北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

9.11米本土同時多発テロから8年 日本を取り巻く安全保障環境の激変

2009-09-11 23:12:57 | 国際・政治

◆分岐点をのり越えて

 一晩にして世界はこれほど変わるものなのか、というのが一つの印象、そしてここまで大きな戦争の引き金になるとは、想像はしていたつもりだが、実際には、というところ。金曜日の夜という事で文章は散文的になるが、ご容赦いただきたい。

Img_9053  テロとの戦い、という言葉でひとくくりにされるが、夕食の最中に中継で北米本土同時多発テロの一報を耳にし、アフガニスタン空爆開始は駅前で号外を受け取り知った。一年半を経て米軍は有志連合とともにイラクに侵攻、アメリカ本土を攻撃できるテロリスト、そしてアメリカの意図しない核兵器の存在、この二つの恐怖の総和が今日の世界秩序を形成したともいえる。

Img_9019  2000年だったか、はるな型後継の護衛艦のイメージ図、前後に飛行甲板を有する護衛艦のイメージ図が好評された際には、一部で、護衛艦が13500トンである必要はあるのか、という声もあったかもしれないが、今日の安全保障環境では、満載排水量で19000トンの、ひゅうが型は、これからの日本の安全保障の面で、水上作戦中枢、戦力投射、国際人道支援、災害派遣に不可欠の艦となった。

Img_2053  横須賀には、懸案であった通常動力空母キティーホークの後継に、原子力空母のジョージワシントンが配備され、アメリカ建国の父を継ぐ艦が、同盟国の為に前方展開している。東西冷戦終結後に、一部の知識人が日米冷戦になるのではないかという論理を構築し、日米開戦をトムクランシーが発表したことを思い出すと、ある種滑稽だ。

Img_6902  日本の潮流の分岐点はどこだったか、2001年11月25日だったか、ヘリコプター護衛艦くらま、を旗艦とする対テロ任務海上阻止行動給油支援の舞台が派遣された。第二次派遣隊は、護衛艦はるな、が旗艦。はるな、舞鶴帰港の日には舞鶴基地に当方も足を運んだ。航空基地を見学中に夕立が基地を覆い、瞬間の虹の美しさが印象であった。

Img_9849  あの日から、補給艦を中心とした海上自衛隊のインド洋への派遣は、驚くべきことであるが恒常的に継続されている。故S.ハンティントンは、著書で日本も小部隊を派遣した、と記したがアメリカ以外のNATO加盟国で、これだけの部隊を完全に張り付けられる海軍は、イギリスくらいだろう。現時点で八年間にわたり、艦隊をインド洋に常駐させたのは、恐らく日本帝国海軍の時代も含めて無かったのではないか。

Img_8576  航空自衛隊によるアフガニスタンへの人道物資輸送も、続いてイラクとクウェートを結ぶ輸送に置き換わり、イラク派遣迷彩と呼ばれた空に溶け込む水色の迷彩は、緑を基調とした低空飛行用の迷彩とともに、いまや日常の存在となっており、かつては大災害で危機に曝された人々への人道支援さえも躊躇していた政府は、十数機しかC-130Hを保有していないことを知ってか知らずか、その海外派遣も恒常化した。

Img_0119_2  イラク復興人道支援に際して、陸上自衛隊がイラクに派遣されると聞いた時は更に驚いた。非戦闘地域に限定しての給水などの人道復興支援にあたる、と当時の小泉政権は説明したが、イラク域内では連日のようにテロが報じられ、日本国内の報道はもとより、衛星放送にて聴取する海外メディアの報道も同じようなものであった、ここに大隊規模の部隊を派遣する。

Img_5399  今度こそ犠牲者が出るのではないか、という危惧は、幸いにして、本当に幸いにして杞憂に終わったが、96式装輪装甲車、軽装甲機動車と装甲を施した車両群、そして84ミリ無反動砲から対迫レーダーまで動員し、任務を完遂した。ルワンダ派遣やモザンビークPKOなどでは、7.62㍉機関銃を何丁携行するかで、2丁携行では武力行使にあたるとの国会議論を思い出した。

Img_8039  正直、国際平和維持活動への自衛隊派遣は行われるだろう、と9.11以前は考えていたが、施設部隊を中心にしたものになるだろう、と。しかし、現実のように、装甲車を先頭にイラクに自衛隊を派遣する、9.11以前では、こんな想定は大石英司、それに森詠の小説くらいでしか想定されなかったようにも考える。

