利用者数に関しては記事の題名が全てを物語っている。《学童保育の利用者 過去最多に》(NHK NEWS WEB/2013年8月16日 11時8分)
学童保育の指導員らで作る全国学童保育連絡協議会が今年5月、全国の市区町村を通じて調べた。
親が仕事などから帰宅するまでの間、放課後の児童を預かる学童保育利用児童数約88万8700人。昨年同時期比約4万1700人増。
小学校や児童館等を中心とした学童保育施設数は2万1600カ所、昨年比約800カ所増。これも過去最多。
政府が子育て支援策の一環として施設の拡充を目指している一方で、利用を希望しながら、定員が一杯で空きを待っている待機児童は最少見積もりで約6900人。前年比+1000人だということだから、施設拡充が追いついていないということなのだろう。
その原因として、〈都市部を中心に施設の設置場所や児童を見守る指導員をどのように確保するかが課題になっていて、現在、厚生労働省が検討を進めてい〉るという。
詳しくは「全国学童保育連絡協議会」HPの《学童保育の実施状況調査の結果》に載っているが、2010年1月政府策定の「子ども・子育てビジョン」で、学童保育の受入児童数を2017年度末までに129万人に増やす目標を立てていると記している。
要するに政府お声掛かりにも関わらず、施設拡充や指導員確保を上回る勢いで学童保育希望者が年々増加していて、世の中は学童保育志向の傾向にあると言い替えることもできる。
全国学童保育連絡協議会「学童保育を行う施設の増加に伴って利用する子どもも増えたとみられる。学童保育は子どもの居場所作りだけでなく子育て中の親の安心にもつながるので国や自治体は整備を急いでほしい」――
「子どもの居場所作り」、「親の安心」――学童保育のいいこと尽くめを言っているが、デメリットは何もないのだろうか。
学童保育では預かった子どもにどのような時間を提供しているのか調べてみた。『平成23年度 かながわ子ども・子育て支援推進調査研究事業』のHPから見てみる。
《家庭教育を補完する放課後児童クラブと小学校教育との連携に関する調査》
「放課後児童クラブ」とは学童保育の変更名称で、多分、内容の充実を図っていくうちに「学童保育」では幼稚に見えて、より高級感のある尤もらしい名前をつけたくなったといったところかもしれないが、中身が伴わなければ、高級感も意味を失う。
「活動内容」について次のように記載している。
1.子どもの健康管理、出席確認をはじめとした安全の確保、情緒の安定を図ること、
2.遊びを通しての自主性、社会性、創造性を培うこと、
3.子どもが宿題・自習等の学習活動を自主的に行える環境を整え、必要な援助を行うこと、
4.基本的生活習慣についての援助、自立に向けた手助けを行うとともに、その力を身につけさせること、
5.活動状況について家庭との日常的な連絡、情報交換を行うとともに、家庭や地域での遊びの環境づくりへの支
援を行うこと、
6.児童虐待の早期発見に努め、児童虐待等により福祉的介入が必要とされるケースについては、市町村等が設置
する要保護児童対策地域協議会等を活用しながら、児童相談所や保健所等の関係機関と連携して対応を図るこ
と、
7.その他放課後における子どもの健全育成上必要な活動を行うこと、
勉強も教え、遊びも教えて、特に遊びを通して、学校教育では満足にできていない、あるいは一般の教師たちでは満足に成し遂げることができていない自主性、社会性、創造性を培う高い目標を掲げている。
スローガン倒れにならないことを祈る。
では、具体的にどのようなカリキュラムで行っているのか調べてみた。公立小学校で行っている学童保育のカリキュラムは見つけることができず、民間学童保育のカリキュラムを見つけることができた。
《横浜 学童保育 ワールド・キッズ・くらぶ》
最初に宿題を教え、学力に合った国語・算数のプリント、英語レッスン、理科実験やバター作りといった各種製品作り、料理、パソコンの基本操作、工作、そろばん、デジタルカメラの基本操作、フラワーアレンジメント、マット運動を中心とした体操等々となっている。
こう見てくると、勉強に関しては塾程強力ではないが、趣味や体操を通した運動能力の向上に関しては塾を上回ることになる。
夕方学童保育を終えてから、そのまま夜の塾に通えば、学童保育では左程期待できない学力を塾で、塾では望むことができない程々の運動能力向上を学童保育でといった具合に補い合うこととなって、最強となる。
民間の学童保育はカネがかかる分、カリキュラムが充実しているだろうから、民間の学童保育と塾を併せれば、最強中の最強ということになる可能性は高い。
当然、学童保育も塾も利用せずに学校教育だけでは、学校教育から与えられる学力やその他の能力の上積みは望むことができないことになり、利用している児童との間に学力差や運動能力差が現れることになる。
親の側から言うと、学力の差をつくるために塾に通うのであって、そのために塾は存在していた。そこに学童保育が加わったということだろう。
当然、塾に通わせないことで生じることになる学力差がつくことへの恐れを免れるために子どもを塾に通わせていた親の強迫観念は学童保育に通わせるか通わせないかにも働くことになり、世の中の傾向として通わせる方向に圧力が向かうことになる。
特に収入の面で塾に通わせることができない家庭は、せめて学童保育にと欲するに違いない。
こういった傾向が学童保育児童の増加という形で現れているはずだ。
家の収入が十分にあって、子どもを民間の学童保育に通わせ、なおかつ塾に通わせた場合、子どもは親の所得格差が教育格差となる構造のより有利な受益者となり得る。
だが、学童保育に留意しなければならない点は、親の安心は重要な要素ではあっても、三昔も四昔も前の子どものように自分たちで自由に遊ぶ子どもの数を減らすことになることだろう。
自身の発想で自由に遊ぶ子どもの減少である。
例えば野球やサッカーは幼い頃から地域のチームやクラブに所属し、監督という大人の指示に従って、技術を身につけ、高めていくが、それが正しい指導として役立ち、正しい技術の習得につながったとしても、他発性に従った自発性という制約を受けることになって、自由な創造性という点でも制約を受けることになるが、大人の指導を受けない近所の子供同士で仲間を組んだチームであったとしても、自分たちの自由な発想でプレーしながら、如何に上達するか、仲間同士がお互いに競争し合い、自分なりに工夫していくうちに技術を習得していく自発性はどのような制約も受けない自由な創造性という点で優ることになる。
このことは日本のJリーグのサッカー選手とブラジルのサッカー選手との能力差に現れている。日本の選手がクラブや地域のチームを出発点としているのに対してブラジルのサッカー選手は近所の仲間同士が自由にプレーするストリートサッカーを出発点とし、〈ストリートサッカーで高度な技術を身に付けた選手を国内のクラブがスカウト〉(Wikipedia)して、その技術をさらに高度に高めていく育成方法に従っているが、その出発点に於ける自発性の制約のなさと自由な自発性に対応した自由な創造性が大きく影響して獲得することになる高い技術であるはずである。
特に幼い頃から大人の指導を受ける場合、型にはめられ過ぎると、遊び(=自発的な自由な発想の部分)の創造性が抑えられて、躍動性を失うことになる。
このことは学童保育についても言えることであるし、塾についても言えるはずだ。学校教育で「自分で考えることの大切さを教える」と言っていることは、教師が教えたり社会の大人やマスコミが与える様々な考えに児童・生徒一人ひとりが取り組むときの自由な自発性と自由な創造性の重要なことを指しているはずだ。
学童保育が学習の機会や運動の機会を与えるからといって、メリットばかりではない。当然、デメリットに留意しなければならない。
昔の子どもが減るということは飼い慣らされた子どもが増えるということでもあるはずだ。社会の安心にとっては価値ある傾向かもしれないが。
8月18日(2013年)の「たかじんのそこまで言って員会」は「A級戦犯は有罪か無罪か」、「アメリカの原爆投下は有罪か無罪か」等、歴史認識の大きく異る出来事を取り上げて、「大阪裁判2013」と銘打った“裁判”を展開していた。
ヒナ檀に普段の顔ぶれとは異なって、全て日本語を話すドイツ人やアメリカ人、中国人、韓国人と、それぞれ立場の違う各国の8名を裁判官として座らせ、竹田恒泰、加藤清隆、桂ざこば、津川雅彦、金美齢が単なる傍聴者ではなく、裁判員裁判の裁判員よろしく、質問したり反論したりする仕組みになっていたが、この裁判員もどきのメンバーは東京裁判を否定する立場の人間からしたら歓迎すべき面々ということになるだろうが、東京裁判を受け入れる歴史認識者からしたら、最悪のメンバーということになる。
私自身は後者である。
番組はA級、B級、C級は罪の等級を表しているのではなく、A級を「平和に対する罪」、B級は「通例の戦争犯罪」、C級は「人道に対する罪」と紹介していた。
「A級戦犯は有罪か無罪か」に関しては、「私設国際司法裁判所裁判官に質問」と称して、「東京裁判で裁かれたA級戦犯は無罪だと思うか、有罪だと思うか」と質問していた。
この記事では諸国外国人の歴史認識はさして問題とせず、普段レギュラーメンバーとしてヒナ檀に座っているが、今回はヒナ檀と向き合って低い位置の長椅子に裁判員よろしく座っている面々の歴史認識をごくごく簡単に取り上げたいと思う。
先ず番組解説による紹介を会話体に直してみた。
ウエッブ東京裁判裁判長「最大の責任者である天皇が訴追されなかったために量刑が著しく不当であるがゆえに、全員を死刑にすることに反対する」
ジャラニ・フィリピン人判事「一部の被告の刑は寛大に過ぎ、犯罪防止にも見せしめにもならない。全員死刑を要求する」
11人の判事の中で唯一全員無罪を主張したインド人判事。
ラダ・ビノード・パール判事「“平和に対する罪”、“人道に対する罪”は事後法であり、法の不遡及の原則に反しているゆえに全員無罪を主張する」
番組はパール判事が後に息子のプロサント・パール氏に残した言葉を紹介している。
