◆国際平和維持活動や国際人道支援での実績
アフガニスタン派遣を考えた場合、まず第一に日本は何を為すべきかという事を考えなければならない。今回は、これまで、陸上自衛隊が世界で任務にあたった実績について挙げてみたい。
日本の人道復興分野での協力を考える上で、第一にアメリカに要求されるのだから行くという事ではなく、アフガニスタンの戦災からの復興を支援し、破綻国家として国際テロ組織の拠点を構築される状況を防ぎ、高山に遊牧と農業が共存するアフガニスタンのあるべき姿を取り戻すことにより、復興を成し遂げることが目的である。
然るに、単純な自衛隊は行くべきではないというような論理体系を無視した原則論や、無関心、もしくは現地の要望に沿っていない援助の行使を行うことは無駄にもなってしまう。さて、そこで自衛隊がこれまで国際平和維持活動や国連平和維持活動において成し遂げてきた任務について、みてみたい。そこから、自衛隊に担うべき任務が見えてくるはずだ。
日本が最初の国連平和維持活動任務として参加したことで知られるカンボジアPKOではタケオ県へ中部方面隊を中心に派遣された部隊が、トティエ山に採石場を設置、道路を補修し、再び舗装したうえで首都プノンペンとを結ぶ国道三号線に架かる橋梁B71を施設機材中隊渡河器材小隊が架け替えた。
この時期、日本から派遣された文民警察官が武装勢力に襲撃され射殺されるなど、まだまだ緊張のカンボジア情勢ではあったが、日本からピースボートや反戦デモが押し掛けたりしたものの任務完遂、タケオ駐屯地はそのままカンボジア政府に返還され、タケオ県地域開発センターとして再利用されているとのこと。
モザンビークPKOでは、国家そのものを再建というよりも新生させるという任務に対して、陸上自衛隊は輸送調整中隊48名と司令部要員5名を派遣、南部アフリカという事でカンボジア以上に厳しい環境のもとで、ポルトガル軍通信大隊130名が展開するのマトラ宿営地に輸送調整中隊のうち主力41名が駐屯、首都マプト空港でも人員や物資の輸送調整任務にあたった。
ルワンダ難民救援隊の派遣では、数十万が虐殺されているというカンボジア以上に危険な地域への派遣ということで、82式指揮通信車に機関銃を搭載して派遣した。この際に62式機銃を何丁携行を認めるかで激論を招いたことは有名である。ちなみに、2002年の東ティモール派遣では議論にもならず10丁を携行しているのだが。
ザイールでは発砲事件も幾度か起こっており、宿営地を飛び越えて曳光弾が確認されるなど、いつ戦闘を仕掛けられるのか、巻き込まれるのか緊張を強いられた中で、隣国ザイールの首都ゴマに輸送機を派遣、キブンハ、キトゥク、カタレなどの難民キャンプにおいて医療、防疫、給水任務などを実施した。
武装勢力、民兵、ザイール軍による発砲事件が相次いだことから、装甲車である82式指揮通信車を用いてのゴマ市内パトロールも実施しつつ、ゴマ病院では2100件の診療と70件の手術を行っている。
ゴラン高原のイスラエル・シリア国境における国連兵力引き離し監視隊では、現在、参議院議員として知られる佐藤正久隊長以下の第一次隊がジウアニ駐屯地にて任務に就いてより、今日に至るまで輸送支援などを実施している。輸送は、シリアのダマスカス空港から国境の監視所まで行われ、半年で14万kmにも及ぶ距離を輸送したという。このほか、輸送路の除雪任務などにもあたっている。
国際緊急人道支援任務として派遣されたホンジュラス派遣では、ハリケーン一過、甚大な被害を受けた首都テグシガルパに展開、この移動には待機部隊に指定されていた名古屋の第10師団の緊急医療援助隊80名が、名古屋空港と隣接する小牧基地よりC-130H輸送機により迅速に出動することが出来た。
ホンジュラスにおける具体的任務としては、テグシガルパ市のコマヤグエラ地区にて除染作業を行うとともに、エルオベリスコ公園に野外浄水キットを設置し、給水支援を行い、応急医療施設では診療も実施している。こののち、国連憲章七章措置として実施された東ティモールPKOや、2003年からのイラク復興人道支援任務に際しては、学校復興などの任務や病院支援も実施している。次回は、これら任務とアフガニスタンで求められるであろう任務について、少し掘り下げて考えてみたい。
HARUNA
[本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる]