特定秘密保護法は秘密指定した、その秘密を扱うことになる対象者に適性評価を実施する規定となっている。(読み飛ばし可。)
〈第四章 特定秘密の取扱者の制限
第十一条 特定秘密の取扱いの業務は、当該業務を行わせる行政機関の長若しくは当該業務を行わせる適合事業者に当該特定秘密を保有させ、若しくは提供する行政機関の長又は当該業務を行わせる警察本部長が直近に実施した次条第一項又は第十五条第一項の適性評価(第十三条第一項(第十五条第二項において準用する場合を含む。)の規定による通知があった日から五年を経過していないものに限る。)において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者(次条第一項第三号又は第十五条第一項第三号に掲げる者として次条第三項又は第十五条第二項において読み替えて準用する次条第三項の規定による告知があった者を除く。)でなければ、行ってはならない。ただし、次に掲げる者については、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることを要しない。
一 行政機関の長
二 国務大臣(前号に掲げる者を除く。)
三 内閣官房副長官
四 内閣総理大臣補佐官
五 副大臣
六 大臣政務官
七 前各号に掲げるもののほか、職務の特性その他の事情を勘案し、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができるものとして政令で定める者〉――
読んでも素直に頭に入ってこないから、()内を取り除いてみる。
〈第四章 特定秘密の取扱者の制限
第十一条 特定秘密の取扱いの業務は、当該業務を行わせる行政機関の長若しくは当該業務を行わせる適合事業者に当該特定秘密を保有させ、若しくは提供する行政機関の長又は当該業務を行わせる警察本部長が直近に実施した次条第一項又は第十五条第一項の適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者でなければ、行ってはならない。ただし、次に掲げる者については、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることを要しない。
一 行政機関の長
二 国務大臣(前号に掲げる者を除く。)
三 内閣官房副長官
四 内閣総理大臣補佐官
五 副大臣
六 大臣政務官
七 前各号に掲げるもののほか、職務の特性その他の事情を勘案し、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができるものとして政令で定める者〉――
この規定が言わんとしていることはを適性評価を行って、秘密を漏らす恐れがないと認められた者でなければ特定秘密の取扱者とはなれないということであって、たったこれだけのことを、私だけのことかもしれないが、素直には頭に入らないあれこれを盛り込んだ条文となっている。
そして最後に適性評価を受けなくていい対象者として「行政機関の長」以下、「国務大臣」等を挙げているが、事実誤認も甚だしい。挙げた連中が秘密を漏らさない保証はないはずだ。
核弾頭開発計画の情報を収集するスパイとしてアメリカへ入国、FBIのオトリ捜査で逮捕され、本国に強制送還されたロシアの美人スパイが一頃話題にのぼったが、色仕掛けで近づいてきた美人にヤニ下がらない自信のある大人物がどれ程いるだろうか。女の露わな裸の写真を何枚か見せて、脳がどれ程反応するかの適性検査ぐらい受けさせるべきだろう。
では、どのような調査項目が調査の対処となっているか見てみる。(読み飛ばし可。)
〈第五章 適性評価
(行政機関の長による適性評価の実施)
第十二条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価(以下「適性評価」という。)を実施するものとする。
2 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする
一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)
二 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項
三 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項
四 薬物の濫用及び影響に関する事項
五 精神疾患に関する事項
六 飲酒についての節度に関する事項
七 信用状態その他の経済的な状況に関する事項 〉――
「非違」とは、「法律に外れていること、違法」の意味だそうで、「違法」という言葉を使ってよさそうなものだが、やはり難しくしたいのだろう。難しくすれば、法律の価値が上がるとでも思っているのだろうか。
この項目も一度や二度読んだだけではすんなりと頭に入ってこない。不必要な()内を取り除いてみる。
〈〈第五章 適性評価
(行政機関の長による適性評価の実施)
第十二条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価(以下「適性評価」という。)を実施するものとする。
2 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする
一 特定有害活動及びテロリズムとの関係に関する事項
二 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項
三 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項
四 薬物の濫用及び影響に関する事項
五 精神疾患に関する事項
六 飲酒についての節度に関する事項
七 信用状態その他の経済的な状況に関する事項〉――
以上が調査事項であるが、ここに女性に対する警戒心の強弱の項目が抜けていることは国家機密保守に於ける危機管理の最大の事実誤認であろう。酒を飲まされた上に胸元が大きく開いたドレスから豊胸手術した大型のバストの上端膨らみを目の前に近づけて見せられて、生唾をゴクンと呑み込まない男はどれ程いるだろうか。目に焼き付いてしまったとしたら、秘密漏洩のスタート地点となりかねない。
一の〈特定有害活動及びテロリズムとの関係に関する事項〉に関しての調査対象者は次のように細かく規定している。
評価対象者の家族(父母、子及び兄弟姉妹)
(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある配偶者を含む)
配偶者の父母及び子
家族でない同居人
調査項目
各調査対象者の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)と住所
国家機密を扱うのだから、国籍を問うのは当然、調査項目に含まれていたとしても不思議はないが、これが参考のために聞くただの「国籍」ではないことが昨日土曜日の11月9日、TBS『サタデーずばッと』を視聴して分かった。
佐古忠彦司会者「なぜ国籍を調べる項目が入っているのですか」
中谷元元防衛庁長官(自民党議員)「狙われているからですね。と言うのは、エージェントって言いますけど、狙いをつけて、その人の弱点とか弱味とか、また金銭関係とか、そういうのは盾に情報を取ろうとするんですね。
で、まあ、秘密が悪いと言いますけども、一般の企業でも企業秘密ってあるじゃないですか。開発中の製品の情報が漏れたら、その費用がムダになりますけども、どこでもそういう秘密を守らなければということがあるのですね。
で、じゃあ、その秘密をどういう形で守るかというと、やっぱり人なんです。それが適性であるかどうか。あの、車の運転のように(ハンドルを動かすジェスチャーをして)やはり適性というのがないと、あの、事故が起こってしまいますので、そういう項目でチェックをするということです」
なぜ国籍を問うのかとの問に対する合理的な答弁となっていない。だが、国籍を調査事項に含めた理由として、「狙われているから」と言っていることからすると、一定の国を危険視していることになる。当然、国籍が重要となる。
そして「やっぱり人なんです」と言っていることと併せると、正直とか不正直とかの人格や人間性が基準ではなく、国籍を判断基準として適性評価をするという意味となる。
佐古忠彦司会者「想定している国があるのですか。それとも、今、狙われていると言いました。外国は全てダメなのですか。同盟国も入るのですか」
中谷元元防衛庁長官「これは色々と背景があると思いますが、現に日本の防衛装備とか、技術?そういうのを狙っている国があるし、これは世界各国そうなんですね。
軍事の世界では色んな諜報活動とか情報とか取ろうとしますけども、如何に自分の国のそういう軍事製品をレベルアップするかと。で、それを知りますと、それを持っている国の兵器が無用になってしまいますので、これは世界中で行われていることなんです」――
要するに日本の軍事技術を狙っている国の国籍を持った人間を適性評価対象外としていることが分かる。公明党の斉藤鉄夫がこの後、「外国人であれば、全てダメということではありません」と発言したことと符合する。
例え国籍で人間を判断しない日本人であったとしても、特定秘密取扱の失格者が出た場合の万が一を恐れて、責任回避から国籍で判断する無難・無事を選択する右へ倣えの付和雷同の雪崩現象が起きない保証はない。
国の強制を受けた自らの自らに対する強制であり、事実誤認も甚だしい危険な思想となる。
兎に角国が想定している国籍を基準に特定秘密取扱者から排除しておけば、何が起きても起きなくても、自分に責任は回ってこない。
国籍で人間を評価・判断する思想の危険な最大の例はナチスのユダヤ国籍を基準としたユダヤ人に対する排斥・差別であり、虐殺であろう。日本に於いては朝鮮籍と中国籍を基準とした1923(大正12)年9月の関東大震災時に於ける朝鮮人・中国人虐殺を挙げることができる。
現在では「在日特権を許さない市民の会」による在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチ(排斥的憎悪差別発言)が顕著な例となる。
すべての国籍を対象として適性評価するなら、ある意味公平となるが、国が危険と想定した一定の国籍のみを適性評価の対象とした場合、その国籍に所属するすべての人間を危険か危険でないかを基準として一律的に評価・判断することになる。そこでは人格や人間性等、人間的な側面は一切問題としない思想が支配的となる。
同じ思想を特定秘密保護法は掲げている。同じことの繰返しになるが、人間を国籍で判断・評価しろと強制するばかりか、施行された途端、国の強制を受けて、結果的に関わる全ての日本人は責任回避意識から付和雷同の自らに対する強制を行うことになるはずだ。国の言うとおりを守っていれば無難・無事に過ごすことができると。
このような方法に欠陥がないわけではない。国が想定した国籍の人間が例えば友好国籍のアメリカ人を使って諜報活動をさせ、入手した秘密情報を国が想定した国籍の人間がウラで回収する迂回諜報活動も否定できない。
そのような諜報活動の場合、一定の国籍を基準とした特定秘密取扱者の適性評価は事実誤認そのものの無効となる。