ラダ・ビノード・パール判事「裁判所が判事団に指令して、予め決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。
さらにそのような事実があったことを極秘にするために誓約書への署名を強要された」
番組女性解説者(声を低くしておどろおどろしく)「戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判は出来レース的な不公正は裁判だっという批判もある」――
番組は無罪としたい願望から、当然、上記解説が可能となる。
そして各国8名に無罪か有罪か問い質した。5名が有罪の札を示し、3名が無罪を出した。
東京裁判は1948年11月12日判決。A級戦犯28人の内、東条英機ら7人が死刑。終身刑16人。有機禁錮刑2人。
番組では取り上げていなかったが、2名が判決前に病死、1名が梅毒による精神障害が認められて訴追免除となっている。
番組解説「1978年(昭和53年)10月17日、靖国神社は死刑及び獄中死の14人を“昭和殉難者”として合祀」――
裁判員たちの無罪の立場から主張をざっと見てみる。
津川雅彦「東条英機は連合国に対して有罪ではない。もし有罪だとすれば、日本国民に対してリーダーが負けたということで責任はある」
竹田恒泰「東条英機元首相は『平和に対する罪』には該当しない。でも、敗戦責任はある」――
二人とも自分たちの言っていることの矛盾に気づかない。
日本国民に対して敗戦責任ある人物を“昭和殉難者”とすること自体が矛盾するからだ。
当然、二人は靖国神社が東条英機らA級戦犯を“昭和殉難者”として合祀していることに反対しなければならない。
だが、二人のA級戦犯合祀反対の主張を聞いたことはない。
【殉難】「国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること」(『大辞林』三省堂)
日本国民に対して敗戦責任ある東条英機を“昭和殉難者”として靖国神社に祀るということは論理矛盾そのものであろう。
“昭和殉難者”としたこと自体が東京裁判の判決を否定し、日本国民に対しても敗戦責任はない、東京裁判の犠牲者、あるいは日本国家のために身命を投げ打って尽くしたにも関わらず絞首刑を受けたと価値づけたことを意味するはずだ。
また、A級戦犯は国内法では犯罪人ではないという立場から靖国神社を参拝し、A級戦犯を含めて国のために命を捧げたと戦死者を追悼する場合も、A級戦犯の日本国民に対する敗戦責任を否定していることを意味することになる。
津川雅彦も竹田恒泰も東京裁判を否定して東条英機のA級戦犯としての無罪を優先させるために周囲を納得させる取引材料として持ち出した「敗戦責任」に過ぎないはずだ。
だからこそ、「敗戦責任」が合祀矛盾の主張にも合祀反対の主張にもつながっていかない。
無罪とする立場からの東京裁判が戦勝国による敗戦国に対する強制性を持った裁判であり、なおかつ法の不遡及の原則に反する事後法だという主張を認めて、東京裁判を無効とし、すべての判決を無罪へと持っていくとしても、あくまでも東京裁判に限った措置であって、そのことを以って戦争に関わる責任・罪を無罪放免とすることができないことは明白である。
勿論、津川雅彦と竹田恒泰が言う、戦争に負けたから負うことになるとしている日本国民に対する責任のことを言っているわけではない。
東条英機は日米の国力・軍事力の冷静・厳格な比較・分析と緻密性と合理性を持たせた戦略に立った対米開戦ではなく、1904年~1905年(明治37年~38年)の日露戦争の勝利を約40年後の日米戦争勝算の根拠とし、その理由を「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事(=計算外の要素)が勝利に繋がっていく」と計画よりも僥倖(「思いがけない幸運」)に頼った非合理的な精神論を支えとした対米開戦であって、そのような開戦をスタートとして内外に何百万という犠牲者を出した責任と罪は東京裁判を無効としたとしても、無罪放免とするわけにはいかないはずだ。
東条英機は内外に戦争全般に関わる責任と罪を背負っているということである。当然、靖国神社が何の罪も責任もない、逆に犠牲者と位置づけ、“昭和殉難者”と名づけて合祀することに合理性を見い出すことはできない。
番組は次のコーナーで、「アメリカの原爆投下は無罪か有罪か」と質していた。解説が、トルーマン元大統領は日本がポツダム宣言を拒否したため止む無く原爆を投下したと主張しているが、実際にはポツダム宣言発表前に投下命令は出されていた、マッカーサー元帥も、「原爆投下の事前相談があったら、その必要はないと答申したであろう」と語っている、アメリカ国民は今でも6割が原爆投下は正しかったと、原爆投下の不正義を炙り出そうとしていたが、疑問がいくつかある。
トルーマン元大統領が実際にポツダム宣言発表前に投下命令は出していたとしても、日本が受諾後に原爆を投下しただろうか。もしそんなことをしていたなら、例えアメリカが戦勝国であったとしても、トルーマンは「平和に対する罪」のA級、「人道に対する罪」のC級で裁かれることになるだろう。
マッカーサー元帥の「原爆投下の事前相談があったら、その必要はないと答申したであろう」がいつの発言であったとしても、1945年9月2日の日本の降伏文書調印の日まで南西太平洋方面のアメリカ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、オランダ軍を指揮する南西太平洋方面最高司令官の地位にあったことから判断すると、「事前相談」がなかったとは考えにくい。
そこで「Wikipedia」で調べてみると、相反する記述があった。
〈1945年6月30日、アメリカ軍統合参謀本部がマッカーサー将軍、ニミッツ提督、アーノルド大将あてに、原子爆弾投下目標に選ばれた都市に対する爆撃の禁止を指令。同様の指令はこれ以前から発せられており、ほぼ完全に守られていた。
新しい指令が統合参謀本部によって発せられないかぎり、貴官指揮下のいかなる部隊も、京都・広島・小倉・新潟を攻撃してはならない。
右の指令の件は、この指令を実行するのに必要な最小限の者たちだけの知識にとどめておくこと。〉――
〈「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した」――連合国軍総司令官 ダグラス・マッカーサー〉――
前夜の記述は原爆投下を知っていたことになり、後者の記述は知っていなかったことになる。
しかしソ連は1941年4月13日締結、1941年4月25日効力発生 1946年4月25日5年間効力の日ソ中立条約の延長を、「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月」より前の、効力切れ1年前の1945年(昭和20年)4月5日にしないことを日本側に伝えている。
また、「Wikipedia」によると、1945年7月17日~8月2日のポツダム会談前の7月17日、スターリンが対日戦参戦の意向をトルーマンに伝えたと記している。
〈トルーマンはこれによって「それ(ソ連の参戦)がおこれば日本は終わりだ」と喜んだが、次の日には原爆実験成功(トリニティ実験)の報せを受け取ったことで「ロシアがやってくる前に日本はつぶれる」と、ソ連の力を借りずに日本を降伏させる方針に転換した。〉――
〈ソ連の力を借りずに日本を降伏させる方針に転換した〉が原爆投下の意図だったとしても、無条件降伏の受け入れを意味するポツダム宣言受諾後の原爆投下は戦争は終わりにしますと表明した国に対する不意を突く攻撃となって、やはり無理がある。
またマッカーサーにしても、南西太平洋方面最高司令官として8月6日広島原爆投下までの間に7月17日のソ連の対日戦参戦の意向が同時に和平仲介拒否の意向であり、満州国から何らかの国益を得ることを目的とした(和平仲介国では何らの戦利品を望むことはできないだろう)戦勝国としての地位獲得の意向だと、その動きから判断していたはずだ。
ところが、ソ連に対する和平仲介の1945年6月から8月6日の広島原爆投下まで、ソ連が和平仲介以外の動きがなかったかのようなマッカーサーの発言となっている。
1945年7月26日、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。
鈴木貫太郎首相(1945年7月28日記者会見)「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず『黙殺』し断固戦争完遂に邁進する」(1945年(昭和20年)7月29日付け毎日新聞引用の「Wikipedia」)
そして1945年8月6日の広島原爆、1945年8月8日のソ連の対日宣戦布告、1945年8月9日の長崎原爆、同1945年8月9日ソ連参戦と続いた。
少なくとも日本の最初のポツダム宣言「黙殺」はアメリカ側に原爆投下の正当性を与える動機づけとなったはずだ。
実際にもトルーマンは正当化の動機づけとしていた。
だが、「たかじんのそこまで言って員会」の「アメリカの原爆投下は無罪か有罪か」は、この動機づけの視点を一切欠いた、滑稽極まりない責任追及となっている。
各国8人の判事は有罪多数とし、津川雅彦や竹田恒泰以下の、裁判員裁判の裁判員よろしくの役割の5人のレギュラーも、アメリカだけを悪とする原爆投下有罪説の展開を見せていたが、このことを裏返すと、原爆投下に関しては日本は被害者であって、何の罪もないという主張となる。
日本がA級戦犯を無罪、原爆投下に関しても日本は無罪とする歴史認識は戦争そのものを無罪とする歴史認識に他ならない。
かくまでも無罪としたい日本人の合理性の正体は日本民族優越主義を根拠とした優秀だから間違いはないとする無誤謬説以外に考えることはできない。
例えどんなに滑稽なことであっても。
――同一労働・同一賃金が必要なのは女性非正規雇用者の多くが企業に好都合な賃下げ圧力となっているからである――
世界に冠たる安倍晋三のアベノミクスを以てしても、非正規労働者の増加を止めることができない。逆に格差拡大を増長している。
