材料で作ろうが、肝心要は被災地の復旧・復興、再生に的確に貢献する運営方法である。

 それさえ的確であったなら、例えダンボールに書いて、雨風に色褪せ、ボロボロにならないようにビニールをかぶせた看板であっても構わないはずだ。

 高田松原からわざわざ取り寄せた津波被害の松製看板の体裁は、復旧・復興を印象付けようとしたとしても、復興庁の実質的な運営から見ると、野田首相の立派な文言を並べ立てた言葉の体裁とその体裁に反する有言不実行性・言葉倒れに対応しているように見えてしまう。

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野田首相の、前原や安住が言う「誠実な人」とするウソ偽りない最大評価を消費税増税から見る

2012-11-11 11:04:42 | Weblog

 昨日11月10日(2012年)、民主党は福岡市で政権公約=マニフェストの進捗状況、反省点説明の報告会を開催、野田首相が出席した。出席者から質問が出た場合、自ら答えるというわけである。

 余談になるが、福岡市での視察後、昼食時にラーメン店に立ち寄って豚骨ラーメンを食したという。

 野田首相「ビールとギョーザがあるといいよね」(時事ドットコム

 ツイッターに次のように投稿した。

 〈ニート・非正規雇用の若者は朝昼晩のカップラーメンに、「うまいなあ」と満足し、野田首相は博多豚骨ラーメンに舌鼓を打って満足する。さらに「ビールとギョーザがあるといいよね」と欲張ることができる。〉

 最後の「欲張ることができる」は最初「欲張る」と書いたが、この記事で、「欲張ることができる」と書き直した。

 「MSN産経」記事によると、出席者数は党関係者の話として、党員・サポーターに動員をかけていて、約160人。うち党員・サポーターは約120人。引き算して、一般市民は約40人に過ぎなかったと伝えている。

 野田内閣支持率に相応しい人数ということなのか。約160人のうち一般市民約40人出席は25%の出席率。各新聞社の野田内閣支持率の平均を取ると、25%前後ではないのか。中には20%を切った世論調査もある。

 今更マニフェストの進捗状況、反省点の説明を受けたとしても仕方がない、遅過ぎるというわけなのだろう。

 亭主の浮気の謝罪・弁解の類いを奥さんが聞くのはまだ期待をかける気持が残っているからだ。奥さんが聞く耳を持たなくなったなら、期待する気持が一切失せて、亭主に対する思いが冷え切ってしまっているからだろう。

 野田内閣不支持の70%前後が最早謝罪・弁解の類いを聞いても仕方がないと気持を冷え切らせていると考えることもできるはずだ。
 
 出席者(政権公約にはなかった消費税率の引き上げに取り組んだ理由について)「野田総理大臣はもっと丁寧に説明してほしい」

 野田首相「国が作った多くの借金は将来世代のつけになる。選挙のことを考えれば消費税率を上げないほうがよかったかもしれないが、次の世代のことを本気で考えている政党だと理解してほしい」(NHK NEWS WEB

  野田首相「できたもの、できなかったものがあることを率直に認める。

 (次期衆院選マニフェストは)反省しながら、より現実感のある、精度の高い、約束が守れる内容のものをつくりあげたい。奇策はない。国民が納得できるマニフェストをもう一回掲げて戦っていく」(時事ドットコム

 「選挙のことを考えれば消費税率を上げないほうがよかったかもしれないが、次の世代のことを本気で考えている政党だと理解してほしい」云々は、党利党略の利己主義に走ることを拒絶、断固国家・国民を考えた政治行動だと、自身の国と国民に対する誠実さを訴えた物言いであろう。

 だとしても、野田内閣支持率が示している聞く耳を持たない70%前後の国民には「次の世代のことを本気で考えている政党だ」といった野田首相の誠実さはストレートには届かないことになる。

 悲しい事実だとしか言いようがない。

 野田首相が8月8日(2012年)、消費税法案を成立させるために自公と「近いうちに国民の信を問う」と取引しながら、取引に反して「近いうちに」が3カ月も実行しない状態が続いていることに対して安倍自民党総裁その他が「ウソつき」呼ばわりの非難で対抗。