特定秘密保護法は特定秘密取扱者の適性評価一つ取っても、欠陥だらけで、事実誤認の危険な思想を孕んでいると断定しないわけにはいかない。
生活の党PR
《11月5日(火)小沢一郎代表定例記者会見》
○『原発事故対応、政府が前面に出て対応すべき』
【質疑要旨】
・山本太郎氏天皇陛下への手紙手交問題、アントニオ猪木氏無断渡航問題について
・特捜による徳田毅事務所家宅捜査について
・特定秘密保護法案について
・国家戦略特別区域法案について
・福島第一原発4号機、核燃料棒取り出し作業について
・国家公務員制度改革法案、内閣人事局について
11月8日午前、参議院本会議は政府が提示した計12機関29人の国会同意人事を与党の賛成多数や全会一致で可決、同意した。
民主党はNHK経営委員会委員の5人の内、再任の1人を除いて新任の4人について安倍晋三に近い人物であり、公共放送の中立性を損なう可能性があるとして反対した。
「時事ドットコム」記事によると、4人とは作家の百田尚樹、埼玉大教授の長谷川三千子、日本たばこ産業(JT)顧問の本田勝彦、海陽学園海陽中等教育学校長中島尚正の面々。
〈「安倍カラー」が鮮明な人選となったことについては、経営委員会がNHK会長の任命権を持つことから、来年1月に任期が切れる会長の人事をにらんだ布石との見方も出ている。〉――
右翼の軍国主義者安倍晋三は記事が伝えているようにNHK会長人事に4人を使って間接的に介入、番組編成に保守的影響を与えようとする意図のもと、人選をしたのだろうか。
多くがご存知のように右翼の安倍晋三はかつてNHKの番組に介入している。いわゆる「NHK番組改変問題」である。殆ど「Wikipedia」を参考にして、その他の情報を使って、この介入について振返ってみる。
《NHK番組改変問題》
2000年12月8日~10日の3日間、VAWW-NETJapan(以下「バウネット」)主催の日本軍の性奴隷制を裁くとした民衆法廷(=模擬法廷)「女性国際戦犯法廷」を開催する。
2000年12月12日、法廷は「天皇裕仁及び日本国を強姦及び性奴隷制度について人道に対する罪で有罪」の判決を言い渡す。
2001年1月30日、NHKがこの裁判を取り上げ、ETV特集シリーズ『戦争をどう裁くか』の第2夜『問われる戦時性暴力』として放送。
2001年7月24日、バウネットは当初の企画通りの放送ではなく、改変されたとして、NHK、NHKエンタープライズ21、ドキュメンタリージャパンの3者を相手取り、「信頼(期待)利益の侵害」「説明義務違反」を問う訴訟を東京地裁に提訴。
《朝日新聞による政治家介入報道》
2005年1月12日、朝日新聞は、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで、経済産業相・中川昭一と内閣官房副長官・安倍晋三からこの番組の編集についてNHK上層部に圧力があったとする報道を行った。
当時の安倍晋三は教科書から「従軍慰安婦」の記述をなくすことを課題に掲げた国会議員の議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」事務局長であった。
右翼の軍国主義者安倍晋三にとって従軍慰安婦について日本国家の罪を問う裁判を取り扱った公共放送であるNHKの番組放送は最大限に不都合な事実であったはずだ。
2005年1月13日、長井暁NHK番組制作局チーフプロデューサー(当時)がNHKのコンプライアンス推進委員会へ「政治介入を受けた」と内部告発。
告発内容。〈安倍・中川が番組内容を知り、「公正中立な立場でするべきだ」と求め、やりとりの中で「出来ないならやめてしまえ」という発言もあった。〉
NHK調査「NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後であることが確認され、さらに安倍氏についても放送の前日ごろに面会していたが、それによって番組の内容が変更されたことはなかった。この番組については内容を公平で公正なものにするために安倍氏に面会する数日前からすでに追加のインタビュー取材をするなど自主的な判断で編集を行なった」
長井暁チーフプロデューサー「NHKトップの海老沢会長がすべてを承知であり、その責任が重大だ」――
「NHK調査」の文脈からして、件(くだん)の番組についての面会となっている。だが、直接的な言葉では面会の目的に一切触れていない。まさか、NHKに遊びにいったわけではあるまい。
番組についての面会である以上、番組内容が変更されなかったとしても、番組に対する与党自民党の有力政治家の立場からの何らかのクレームがあったと見るべきだろう。
他の面会であるなら、面会の目的に触れて、疑いを晴らすはずだ。
また、中川昭一の番組についての面会が「放送の3日後」であったとしても、それを以て政治的圧力はなかったとする証明とはならない。右翼の軍国主義者安倍晋三が「前日ごろに面会」したが、放送そのものが中止にならなかったことを受けて、中川昭一が抗議のために「放送の3日後」に訪れたという推定は決して否定できない。
抗議だけではなく、抗議を通して今後の放送に対する圧力も面会の目的に加えていた可能性を考えることができる。
いずれにしても、NHKが番組についての面会でありながら、面会の目的を言って、政治的圧力を受けて番組を改変したとする疑惑を直接的に晴らそうとしないのは不思議である。
《女性国際戦犯法廷の報道をめぐるNHK裁判》の経緯
2004年3月24日東京地裁判決
〈「番組内容は当初の企画と相当乖離しており取材される側の信頼を侵害した」として、制作会社のドキュメンタリージャパンの責任を認容し、100万円の支払いを命じたが、「放送事業者には、取材素材を自由に編集して番組製作することが保障される」として、NHK・NHKエンタープライズ21への請求は退けたことから、判決を不服としたバウネットが控訴。〉
2007年1月29日東京高裁判決
〈「憲法で保障された編集の権限を濫用し、又は逸脱したもの」「放送番組編集の自由の範囲内のものであると主張することは到底できない」と認定。バウネット「期待権」に対する侵害・「説明義務」違反を認め、NHK、NHKエンタープライズ21、ドキュメンタリージャパンの共同不法行為として3者に200万円の賠償を命じた。NHKは、判決を不服として上告した。
政治家の介入に関しては、「製作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないよう番組を改変した」(2007年1月30日朝日新聞朝刊記事から)として政治家の介入を認める。〉――
要するに番組についての政治家の面会があり、NHKは政治家の面会に於ける発言内容から何らかの圧力を受けて「その意図を忖度し」、「当たり障りのないよう番組を改変した」ことになる。
圧力のないところに「忖度」はない。圧力があって、初めて「忖度」という事態が生じる。
【忖度】「他人の気持を推し量ること。推察」(『大辞林』三省堂)
NHKが政治家の気持を推し量らなければならない程の面会であった。政治家側から言うと、少なくとも結果的にはNHKに政治家の気持を推し量らせる内容の面会となった。
政治介入以外の何ものでもない。多分、NHK側が否定しているために確たる証言を得ることができなかったが、情況証拠は限りなくクロに近いものの、証拠不十分で無罪放免といったところではないだろうか。
情況証拠が限りなくクロに近いことは『週刊フライデー』と『週刊金曜日』の記者を経てフリーとなったジャーナリスト竹内一晴氏の記事――《カットされた4分間の謎 NHK「戦争をどう裁くか」に何が起きた》を読むと、十分に頷くことができる。
2008年6月12日最高裁判決
〈上告審では、最高裁判所第1小法廷(横尾和子裁判長)において高裁判決を破棄し、原告の請求を退ける逆転判決を言い渡した。最高裁は本判決においてバウネットの当番組に対する「期待権」は保護されないとの見解を示し、原告敗訴が確定した。
高裁判決が「NHK幹部が政治家の意図を忖度した」と指摘した政治家の介入について、「最高裁がこの問題をどう判断するかも焦点だったが、争点の判断に必要なかったために判決ではまったく触れられなかった」(産経新聞)としている。〉――
高裁で判決を出した「忖度」に最高裁が全く触れていなかったというのは理解できない。「忖度」は肯定も否定もされずに宙に浮いたことになる。
《政治家の反応》
中川昭一「私と安倍晋三前首相が『事前に番組に圧力をかけた』と朝日新聞で報じられたことが捏造だと確認されたが、(朝日新聞からは)私たちに謝罪はなく名誉は毀損されたままだ。問題はまだ決着していない」
安倍晋三「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており、(政治家介入があったとする)朝日新聞の報道が捏造であったことを再度確認できた」――
最高裁判決は「忖度」に触れていなかったのだから、いわばNHK側の「忖度」の事実を全く否定したわけではなかったのだから、中川昭一がそのことを以って「朝日新聞の報道が捏造だと確認された」とするのは自分に都合のいい飛躍的解釈に過ぎない。
右翼の軍国主義者安倍晋三は「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており」と言っているが、東京高裁が触れたNHK側による政治家の「意図の忖度」に最高裁は「まったく触れられなかった」(産経新聞)のだから、「踏襲」は事実無根であり、当然、最高裁判決にしても高裁共々、「政治的圧力を加えたことを明確に否定した」わけではない。
例え本人がいくら否定しても、番組に関して面会している以上、二人の自己都合解釈の発言は自己正当化のための否定であって、「政治的圧力」という事実の否定とはならない。
右翼の軍国主義者安倍晋三が報道に対する政治的介入の、状況証拠的に限りなくクロに近い前科を抱えているということは日本国憲法が規定している「表現の自由」を厳格に自他の権利としていない思想の持ち主であることの何よりの証明となる。
「表現の自由」を厳格に自他の権利思想としていない右翼の軍国主義者が自身に近い人物を4人も中立公正であるべき報道機関であるNHKの経営委員会委員に据える人事を与党の圧倒的多数の議席を武器に行ったといういうことは、「表現の自由」が何らかの方法で侵される危険性を抱えることを意味する。
その危険性とは、経営委員会がNHK会長の任命権を持つことを利用して、4人の新経営委員を間接的に操縦して自身の保守思想に共鳴する、自身の立場に近い会長を据えて、その会長をも間接的に操縦し、自身の思想「美しい日本」に合致する番組を主体的に編成、特に歴史の面で「美しい日本」を否定すると見ている、例えば日本の戦前の戦争を侵略戦争として扱う番組や、慰安婦を日本軍との関わりで伝える番組等を排除した番組編成に持っていくかもしれない危険性である。
この危険性こそが、右翼の軍国主義者安倍晋三の正体の一つであるはずだ。
生活の党PR
森ゆうこ生活の党前参議院議員 《特定秘密保護法の関連資料》
YMF経済研究会(森ゆうこ事務所) 関熊正文
〒249-0004 神奈川県逗子市沼間2-21-14