《非正規労働者、過去最多の1881万人》(MSN産経/2013.8.13 19:20)
8月13日発表の総務省労働力調査詳細集計。
正規と非正規を合わせた雇用労働者(役員除く)の総数は過去4番目の水準の5198万人に対してパートや派遣社員等非正規労働者数は2013年4~6月期平均で前年同期比106万人増1881万人となり、統計を取り始めた2002年以降、過去最多を更新。
対して正規雇用は53万人減。非正規の割合は1.7ポイント増の36.2%。
アベノミクスによって非正規雇用は少しは歯止めがかかってもよさそうなものだが、却って増加に力を貸していることが分かる。
安倍晋三アベノミクス格差拡大は次の統計が証明している。
正規と非正規を合わせた雇用労働者(役員除く)の総数は過去4番目の水準に達する5198万人。いわばアベノミクスによって雇用は確かに増えているが、同時に非正規雇用を増加させている。当然、そこには格差拡大が生じていることになる。
問題は非正規の男女別内訳である。
非正規男性603万人。
非正規女性1278万人。
女性が男性の倍も存在する。
非正規の仕事に就いた理由――
男性。
「正規の職員・従業員の仕事がない」168万人。
「自分の都合のよい時間に働きたい」111万人。
女性。
「家計の補助・学費等を得たい」331万人。
「自分の都合のよい時間に働きたい」301万人。
「正規の職員・従業員の仕事がない」175万人。
具体的に知ろうと、総務省の>《労働力調査(詳細集計)平成25年(2013年)4~6月期平均(速報)》にアクセスしてみた。
男女計 % 男 % 女 %
非正規の職員・従業員 1881万人 - 603万人 - 1278万人 -
自分の都合のよい時間に働きたいから 412万人 23.5% 111万人 20.3% 301万人 25.0%
家計の補助・学費等を得たいから 396万人 22.6% 65万人 11.9% 331万人 27.5%
家事・育児・介護等と両立しやすいから196万人 11.2% 5万人 0.9% 191万人 15.9%
通勤時間が短いから 60万人 3.4% 15万人 2.7% 44万人 3.7%
専門的な技能等をいかせるから 132万人 7.5% 68万人 12.4% 64万人 5.3%
正規の職員・従業員の仕事がないから 342万人 19.5% 168万人 30.7% 175万人 14.5%
その他 214万人 2.2% 115万人 21.0% 99万人 8.2%
男性の「自分の都合のよい時間に働きたい」111万人と「家計の補助・学費等を得たいから」の65万人、「家事・育児・介護等と両立しやすいから」の5万人、「通勤時間が短いから」の15万人の合計196万人、女性の「家計の補助・学費等を得たい」331万人、「自分の都合のよい時間に働きたい」301万人、「家事・育児・介護等と両立しやすいから」の191万人、「通勤時間が短いから」の44万人の合計867万人、男女合計では1063万人、非正規全体に占める56%、全体の半数以上が、自分の都合を優先させて望みを叶えようとする関係上、賃金は二の次、後回しになって、程々のところで手を打つ就職傾向を取るはずだ。
当然、ただでさえ企業が同一労働・同一賃金が厳格に法律で定められているわけではない現状を利用して非正規を増やすことで全体の人件費を抑える傾向にある中で、非正規雇用の半数以上を占める彼らの存在は非正規雇用自体の賃金を下げる圧力となる。
また、非正規の中でそのような合計1063万人の存在の内、男性の196万人に対して女性の867万人という圧倒的多数から判断して、男性よりも女性の方が賃下げの圧力として活躍していることになり、正規雇用に対する非正規雇用の賃金格差の拡大ばかりか、男女賃金格差の拡大に力を貸す構造を取っていることになる。
こういった雇用形態はそれを望む男女、特に女性にとって好都合な雇用形態であるばかりか、企業にとっても人件費抑制の面から、好都合な非正規の男女、特に女性の存在ということになっているはずだ。
これが雇用が増えていると言っていることの実態であるばかりか、安倍晋三がアベノミクスの第3の矢と位置づけている「成長戦略」で普及・促進を打ち出している、正社員と同様に雇用期限はないとしているものの、勤務地や職種、労働時間などについて予め限定された形で働くことを勤務資格とした「限定正社員」は、合計1063万人の勤務形態をそのまま延長させた形を取ることになって、当然、合計1063万人と同様に賃下げの圧力団体となり得る。
そして、やはり男性よりも女性の方がより強い圧力を発揮する集団となる可能性は高いと言うことができる。
当然、企業にとっても「限定正社員」という存在は非正規雇用と同様に人件費抑制の点から便利な雇用形態となる。
こういった便利さは安倍晋三が「成長戦略」の中核として打ち出している「女性が活躍する社会」と称する女性の活用についても反映されることになるはずだ。
安倍晋三は2013年4月19日の日本記者クラブ講演「成長戦略スピーチ」で、女性の活用について次のように発言している。
安倍晋三「現在、最も活かしきれていない人材とは何か。それは、『女性』です。
女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。『成長戦略』の中核をなすものであると考えています。
女性の中に眠る高い能力を、十二分に開花させていただくことが、閉塞感の漂う日本を、再び成長軌道に乗せる原動力だ、と確信しています」――
一見、女性の能力を高く買って、男女平等の理想社会の実現を訴えているように見えるが、アベノミクスが女性の雇用増加に力を発揮したとしても、現時点の正規対非正規の割合で言うと、36.2%が非正規に回り、そのうち男性に対して女性が2.1倍を占め、2.1倍の多くが男性以上の賃下げの圧力となることを無視した、そのことに矛盾する、見せかけの女性の能力評価ということになる。
「女性が活躍する社会」の実態は結果的に賃金の安い女性の雇用をも生み出し、彼女たちは賃下げ圧力としても存在するということである。
「『成長戦略』の中核をなす」としても、安価な人材提供の面から成長を担う「中核」となりかねない。安倍晋三が「女性が活躍する社会」を言い、女性に「『成長戦略』の中核」を担わせるがホンモノなら、同一労働・同一賃金を厳格に法律づけるべきだろう。
法律づけて、初めてその言葉はホンモノとなる。法律づけていない以上、ニセモノの言葉を出ない。
尤も企業の見方安倍晋三にはできない相談だろう。
内閣府発表の「4-6月のGDP3期連続のプラス」をマスコミが解説している。《4-6月のGDP3期連続のプラスに》(NHK NEWS WEB/2013年8月12日 9時0分)
勿論、勿論、安倍晋三のアベノミクスのご霊験である。そのうち神様に持ち上げられるに違いない。
記事は個人消費が引き続き堅調だったことや円安を背景に輸出が伸びたことなどから、今年4月から6月までのGDP=国内総生産の伸び率は実質で前の3カ月と比べてプラス0.6%、年率換算だと、プラス2.6%の3期連続のプラスとなったと書いている。
「個人消費」の内実は高額品や衣料品等の購入、外食への支出等で、プラスの0.8%。
「公共投資」が昨年度の大型補正予算の影響等でプラスの1.8%。
企業の「設備投資」は建設が伸びたのに反して、船舶等が減少した結果、マイナスの0.1%。
「輸出」は円安などを背景にアメリカ向けの自動車が伸びたことなどから3.0%のプラス。全体を差し引きして前の3カ月比でプラス0.6%の伸びだそうだ。
物価の変動を反映させた名目のGDPの伸び率は、前の3カ月比でプラス0.7%となり、3期ぶりに実質の成長率を上回ったという。
一番の成果は円安効果によるアメリカ向け自動車輸出のプラス3.0%だが、このプラスはアベノミクス効果による円安だけの助けではなく、アメリカの景気回復の助けもあってのプラス3.0%であろう。
「個人消費」は高額支出に偏っていて、アベノミクスが格差拡大に貢献していることの証明にはなるが、大多数の国民が等しく恩恵を受けている状況にはないことを示している。
いわば現在のところ、格差拡大には役立っている。この格差拡大が膠着化しない保証はない。
また「公共投資」(言い替えるなら、公共事業投資)の伸びは政府の大枚のカネを使っての伸び――財政出動による恩恵であって、このことは企業の「設備投資」が「公共投資」の恩恵に主として浴する建設が伸びていることに現れているが、船舶等が減少しているということは、アベノミクスが民間主導の実体経済を全体的に力強く動かすには未だ至っていないことを示していて、将来的には未知数の姿を見せていることになる。
では、どのくらいの大枚のカネかというと、昨年度(24年度)の国土交通省関係補正予算の公共事業関係費は1兆8144 億円。これにプラスして、25年度国土交通省関係予算の公共事業関係費の4兆4892億円を順次消費しているのだから、カネを使った分だけの見返りとしてのGDPの伸びは当たり前となる。
但し社会的インフラが成熟した中での「公共投資」の経済効果は一時的で、継続的経済効果は期待しにくいという状況の中での寿命を向かる老朽化インフラの維持・管理、その他の防災・減災の公共事業が少なからず占めるとなると継続的経済効果はなお期待困難ということになって、単にカネを使っただけ、あるいはカネを使っただけGDPが伸びたという状況が生み出された場合、何が何でも公共事業からGDPをつくり出そうとカネを使うという逆の循環に陥る、かつての自民党に先祖返りしない保証はない。
こう見てくると、アベノミクス効果が力強い足取りで歩み始めたとは到底言えないことになるが、経済にド素人の言うことだから、当てにはならないが、今回発表のGDPの伸び率は市場の予想を下回っていて、週明けの東京株式市場も活発な反応を見せなかったということからすると、まるきり当てずっぽうの読み解きということではないように思える。