 この非難に対して――

 前原(11月9日記者会見)「首相は極めて誠実で、自分の言ったことは約束を守る方だと確信している」(スポニチ

 安住「野田佳彦首相は誠実な人柄。輿石東幹事長も意外といい人だ。約束は守る」(時事ドットコム

 野田首相を支持しない多くの国民は野田首相のどこをどう突いて、「誠実」などという人格を引き出したのかと疑うだろうが、野田首相自身も自分のことを誠実だと自認しているのと呼応するかのように前原も安住も野田首相を誠実な人間だと最大限評価している。

 三人が三人共、野田首相の中に誠実という人格の確固たる存在を信じているのである。

 野田首相は2011年8月29日実施の民主党代表選当日立候補演説で、消費税という言葉を直接使っていないが、次のように触れている。

 野田代表候補者「白アリ退治、行政刷新会議を通じての戦いを進めてまいりました。気を抜くと、働きアリが収めた、その税金に白アリがたかる構図は、気を抜くとまた出てきます。私は引き続き行政刷新担当大臣を専任大臣として行政改革を推進をするべきだと思います。

 先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」――

 「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」はマニフェストで国民に「お約束したこと」だから、先ずは「お約束したこと」を「お約束した」通りに実現させてから、「それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と、最後の最後に消費税をお願いしなければならないと「お約束」した。

 そして「お約束」したとおりに、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」を不退転の覚悟で実現させ、それでもおカネが足りなかったから、「お約束した」通りに次の手段として消費税増税法を成立させる誠実さを貫徹させた。

 こうすることによってこそ、自分の国民に対する「お約束」を「お約束した」通りに守ったことになる誠実さの絶対発露ということになる。

 こういった経緯を踏んでいたからこそ、前原も安住も野田首相のことを誠実な人と最大限に評価したのだろう。

 野田首相はマニフェストに書いてない消費税増税を常々マニフェスト違反ではないと公言してきた。

 野田首相「衆院議員の任期中に消費税を引き上げるのではなく、現在の衆院任期終了後だから、公約違反ではない」

 だが、消費税増税を決めたのは衆院議員任期中である。

 公約違反でないと信念していたからだろう、消費税増税法案が8月10日、参院で成立したことを受けた後の記者会見で次のように発言している。
 
 野田首相「消費税を引き上げるということ、国民の皆様に御負担をお願いするということは、2009年の総選挙で私ども民主党は勝利をさせていただきましたけれども、そのときのマニフェストには明記してございません。記載しておりませんでした。このことについては、深く国民の皆様にこの機会を利用してお詫びをさせていただきたいと思います」――

 公約違反だったという趣旨の発言である。

 一貫した態度を取ることによって誠実さは維持される。公約違反ではないと散々に強弁、信念していたことに反して公約違反だったと謝罪することが野田首相的には徹底的に一貫した態度だということである。

 かくして野田首相の誠実さは維持された。その誠実さは確固不動の人格となっているからに違いない。

 そして冒頭触れた11月10日の福岡市で開催したマニフェスト進捗状況、反省点説明報告会。

 野田首相「国が作った多くの借金は将来世代のつけになる。選挙のことを考えれば消費税率を上げないほうがよかったかもしれないが、次の世代のことを本気で考えている政党だと理解してほしい」(NHK NEWS WEB

 「次の世代のことを本気で考え」た誠実さがなさしめた消費税増税だと理解を求めている。

 8月10日、消費税増税法成立、2014年4月1日8%、2015年10月1日10%増税の決定は野田首相の誠実さの大産物だと言うこともできる。

 あるいは野田首相の誠実さの塊だとも表現可能であろう。2014年4月1日8%、2015年10月1日10%の消費税増税には野田首相の誠実さがギュウギュウに詰まっている。

 だが、消費税増税法2012年8月10日成立から最初の増税2014年4月1日8%施行まで、1年7ヶ月半も期間がある。

 一度ブログに取り上げたが、日本で最初に消費税を導入した竹下内閣の場合、1988年(昭和63年)12月24日、消費税導入を柱とする税制改革法案を成立させ、翌年の1989年(平成元年)4月1日から消費税を導入している。

 いわば消費税法成立から導入まで要した日数は3ヶ月と7日のみである。

 法律成立から3ヶ月やそこらで導入できるとしたら、2009年マニフェストで衆院任期4年間は消費税は増税しないと国民と契約したとおりの約束を守り、2013年8月29日任期満了を待ってからの解散であったとしても、自民党は2010年参院選のマニフェストに消費税増税「当面10%」を謳っていたし、公明党にしても、必ずしも反対ではなかっただろうから、同じように消費税増税を掲げて選挙を戦わざるを得なかっただろうし、政権が決まってから消費税増税成立でも、3ヶ月やそこら日数がかかったとしても、2014年4月1日8%導入まで、竹下導入時とほぼ同じとなる3カ月の準備期間を取ることができる。