電話&FAX 046-871-7789
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11月7日、国家安全保障上、何を秘密とし、国家だけの情報とするか、その秘密指定の恣意的運用と、指定された秘密の「国民の知る権利」保障に対する侵害が懸念されている「特定秘密保護法案」が衆議院本会議で審議入りした。
勿論、右翼の軍国主義者安倍晋三はすべての懸念を否定している。次の記事から、安倍晋三の発言を見てみる。記事は城内実自民党議員に対する安倍晋三の答弁と、渡辺周民主党議員に対する答弁を取り上げているが、後者の発言と答弁は後程触れることにする。
《秘密保護法案審議 首相の発言詳細》(asahi.com/2013年11月7日22時08分)
城内実自民党議員「『国民の知る権利』の保障に対する認識は」
安倍晋三「憲法第21条の保護する『表現の自由』と結びついたものとして十分尊重されるべきものと考える。秘密を保護する必要性と政府がその活動を国民に説明する責務とのバランスを考慮しつつ、本法律案を適用していくことが必要だ」――
「国民の知る権利」が「憲法第21条の保護する『表現の自由』と結びついたもの」と言っていることは、報道機関の報道との関係での言及であろう。
「特定秘密保護法」案は「報道又は取材の自由」に関して次のように規定している。
〈第21条 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。
2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。〉――
だが、「報道又は取材の自由」に対する「十分な配慮」は、この場合、国家権力による「配慮」の文脈での保障となる。いわば、「配慮」の程度は国家権力の一存となる。
対して日本国憲法は第21条で「表現の自由」その他を次のように保障している。
〈第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。〉――
憲法は国家権力に関係しない。政権交代が起き、国家権力の中身が変わろうと、改正されない限り、現在の憲法は現在の憲法としての効力を持つ。
当然、憲法の保障は国家権力に関係しない効力ということになる。
「表現の自由」に関して憲法上は如何なる制限もなくその権利を保障している。
勿論、社会上は無制限に保障されているわけではない。第三者の権利や人権を侵害した場合、裁判によって裁かれる。
いわば社会上、第三者の権利や人権を侵害しない限り、日本国憲法の「表現の自由」に関わる権利保障は社会上、無制限なものとなり得る。当然、そこでは一般社会に於ける通念的な良識をルールとすることになる。
当然、「国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由」=「表現の自由」にしても、第三者の権利や人権を侵害しない限り、日本国憲法は国家権力に関係なしに無制限に保障していることになる。
このことは国家権力の「十分な配慮」を遥かに超えていて、「十分な配慮」は憲法上の無制限の保障に対する国家権力による制限に相当し、このような制限は「特定秘密保護法」案が「国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず」と規定していることに対して矛盾を示すことになる。
更に言うと、国家がいくつかの情報を国家機密として秘密指定する場合、政権トップの思想、政治的立場に応じて指定の対象が常に一致することはあり得ず、異なりを生じることになる。当然、「十分な配慮」も一定のルールに基づかないことになって、そこに否応もなしに国家権力次第の判断の違いが忍び込むことになり、秘密指定の恣意性のみならず、判断の違いがもたらすことになる恣意性が加わることになる。
このことも憲法の保障とは異なる点であろう。
大体が日本国憲法が無制限に保障している「表現の自由」を国家権力が「十分な配慮」という形で制限すること自体が憲法違反に当たるはずだ。
次に渡辺周民主党議員の発言と右翼の軍国主義者安倍晋三の答弁を取り上げる。
渡辺周民主党議員「特定秘密の指定で恣意(しい)性を排除する仕組みは」
安倍晋三「特定秘密は法律の別表の限定列挙された事項に該当するものに限り、大臣など行政機関の長が責任をもって指定する。また、その指定は外部の有識者の意見を反映させた基準に基づいて行われることとするなど、恣意的な指定がないよう重層的な仕組みを設けている」
渡辺周民主党議員「有識者とはどういう方々か」
安倍晋三「安全保障に関する情報保護や情報公開、公文書管理など幅広い分野の専門家から適任者を選任する。選任した有識者は氏名の公表を検討している」(以上)――
この「適任者」は最終任命権者が安倍晋三である以上、安倍晋三以下、安倍政権に都合がいい「適任者」であって、都合が悪い「適任者」であるはずはない。当然、有識者を介した安倍晋三に都合のいい秘密指定の懸念と恣意性が浮上することになる。
都合のいい「適任者」の例として、政府の憲法解釈などを示す内閣法制局長官に集団的自衛権行使を容認する外務官僚の小松一郎を任命させたことを挙げることができる。
この人事は集団的自衛権行使を憲法解釈で容認へと持っていこうとしている右翼の軍国主義者安倍晋三の熱意と響き合わせた「適任者」であって、権力側に偏った「適任者」という、公平性とは逆説を取ることになるが、だとしても、これが自然な人事であろう。
例え自然な人事であっても、「適任者」は国家権力寄りの人物であることを常識としなければならない。
結論を言うと、「特定秘密保護法」案が言う「秘密指定」とは安倍政権という国家権力集団が行う秘密指定であり、指定した秘密に対する「報道又は取材の自由」は日本国憲法第21条が保障する無制限な「表現の自由」を「十分な配慮」にとどめる人権制限法であって、秘密指定を行ったり、違反を判定する「適任者」とは、政権寄りの、当然政権の意向を汲むことになる有識者だということになる。
勿論、国家安全保障上、一定の情報を秘密指定することは必要であろう。だが、報道機関の「表現の自由」は憲法が基本的人権の保障と国家権力行使の拘束・制限を本質的な主眼とし、他のすべての一般法に優越する国家の最高法規である以上、憲法どおりに保障されるべきである。
もし成立した場合の「特定秘密保護法」に従って報道機関の「表現の自由」が「十分な配慮」程度に制限されるとしたなら、憲法が主眼とする国家権力行使の拘束・制限を無効とすることになる。
右翼の軍国主義者安倍晋三は日本国憲法が日本国家の最高法規であることを忘れているらしい。
憲法の人権保障を無視するようでは、安倍晋三が掲げて盛んに宣伝している「積極的平和主義」も当てにならないことになる。
もし報道機関が秘密指定した情報をスクープ等の形で報道したなら、その情報の秘密を担いながら、漏洩させることになった危機管理の担当者をこそ、罰則の対象とすべきだろう。
外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)創設の法案が11月6日の衆議院特別委員会で採決され、自民・公明両党、民主党、日本維新の会、みんなの党の賛成多数で可決された。
反対は共産党と生活の党。
では、衆議院特別委員会での右翼の軍国主義者安倍晋三の発言を次の記事から見てみる。《NSC法案 衆院特別委で賛成多数で可決》(NHK NEWS WEB/2013年11月6日 18時53分)
安倍晋三「安全保障環境が大きく変わるなか、常に国際状況を分析しながら、さまざまな脅威に外交的、軍事的にどのように対応し、対応のしかたによって、どのような反応があるかを含めてシミュレーションし、政策的な選択肢を用意しておく必要がある。総理大臣や外務大臣、防衛大臣、官房長官が日頃からよく理解し、協議していく状況を作ることが極めて重要だ。
(会議録の公開について)特定の国・政府の分析や情報の議論も行うので、公表することがふさわしいかどうかを十分に検討する必要がある。公表の在り方や関連文書の作成と取り扱いは、会議の性質を勘案し、国の安全保障を損ねない形でしっかりと検討していきたい。
(議事録作成について)政府がどういう議論をして判断したのか、政策決定や情報分析が間違っていたかどうかも含めて検証できることも必要だ。機微な議論もあり、保全されることを前提に、どういう形が考えられるかを検討したい」――
問題は的確な組織運営の実効性とその検証であろう。組織はつくることはできる。だが、つくることと運営は別問題なのは断るまでもない。組織は初期的には単なるハコモノに過ぎないからだ。中長期的に中身(=運営)が伴って、あるいは伴わせて、初めてハコモノであることから脱することができる。
実際問題として政策に応じて満足に機能させることができる場合もあるだろうし、満足に機能させることができない場合もあるだろうし、明らかに失敗する場合もあるはずだ。
満足に機能した場合でも、それがどのような合理的な方法によって機能させることができたのか、以後の学習材料として検証して広く公開する必要があるし、満足に機能しなかった場合、あるいは明らかな失敗は反面教師のための学習材料とするために特に徹底的な検証と公開が必要となるはずだ。
検証と公開は政策決定及び意思決定のプロセスを明々白々とすることができる作成された議事録の存在を欠かすことができない。菅官房長官は当初は議事録作成に否定的であったが、右翼の軍国主義者安倍晋三は議事録作成について、「政府がどういう議論をして判断したのか、政策決定や情報分析が間違っていたかどうかも含めて検証できることも必要だ。機微な議論もあり、保全されることを前提に、どういう形が考えられるかを検討したい」と前向きな発言をしている。
11月1日午前の衆院国家安全保障特別委員会。
菅官房長官(国家安全保障会議の議論の公表について)「国家安全保障を損なわない程度に検討したい。(但し)議事録は作成しない。
首相や外務、防衛、国交などの閣僚が参加する現在の安全保障会議でも、自由闊達(かったつ)な議論を確保する必要性、機微にわたる問題のため議事録を作成してこなかった。そこは民主党政権でも同じだった。だから議事録は作らない」(asahi.com)(下線部分は解説文を会話体に直す)
ところが同じ日の午後の記者会見では、「作成しない」が「検討していきたい」に変わった。
菅官房長官「作成するということではない。検討していく段階だ。
審議内容には機微な情報も含まれる。そういう中で、公表の在り方や関連文書の作成、取り扱いについて十分に勘案しながら、国の安全保障を損ねない形でしっかりと検討していきたい」(時事ドットコム)
公表に関しては「国の安全保障を損ねない形」は必要であろう。だが、議事録作成は後の検証に役立てる唯一重大な手がかりであると同時に検証によって以後の「国の安全保障を損ねない形」を反省・学習して確保する重要な手段でもある。
当然、「検討していく段階」であってはならないし、右翼の軍国主義者安倍晋三のように「検討したい」と前向きな姿勢を示すだけでは不十分であるはずだ。
ところが上記「NHK NEWS WEB」記事は、法案に〈国の安全保障を損ねない形で、会議記録の作成を検討するとした付帯決議〉を加え、この付帯決議も賛成多数で採択されたと解説している。