但しアベノミクスの張本人である安倍晋三は自信満々である。《首相「経済政策は間違っていない」》(NHK NEWS WEB/2013年8月13日 0時6分)
「4-6月のGDP3期連続のプラス」を受けて8月12日午前、訪問先の地元山口県長門市で支持者らに挨拶、次のように発言している。
安倍晋三「今年の1月から3月までの値と同様に、日本は成長を続けることができた。改めて、私が進めている経済政策は間違っていない、この道しかないと確信した」――
強気なのはいいが、「日本は成長を続けることができた」と言っている中身・実態はいびつな形の「GDP3期連続プラス」である。
このいびつさを解消する確実な方法が保証されているなら、最初から手を打っているだろうから、保証されていない以上、「この道しかない」の確信にしても、単細胞の人間だけに許される、保証のない確信――自信過剰ということもあり得る。
尤も自身の単細胞に気づかずに保証ある確信と信じているからこそ、東北が豪雨災害に見舞われような何しようが夏休みを利用してゴルフ三昧に耽っていられるのだろう。
次の記事が紹介している識者が従軍慰安婦の強制連行を否定する発言を行っている。
《慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる》(毎日jp2013年08月07日 07時56分)
第2次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の、1943年と1944年記載の日記を朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が韓国で発見。慰安所従業員の日記の発見は日韓で初めて。
男性は1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、1944年末に朝鮮へ戻った。
1943年7月10日の日記、「昨年の今日、釜山埠頭で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」という記述と、1944年4月6日の日記、「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」との記述が、ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問して1945年11月に作成した調査報告書の、1942年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとしている記録と釜山出港の日付が一致していることから、日記の正確性を裏付けているとしている。
但し、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある1942年を含む8年分は見つからなかったという。
記事が取り上げている日記の文章を記載してみる。
日記「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された。(1943年7月19日)
夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。(1943年7月29日)
鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。(1943年8月13日)
慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。(1944年10月27日)」――
安名誉教授「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している。
(韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対して)朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」――
後段の発言は、軍が直接関わっていたものの、女性たちが慰安所を自由に出入りしていた様子を窺うことができ、そのような一定の自由な行動から判断したのだろうか。
二つ疑問がある。1945年11月作成米軍調査報告書の1942年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録だが、慰安婦703人に対し慰安所業者約90人という人数は何を意味するのだろうか。慰安婦7.8人に対して業者1人の割当てとなる。
それとも慰安婦703人に無関係な業者も含まれていたのだろうか。含まれていたとしても、業者約90人は多過ぎる。彼女たちの行く先が幾つかに分かれていたとしても、業者との割合はそれ程変わらないはずだ。
考えることのできる事実は、野営地内に慰安所を設けるわけにはいかないから、行く先々で野営地外の民家を借りて、7、8人ずつ住まわせて商売を行う方法を前提としていたために7、8人ずつ管理する必要上、それなりに業者の数が増えることになったのか、あるいは大きな建物を借りて多人数を住まわせる方法であったとしても、業者が割合に応じて決まった女性を監視するために業者の数も多く必要としたのか、いずれなのだろうか。
もう一つの疑問は、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになった」事実である。
彼女たちは釜山港から出発した。韓国のいずれかの地から募集されたのだろう。あるいは日本人女性が韓国に渡って、韓国で募集を受けたという例もあるかも知れないが、そのことを省くとしたら、夫婦生活のために韓国に戻ったことになる。
ところが兵站の命令で、夫婦生活を断ち切り、ビルマかシンガポールの慰安所に戻った。
兵站とは「戦場の後方にあって、作戦に必要な物資の補給や整備・連絡等に当たる機関」(『大辞林』三省堂)だから、兵站にしても、ビルマかシンガポールに設営されていたはずだ。
兵站の命令が例え業者を介した電報等を使った実施であったとしても、あくまでも軍の命令であることに変わりはなく、春代と弘子がもし断れば、韓国の日本軍か警察が直接的にか、あるいは業者を使って間接的にか動くことは十分に理解していただろうから、韓国がビルマやシンガポールと離れていても、その距離を無効としてその命令は断るという選択肢のない厳しさで機能していたことを意味する。
だからこそ、夫という特定の男性との性生活よりも日本軍兵士という不特定多数の男性との性生活を優先することができたはずだ。
勿論、夫との性生活では金銭的収入は見込めないが、日本軍兵士との性生活では一般的な職業を遥かに上回る収入を得ることができることからの、兵站の命令をキッカケとした選択肢であると考えるこもができるが、だとしたら、なぜ夫婦生活のために一旦慰安所を出ることをしたのだろうか。
前者がカネにならないことと後者がカネになることは最初から分かっていたことである。あくまでも兵站の命令が決定権を握っていた出戻りであるはずだ。
当然、女性の所在を把握できる限り、女性側の選択肢を許さない、少なくとも暗黙の形で軍の監視と強制が機能していたことをも意味することになる。
例えそれが暗黙の性格のものであっても、韓国に於いては植民支配者である以上、巨大な力を有していたはずだ。
そうであるなら、日記からは慰安所の女性が映画鑑賞に出かけるなど一見自由な生活を送っているように見えても、慰安所に於いても韓国に於ける日本軍の支配者としての性格に対する記憶から、あるいは業者や通ってくる日本軍将校や兵士を通して軍の暗黙の監視と強制の力学が常に働いていたと考えなければならない。
安名誉教授は慰安婦募集に関して、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」と強制連行を否定しているが、日本軍の監視と強制の力学が業者を介した慰安婦募集に限った場合は、その暗黙の力が働いていなかったと保証することができるのだろうか。
安名誉教授の判断を事実とすると、戦前の日本の大企業が朝鮮人労務者を募集して日本に送り込む場合も「朝鮮では募集を企業、もしくは企業に委託された業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」ということになる。
以前ブログに利用したが、次の記事が少なくとも軍の暗黙の監視と強制が働いた強制連行を取り上げている。
《朝鮮人 強制連行示す公文書 外務省外交史料館「目に余るものある」》(朝日新聞/1998年2月28日)
朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられた内務省嘱託員の1944年7月31日付で内務省管理局に報告した「復命書」を含む旧内務省の公文書を水野直樹・京都大学助教授が外務省外交史料館で発見したという。
復命書「(動員された朝鮮人の家庭について)実に惨憺(さんたん)たる目に余るものがあるといっても過言ではない。
(動員の方法に関して)夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例が多くなる。
朝鮮人の民情に悪影響を及ぼし家計収入がなくなる家が続出。
(留守家族に突然の死因不明の死亡電報が来て)家庭に対して言う言葉を知らないほど気の毒な状態」(下線部分は解説文を会話体に直した。)
もし企業の募集担当者、あるいは企業に委託された業者が軍や警察の力を借りずに単独で、「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪・拉致」を労務者募集の方法としていたなら、警察に訴えさえしたら、取り締まって貰えることができるはずだ。
警察制度は末端の巡査を現地朝鮮人を使い、日本国内と同様に整備されていた。整備されていなければ、植民地経営は成り立ち困難となる。警察機構が持つ住民に身近に接し、その活動を直接的に規制できる機能がよりよく住民の活動を制御可能とすることができるからだ。
つまり、「夜襲、誘出」、「人質的掠奪・拉致」が横行していたということは警察が取り締まらず、労務者募集に際しては無法地帯と化していたことを示す。