 こういった選択肢を取ることも野田首相のこれまでの誠実さとは異なる、もう一つの誠実さの提示となったはずである。

 あるいは最低、2009年マニフェストには書いてなかったからと、2011年9月2日野田内閣発足からそう遠くないうちに解散、マニフェストに堂々と消費税増税を謳ってから、それを争点に選挙を戦っても、どの政党が政権を取ろうと、消費税増税は既定事実として成立したはずだから、そうすることももう一つの誠実さの表現となったはずだ。

 だが、野田首相は2009年マニフェストに書いてない消費税増税法を成立させる誠実さを選択した。

 代表選挙では、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と、消費税増税は最後の最後です、先ずは政治が身を切ります、痛み伴う改革が最初ですと優先順位付けを行う誠実さを示し、「お約束した」通りに早速消費税増税にとりかかる次なる誠実さの発揮、消費税増税法が成立するまで、「衆院議員の任期中に消費税を引き上げるのではなく、現在の衆院任期終了後だから、公約違反ではない」とする信念ある誠実さを貫き、成立すると、成立したその日に「マニフェストには明記してございません。記載しておりませんでした。このことについては、深く国民の皆様にこの機会を利用してお詫びをさせていただきたいと思います」と、態度豹変の誠実さを見せ、11月10日のマニフェストの進捗状況、反省点説明報告会では、消費税増税は「次の世代のことを本気で考え」た誠実さの提示だと、誠実さという美徳に関して常に一貫性ある態度を維持した。

 豚骨ラーメンも野田首相の誠実さが求めた食欲だったのだろう。

 世の中と同様に政治の世界でも誠実さの表現は色々とある。

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民主細野と評論家伊藤惇夫のマニフェスト不記載消費税増税正当化のウソと誤魔化し

2012-11-10 12:36:10 | Weblog

 昨日2012年10月9日のTBS「ひるおび!」が、民主党のHPで流している、民主党2009年「マニフェストはどこまで進んだのか」と名付けた細野出演の動画を取り上げて、謝罪役が細野で相応しいのかとか、党代表、及び首相は野田首相自身なのだから、野田首相が出演すべきではないかなどと議論していた。

 細野は番組が取り上げた動画の中で子ども手当は一部実現、高校無償化と農家の所得補償は全面実現だなどと説明していた。

 番組の出演者の遣り取りの中で、政治評論家だか政治アナリストだかを名乗っている伊藤惇夫が細野のマニフェストに書いてなかった消費税増税を実施したことへの謝罪に触れて、次のように発言していた。

 伊藤惇夫「マニフェストに書いてなかった消費税増税をすることを詫びているが、政治はどう変化するか分からないため、書いていなくてもやらなければならないことがたくさんあるんです」

 この発言に異議を感じて、民主党HPにアクセス、動画から細野が最初に取り上げていた子ども手当と、最後の方で取り上げた消費税に対する謝罪箇所を文字化してみる。

 細野「2009年マニフェストで最も注目を浴びたのは子ども手当でした。核家族化、地域コミュニティの衰退など、子育てに関わる環境が変わる中で、社会全体で子どもの育ちを支援するの考え方に基づいて、中学生までの全ての子どもを対象に月額2万6千円を支援することをマニフェストで約束しました。

 しかし残念ながら、支給額は原則1万円となっており、約束は実現できておりません。その最大の原因は財源を確保できなかったことです。

 折りからの経済不況のもとで、既存事業の見直しや税制改革を当初考えていたとおりににはできませんでした。

 そして2年目の途中で東日本大震災が発生し、子ども手当の財源の一部を復旧・復興に充当しなければなりませんでした。

 勿論、約束したことが実現できなかった責任は私達にあります。しかし政権交代前に比べれば、支給対象は従来の小学生までから、中学生まで、に拡充し、支給総額は1兆円から2・3兆円に増えました。