要するに「検討」で押し切ったことになる。しかも、「国の安全保障を損ねない形」での検討だから、「国の安全保障を損ね」るという口実のもと、未作成も可能となる。抜け道を拵えたようなものである。
にも関わらず、賛成多数で可決された。
議事録は政策決定及び意思決定プロセスの唯一の検証材料であるばかりか、責任の所在を示しておく記録でもあるはずだ。責任の所在を明確化できる状況下での政策決定及び意思決定こそが、政策決定者たちに責任意識をより強く自覚させることになる。
逆説するなら、議事録を作成しない如何なる会議も責任意識を希薄化させる危険性を抱えかねない。当然避けなければならない事態であるはずだ。
だとすると、「検討」段階での賛成多数可決は不完全な形としないわけにはいかない。
大体が自民党は民主党政権下の野党時代、菅内閣が組織した東日本大震災に関する15組織のうち、「原子力災害対策本部」、「政府・東京電力統合対策室」、「原発事故経済被害対応チーム」、「緊急災害対策本部」、「被災者生活支援チーム」、「官邸緊急参集チーム」、「各府省連絡会議」、「経済情勢に関する検討会合」、「電力需要に関する検討会合」、「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」の10組織が公文書管理法が主旨とする議事録を作成していなかったとして、国会で厳しく追及している。
三例程挙げてみる。
2012年2月7日の参議院予算委員会。
三原じゅん子「議事録未作成問題について伺いたいと思います。
既に報道されていることと思いますけれども、震災関連の政府の対策本部、それから原発事故収束のための政府の対策本部の議事録が作成されておらず、政府自ら公文書管理法の趣旨に反することを行ってきたということが問題になっております。枝野大臣も記者会見で大変遺憾なことだと陳謝し、事務局を務める経産原子力安全・保安院に過去の議事録作成と公開を指示したと報道されております。
この原発事故への政府の対応が適切だったかどうかは、将来に教訓を残す、正しく残すという意味で、これ歴史的にも非常に重要なことだと思います。また、世界各国の関心も高まっていることだと思います」――
「将来に教訓を残す、正しく残す」ためには議事録は必要不可欠で、「歴史的にも)という言葉を使って、「非常に重要なことだ」と訴えている。
この訴えに対して当時内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)だった枝野幸男が原子力災害対策本部や危機管理センターに上がってきて、公文書として記録されている書類等や会議に同席していた官僚たちのメモを使って詳細に議事概要を復元していると答弁。その答弁に三原じゅん子は最後のトドメを刺している。
三原じゅん子「一言。
政策決定の正しい記録、これを残せないのであれば、民主党は与党どころか責任政党の名に値しない。政府の猛省と真相究明の真摯な対応を求めて、私の質問を終わります」――
「政策決定の正しい記録、これを残せないのであれば、民主党は与党どころか責任政党の名に値しない」とまで強く非難している。「政策決定の正しい記録」こそが、政策決定者たちが責任を果たしていたかどうか、あるいは組織や体制を正しく運営できていたかどうか、運営に応じた成果であったかどうかが検証可能となるという問題意識からの発言であったはずだ。
当然、安倍政権もこの問題意識を忠実に継がなければ、三原じゅん子の発言は口先だけの追及、口先だけの問題意識だったということになる。
2012年1月31日の衆議院予算委員会。町村信孝自民党議員が民主党がマニフェストに掲げた7万円の最低保障年金の資料を出さないのは隠蔽体質だと批判したあと、議事録未作成に引っ掛けている。
町村信孝「隠蔽体質のもう一つの例が、原子力発電事故の関連の会議の、まさに消えた議事録の問題です。これまた隠蔽体質そのものでしょう。きょうの新聞を見ると、福島県の双葉町長が、これは政府の背任行為とまで言っている。被災をされた方々はそういう思いだと思いますよ、真剣な会議をやっていると思いきや、どんな議論をしていたかわからないんですから」――
町村信孝「要するに、これについては誰も責任をとらない、無責任体質そのもの、これが今の野田内閣、民主党内閣の性格、隠蔽体質そのものだということを国民の皆さんは多分十二分に御理解されたであろうと思います」――
議事録を作成しないことは「隠蔽」そのものだと断じている。その隠蔽とは政策決定及び意思決定のプロセスの隠蔽であり、責任の所在の隠蔽であるはずだ。そして結果的に隠蔽によって不可能となる検証までをも含めた隠蔽ということを意味することになる。
そして安倍政権となり、今年に入って2013年5月20日の参議院決算委員会。
金子原二郎委員長(自民党所属)「政府の重要な意思決定に係る会議については、決定過程の透明化を図るとともに、事後の検証作業に資するため、その議事録等の作成、保存、公開等が不可欠であるにもかかわらず、東日本大震災への対応に当たった緊急災害対策本部、原子力災害対策本部等の十五組織中、十組織において議事録が作成されなかったこと、このうち三組織では議事概要等も作成されず議事内容の記録が残されなかったこと、また、北陸電力株式会社志賀原子力発電所等の設置許可に際し、原子力安全委員会が開いた審査会等の議事録が現存しておらず、審査過程を検証できない状態となっていることは、看過できない。
政府は、重要な意思決定に係る会議について議事録等の作成、保存及び公開に係る明確な基準を早期に策定及び公表するとともに、議事録等が未作成の会議等については早急に記録を整備すべきである」――
政権交代後も民主党政権の議事録未作成を例に挙げて、それを教訓とした議事録作成の重要性を訴えている。
かくまでも民主党政権下の議事録未作成と、そのことによる政策決定及び意思決定のプロセスの検証不可能、責任の所在の検証不可能を強く批判してきた。
自らが組織運営の主体者となったとき、そうでなかったときの組織運営に対する批判は実行の形に持っていかなければ、無責任な批判と化す。
だが、国家の存立に関わる国家安全保障会議の議事録作成は検討するとした付帯決議の可決だけでは実行の形とまでいかず、言行不一致に当たる。
政策の中身とその実効性以上に後の検証を可能とする議事録作成は重要であるはずだが、右翼の軍国主義者安倍晋三はそこまで頭が回らないようだ。
山本太郎は、多分、10月31日の東京の赤坂御苑での秋の園遊会で必死の決意で自身が感じ取っている福島の現状を手紙に認(したた)め、必死の決意で天皇の心に届けと天皇に手渡したのだろう。
だが、天皇はその手紙に目を通すことすらできなかった。本人の意志ではない。他者の意志によってそうさせられた。
《山本議員の手紙 宮内庁は陛下に届けず》(NHK NEWS WEB/2013年11月5日 16時40分)
11月5日宮内庁定例記者会見――
山本次長「各界で活躍したり功績を挙げた方を招いて、苦労をねぎらったり歓談される場所だ。あのような手紙を差し出すのは、場にふさわしくない。常識的に判断されるべきことだと思う。
今後、同じような状況で同じようなことが行われれば、われわれとしても趣旨を生かした行事や催し物を円滑に開きにくくなる。状況や趣旨を踏まえて、それぞれで判断いただくということだと思う。
(手紙の内容について)私信でもあるので差し控えたい。手紙は、そうした状況で渡されたものであり、事務方で預かって天皇陛下には届けていない。今後も届けることは考えていない」――
天皇が政治的問題に答える権限を有していないとしても、天皇宛の手紙であることに変わりはない。その中身を宮内庁の役人が読んで、自らの判断一つで天皇に渡すかどうかを決める。
天皇の側からすると、自身宛の手紙に目を通すことができるかできないかは宮内庁の役人の判断――サジ加減一つにかかっていて、自らの意志にかかっていない。
宮内庁の役人は「目を通されますか」と尋ねて、天皇の意志に任せることもしなかった。最初から天皇の意志を考慮することはなかった。「今後も届けることは考えていない」と、役人の意志を優先させ、天皇の意志を無視、考慮外に置いている。
役人の意志次第だということは、天皇は公職上は一個の人間としての人格を認められていない、宮内庁の役人に支配された存在であることを意味する。
但し被災地等への訪問は天皇の私的意志によるものかもしれないが、天皇という表向きの存在性(国民に親しまれる存在性)に適う私的意志だから、宮内庁によって公職としてスケジュール化されるのであって、園遊会で手紙を手渡されるという事態は役人たちが決めている裏側の存在性(支配された存在性)に齟齬を来たす計算外の公職上の出来事として排除したということであるはずだ。
勿論、山本太郎の行為が慣例となるのは困るから読ませないことにしたという理由は成り立つが、「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」と規定している「請願法第3条」に従って欲しいとする規則を徹底すればいいことであって、一旦は天皇に手渡された手紙を天皇が読むか読まないかを天皇の意志に任せるか、あるいは役人の判断に従わせるかは別問題である。
だが、天皇宛てであるはずの手紙を役人の判断一つで天皇の目に触れさせないようにしたことによって図らずも天皇が人格を認められていない支配された存在であることを露呈してしまった。
宮内庁は内閣府に所属する機関である。最終的には内閣が天皇の意志を支配し、コントロールしていることになる。
この構造が天皇に対する巧妙な政治利用を可能としている。
これが日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の実体的な存在性であろう。
最近の顕著な天皇の政治利用は山本太郎の手紙問題でいくつかの記事が指摘していたが、4月28日(2013年)の政府主催「主権回復の日」式典で出席させた天皇に対して式の終了間際、右翼の軍国主義者安倍晋三も加わって、「天皇バンザイ」を三唱したことを挙げることができる。
それが真に主権回復を祝う「主権回復の日」式典であるなら、主権を回復した国家と国民を祝うことが主意であるはずだが、式典の最後に「天皇バンザイ」を三唱した瞬間、国民が国家の主役であるとする国民主権がどこかに消え、天皇を国家の主役に代えたのである。
この「天皇バンザイ」の三唱は意識の底で常に天皇を国家の主役に据え、実際にも据えたい強い願望が身体的表現となって現れたものであろう。
だが公職上、時として人間としての人格を認められない支配された存在となっている天皇を国家の主役に据えたいとする願望程、それが願望だけで終わっていても、国民主権の思いを希薄化させている以上、恐ろしいことなない。
右翼の軍国主義者安倍晋三の子分菅官房長官が11月4日、東京都内で講演、東京電力福島第1原子力発電所の事故対策について、除染や原発の廃炉などに国が必要な資金を拠出できるようにするなどとした自民党の提言を踏まえ、国の関与を強める方向で政府対応を見直す考えを示したと次の記事が伝えている。