日本による植民地韓国支配の土台は日本軍である。軍の威圧――監視と強制がなければ、警察機構が自らが持つ武器能力から言って、いくら武力を用いても、韓国民を制圧できなかったろう。
韓国人側から言うと、企業担当者や業者単独の、「夜襲、誘出」、「人質的掠奪・拉致」であったとしても、その背後に取り締まらない警察が控え、さらにその背後に日本軍が控えている、それらに対する恐怖心から最終的に「夜襲、誘出」、「人質的掠奪・拉致」に応じる構造にあったことになる。
いわば安名誉教授が従軍慰安婦募集に関して言っているように、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」としても、日本軍や警察の間接的強制力――監視と強制は全面否定できないことになる。
春代、弘子が夫婦生活をするために一旦慰安所を出ながら、兵站の命令で再び旅慰安所に戻った日本軍との関係力学は、労務者募集で「夜襲、誘出」、「人質的掠奪・拉致」を受けた朝鮮人労務者の、企業担当者や業者が背後に置いていた日本軍や警察との関係力学と本質のところで相関関係にあると言える。
要するに一つの日記を根拠に従軍慰安婦の強制連行はなかったと結論づけることはできないということである。
また、強制連行を裏付ける文書が存在しないことを以って、強制連行を否定することもできないことになる。
昨日のブログで、「国家を問題にしないと、また国家に騙される」という言葉を入れるべきだなとあとから気づいて、この言葉を使うために題名にして今日のブログを書くことにしようと決めていたところ、戦没者追悼式、その他で話す戦没者追悼の言葉が、戦争が国家行為でありながら、その国家、戦前の日本国家を問題とせずに、戦争の個人化に努めている言葉ばかりであることにも気づいた。
勿論、戦没者追悼だから、戦没者全体のことを話してどこが間違っていると主張するだろうが、戦争が国家行為でありながら、国家を語らずに戦没者のみを語るのは戦争の個人化に他ならないはずだ。
いわば戦争の個人化とは戦争への国家の関わりを抹消して、個人(戦没者)だけの問題とすることを言うことになる。
国家を問題にしないから、戦争の総括・戦争の検証を不要とすることになる。
国家を問題とせず、戦没者の犠牲のみをクローズアップすることによって戦争の個人化は成功する。
要するに戦争の個人化が逆に戦争の国家行為を個人化の背景に限りなく遠ざけることになる。
正義の文脈で戦争の個人化を取り上げた場合、その背景に隠した国家そのものをも正義の文脈に包み込んでいることになる。
戦争に於ける個人が正義で、国家は不正義とすることは二律背反以外の何ものでもない。
いわば安倍晋三たちは個人を正義とすることによって、戦前日本の国家行為たる戦争を正義としている。
安倍晋三自身の言葉から、そのことを証明してみる。
安倍晋三は「国の指導者が参拝し、英霊に尊崇の念を表するのは当然だ。首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と言っていたその信念を裏切り、8月15日の靖国参拝を見送り、自民党の萩生田・総裁特別補佐を通じて、「自民党総裁・安倍晋三」名で私費で玉串料を納めたという。
このことに関して安倍晋三は首相官邸で記者団に答えている。
安倍晋三「本日は、国の来し方を思い、静かに頭を垂れ、み霊を悼み、平安を祈る日だ。国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念の思いを込めて、萩生田総裁特別補佐に玉串を奉てん(奉奠=謹んで供えること)してもらった」(NHK NEWS WEB)
「国の来し方を思い」と言い、「国のために戦い」と言って、「国」という言葉を使っているが、戦争が国家行為であることを捕捉しながら発言している国家への言及ではない。
特に後者は戦没者が戦う動機としていた国家の、その動機づけと動機づけに対する対応の是非・正否を問題としないまま、「尊い命を犠牲にされたご英霊」云々と言葉を続けて、その行為を正義のレベルに置いて、戦没者のみを問題としているのは、結果として戦争の個人化そのものとなる。
いわば戦争の国家行為を兵士個々の尊い命の犠牲行為に変えて、戦争の個人化を果たしている。
当然、安倍晋三は8月15日に行われた全国戦没者追悼式でも、同じ戦争の個人化を演じることになる。
安倍晋三「「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。
いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」――
国家を問題にしているのは、「私たちが享受する平和と、繁栄」云々の戦後の国家であって、戦前の日本国家は一切問題としていない。戦没者の犠牲行為のみを讃えている。
戦没者の犠牲行為に言及しながら、「犠牲」を動機づけた戦争の国家行為に言及しない場合、心のこもった、真に公平無私な戦没者追悼となるだろうか。
安倍晋三以下、懸命に戦争の個人化に務めて、戦争が国家行為であることから目を逸らさせているとしか思えない。
昨日のブログで、戦前の大日本帝国は無能な政治家・官僚によって、大日本帝国軍隊は無能な軍人によって支配されていたと書いた。無能な政治家・官僚・軍人がそれぞれの権力を戦略も戦術も先見性もなく恣意的に行使した。その結果の戦争の結末であり、内外に亘る何百万という犠牲であった。
個人は戦争の国家行為と共に語られるべきであって、戦争の個人化は許されるべきではない。両者は相互反応として存在するからだ。
国家行為である戦争の戦没者追悼を通した個人化は国家を問題にしないことによって可能となる作業であり、国家を問題としない姿勢は国家権力の恣意性をも見逃すことになり、再び国家に騙される動機づけとならない保証はない。
国家の姿を問題とせずに、兵士の「国のために尊い命を捧げた」行為を無条件・無考えに善とし、正義とするなら、命を捧げた対象の国家をも無条件・無考えに善とし、正義と価値づけることになる。
と言うことは、兵士が命を捧げた対象の国家を無条件・無考えに善とし、正義と価値づけるためには兵士の「国のために命を捧げた」行為を無条件・無考えに善とし、正義とすることによって達成可能となる。
また、兵士から命の捧げを受けた国家と国家に命を捧げた兵士を無条件・無考えに善とし、正義とすることによって、戦争総括は拒否されることになる。
国家の実態の暴露は国家を無条件・無考えに善とし、正義と価値づけることを不可能とするからだ。
このことは現在の国家を見てみれば容易に理解できる。
戦前の大日本帝国は無能な政治家・官僚によって、大日本帝国軍隊は無能な軍人によって支配されていた。以下、以前にブログに一部書いたことを、異なる視点も加えて再度取り上げて、その無能を証明してみる。
太平洋戦争開戦時の陸軍参謀総長だった杉山元(げん)について、その有能さについて『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋/2007年4月特別号)の「昭和16年9月5日(金)」の記述に対する半藤一利氏(昭和史研究家・作家)の解説は次のように記している。
「昭和16年9月5日(金)」
「近衛首相4・20-5・15奏上。明日の御前会議を奉請したる様なり。直に御聴許あらせられず。次で内大臣拝謁(5・20-5.27-5・30)内大臣を経、陸海両総長御召あり。首相、両総長、三者揃って拝謁上奏(6・05-6・50)。御聴許。次で6・55、内閣より書類上奏。御裁可を仰ぎたり。」
半藤一利氏解説「改めて書くも情けない事実がある。この日の天皇と陸海両総長との問答である。色々資料にある対話を、一問一答形式にしてみる」
昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」
杉山陸軍参謀総長「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1カ月くらいにて片づくと申したが、4カ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
杉山陸軍参謀総長「支那は奥地が広いものですから」
昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」
半藤一利氏解説「杉山総長はただ頭を垂れたままであったという」――
何という有能さなのだろうか。支那の奥地が広いことは支那に侵略して初めて知った地理的特徴ではなく、最初から把握し、その情報をも参考にして立てた支那支配の、あるいは支那植民地化の戦略であったはずである。
それを後になってから支那の奥地の広さを知ったかのように戦線膠着化の言い訳に使う。
1937年(昭和12年)7月7日の蘆溝橋事件に端を発した支那事変(日中戦争)は結局のところ日本が1945年8月15日のアメリカとの戦争による敗戦に伴って終結することになった。1カ月くらいで片付けるつもりであったのが、その96倍の8年間も手こずって、手こずったままの状況で日本の方が退散することとなった。
大日本帝国軍隊が支那一つに手こずっているいたにも関わらず、国力も軍事力も桁違いに大きなアメリカに「3カ月くらいで片づけるつもりで」1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾奇襲を以って戦争を挑み、「3カ月」が3年8カ月もかかって、それも戦争に勝利したなら、「3カ月」が3年8カ月もかかろうと言い訳も立つが、日本の方が無残にも片付けられた。
杉山陸軍参謀総長のこの有能さを以ってのことなのだろう、二人しか存在しないうちの一人として、陸軍大臣、参謀総長、教育総監(日本陸軍の教育を掌る役職)の陸軍三長官を全て経験した上で元帥という最高峰を極めたというのだから、最高峰中の最高峰だったわけで、杉山なる軍人に最高峰中の最高峰を許した最高峰以下の日本の軍人の有能さは押して知ることができることになる。