 子どもたちへの投資は将来への投資です。

 何より急速に進む少子化で経済的負担を軽減することで、子育てのしやすい社会を作ることは、我が国の最も重要な課題であると思っています」――

 細野の以上の発言にはウソ・誤魔化しがある。先ず、「子ども手当て」という名称が自公の要求で、自公時代の旧制度「児童手当」に変わって、「改正児童手当法」として法律は成立しているはずだが、そのことへの言及がなく、今以て「子ども手当て」の名称を使っているウソ・誤魔化しである。

 次に、「政権交代前に比べれば、支給対象は従来の小学生までから、中学生までに拡充し、支給総額は1兆円から2・3兆円に増えました」と、さも制度を拡充させているかのように言っていることも、自公政権時代の児童手当と比較した支給対象と支給総額の拡充であって、その拡充を以って民主党自身が掲げた支給総額から相当額の減額を余儀なくされている約束違反を巧妙にカモフラージュしている。

 このこともウソ・誤魔化しのうちに入る。

 「自公政権時代の児童手当と比較した場合」という断りを入れるべきが正直な態度であろう。

 「折りからの経済不況のもとで」と弁解しているが、2008年9月以降のリーマンショックによる経済不況は自公政権時代に発生して政権交代後も尾を引いていた経済状況だったのだから、マニフェスト作成時に予定事項として織り込んでいなければならなかったはずだ。

 また、扶養控除廃止によって年収に応じて額面通りの金額から最大で数千円のマイナスが生じることにも触れていないウソ・誤魔化しがある。

 国民に対して謝罪すべきは謝罪するという誠実さを装った態度を取っているが、謝罪の中にまでウソ・誤魔化しを忍び込ませるとなると、頭から信用はできない。

 消費税について、次のように発言している。

 細野「マニフェストには書いてないことで民主党政権が実施したのは、『社会保障・税一体改革』、取り分け、消費税の引き上げです。選挙の時点で提案せず、途中で消費税引き上げに至ったことは、心からお詫びをしなければなりません(謝罪の意味で恭しく頭を下げる)。

 財政の悪化、社会保障費の増大、国際的な金融危機への対応、そして若い世代を中心とした現役世代の厳しい負担と、社会保障制度に対する不信感などの厳しい現実に政権を担う中で直面をしました。

 このままでは現在の社会保障すら維持することはできず、明日(あす)の安心は全く見込めません。消費税を引き上げ、それを全額社会保障に全て充てることで現在の社会保障を維持し、年金や子育に支援を強化することを決断しました」・・・・・

 消費税増税はマニフェストに書いてなかったが、政権を担う中で、「財政の悪化、社会保障費の増大、国際的な金融危機への対応、そして若い世代を中心とした現役世代の厳しい負担と、社会保障制度に対する不信感などの厳しい現実」に直面したから、増税を図ることにしたと言っている。

 だが、現政権で法案を通したものの、増税時期が2014年4月1日8%、2015年10月1日10%であるなら、2013年8月衆院任期解散・総選挙であったとしても、自民党も消費税増税を謳っていたのだから、マニフェストに堂々と掲げて政権担当を決してからの増税でも間に合ったはずだ。

 竹下登は1988年12月に消費税法を成立させ、施行は3ヶ月後の1989年4月である。2013年9月に入って政権が決まってから1カ月以内に早急に消費税増税を成立させれば、2014年4月1日8%増税でも、施行まで竹下内閣よりも長い5ヶ月は準備期間を置くことができたはずだ。

 消費税を増税しても、全額社会保障費に使うからと、その正当性を訴えているが、消費税増税法附則18条2には、「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する」と、消費税増税によって余裕ができる財源の中から、公共事業等に「資金を重点的に配分する」と謳っている。

 復興予算19兆円のうちの1兆円を東大日本震災被災地域復旧・復興と一体不可分の「全国防災対策費」として使うと決めていながら、被災地の復旧・復興とは一体不可分とは言えない、まるきり無関係の事業に流用する前科を既に犯していて、厳格な予算編成・事業編成が信用できなくなっている。

 このような不信に対して野田首相自身、口を酸っぱくして全額社会保障に配分すると国会答弁しているが、いくら社会保障費全額と言われても、「オオカミ少年」の少年に対するのと同じで、俄には信じることはできない。

 信じることができなくしている不信構造は政治自身がつくり出しているのである。

 ここで伊藤惇夫の「マニフェストに書いてなかった消費税増税をすることを詫びているが、政治はどう変化するか分からないため、書いていなくてもやらなければならないことがたくさんあるんです」の発言を取り上げる。