《原発事故対策「国の関与強める方向に」》(NHK NEWS WEB/2013年11月4日 13時4分)
菅官房長官「本来であれば政府が関与できる部分もあったが、前政権は政府の関与なしで東電にやらせる道を選んでしまった。今のままでいいかと言えば見直しをするところまできている。
そろそろ結論を出さなければダメな時期だと認識している。自民党の提案があるので、しっかりと調整しながら取り組んでいきたい」――
この記事は除染や原発の廃炉等の事故対策に対する“国の関与強化”となっているが、他の記事は汚染水対策に対する“国の関与強化”となっている。
例えNHK記事が書いているように除染や原発廃炉を含めていたとしても、除染は国直轄の除染を行っているし、廃炉に関しては、野田政権は2011年12月16日に、「東京電力福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」の決定及びその進捗管理並びに発電所の安全維持を政府と東京電力株式会社が共同で実施していく組織として位置づけた「政府・東京電力中長期対策会議」を設置している。
除染と廃炉に関しては決して民主党政権は国が関与せず、東電任せであったわけではない。
但し国直轄の除染の計画内容や除染範囲指定の的確性、あるいは除染実施段階での実効性及び進捗度は別問題である。除染に関しては杜撰な除染の指摘や計画の見直しが続いている。
廃炉にしても、取り掛かった段階で、初めての経験だから、様々な見直しが出てくるだろう。
汚染水対策に関しては2011年12月16日の野田政権による福島原発事故収束宣言以降、事故が収束したということで民主党政権が東電任せであったとしても、菅幹部長官が「前政権は政府の関与なしで東電にやらせる道を選んでしまった」と批判する以上、2012年12月26日の第2次安倍政権発足当初から国が関与していなければならなかったはずだ。
だが、2012年12月26日の第2次安倍政権発足以降も民主党政権の東電任せを引き継ぎ、自らも東電任せであった。
東電任せではなく、国の関与を言い出したのは汚染水の漏出が世間を騒がし、海の汚染が疑われるようになってからである。東電の汚染水対策の管理・監督も原子力規制庁任せで、内閣自体は関与していなかった。しかも原子力規制庁はお役所仕事で満足に機能していなかった。
8月7日(2013年)、政府は安倍晋三を本部長とする原子力災害対策本部会合を開催。
安倍晋三「汚染水問題は、国民の関心も高く対応すべき喫緊の課題だ。東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく。
スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じてほしい」(NHK NEWS WEB)――
2012年12月26日の第2次安倍政権発足から7カ月経過した8月に入ってから、「東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」と言っているのだから、政権発足以降、7ヶ月間は東電任せにしてきたことになる。
茂木経産相が8月26日(2013年)、福島第1原発を視察。
茂木経産相「汚染水の対策は東電任せで、もぐらたたきのような状況が続いてきたが、今後は国が前面に出る。
新たに経済産業省の幹部を汚染水対策に充て、対応していく」(NHK NEWS WEB)
茂木経産相の言う「汚染水の対策は東電任せ」は民主党政権のことだけを言っているのではなく、自らの政権をも含めてを言っているはずだ。民主党政権のことだけとしていたなら、上記説明と同じく、政権発足以降、東電任せを排除していなければならなかった。
だが、8月になって、わざわざ「汚染水の対策は東電任せで」と言っている以上、安倍政権発足以降も東電任せが続いていたことになる。
もし安倍政権発足と同時に民主党政権の東電任せを修正していたなら、現在、もう少しはマシな局面を迎えていたかもしれない。いや、現在以上にマシな局面を迎えていなければならないはずだ。
そして今年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのオリンピック東京招致IOC総会プレゼンテーションで各国が福島の原発事故の東京への影響に懸念を示していたことに対して安倍晋三が、「福島の状況はコントロールされており、全く問題はない」と発言、それが国内で問題となった。
右翼の軍国主義者安倍晋三の「コントロール」発言から3日後の9月10日、政府は茂木経済産業相がトップとなる「廃炉・汚染水対策チーム」を内閣府に新設すると発表。
「廃炉・汚染水対策チーム」の新設に動いたこと自体が第2次安倍政権も汚染水対策が東電任せであったことの証明となる。
汚染水対策の工程管理、風評被害対策、原子炉建屋への地下水を遮断する凍土壁の敷設等に関しては国費約470億円を投入する方針とその他を決定している。
以上の経緯を改めて振り返ってみると、安倍政権は発足以降7カ月間は汚染水問題に関して民主党と同様に東電任せにしてきたが、汚染水漏出問題が起き、東電が専用港湾内への汚染水の流出を認める等、放射能に汚染された汚染水問題がクローズアップしてから、東電任せから“国の関与強化”にシフト、「廃炉・汚染水対策チーム」を新設し、国費投入の各対策を打ち出した。
要するに先手を打った対策ではなく、それとは正反対の後追いの対策となっている。このような方法を泥縄式と言うはずだ。
【泥縄】「(「泥棒を捕らえてから縄をなう」の略)物事に出会ってから、慌てて準備すること」(『大辞林』三省堂)
国の関与を言い出したのが今年の8月に入ってからだから、国関与の組織を設けて計画を立てるまでに時間がかかることになって、既に結論が出ているならまだしも、菅官房長官が「そろそろ結論」と言っているように結論はまだまだ先の話とになり、実行の体制を整えて計画実施までに更に時間がかかることになる。
これまでの東電任せとその結果としてのこのスピードの遅ささも問題だが、すべてを棚に上げて、菅官房長官は「前政権は政府の関与なしで東電にやらせる道を選んでしまった」と民主党政権のみを悪者とする卑怯この上ない責任転嫁を働き、「そろそろ結論を出さなければダメな時期だと認識している」と、「そろそろ」とすることで、少なくとも東電任せにしてきた第2次安倍政権発足後7カ月間とその無責任に猶予を与える、これまた卑怯この上ないゴマ化しを働いている。
福島の復興の遅れを全部民主党政権の責任に転嫁しようという魂胆なのだろう。自分たちも関わってきた復興遅れの無能・無策を隠すために右翼の軍国主義者安倍晋三は肝心な対策につながるわけではない頻繁な福島視察を行い、風評被害対策にタコ、イカ、シラス等々を試食するゴマ化しを働かなければならない。
最高裁判所大法廷が9月4日(2013年)、両親が結婚しているか否かで子どもの遺産相続に差を設けた民法の規定について憲法違反の判決を下した。
民法「第二節 相続分・法定相続分」、「第900条4」は、「子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする」と規定している。
このうち、「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし」の個所が違憲とされ、平等扱いするように判断されたということなのだろう。
だが、「嫡出でない子」は「父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹」でもあるのだから、後の「父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする」規定も「父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹」に対して憲法違反ということになるはずだ。
11月3日(2013年)のフジテレビ「新報道2001」が民法改正問題に異を唱える自民党の動きとその代表者として西田昌司自民党参議院議員を出席させて、主張を述べさせていた。
番組では「嫡出でない子」を婚外子、「嫡出である子」を婚内子と呼称していたが、インターネットで調べたところ、「婚外子」を〈法的に婚姻関係にない男女から生まれた子供。法律上は、非嫡出子と呼ばれる。非嫡出ではマイナスイメージがあるため、1980年代以降、婚外子差別反対運動をする人たちの中で使われ始めた。〉と解説されていたから、嫡出子=婚内子、非嫡出子=婚外子として記事を進める。
番組での議論の結論を先に言うと、民法改正異論派(=自民党内保守派に重なるはずである)は、その代表者である西田昌司自民党参議院議員の主張から理解できるように、最高裁の違憲判決によって日本に於いて伝統的制度だとしている法律婚以外の結婚の形――いわゆる夫婦別姓の事実婚や男女それぞれのシングル婚等が増加して、国の形の根幹を成す家族制度=家族のあり方が変わり、そのことが国の形そのものをが変えていくことを恐れて民法改正に忌避感を示しているが、そうでありながら、新しい結婚の形から最高裁の判断を論ずるのではなく、旧来の日本の伝統的な法律婚の中での婚外子、これまでの呼称で言うと、愛人の子、あるいは妾の子の問題に矮小化して議論するという矛盾を犯した議論内容となっている。
なぜこういった矛盾が起きるかと言うと、家族の新しい形態として事実婚を批判も否定もできないから、法律婚と併存させた事実婚とその婚外子を悪の存在と見做すイメージ操作(=情報操作)を行うことで、家族制度を守るだ、家族のあり方を守るだの口実で、新しい形態として事実婚の増加を抑えることができるはずもないのに抑えようとする意図を働かせているからだろう。
その象徴的な砦に民法の2分の1の規定を据えようということであるはずだ。
出演者の内、西田昌司自民党参議院議員と明治天皇の玄孫とかいう作家兼法学者である竹田恒泰、経済ジャーナリストの荻原博子の発言、少子化ジャーナリストの白河桃子、さらに出演者ではないが、その発言を伝えている永岡桂子自民党衆議院議員と右翼の軍国主義者安倍晋三の国会での答弁を取り上げる。
永岡桂子自民党衆議院議員が茨城県の地元を訪れ、支持者の意見を聞く。お祭りなのか、テントが並んでいる。背景が紅白の幕の舞台中央にマイクを片手に持って立つ。
永岡桂子自民党衆議院議員(比例北関東ブロック)「是非皆さんにアンケートをしてみたい。いいでしょうか。
最高裁の言うとおりだと、可哀相じゃあないか、子供は責任はないんだが、結婚していても結婚していなくても、その相続が同じでなければならないと思う方――」
左手を上げて、挙手を促す。後ろ姿から判断して中年の女性が一人だけ応じる。
永岡桂子「他処でつくってきた子どもと、私たちの子どもたちと相続が同じになるのは変じゃないー?と思ってらっしゃる方」
反応は悪いが、かなりの数が手を挙げる。
永岡桂子「結構な方が手を挙げて頂きました」
永岡桂子が一つのテントの前の路上で3人のオバサンの前に立っている。
オバサン1「やっぱ許せないから、どこの子どもであれ、旦那の不倫した子は一緒に財産貰う権利は――」
永岡桂子「ない」
オバサン1「ない」
ここで世論調査を示す。