1940年(昭和15年)9月30日付施行の勅令第648号(総力戦研究所官制)により開設された内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が模擬内閣を結成、1941年(昭和16年)7月12日、開戦した場合の日米戦争勝敗の第1回総力戦机上演習(シミュレーション)を命ぜられた。
模擬内閣は7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や輸送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。
研究発表は1941年8月27・28日の両日、首相官邸に於いて当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。
総力戦机上演習の結論「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」(Wikipedia)
東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考へているようなな物では無いのであります。
日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思はなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」(同Wikipedia)――
国力や軍事力、戦術等の彼我の力の差を計算に入れた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法)を武器とするのではなく、それらを無視して、最初から「意外裡」(=計算外の要素)に頼って、それを武器にしてアメリカに戦争を挑もうというのだから、東条英機のその有能さはさすがである。
要するに猪突猛進の体当たりしか手はなかったということなのだろう。体当たりにしても、どの程度通用するかシミュレーションしなければならないが、それすらせずに「意外裡」(=計算外の要素)だけを頼りにぶっつかっていった。
だからこそ、〈国民総生産は約1千億ドルと10倍以上。総合的国力は約20倍の格差があったと推定されている〉(MSN産経)アメリカに対して「南洋方面だけで3カ月くらいで片づけるつもりであります」と大胆不敵な歴史への舵を切ることができたのだろう。
東条英機はをA級戦犯となって処刑された。東条英機も含めて無能な政治家・軍人として列席していたA級戦犯たちを一国主義的に無罪放免し、国内法では犯罪人ではなくなったと靖国神社に祀っている、現代社会に於けるこの歴史認識上の倒錯は底なしである。
対米英開戦の決定を下した東条英機を首相に据えたイキサツも日本の政治家・官僚の有能さを示す。
昭和16年10月17日、昭和天皇より東条英樹陸軍大臣に組閣の大命が下された。木戸内大臣の推薦を昭和天皇が受け入れたのである。
『東久邇日記』(半藤氏解説による)「東条は日米開戦論者である。このことは陛下も知っているのに、木戸がなぜ開戦論者の東条を後継内閣の首相に推薦し、天皇がなぜ御採用になったのか、その理由がわからない」
半藤一利解説「木戸内大臣の狙いは、忠誠一途の陸軍の代表者に責任を持たせることによって、陸軍の開戦論者を逆に押さえこむという苦肉の策であったという。天皇も、木戸の意図を聞いて、それを採用し、『虎穴に入らずんば虎児を得ずだね』と感想をもらした」――
だが、諸々の戦略に立って戦争を遂行するのではなく、「意外裡」(=計算外の要素)を武器に戦争を想定する日米開戦論者の東条をして見事に日米開戦論者の役目を果たさしめ、勝てない戦争に突入させることとなった木戸等の政治家の有能さは見事である。
軍人の無能に政治家の無能が響き合ったのである。その歴史の瞬間であり、当然、無能と無能が響き合った歴史は破局の瞬間にまで響き合うことになる。
昭和19年以降、硫黄島の戦闘に備えて全島を地下壕で厳重に要塞化した上、2万人もの兵士を送り込み、昭和20年2月16日に開戦した硫黄島の戦いはアメリカ側が精鋭の海兵隊6万人を送り込んで5カ日間で占領できると踏んでいた計算に反して日本軍は1カ月以上激しく抵抗、1945年3月26日、生き残った者全員が玉砕を以って終結した。
だが、2月16日開戦に10日遡る20年2月6日、大本営は『陸海軍中央協定研究・案』を策定、「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決めていた。
「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」とは、大本営が一つの戦いに戦わないうちから太刀打ちできないと意志したことを意味する。
また捕虜となることを許していなかったのだから、「敵手に委ねる」とはほぼ全員の玉砕を想定したことになる。
大本営という作戦部署が硫黄島の敗戦を予測した時点で、日本軍は打つ手を――戦術・戦略のすべてを失ったことを認めなければならなかったはずだ。「敵手に委ねる」のは何も硫黄島が初めてではなく、サイパン島でもガダルカナル島でも、ミッドウエー海戦でも、さらにその他で「敵手に委ね」てきた。そして硫黄島の次に沖縄戦でも多くの犠牲を代償に「敵手に委ねる」こととなった。
打つ手を失ったにも関わらず、人員と武器を投入して、消耗だけが残る、あるいは消耗だけを成果とすることになる体当りしては「敵手に委ねる」戦いを継続していった。
本土決戦をした場合でも、双方の犠牲を上積みするだけで、同じ繰返しを宿命としたはずだ。
日本軍人の戦争を戦う合理的精神はこの程度だったのだから、その有能性は自ずと知れることになる。
戦争継続の中身、本土決戦を叫んでいた中身は戦術・戦略上の合理的な戦いの方法を全く欠いた、欠いているがゆえに虚勢に過ぎなかった。
戦前の大日本帝国が無能な政治家・官僚によって支配され、大日本帝国軍隊が無能な軍人によって支配されていたのだから、当然の姿だったはずだ。
2012年8月15日放送のNHKスペシャル《終戦 なぜもっと早く決められなかったの》では、録音テープで残されている軍人や政治家、官僚の戦後の生の証言を聞くことができる。
ソ連が参戦し、1945年8月9日満州に侵攻した。
木戸幸一内大臣「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。
もうむしろ天佑だな」
曽祢益(そね えき)外務省政務局第一課長「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」――
自分たちの手で戦争終結という結末――尻拭いを獲ち取ることげできずに第三者が仕掛けた原因を受けた結果論を以ってして「天佑」と言い、「不幸中の幸い」と言う精神の有能性は如何ともし難い。
「天佑」、あるいは「不幸中の幸い」と言う以上は、ソ連の満州侵攻によって日本軍戦死者数が約8万人、日本人民間人死者が推定で19万人近く、シベリア抑留者57万人以上、うち5万3千人が死亡という国民の「不幸」を問題外とした、少なくとも過小視した国家体制の行く末だけを考えた「天佑」あるいは「幸い」と定めていることになるが、国民への想像性を欠いたこの程度の政治家・官僚が支配層の一員を占めることができたのは周囲が同じ穴のムジナだったからこそ可能となった一員であったはずだ。
ポツダム宣言受諾要請を無視し、広島・長崎への原発投下を招いた政治家・軍人の有能性はもはや何を言っても始まらない。
安東義良外務省政務局長「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ったってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。
終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。
言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――
「降伏」を「終戦」と言葉を変えることで戦前の日本国家の実態をゴマ化し、ウヤムヤにするマジックを施したこの狡猾な有能性は最悪であり、醜悪ですらある。
また、「降伏」を「終戦」と言葉を変えることで政治家・官僚・軍人の無能を隠したのである。
かくこのように戦前の大日本帝国は無能な政治家・官僚によって、大日本帝国軍隊は無能な軍人によって支配されていた。
にも関わらず、靖国神社に祀られている戦死者の「国のために尊い命を捧げた」行為を無条件・無考えに善とし、正義とすることで、無能な政治家・官僚、無能な軍人によって支配されていた命を捧げた対象の戦前の日本国家まで無条件・無考えに善とし、正義と価値づけている。
国家の姿を問題とし、検証することによって、政治家・官僚・軍人の無能性は排除可能となり、再び戦前の日本を繰返さない、国家に対する危機管理上の予防措置となり得るはずだが、そうしない歴史の壮大なマジックが安倍晋三等によって着々と進められている。
大畠民主党幹事長が8月11日、豪雨被害視察先の盛岡市で、夏休み入り8月10日初日早々にゴルフを楽しんだ安倍晋三を批判している。《大畠氏、首相のゴルフを批判 豪雨被害視察で》(TOKYO Web/2013年8月11日 17時21分)
大畠民主党幹事長「大規模水害で犠牲者が出ている中、笑顔でゴルフに興ずる首相の神経は全く理解できない。
(安倍晋三が約10日間の夏休みに入っていることに)被災された人々は休みどころでない。首相も国民と共にあってほしい」――
続いて海江田民主党代表が安倍晋三のゴルフを批判した。
《政府 秋田と岩手に調査団派遣》(NHK NEWS WEB/2013年8月12日 23時38分)
記事は秋田県と岩手県を襲った8月9日の豪雨雨量は平年の1カ月分を上回る記録的な大雨となり、秋田県仙北市で発生した土石流では4人が死亡、1人行方不明の被害を出していることを受けて、政府は被害状況把握のために8月13日に調査団を派遣することを決めたと伝えている。