 確かに「政治はどう変化するか分からない」。だが、マニフェストに書いてなかった政策を行うに当たっては、緊急にそうしなければならない必要性を備えた政治状況や経済状況、あるいは社会状況の出来が絶対条件となるはずである。

 緊急にそうしなければならない必要性――緊急事態に迫られもせずに政策変更されたのでは、「公約」とか、「契約」、あるいは「約束」といった言葉が崩れて、意味をなさなくなる。

 また、消費税増税を2009年マニフェストに謳わなかったということは、衆院任期の4年間を見通してその不必要性を織り込み済みであったことの証明であるはずである。

 いわば消費税増税は4年間必要としない財政状況にあることを見通していた。この見通しの中には、 リーマン・ショックから完全に立ち直ることができないうちに2010年以来表面化したギリシャの財政危機が欧州全体に波及、現在の不況を生じせしめているものの、既に触れたように2008年9月以降のリーマンショックによる金融危機を受けた、日本も巻き込まれた全世界的な経済不況にしても、年々増加していく社会保障費も前々からの傾向で織り込んでいなければならなかった予定事態としていたはずだ。

 だとすると、マニフェストには書いてなかった消費税増税を図らなければならなかった、民主党政権が緊急にそうしなければならない必要性を備えた状況とは何を指しているのだろうか。

 しかも今回決めた増税時期は緊急性を要件としていない衆院任期4年後の2014年4月1日8%、2015年10月1日10%である。 

 伊藤惇夫は政策を変えるには変えるなりの絶対的に緊急な必要性、その状況が何であるかを提示もせずに、「政治はどう変化するか分からないため、書いていなくてもやらなければならないことがたくさんあるんです」と、緊急な必要性を何ら条件としない、それゆえに正当性を持たない政策変更を支持している

 このことは政治評論家でございますと尤もらしい顔をして誤った情報――ウソ・誤魔化しを公共の電波を使って全国に垂れ流す類の行為であろう。

 民主党のウソ・誤魔化しにはもううんざりだが、評論家だと名乗ってテレビに出てはウソ・誤魔化しを働く輩の跡を絶たない風潮にもうんざりしている。

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女性差別主義者・障害者差別主義者・人種差別主義者石原新党の男性支持よりも女性支持上位の怪

2012-11-09 10:26:51 | Weblog


 共同通信社が11月3、4日実施の全国電話世論調査で見た石原新党に対する期待度。

 石原新党に「期待する」 ――40・2%
 石原新党に「期待しない」――53・2%

 都市規模別の支持・不支持を次の記事から見てみる。《女性の45%期待 石原新党、都市部に強み 共同通信世論調査》MSN産経/2012.11.4 20:39)

 都市規模別

 大都市(東京23区、政令指定都市)

 「期待する」 ――42・1%
 「期待しない」――53・2%

 中都市(有権者10万人以上)

 「期待する」 ――41・1%
 「期待しない」――52・4%

 小都市(有権者10万人未満)

 「期待する」 ――37・8%
 「期待しない」――53・6%

 郡部(町村)

 「期待する」 ――38・0%
 「期待しない」――56・5%

 都市規模が大きいい場合は10ポイント程度、小さい場合は20ポイント近く、いずれも「期待しない」が上回っている。

 男女別と支持政党別は同じ共同通信世論調査を扱った次の記事――《石原新党 都市部で強み発揮 維新支持層6割が「期待」》TOKYO Web/2012年11月5日 朝刊)から。

 男女別

 男性

 「期待する」 ――35・0%
 「期待しない」――58・3%

 女性

 「期待する」 ――45・0%
 「期待しない」――48・5%

 男性よりも女性の方が10ポイントも上回って石原新党に期待している。その分、「期待しない」が減り、支持・不支持が接近している。

 支持政党別

 「日本維新の会」支持層

 「期待する」 ――59・3%
 「期待しない」――34・9%

 民主支持層

 「期待しない」――67・0%

 自民党支持層

 「期待しない」――51・9%

 無党派層

 「期待しない」――55・2%(以上)