Img_3402  インド洋大津波をはじめ、国際平和維持活動の増大を見越して三隻が整備された、おおすみ型も、周辺諸国に脅威を及ぼすという的はずれの議論よりも、経済大国としての弱者への責任が求められるようになった。みうら型輸送艦でバシー海峡を越えてカンボジアに派遣された時代から求められる需要は大きく、国内の議論は杞憂であったというのが現状か。

Img_2025   イージス艦によるミサイル防衛。こちらも、同時多発テロとは直接関係は無いものの、北朝鮮が本当に核実験を行い、その衝撃からか、日本は十年足らずで、世界有数の弾道ミサイル防衛体制を構築しつつあり、非核保有国としては、ほぼ唯一、核兵器による圧力に耐える体制を築きつつある。これも、9.11との因果関係は別として、日米関係強化の象徴として、ミサイル防衛の体制は構築された。

Img_5725  安全保障体制の変化としてもう一つ挙げたいのは、ソマリア沖海賊対処任務である。実質、インド洋会場そ気行動給油支援と併せて一個護衛隊に匹敵する護衛艦部隊がインド洋に展開している。こちらも、9.11以前に、海上自衛隊がソマリア沖に海賊対処へ派遣される、というのは悪い冗談にしか聞こえなかっただろう。

Img_8267  ソマリア沖海賊対処任務は、続いてP-3C哨戒機の派遣となり、シーレーン防衛という様相を呈している。鈴木首相の1000浬シーレーン防衛構想からは、随分遠くなったが。アフガニスタン、インド洋、イラク、ソマリア沖。十年先の安全保障体制というのは、ここまでも先読みが難しいものであったとは。

Img_1585  今年、政権が変わった。思ったよりも時間を要したが、新政権は、インド洋からの給油支援を撤収させ、代わりにアフガニスタンへの復興人道支援任務に自衛隊を派遣するという構想。アメリカのオバマ政権は粛々と公約通りイラクからの米軍撤収を進め、その分、アフガニスタンへの米軍部隊を増強している。アフガニスタン情勢は悪化、NATOのISAF部隊では、先頃、ドイツ軍が第二次大戦後初の攻勢に出たというほどの状況。

Img_6228  アフガニスタン情勢の悪化は、山間部でのゲリラ戦が続いており、人道復興支援部隊よりも、4000㍍級の山間部を飛行できるCH-47JAやUH-60JAのような空中機動部隊が求められており、野砲や戦車による治安任務が求められている。空中機動部隊については、陸上自衛隊には輸送ヘリに、周辺国と比べて余裕があり、米軍から機体の貸与や部隊派遣を求められたこともあるようだ。

Img_7978  今回は、人道支援は難しそうだ。もとから水道が整備されていない地域に給水任務を行い、学校の無い地域に学校再建を行うというナンセンスよりも、日本へ求められるものは、山間部での得意分野の行使であろう。1960年の総合火力展示演習で展示して以来、ヘリボーンは陸上自衛隊のお家芸の一つである。

Img_1266  アフガニスタンへの戦車の派遣についても、真剣に検討されるべきかもしれない。機関銃を持ってゆくべきか、イージス艦をインド洋に派遣することの是非、などなどの議論の変遷をみれば、案外、十年後には普通に戦車が純白の車体にUNの文字を記して、国際平和維持活動の最前線にて、背後の避難民に迫る脅威に主砲を向けているのかもしれない。

Img_0680  一つだけ希望するとすれば、戦闘部隊をアフガニスタンに派遣できないのであれば、海上自衛隊の給油部隊を撤収させるにしても、その代わりに、イラクからアフガニスタンへ向かう米軍輸送機に対して、小牧の空中給油輸送機を派遣して、給油支援に充てるべきだ。KC-767は、数は不十分だが、その方が自衛隊にとっても危険が少なく、ISAFの任務にも差し支えないのではないか。

Img_5521  それにしても、本当に変わった。今後、日本が国際平和維持活動などへの派遣を継続的に考えるならば、後方支援部隊の輸送車両について、その装甲化は真剣に検討されるべきだろう。また、輸送機や輸送艦についても数的充実は真剣に検討されるべきだ。8年でここまで世界は変わった。これから十年後の展望は、同様に難しいものだろうから、備えは必要だ。

HARUNA

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コメント (6)
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