8月9日の豪雨被害から3日目の8月12日調査団派遣決定であり、4日目8月13日の現地入りということになる。
同記事は記事末尾で海江田民主党代表の安倍晋三ゴルフ批判の党本部での8月12日の発言を伝えている。
海江田民主党代表「被害が出た自治体では、亡くなったり、行方が分からない人がいる。安倍総理大臣には、ゴルフをするなとは言わないが、タイミングがあると思う。政府が現地に調査団を派遣するのが明日になるというのは遅すぎるし、危機意識が全くない」――
8月11日大畠民主党幹事長、8月12日海江田民主党代表というふうに安倍ゴルフ批判で両者揃い踏みしたことになる。
「安倍総理大臣には、ゴルフをするなとは言わないが」と半ば譲歩しているようなことを言っているが、なぜ、「ゴルフをしている場合だろうか」と糾弾する語調になれなかったのだろうか。糾弾語調になって初めて、最後の「危機意識が全くない」という批判をより強めることができる。
「ゴルフをしている場合だろうか。タイミングがあったはずだ。タイミングを見ることができなかったとしか言い様がない」・・・・・
考え方、話し方がまとも過ぎるから、面白みが出てこない。
記事が紹介している8月雨量で平年の1カ月分を上回る記録的な大雨とは、秋田県の場合、局地的に100ミリを超える猛烈な雨が降り、半日の雨量が平年の8月1カ月分の2倍近い大雨だったというから、気象庁の「秋田県ではこれまでに経験したことのないような大雨になっている」(NHK NEWS WEB)という情報発信が実況中継でも聞くような危機的な現実味を持つことになる。
安倍晋三は山口県で1人死亡、2人行方不明、島根県で1人行方不明の7月28日の局地的豪雨に見舞われた両県の被害状況を視察するために、1週間後の8月4日午前島根県の被災地を、8月4日午後山口県の被災地を訪れている。
島根県では小林淳一島根県副知事らと会い、災害復旧事業で国の補助率を引き上げる激甚災害の指定に関し「作業を加速化させるよう指示した」と発言している(スポーツ報知)。
この3日前の8月1日の記者会見で菅義偉官房長官は激甚災害指定を検討する考えを示したという(同スポーツ報知)。
山口・島根両県に対する被害把握のための政府調査団派遣は7月28日豪雨翌日の7月29日という素早い対応で、同夜、山口県入りしている(FNN)。
すべてが抜け落ちのない、素早い危機管理で回っている。
そして安倍晋三自身は8月10日から夏休みに入り、8月10日夏休み入りの初日に山梨県鳴沢村の別荘近くのゴルフ場でゴルフに打ち興じている。
山口が選挙の地元ということもあるだろうが、個人的な意味合いよりも一国のリーダとしての立場からの真に県民の生命・財産及び県の被害を考えての視察であったなら、山口・島根の被害を遥かに上回る秋田・岩手豪雨被害に対しても(豪雨は山形県や福島県にも及んで、かなりの被害を出しているが)、同じ対応を取らなければ、国民の生命・財産及び国土を守る危機管理の点からも、一国のリーダーとしての公平性を欠くことになるはずだ。
だが、8月9日には気象庁が秋田や岩手、山形、その他の県の河川氾濫の警戒、土砂災害の危険を呼びかけ、テレビ・新聞が河川の刻々と増水していく情景や住民避難の様子、土砂災害発生の状況を順次伝え、翌日の8月10日も引き続いて公民館や学校体育館に避難した住民の様子や、濁流に流された樹木や乗用車の無残な姿、道路寸断の状況等を伝えているにも関わらず、同じ日の8月10日から夏休みを取り、その初日早々の8月10日に「ゴルフをしている場合」ではないにも関わらず、待ってましたとばかりにゴルフのプレーに取りかかった。
東北の豪雨被害が目に入らないかのような、この緊張感のない、緩み切った危機管理の姿は何を意味するのだろう。
目に入っていなかったのは山口・島根の被害状況把握の政府調査団派遣が7月28日豪雨翌日の7月29日という素早い対応と比較した、岩手・秋田両県に対する政府調査団派遣が8月9日の豪雨被害から3日目の8月12日調査団派遣決定であり、現地入り自体は4日目の翌日8月13日という日数の開きが証明している。
この間の8月11日に大畠民主党幹事長が被害地の盛岡市を視察、安倍晋三の東北の被害を脇に置いた他愛(たわい)のないゴルフ三昧を批判し、翌日の8月12日には海江田民主党代表が同じように安倍晋三のゴルフを批判している。
批判されて、慌てて対応したと見られても仕方がないだろう。
安倍晋三のこの山口・島根の被害に対する危機管理と比較した岩手・秋田等の被害に対する危機管理の公平性を欠いた差別を読み解くとしたら、山口・島根の被害に対する危機管理が一国のリーダーとしての本心から出た、ホンモノの危機管理ではなかったという答しか見い出すことができない。
もしホンモノであったなら、ホンモノに他を異なる扱いとする差別は存在しないはずだから、岩手・秋田等の被害に対する危機管理は山口・島根の被害に対する危機管理と同様の抜け落ちのない、素早い対応となって現れていたはずだ。
ホンモノであったなら、少なくとも8月9日の岩手・秋田等の豪雨被害の甚大な進行を情報把握し、進行に応じて8月9日のうちに政府調査団の派遣の必要か否かの検討を菅官房長官に指示していなければならなかった。
指示していたなら、テレビが伝える豪雨情報や官邸からの連絡に時間を取られることになり、「ゴルフをしている場合」ではない状況に見舞われていかもしれないし、山口・島根の被害状況把握のための政府調査団派遣を豪雨翌日可能とすることができたように岩手・秋田の場合も同様の素早い対応を可能とすることができたはずだ。
安倍晋三の8月4日の島根県・山口県被災地視察がホンモノでないとしたら、視察しないまま被害を他処に8月10日から夏休み入りし、ゴルフに耽ることが国民の生命・財産を預かる身として格好がつかないことから、夏休みとゴルフを正当化するための通過儀礼だった視察の疑いが生じる。
豪雨被害が出たために、誰からも批判を受けずに、ああ、これで安心して夏休みに入り、ゴルフに耽ることができるという状況に持っていくにはその前に片付けておかなければならない障害として立ちはだかったことからの、その程度の視察だったというわけである。
後はゴルフに専念するだけとなったために秋田・岩手等の東北の豪雨被害に目を向けることができなかった。
このように経緯を考えなければ、全ての辻褄が合わなくなる。
学校が教師と児童・生徒によって構成される集団社会であるのは断るまでもないことだが、果たして児童・生徒は学校が集団社会であり、自分たち一人ひとりが構成員だという認識をどれ程に把握しているのだろうか。
教師はそのことを教えているかもしれない。例え知識として持っていても、自ら肌で感じて、そのことを日々の学校生活を送っていく中でそれを無意識下に置いているのだろうか。
学校が集団社会であるということは児童・生徒は集団生活の場に立たされているということであり、そこでは常に学校に特有の集団生活の人間関係力学が働いていて、誰もがその関係力学に影響を受けて行動することになるが、そういったことをどれ程に認識しているのだろうか。
特に集団生活の人間関係は仲間のそれぞれの行動意識によって決まってくる。当然、仲間が違えば、集団生活の人間関係力学も異なる働き方をし、微妙に異なる人間関係を形成することになる。
このような学校社会に於ける集団生活上の人間関係力学を受けて形成されることになる児童・生徒それぞれの人間関係に対する校則の影響はどれ程のものだろうか。
校則は一般的には学校が決め、児童・生徒がそれに従う学校単位の一律性を性格としている。生徒が参加して決めた場合でも、学校全体の規則という形式を取る。
この校則が持つ学校全体を一つの単位とした一律性が各学年の各クラスの児童・生徒のそれぞれの行動意識を規制するとしても、仲間が違えば、集団生活上の人間関係力学も異なる働き方をし、微妙に異なる人間関係を形成することになる各学年の各クラスそれぞれの人間関係により柔軟に且つ的確に対応して児童・生徒それぞれの規律性(=仲間としての行動意識)に適うことができるのだろうか。
例えば国の憲法やその他の法律は日本全体を一つの単位として一律的に日本国民の行動・規範等を規制する役目を担っているが、一律性では規制し切れない各地域毎の、広い意味での生活の特徴に対応するために都道府県単位で各自治体が自治体ごとに条例を制定して自治体住民の生活の規制が必要となっているように、あるいは自治体の最小単位である市町村も都道府県単位の条例による規制では漏れる部分を市町村ごとの条例を制定して市町村住民の生活を規制することになっているように、校則という学校全体を一つの単位とした規則を児童・生徒全体に当てはめるよりも、各学年の各クラスごとにクラスの集団生活をより健全に維持する方向のクラスの児童・生徒の行動を規制するルールを設けて、各クラス毎の集団生活上の人間関係、あるいはその力学に対応した方がより的確にクラス単位の集団生活の秩序維持に適合するのではないだろうか。
いわば各クラス毎にルールを設けることによって各クラスの児童・生徒それぞれの行動意識に直接働きかけることになり、少なくとも校則以上に、あるいは校則よりも身近にルールというものを意識させることに役立つはずだ。
最も直接的な働きかけは集団生活上のルールを各クラスの児童・生徒が決めることに優る方法はないはずだ。
ルールは当然、罰則を伴う。各クラス毎にクラスの児童・生徒それぞれの行動意識に対応した集団生活上のルールを彼らに議論させて決めさせ、自分たちで守り、守ることができなかった場合は、自分たちで決めた罰則に従う。あるいは罰則を課す
このようなルール決定の構造はルールに対して主体的に向き合う姿勢の育みにもつながっていく。
自分たちでルールを決めて、自分たちで守る。そのことによってクラスの秩序を守ることができる。ルールを破る者が多発してクラスの秩序を守れなくなったとき、クラスのルール作りの力、罰則の適用の力が試されることになる。
教師はこのことに留意しなければならない。
どう転んだとしても、クラスが集団生活の場であること、一人ひとりが集団生活者であることをより認識することに役立つはずだ。