【問3】9月、最高裁大法廷は結婚していない男女間の子ども「婚外子」の遺産相続分を、結婚した夫婦の子どもの半分とした民法の規定について「違憲」とする判断を示しました。あなたはこの判断について賛成ですか。反対ですか。
賛成 47.4%
反対 35.0%
その他・わからない17.6%
国会答弁
安倍晋三「最高裁判所の違憲判決の趣旨を踏まえ、民法の規定について検討しているところでございます」
解説「既に婚外子相続の2分の1規定を削除し、平等にする民法改正案ができている」
ところが、自民党内に異論が噴出。
声のみの自民党議員「婚外子を勧めることになってしまう」
別のシーンでの自民党の意見として取り上げた解説。
解説「正妻の権利を根底から侵害する(最高裁)判断だ」――
西田昌司(記者たちに)「国民感情的に合わないし、モラル的にもおかしいでしょ?法律を変えてしまって、果たしていいのか。家族制度が崩壊してしまうじゃないかと――」
解説「(民法改正に)慎重派は勉強会と称する集会を開催。23人の議員が出席した」
永岡桂子が3人のオバサンたちの前に立っている前出のシーンが再度出てくる。
オバサン2「あれはおかしいと思った」
永岡桂子「おかしいと思った?同じ感覚」
同志だというふうにオバサンの背中に手を回す。
オバサン2「他に子どもをつくったのは旦那に責任があるから、相手、相手の責任だから、やっぱり同等なのはよくない」
永岡桂子「あのね、皆さんはきちんと夫婦生活を営んで、あの、幸せな家庭を築いているから、その中で、旦那さんがポッと(ふと笑いを漏らして)亡くなって、ポッと子どもが出てくるとなると、これはちょっとね、というのはあるよね」
出演者同士で賛否の議論に入る。
西田昌司自民党参議院議員「日本の子どもたちは殆ど婚内子なんですね。婚外子は2.2%しかいない。これは殆ど変わっていない。世界でも一番法律婚がきっちりと守られている国なんですね。
他の国は確かに差別をしていないと言っていますが、そもそも婚内子と婚外子の割合が同じくらいのレベルになっている。だから、他処の国はそうだけれども、日本は違うんですよね。
最高裁判所も自分たちの国のこういう慣習とか、ルールね、こういう国民感情を大切にしなければならないと言っていながら、なぜいきなり海外がそうだからと、これは本末転倒な話で、そこを立法府としてどうするかと議論をしなければならない」
竹田恒泰、明治天皇の玄孫、慶大卒の法学者・作家。日本の歴史が天皇を中心に形成されてきたとする皇国史観派、当然、万世一系の維持、女系天皇反対の立場を取っている。
竹田恒泰「私はですね、この最高裁の判断には違和感を感じます。ただ、もしこれがですね、改正の方向に行ったとしても、これは必ずしも不倫を助長してもいいとか、家族制度を軽視してもいいことに絶対ならないということをですね。
私はそもそも、違和感がありますので、これはちゃんと考えないといけないと思います。これはあまり語られていないのですが、婚外子は婚内子の半分の相続権ということなんですが、婚外子は母方から全部相続を受けられるんですよね。
で、婚内子の場合は、一つの家系、家系簿(家系図の間違い)の家系ですね、一つの家系から受けられるんですね。婚外子の場合は両方の家系から受けられる。
そうしたら、両方共同じに貰えるとしたら、貰い過ぎだということもあるんですね。だから、合理的差別ありなんですよ。だから、差別がですね、非合理なのか、合理なのか、それをちゃんと検証する必要があると思います」
荻原博子(経済ジャーナリスト)「基本的に親は子どもを選べないですね。だから、子どもは愛人のところに生まれてくるのか、正妻のところに生まれてくるのかってこと、子ども自身は選べないんですよね。
だから、そういうことに関する、国連でも、子供の人権とかはちゃんと守りなさいと。それを守っていないのは先進国では日本だけですよね。それから勧告を受けているのは フィリッピンと日本ですよね。何とかしなさいと。
実際、確かに子どもは罪はないんですよ。ただ、奥さんは正妻と愛人だと、正妻の方は2分の1貰えますからね。で、愛人の方は貰えないと。
そういう歴然とした、そこで差別があるので、差別と言っていいのか、何と言っていいのか分かんないけど、で、下の子どもたち?子どもはですね、子どもは罪はないし、親は選べないので――」
白河桃子(少子化ジャーナリスト)「(判決は)結婚制度にそんなに影響は与えるとは私は思っていなんですね。だけど、結婚の形がだんだん自由になってきているので、婚外子と言っても、今三つあると思うんです。
結婚していらっしゃる方の外のお子さん。それから子どもは出来ましたが、やっぱりこの方とは結婚しませんと判断したシングルマザーとシングルファザーがいる場合ですね。それから事実婚で、一緒にお子さんを育てながらも、法律婚はしていないという方ですね。
その三つがあまりごっちゃになってはいけないと思います。
後の二つに関してはこれからどんどん広がっていくことだと思いますし、後もう一つはですね、家族の形を守って、婚内子が少ないことで非常に少子化で経済が危ういところが多いんですね。
少子化で、婚外子が増えるのは困ると言いつつ、少子化、少子化と言っていると、そこはちょっと――」
西田昌司「それはちょっと次元の違う話で、かつてフランスでも子どもを増やすために、まあ、婚外子が増えてですね、増えてきたじゃないかということもあるのですけども、子どもはモノじゃないし、確かに経済に影響しますよね。
そういった経済的事象で考えるのは本末転倒で、やっぱり我々はちゃんとした家庭で、ちゃんとした子どもをつくることによってちゃんとした日本になり得てですね、そして国力も増えるんですよ。
それをモノのようにやっちゃあまずいし、今仰ったね、色んなパターンは事実ですね。ところが、それを全部含めても、いわゆる婚外子というのは全体の子どもの中でも2%というのは圧倒的な事実で、これは日本は世界の中でも非常に婚内子が圧倒的に多い。
だから、本当に例外なんです。ただ、私はその例外の方にも色んな事情があるから、最高裁が訴訟の中でね、今回の場合はこういう違憲判断のように平等に扱ったらいいじゃないかというのは、これは認めるんです。
それはそれでいいんです。ところが、ただ、それを一般法に変えてやるときにはね、やっぱり立法府はね、社会全体を見て判断しなければ、社会を変えてしまうんですよ。
今回の問題で一番の問題はね、憲法とは何かと言うとね、本来は国の形なんですよ。日本人が培ってきたね、日本人としてのモラルを含めた意識の延長線上にある国の形。
ところが、この今の憲法はこの形から離れたところから伝えられてきたというのは問題ですが、だから、この憲法判断、平等だと言うだけでですよ、国の形、家族の形、無視した判断が出ちゃうと、今回のテーマからちょっとズレますがね、根本的なところで問題があるということを我々は今回の判決で感じなければいけないと思います」(以上)
民法改正異論派の本質的な主張はこれまでの西田昌司の発言で言い尽くしているはずだから、以下省略することにする。
西田昌司は勿論のこと、永岡桂子にしても竹田恒泰にしても、荻原博子にしても、法律婚内の婚外子の問題としてのみ扱い、新しい婚姻の形として増えつつある事実婚から見た婚外子として問題を把えていない。
白河桃子一人のみが、事実婚から婚外子を把えている。
特に西田昌司と永岡桂子は法律婚内の婚外子を悪のイメージで把えて家族のあり方を論じていて、西田昌司は、「日本の子どもたちは殆ど婚内子なんですね。婚外子は2.2%しかいない。これは殆ど変わっていない。世界でも一番法律婚がきっちりと守られている国なんですね」と言い、「やっぱり我々はちゃんとした家庭で、ちゃんとした子どもをつくることによってちゃんとした日本になり得てですね、そして国力も増えるんですよ」と言うことで、新しい婚姻の形である様々な事実婚を牽制している。
西田昌司が言っている「憲法とは何かと言うとね、本来は国の形なんですよ。日本人が培ってきたね、日本人としてのモラルを含めた意識の延長線上にある国の形。
ところが、この今の憲法はこの形から離れたところから伝えられてきたというのは問題ですが」は右翼の安倍晋三の思想と重なる。
安倍晋三が日本国憲法を占領軍がつくった憲法だとして忌避するのは日本の国柄が伝えられていないと言うことからだろう。
安倍晋三「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」(2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せたビデオメッセージ)
この発言は西田昌司が言っている「日本人としてのモラルを含めた意識」=「日本人の精神」と「国の形」を「改造された」と言っていることと本質的には同質を成す。
右翼の軍国主義者安倍晋三は国会答弁で、「最高裁判所の違憲判決の趣旨を踏まえ、民法の規定について検討しているところでございます」と言って、2分の1規定の取り外しに前向きな姿勢を示しているが、ここのところ女性のの活躍を言い、女性の人権尊重を言っている手前、異論を言うことができないからで、本心のところでは反対なのは、2007年に民法の離婚後出生「300日規定」の見直しの動きが出たとき、自民党内から異論が噴出、当時首相だった安倍晋三も同調している。
安倍晋三「婚姻制度そのものの根幹に関わることについて、色んな議論がある。そこは慎重な議論が必要だ」――
要するに女性の人権・権利よりも伝統的な家族制度・家族のあり方に拘った――終局的には国の形に拘った。
右翼の軍国主義者安倍晋三と西田昌司は同じ穴のムジナと見なければならない。
国の形を「日本人が培ってきたね、日本人としてのモラルを含めた意識の延長線上にある国の形」とさも正当性あるが如くに言っているが、モラルにしても意識にしても、当然国の形にしても完成し、固定したものと認識するのみで、新しいモラルも新しい意識を認めず、当然国の形も時代と共に動き、変化していくものとは把えていない。
この構図は安倍晋三等が普段口にしている「女性の人権」等の言葉をウソにする現象と言うことができる。
ウソだからこそ、結果的に法律婚内の事実婚やその婚外子に悪のイメージを与えて、新しい時代の事実婚を同じ悪のイメージに染め上げ、その増加にストップを掛けようと謀ることができる。
妾の子であろうと、愛人の子であろうと、あるいは事実婚の婚外子であろうと、一個の人格を備えた個人である。世に蔓延ってどこが悪い。法律婚の婚内子と堂々と渡り合う資格を有する。
アルジェリアで発生した武装テロ組織の邦人人質事件を教訓・学習した「自衛隊法改正案」が11月1日(2013年)、衆院を通過した。近いうちにこのまま参院を通過、成立することになるだろう。
何を教訓とし、学習としたのかというと、現行の自衛隊法は航空機と船舶の利用による邦人輸送を認めているが、改正案では「車両」が追加され、陸上輸送をも可能とすることが主たる改正個所だそうだから、陸上輸送を以って主たる教訓とし、学習としたということなのだろう。
要するに右翼の軍国主義者安倍晋三を筆頭とした安倍内閣と日本の国会は10人が犠牲となったアルジェリア邦人人質事件を教訓とし、学習して出した主たる答が邦人保護のための輸送手段として現行の航空機と船舶に新たに車両を付け加えたということになる。