 男女別で「期待する」が男性の35・0%に対して女性の45・0%と10ポイントも上回っている女性上位に奇怪な印象を受けた。

 なぜなら石原慎太郎は権威主義を本質性としているからだが、その必然性としての女性差別主義者であり、障害者差別主義者、あるいは人種差別主義者だからだ。 

 権威主義の政治的極致が国家主義である。

 石原慎太郎が女性差別主義者、障害者差別主義者、人種差別主義者であることは広く知られた事実であるはずで、2006年7月3日当ブログ記事――《石原慎太郎にオリンピックを語る資格があるのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で女性差別主義と人種差別主義を取り上げたが、改めてその差別振りを思い起こす必要を感じて振返ってみる。

 「少子社会と東京の未来の福祉」会議(2001年10月23日)

 石原都知事「これは僕が言っているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)が言っているんだけど、文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です、って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって・・・・。なるほどとは思うけど、政治家としては言えないわね」――

 「僕が言っているんじゃなくて」と言いながら、他人の主張を借りて、「生殖能力」の有無のみで人間を価値づける自らの女性間差別・男女差別を披露している。

 差別は往々にして存在否定そのものを同義とする。

 他人の主張をなる程なと受け入れたということは自身の内面にある思想と呼応させたことを意味する。その内面性は本質的価値観として位置づけられているはずだから(そうでなければ、他人の主張に呼応しない)、11年前の発言であったとしても、世間の評判のために差別観を内深くに隠していたとしても、賞味期限を維持しているはずだ。

 如何なる差別も、人間が生き、死ぬまでそれぞれが持つ、ごく一般的な喜怒哀楽の正当性への視点を持つことができないことによって起こる。

 喜怒哀楽はまた、人間が生まれながらに備え、国家によって侵されることのない自然権としてある基本的人権に対する視点を持つことによって保証される。

 例え女性が生殖能力を失ったとしても、一般的な喜怒哀楽まで失うわけではない。石原慎太郎は生殖能力喪失の女性を否定することで、彼女たちの喜怒哀楽まで否定している。当然、生殖能力を失って以後も長生きしている女性たちの基本的人権まで否定していることになる。

 石原慎太郎は2001年5月8日「産経新聞」朝刊に『日本よ【内なる防衛を】』の一文を寄稿。2000年前後に日本国内で横行した不法入国者も混じった在日中国人の犯罪の手口を「『民族的DNA』を表示する」ものだとして、その悪質性が『民族的DNA』に起因しているが如き主張を展開している。

 犯罪を民族的DNAに基づく民族性と関連づける認識は人種差別の現れそのものであろう。民族性と関連づけることによって、何の権利もなく、僭越にも民族の存在そのもの――中国人そのものの存在を否定している。

 何という驕り高ぶった態度だろうか。

 以下は上記当ブログには書いてないが、石原慎太郎は1999年9月17日、府中市にある重度障害者施設府中療育センターを視察。翌日の9月18日に記者会見している。

 《ああいう人たちに人格あるのかね 石原知事 重度障害者の病院視察し、感想》朝日新聞)1999年9月18日)

 石原都知事「ああいう人って人格あるのかね。

 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。

 人から見たらすばらしいという人もいるし、 恐らく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。 そこは宗教観の違いだと思う。

 ああいう問題って 安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

 記者から安楽死の意味を問われる。

 石原都知事「そういうことにつなげて考える人も いるだろうということ。安楽死させろといっているんじゃない。

 自分の文学の問題に触れてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた」

 重度障害者であったとしても、一人ひとりが持つ喜怒哀楽に対する視点を一切欠いている。

 喜怒哀楽を持つ以上、それぞれに異なる人格を有し、基本的人権をも有する。

 例え喜怒哀楽を有しないように見えたとしても、家族にはそれが伝わるはずだ。

 重度障害者の喜怒哀楽は家族の喜怒哀楽とつながっているからだ。重度障害者の喜怒哀楽を否定することは家族の喜怒哀楽を否定することを意味する。

 他者の喜怒哀楽を否定しながら、「自分の文学の問題に触れてくる」と、自身の喜怒哀楽のみを肯定している。

 差別主義者というものは構造的に差別対象の他者存在否定・自己存在絶対肯定の人間関係を取る。

 ヒトラーがその最たる差別主義者であった。障害者も国家に役立たない存在としてガス室に送り込んだ。

 どう考えても、石原新党に対する期待度が男性よりも女性上位となっていることが理解できない。

 石原個人の差別観と石原個人が率いる政党とは無関係ということなのだろうか。

 だが、その人間性に目をつぶることはできない。

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