学校はもとより、クラスが集団生活の場であること、一人ひとりが集団生活者であることを主体的に認識できるようになれば、イジメの防止にも役立っていくだろう。
当然、そのように認識させるためには小学校1年の時から、クラスの集団生活上の行動ルールは児童が決めるという教育方法を取るべきだろう。
担任の手助けでルールがより完璧に出来上がったとしても、守ることに不完全で、例え守ることのできないルールとなったとしても、守ることによってルールをルールとして確立しなければならない力が自ずと働くことになって、小学校1年の時からそのことを経験していたなら、ルール確立の意識は年令と共に積み重ねられていってクラスの主流を占めていくことも可能で、主体的な規範意識の育みにも連動していくはずだ。
2013年3月12日衆院予算委員会。
下村博文「道徳教育をすることによっていじめ教育につながるというふうに我々は思っておりまして、つまり、道徳をすることによって逆にいじめがふえるということではなくて、道徳というのは、人が人としてつき合う、社会としての規範意識、ルール、人間関係ですね、これは、国境を越えて、それから歴史を超えて、やはり人が生きるための基本的なルールというのを子供たちにきちっと教える必要があると思うんですね。
これを学ぶことによって、逆に、人に対するいじめはやめようとか、あるいは、もしいじめられている子供がいたら助けてあげようとか、こういうことにもなってくることであって、逆に、いじめを少しでもなくしていくために、そういう道徳をきちっと教えるということは必要なことであるというふうに考えております」――
このように言っているだけでは、規範意識は育たない。
戦前の道徳教育である、忠君愛国や忠孝を植えつけた「修身」は大日本帝国軍隊の古参兵による陰湿。過酷な新兵イジメの防止に役立ったのだろうか。外国軍捕虜に対する虐待やリンチ、虐殺に役立ったろうか。
否である。
兵士としてお国の役に立たないからと差別した障害者イジメの防止に役立ったろうか。
否である。
都会の子が米軍の空襲を逃れるために疎開した田舎で土地の子から受けたイジメの防止に役立ったろうか。
否である。
道徳教育の教科化に熱心な安倍晋三と下村博文文科相主導の《いじめ防止対策推進法》が2013年6月28日公布された。施行は公布の日から起算して3カ月を経過した日からとされている。
効果は如何に。
《いじめ防止対策推進法案の根本的な問題を考える》(PHP研究所研究員コラム 亀田徹/2013年6月21日 19:30)には、法案の内容は従来から文科省が通知で示し、指導してきた内容とほぼ同じであり、法律の制定によって効果的な取組が推進されることは期待できないと法律の効果に否定的な見解が述べられている。
この指摘通りだとすると、文科省はイジメがなくならない、イジメを受けて自殺する最悪のケースも跡を絶たないといった学校のイジメを防止するためにイジメ対策としてこれまで出してきた通知・通達の類いを纏めて、少しは新たに加えた箇所もあるだろうが、法律を新たに作ったことになる。
当然、その効果はイジメの現実を変えるに限界を抱えることになる。
法文を読んでみて感じたことは、対処療法に向けた努力を示していて、原因療法へ向けた努力ではないということである。「学校におけるいじめの防止」として第15条は「学校の設置者及びその設置する学校は、児童等の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人交流の能力の素地を養うことがいじめの防止に資することを踏まえ、全ての教育活動を通じた道徳教育及び体験活動等の充実を図らなければならない」と、一見原因療法へ向けた努力の要請に見えるが、学校社会に限って言うと、なぜ子どもは人をイジメるのかという本質的な問題を補足して、その病理自体に治療を施す原因療法としての「道徳教育及び体験活動等」による狙い撃ちというわけではないし、そもそもからして「道徳教育及び体験活動等」が必ず「児童等の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人交流の能力の素地を養う」という保証があって初めて原因療法ともなり得るが、「養う」保証がないことはこれまでの道徳教育を無効とするイジメの多発が証明しているはずで、このこと自体が原因療法へ向けた努力の無効と、結果として対処療法に向けた努力が前面に出ていることの原因を成しているように思える。
また、「道徳教育及び体験活動等」のススメは何も今回の《いじめ防止対策推進法》が初めて掲げるわけではなく、1958年の学習指導要領から道徳教育を義務付けていて、小学校と中学校の学習指導要領共に道徳教育の目標を「学校の教育活動全体を通じて、道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする」とし、小学校の道徳教育の内容は、「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行う」、その他盛りだくさんに掲げて道徳的にも倫理的にも理想の小学生像を最終目標地点とし、中学校の道徳教育の内容は、「自律の精神を重んじ、自主的に考え、誠実に実行してその結果に責任をもつ」等、これもまたその他盛りだくさんに盛りつけて、同じく道徳的にも倫理的にも理想の中学生像を目標地点としているが、イジメの多発が証明することになる理想の小中学生像とは正反対の多くの児童・生徒の存在と、多発を許している周囲の児童・生徒の存在が証明することになる、これまた理想の小中学生像とは程遠い児童・生徒の存在にこそ道徳教育は必要としているはずだから、学習指導要領が掲げている道徳教育は無効となっていることの突きつけでしかない。
さらにイジメを隠したり、見逃したり、責任逃れしたりする少なくない校長・教師の存在は校長・教師自体に児童・生徒に対する道徳教育を施す資格のないことの証明でしかないのだから、学習指導要領に何をどう掲げようとも、その効果は限界の上に限界を抱えていることになる。
《いじめ防止対策推進法》がイジメ防止として採用している「体験活動」にしても、既に学習要領に掲げている項目であり、小学校の場合は、「集団宿泊活動やボランティア活動、自然体験活動などの体験活動を生かすなど、児童の発達の段階や特性等を考慮した創意工夫ある指導を行うこと」と規定し、中学校の場合は、「職場体験活動やボランティア活動、自然体験活動などの体験活動を生かすなど、生徒の発達の段階や特性等を考慮した創意工夫ある指導を行うこと」と規定して、既に実践を積み重ねている教育であるはずだが、イジメを行う児童・生徒には役に立っていなく、イジメが増えているということは改めて《いじめ防止対策推進法》に「体験活動」を掲げようとも、効果は知れることになる。
要するに亀田徹PHP研究所研究員が指摘している、従来から文科省が通知・通達し、指導してきた教育行政がイジメの多発抑止に役立っていないにも関わらず、そのような通知・通達、指導をほぼそのとおりに反映させなぞったイジメ法案の内容という関係にあることからの法律の効果の疑わしさは学習指導要領に掲げた道徳教育及び体験活動等がイジメの多発抑止に役立っていないにも関わらず、それらを反映させたイジメ法案の道徳教育及び体験活動等という関係にあることから指摘せざるを得ない法律の効果の疑わしさは二重の関連性を持って効果の疑問を増幅させるはずだ。
道徳教育の教科化に熱心な安倍晋三と下村博文が主導した《いじめ防止対策推進法》が彼らの好みの道徳教育を以てしてもイジメを抑止できなかったとしたら、まさに逆説そのものである。
《いじめ防止対策推進法》が対処療法に向けた努力で終わっていて、なぜ子どもは人をイジメるのかという本質的な問題を補足して、その病理自体に治療を施す原因療法へ向けた努力とはなっていないと指摘したが、本人は気づいていないとしても、イジメは行う側からしたら立派な自己可能性の追求であり、自己実現の一つの形である。勿論、歪んだ権利主張でしかないが、イジメが自己可能性の追求であり、自己実現の一つの形であることを児童・生徒全体に知らしめる教育及び体験活動でなければならないということである。
イジメという自己可能性の追求、自己実現が発生する原因は一般的には学校社会が承認するテストの成績とか部活の能力、その他の可能性から排除された児童・生徒に残された自己可能性の追求、自己実現の一つであって、それに成功したとき、イジメは相手の人格や感情を支配する権力行為でもあるから、支配の快感を伴うことになって、大きな自己活躍に映り、習慣になりやすく、その習慣性と自己活躍の拡大欲求が相まってイジメは往々にしてエスカレートし、陰湿性を増すことになる。
イジメに依存した自己可能性の追求による自己実現(=自己活躍)の完成である。
《いじめ防止対策推進法》にはこのようなイジメ発生の根本的原理に立った抑止の視点からの道徳教育でなくても、何らかの教育の必要性、あるいは教師と児童・生徒との間の対話・議論の必要性の訴えがない。
訴えがあって初めて、対症療法から抜け出て、原因療法への入り口に立つことができるはずだ。
勿論、イジメが歪んだ自己可能性の追求であり、歪んだ自己実現(=自己活躍)でしかないと教育し、相手の理解を得るためには学校社会が承認する自己可能性の追求機会をテストの成績とか部活の能力等に限定するのではなく、幅広く認める必要があるし、学校社会が承認する可能性追求の成功がそのまま実社会の可能性追求の成功を保証するわけではないこと、また逆に学校社会が承認する可能性追求に失敗したとしても、実社会の可能性追求に成功する場合もあるという現実を常日頃から伝えることのできる言葉を教師は持たなければならない。
いわば学校社会が承認する可能性への挑戦と実社会が承認する可能性への挑戦とは別物であることの教えである。このことは学校の成績が悪くても、部活の才能に恵まれていなくても、世の中に出て成功する者はいくらでもいるということが何よりの証明となる。
こういった教育こそがイジメ抑止に必要なはずである。