では、具体的にどのような法文に変わったのか見てみる。現行法の邦人保護は、「在外邦人等の輸送」という項目で「第84条の3」と、「在外邦人等の輸送の際の権限」という項目で「第九十四条の五」に次のように謳っている。
〈(在外邦人等の輸送)
第八十四条の三 防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合において、当該輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる。この場合において、防衛大臣は、外務大臣から当該緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する外国人として同乗させることを依頼された者を同乗させることができる。
2 前項の輸送は、第百条の五第二項の規定により保有する航空機により行うものとする。ただし、当該輸送に際して使用する空港施設の状況、当該輸送の対象となる邦人の数その他の事情によりこれによることが困難であると認められるときは、次に掲げる航空機又は船舶により行うことができる。
一 輸送の用に主として供するための航空機(第百条の五第二項の規定により保有するものを除く。)
二 前項の輸送に適する船舶
三 前号に掲げる船舶に搭載された回転翼航空機で第一号に掲げる航空機以外のもの(当該船舶と陸地との間の輸
送に用いる場合におけるものに限る。) 〉――
〈(在外邦人等の輸送の際の権限)
第九十四条の五 第八十四条の三第一項に規定する外国において同項の輸送の職務に従事する自衛官は、当該輸送に用いる航空機若しくは船舶の所在する場所又はその保護の下に入つた当該輸送の対象である邦人若しくは外国人を当該航空機若しくは船舶まで誘導する経路においてその職務を行うに際し、自己若しくは自己と共に当該輸送の職務に従事する隊員又は当該邦人若しくは外国人の生命又は身体の防護のためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。ただし、刑法第三十六条 又は第三十七条 に該当する場合のほか、人に危害を与えてはならない。 〉――
改正案は次のように変わっている。
〈(在外邦人等の避難措置)
第八十四条の三 外務大臣は、外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して、邦人の生命又は身体の保護のため必要があると認める場合には、内閣総理大臣に対し、当該邦人についてその避難のために必要な輸送及び当該輸送の際の警護(以下「避難措置」という。)の実施を要請することができる。この場合において、外務大臣は、当該緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する外国人についても、内閣総理大臣に対し、当該避難措置の対象とすることを要請することができる。
2 内閣総理大臣は、前項前段の要請があつた場合には、部隊等に当該要請に係る邦人について避難措置の実施を命ずることができる。この場合において、内閣総理大臣は、同項後段の要請があつたときは、邦人の避難措置の実施に支障を生じない限度において、当該要請に係る外国人についても、当該避難措置の対象とすることができる。
3 内閣総理大臣は、前項の規定による避難措置の実施を命じた場合には、速やかに、当該避難措置の実施につき、国会の承認を求めなければならない。ただし、国会が閉会中の場合又は衆議院が解散されている場合には、その後最初に召集される国会において、速やかに、その承認を求めなければならない。
4 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があつたときは、速やかに、当該避難措置を終了させなければならない。〉――
〈(在外邦人等の緊急措置の際の権限)
第九十四条の五 第八十四条の三第二項の規定により避難措置の実施を命ぜられた部隊等の自衛官は、当該避難措置の対象である邦人又は外国人に対する暴行がまさに行われようとするのを認める場合であつて、急を要するときには、その行為を制止することができる。
2 前項の自衛官は、当該避難措置の実施に対して暴行又は脅迫による妨害が現に行われている場合には、その行
為を制止することができる。
3 第八十四条の三第一項の規定する外国において同項の輸送の職務に従事する自衛官は、自己若しくは当該避難
措置の職務に従事する隊員若しくは当該避難措置の対象である邦人若しくは外国人の生命若しくは身体の防護
のため又は前二項の規定による権限の行使に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当の理由がある場
合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。ただし、刑法第三十
六条 又は第三十七条 に該当する場合のほか、人に危害を与えてはならない。 〉――
「第84条の3」に関しては、「輸送」が「緊急措置」という言葉に変わり、「当該輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときは」が削除されていて、危険状態下でも保護を可能としている。
だから、単なる「輸送」を「緊急措置」と言葉を変え、このことによって武器使用基準の緩和という問題が出てくるのだろう。
「第94条の5」に関しては、現行法の「当該輸送に用いる航空機若しくは船舶の所在する場所又はその保護の下に入つた当該輸送の対象である邦人若しくは外国人を当該航空機若しくは船舶まで誘導する経路においてその職務を行うに際し」を削除して、保護した邦人もしくは外国人の輸送手段として航空機と船舶のみを限定していたが、限定そのものを外して、何も規定していない。
要するに陸路移動中に調達できる輸送手段は何でも利用可能とするということなのだろう。逆に車両限定とすると、例えばの話だが、保護した邦人数が多くて車両に収容できない場合、敵から奪ったヘリコプターは使用できないことになって、選択肢を狭くする危険性が生じる。
だが、アルジェリア邦人人質事件で一番に問題となった肝心要な事柄はこういった性格の保護だったのだろうか。
イスラム武装勢力がアルジェリアの天然ガス関連施設を襲撃、人質を取って立て篭もったのは日本時間1月16日午後2時頃。
ベトナム、タイ、インドネシア3カ国訪問の右翼の軍国主義者安倍晋三が最初の訪問国ベトナム・ハノイに到着したのは事件発生2時間後の日本時間1月16日午後4時10分。
日本の外務省に邦人拘束の第一報が入ったのは安倍ハノイ到着から約20分後の日本時間1月16日午後4時30分。
その20分後の日本時間1月16日午後に右翼の軍国主義者安倍晋三からの指示が入る。
日本時間1月16日午後11時35分、岸田外相がアルジェリアの外務大臣と電話会談、人命第一を要請。
翌1月17日に入って、アルジェリア治安当局が日本時間17日午後8時半頃、軍事作戦を開始。
更に次の日の1月18日に入った日本時間午前0時30分から、タイ訪問中の右翼の軍国主義者安倍晋がアルジェリアのセラル首相と電話会談。
安倍晋三「アルジェリア軍が軍事作戦を開始し、人質に死傷者が出ているという情報に接している。人命最優先での対応を申し入れているが、人質の生命を危険にさらす行動を強く懸念しており、厳に控えてほしい」
セラル首相「相手は危険なテロ集団で、これが最善の方法だ。作戦は続いている」(NHK NEWS WEB)――
アルジェリア政府が「テロリストとは交渉せず」の立場を取っていることは安倍晋三は情報として把握していたはずだし、把握していなければならなかったはずだが、アルジェリア治安当局が軍事作戦を開始してから、首相の立場から初めて「人命最優先」を要請した。
しかもこの電話会談に先立って、日本時間1月17日正午12時00分にタイからキャメロン英首相に電話、約15分間の電話会談を行っている。
例えキャメロン英首相と「人命最優先」と誓い合ったとしても、交渉当事国はアルジェリア政府である。アルジェリア政府が「人命最優先」を確約しなければ意味がないにも関わらず、セラル・アルジェリア首相との電話会談は後回しとなった。しかも「テロリストとは交渉せず」の立場通りの軍事的強行作戦開始後である。
日本時間1月18日午前6時頃、アルジェリア国営ラジオが軍事オペレーションが終了した旨を発表。
軍事作戦終了から1日と18時間後の日本時間1月20日午前0時30分、安倍晋三はセラル首相と2度目の電話会談。
セラル首相「人質救出に向けたすべてのオペレーションが終了し、全テロリストは降伏した。現在、まだ見つかっていない人質を捜索中だ」
安倍首相「わが国として、テロは断じて許容しない。今回の事件は極めて卑劣なものであり、強く非難する。これまでアルジェリア政府に対し、人命を最優先にするようにと申し入れてきたが、厳しい結果となったことは残念だ。
現地の状況について、以前から情報が錯綜している。日本および関係国に、アルジェリア政府が把握している情報を緊密に提供するよう重ねて求めたい」
セラル首相「あらゆる指示を出して最大限の協力をしたい」>(NHK NEWS WEB)――
右翼の軍国主義者安倍晋三は「厳しい結果となったことは残念だ」と言っているが、アルジェリア政府が「テロリストとは交渉せず」の立場を取り、軍事的制圧優先の姿勢である以上、「厳しい結果」は覚悟していなければならなかった結末であるはずである。
と言うことは、軍事作戦を可能な限り遅らせ、人質救出の優先を認めさせなければならないが、安倍晋三自身による「人命優先」要請の電話会談はアルジェリア治安当局の軍事作戦開始後となっていた。
「Wikipedia」によると、死者は被害者側48人、テロ組織側が32人、うち邦人死者は10人。
アルジェリア邦人人質事件の教訓とし、学習しなければならない邦人保護はこの点にこそあるはずである。
テロ武装勢力の制圧下にある人質事件に対して交渉当事国が「テロリストとは交渉せず」の立場を取り、軍事的制圧を優先させている場合に発生する人質人命の危機的状況下での、いわば日本政府が交渉当事国ではなく、日本政府も日本の自衛隊も事件に直接関わることができない人質人命の危機的状況下での「人命優先」の邦人保護はどうするかがアルジェリア邦人人質事件に於ける邦人保護の肝心要の教訓であり、学習としなければならない問題であって、テロ武装勢力の制圧下にない状況下での、自衛隊法改正案が「第84条の3」で言っている日本の自衛隊による「騒乱その他の緊急事態に際して、邦人の生命又は身体の保護」とその輸送が教訓の対象となっていたわけでもなく、学習の対象となっていたわけでもないはずだ。
だが、右翼の軍国主義者安倍晋三を筆頭とした安倍内閣と日本の国会は後者を教訓の成果とし、学習の成果とした。
右翼の軍国主義者安倍晋三はアルジェリア邦人人質事件では盛んに「人命優先」を強調、言い立てていたが、アルジェリア治安当局が軍事作戦を開始してから「テロリストとは交渉せず」の立場を取っていたセラル・アルジェリア首相と電話会談を行い、「人命優先」を要請した経緯から見ても、盛んに言っていた「人命尊重」が首相として口にしなければならないタテマエに過ぎなかったことと、事件の教訓と学習がテロ武装勢力制圧下の邦人保護とその「人命優先」には置かず、保護できる状態下にある邦人の輸送手段やその際の武器使用の議論であることと考え併せると、安倍晋三が思想としている「人命優先」が相当に怪しくなる。
アルジェリア邦人人質事件と類似の事件が世界の何処かの国で再発しない保証はない。人質の中に邦人が含まれ、その国が「テロリストとは交渉せず」の立場を取っていた場合、自衛隊法改正案は軍事的制圧後に解放された邦人が存在したときのその保護と輸送にしか役に立たないことになる。
だが、安倍晋三は国家の存続を優先させ、個人は国家優先の文脈でしか考えない政治家だから、同じ国家存続の優先を原理とした「テロリストとは交渉せず」の姿勢に親近性を感じているはずで、役に立たないことが教訓であり、学習であったとしても構わないのだろう。
生活の党PR
小宮山泰子生活の党国会対策委員長・NHK『日曜討論』出演
(11月3日(日)9:00~10:00)
小宮山泰子ホームページ
山本太郎が天皇に渡した手紙は便箋に何枚とかではなく、開くと長くなる、折り畳んだ一枚紙に毛筆で書いたものだというのだから、その仰々しさに驚く。
天皇に対する礼儀として、その形式が最適と考えたのかもしれない。だが、その仰々しさは右翼が国を憂えてといった理由で天皇に直訴する場合にこそ相応しい形式に思える。
尤も山本太郎にしても、福島原発事故処理の現状を見て、国を憂える気持ちはあったのだろう。だが、内閣を構成しているわけではないから巧妙な政治利用の手段を持たない一議員が天皇の何らかの発言や行動を期待してどう直訴しようとも、「国政に関する権能を有しない」(日本国憲法)天皇は応える権限も術も持たない。
当然、山本太郎は天皇の発言や行動に期待するのではなく、天皇に手紙を渡すという行為にのみ何らかの意味を持たせなければならなかった。例えば天皇の政治利用といった批判や懲罰を前以て覚悟して、直接手紙を渡すことの衝撃性によってマスコミの注目を集め、マスコミを使って逆に福島の現状を社会に知らしめ、満足に動いていない政治を動かす手段とするといった意味の持たせ方である。
だが、そういった意味の持たせ方ではなく、天皇の人柄に期待したのだろう、福島の現状をまともに訴え、何らかの反応を求めた。
このことは山本太郎の園遊会後の記者たちに対する発言に現れている。
山本太郎「原発事故によって、このままだと子どもたちの被ばくが進み、健康被害が出てしまう。さらに現場で対応に当たっている作業員は劣悪な環境で搾取され、命を削りながらやっている。こうした実情をお伝えしようと、手紙にしたためた。自分の政治活動に役立てようという気持ちはなく、失礼に当たるかもしれないという思いもあったが、伝えたい気持ちが先立った」(NHK NEWS WEB)
実情を伝えるについては実情を知って貰うだけで終わりということはないはずだ。国民に対して天皇という存在性が持つ影響力が頭にあったはずである。つまりその影響力を対象として実情を伝えた。
このことが許されるとしたら、安倍晋三のような右翼の軍国主義者・国家主義者が直接天皇を動かすことを正当化させることになって、非常に危険である。
山本太郎が訴えた内容はすべて政治が解決すべき問題である。政治が動かないからと言って、天皇の力で動かそうと欲したとしたら、天皇の政治利用に当たるだけではなく、自らの政治の無力をも示す。
例え無力を痛感していたとしても、政治は頭数でもあるから、人を集め、政治の力を以てして解決に向けた闘いを自らの姿勢で示さなければならなかったはずだ。
だが、政治の力を以てして闘うという姿勢は極めて薄弱である。
いつまでも待てない思いが時間短縮の焦りを誘ったのかもしれない。だとしても、自らの政治の力に、それが無力であっても、恃まなければならない。天皇をいくら恃んでも、議員個人に対しては動くことのできない憲法上の身分となっている。
11月1日、参議院議院運営委員会の岩城委員長らから事情を聴かれたあと、記者団に対しての発言。
山本太郎「「手紙を書いて天皇陛下に渡したという事実関係を岩城委員長に伝えた。マスコミが騒ぐから、政治利用と言われるが、原発事故の影響を伝えたかっただけだ。ルールを知らず、手紙を渡したのは事実なので、議院の沙汰を待ちたい」(NHK NEWS WEB)――
「マスコミが騒ぐから、政治利用と言われる」――
では、マスコミが騒がなかったなら、政治利用ではなくなると言うのだろうか。天皇の政治利用はマスコミが騒ぐ騒がないが基準となるわけではない。あくまでも自身の行動が基準となる。
マスコミへの責任転嫁であり、この責任転嫁は政治利用に対する覚悟がなかったことの裏返し証明であろう。
「ルールを知らず、手紙を渡したのは事実」だと、政治利用となることを知らなかったとしているが、手紙を渡す前に天皇に手紙を渡すことがどういう行為に当たるのか学習しなければならなかったはずだ。
学習した上で、敢えて政治利用を侵すか侵さないか、自らの政治的意志を選択しなければならなかった。手紙を渡すことに何らかの意味を持たせるためにのみ政治利用を侵すかどうかを選択しなければならなかった。
そういった手続きを一切踏まず、当然ルールを学習しないままに、「マスコミが騒ぐから、政治利用と言われる」とマスコミに対する責任転嫁一方となっている。
この責任転嫁は政治の力を以てして闘うという意志をも欠いていたことを示すはずだ。
各方面から叩かれることによって利口になり、大きくなっていく道を選択しなければならない。
10月31日、東京の赤坂御苑で秋の園遊会が開かれた。中には混じっている大勢の有象無象たち約1800人が招待されたという。テレビでよく流す、1800人もが勢揃いした中から、その前列に位置している参加者に天皇が左から順番に参加者に関わるありきたりの短い質問をし、声をかけられた参加者は畏(かしこ)まって、要するに畏れ多い様子で同じくありきたりの答を口にする、例の尤もらしげな一大セレモニーが行われていた最中の出来事ということらしい。
そこで原発絶対反対者、元俳優なのか、現在も俳優なのか知らないが、山本太郎参議院議員が天皇に手紙を渡した。園遊会史上始まって以来の一大事件ではないだろうか。
行為の良し悪しは別にすると、そうするぐらいの人間が一人ぐらい存在してもいいはずだ。天皇とは有り難るだけの存在であってはならないからだ。
手紙を渡された天皇はそれを傍にいた侍従長に手渡したという。要するに何事もなかった様子で次の参加者の前に立ったということなのだろう。
その後山本太郎が記者たちに話した内容。
山本太郎「原発事故によって、このままだと子どもたちの被ばくが進み、健康被害が出てしまう。さらに現場で対応に当たっている作業員は劣悪な環境で搾取され、命を削りながらやっている。こうした実情をお伝えしようと、手紙にしたためた。自分の政治活動に役立てようという気持ちはなく、失礼に当たるかもしれないという思いもあったが、伝えたい気持ちが先立った」
菅官房長官(記者会見)「天皇陛下に園遊会のような場で手紙を渡すことがその場にふさわしいかどうかは、参加された方自身が常識的に判断することだ。常識的な線引きはあると思う」
記者「手紙の内容は把握しているのか」
菅官房長官「何も聞いてない。そういう行為があったということだけは承知している」(以上NHK NEWS WEBから)
記事は11月1日に参議院議院運営委員会を開いて、山本太郎の行為に関わる対応を協議することになったと伝えている。
山本太郎が天皇に原発事故に関する何らかの言及を求めたい意志のもと手紙を認(したた)めたとしたら、天皇の政治利用に当たる。天皇は自身の意志での政治的発言は憲法で禁じられているからだ。政治家側の国事行為を装った政治利用の形でしか、いわば国事行為として政治家側が用意した文章を読み上げることでしか政治家側の意志を代弁する形での政治的発言しかできない。
当然天皇は、手渡されたのがラブレターなら、内々に答える場合もあるかもしれないが、原発事故に関しては政治に関係してくるために自らの意志による言及は一切行うことはないはずだ。
当然、山本太郎が天皇自身による何らかの言及を求めたいがために手紙を渡したのだとしたら、勘違いも甚だしいということになる。
但し、何ら言及を求めずに反原発の立場と子どもたちが置かれている状況、さらに東電の原発事故処理の杜撰な対応、その矛盾――いわば現在の「実情」を訴える立場から天皇に手紙を渡す行為を通してその「実情」をクローズアップさせるための衝撃を狙った確信犯であったなら、勘違いでも何でもなく、必ずしも政治利用とは言えなくなる。
政治利用ではないことを確実にするためには手紙は白紙か、「いつまでもお元気で長生きしてください」といった原発の「実情」とは一切関係しない簡単な文言を記す程度であったなら、最善と言うことができる。
だが、上記発言のように手紙で実際に原発事故の現在の「実情」を訴えていたのだとしたら、天皇の何らかの言及を求めたことになり、政治利用という違反行為の烙印を押される可能性は避けることはできない。
もう一つ、昨日のインターネット上に昭和22年3月13日公布、昭和22年5月3日憲法の日施行の請願法第3条に違反するとする指摘がなされていた。
請願法第3条「請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」――
政治利用と請願法違反の二つの懲罰が待ち構えている可能性は否定できない。
例え二つの重大な違反があったとしても、自分たち政治家側が散々に天皇を政治利用してきた歴史を抱えていながら、その狡猾な非常識を棚に上げて、天皇に手紙を渡したことを以って議員個人に対して例の如くに杓子定規な常識に照らした批判を行っている。
そういった連中の発言を見てみる。
脇雅史自民党参院幹事長「国会議員としてあるまじき行為で、相当の処分が必要だ」
自民党国対幹部「絶対にやってはいけないことだ」
石井啓一公明党政調会長「皇室の政治利用になりかねない問題だ」(以上The Wall Street Journal)――
石井啓一公明党政調会長「国会議員として、そもそも戒めなければいけない行為だ」
大畠民主党幹事長「マナーというものがある。国会議員だから何をしてもいいということではない」
自民党幹部1「陛下にとっても迷惑な話だ」
自民党幹部2「山本氏のパフォーマンスだ」(以上サンスポ)――
権力を握る側に立っていて、必要となったなら、いくらでも天皇を政治利用するくせに、偉そうな言葉を並べ立てている。
山本太郎は「天皇の政治利用に当たるのではないか」との指摘に「そういう思いは全くない」(47NEWS)と否定したということだが、天皇に手渡した手紙に自らの発言通りの内容を実際に記していたなら、二つの懲罰を下される可能性が避けがたいことを考慮して、却って確信犯とした方がいいのではないだろうか。
「原発事故の実情を知って貰うために敢えて天皇の政治利用と請願法違反を犯した」と。そして潔く下された懲罰を受ける。
「そういう思いは全くない」とするよりも、正々堂々とした態度となる。自らの挑戦的な姿勢を失わずにも済む。
例え議員の身分を失うことになったとしても、次の選挙で大勢の国民が支持し、投票することになるはずだ。