■陸上自衛隊の超兵器
陸上自衛隊がミサイル防衛用に66式メーザー殺獣光線車を開発した背景について、今回も映画の話ですが、物凄く大真面目に真剣に真正面から考えてみましょう。
これは1960年代初頭の地対空ミサイル所管を巡る陸上自衛隊と航空自衛隊の熾烈な縄張り争いとは恐らく無関係ではありません。陸上自衛隊は1962年よりMIM-3ナイキエイジャックスを、1964年よりMIM-23Aホークミサイルの導入を開始しましたが、長射程地対空ミサイルであるナイキエイジャックスミサイルについて、防空管制一元化の必要上航空自衛隊の所管とすべきという議論が巻き起こり、野戦防空は陸上自衛隊の所管とし、移管の可否と装備関連予算を巡り激論となりました。
要するに地対空ミサイルが迎撃機の補完に当たる補助装備であるのか、高射砲と高射機関砲の圏外を狙う野戦防空火器なのか、との討議ですが、1965年に射程の大きなナイキエイジャックスミサイルを航空自衛隊が所管する決定となり、陸上自衛隊は防空装備を一つ失った訳です。そこで、恐らく作中の世界ではホークミサイルを補完する防空装備として、開発中の66式メーザー殺獣光線車を陸上自衛隊の所管としたのでしょう。ただ、現実世界の陸上自衛隊には、そもそも66式メーザー殺獣光線車等開発していませんでしたので、野戦防空用に1969年よりスイス製L-90/35mm高射機関砲の大量配備を開始しています。
ただ、野戦用として視た場合の66式メーザー殺獣光線車には少々問題が残ります、車高が高すぎるので遠距離から容易に発見されますし、対戦車戦闘に用いるには防御力が不足しています。実際、ゴジラの熱線に61式戦車やM-4戦車は数秒とはいえ耐えている描写があるのですが、66式メーザー殺獣光線車は、他の作品において怪獣の攻撃により簡単に破壊されています。
原子炉を搭載しているのですから地上で破壊された場合の被害を考えますと憂鬱となりますが、防御力が低い、また、様々な脆弱部分を露出しており、対戦車戦闘にも適さない構造であるほか、メーザーは直進するため、榴弾砲等による間接照準射撃に対しては、砲弾を命中以前にミリ波レーダー等で探知しメーザーにより迎撃無力化しなければ、容易に破壊されてしまうでしょう。ミサイル迎撃用に特化した装備なのです。
66式メーザー殺獣光線車は、ミサイル迎撃用という位置づけが様々な資料により示されますが、制式化された1960年代は、現代程ミサイルが広範に試用されていた訳ではありません。勿論、ミサイルは当時既に大陸間弾道弾が実用化されていますが、ミサイル迎撃用といっても弾道ミサイルの他に正式か間もない初期の対艦ミサイルや巡航ミサイル等が実用化されており、66式メーザー殺獣光線車のメーザーがどの程度の威力を有するかが不明確であるため、どのミサイルを念頭としていたかは定かではありません。
しかし東宝映画の世界観では1961年に公開された松林宗恵監督の“世界大戦争”において自衛隊が東京ミサイル防衛司令部を置き、弾道ミサイルを早期探知する警戒網を有している為、終末段階迎撃にメーザー兵器を使用する公算であったのかもしれません。“世界大戦争”では東京ミサイル防衛司令部を置いていたのですが、作中では探知と警報を出すのみ、しかし、防衛司令部という位置づけなのですから、迎撃手段なども模索されていたと考えるのが自然でしょう。
当時一般的な迎撃手段は、核弾頭ミサイルへ正確に命中させるには強力な弾頭を搭載する他なく、MIM-14 ナイキハーキュリーズ地対空ミサイルに40キロトンのW31核弾頭を搭載し、最大到達高度45000mでの核爆発により成層圏で核爆発を引き起こし、その強力な破壊力により核弾頭を多少離れたところでも破壊半径に含ませて破壊していましたが、日本は迎撃用を含め核武装を防衛の選択より省いていたことから、高性能爆薬T-45弾頭型を採用しており、ミサイルに対する地対空ミサイルでの迎撃は不可能でした。
もちろん、この種の装備には原子力を用いる以上、日米動力協定、日米原子力研究協定、日米の原子力に関する非軍事化という国際法上の枠組が課題ではありますが、巨大生物災害対策という位置づけで開発を行い、終末段階迎撃にメーザー兵器を使用する作中の選択肢は、その苦肉の策として導き出されたものなのでしょうか。しかし、核の脅威へ通常兵器により立ち向かうという姿勢があるならば、これは評価されるべきでしょう。この視点、踏み込みますともう少し奥が深く、機会を改めもう少し考えてみようと思います。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
陸上自衛隊がミサイル防衛用に66式メーザー殺獣光線車を開発した背景について、今回も映画の話ですが、物凄く大真面目に真剣に真正面から考えてみましょう。
これは1960年代初頭の地対空ミサイル所管を巡る陸上自衛隊と航空自衛隊の熾烈な縄張り争いとは恐らく無関係ではありません。陸上自衛隊は1962年よりMIM-3ナイキエイジャックスを、1964年よりMIM-23Aホークミサイルの導入を開始しましたが、長射程地対空ミサイルであるナイキエイジャックスミサイルについて、防空管制一元化の必要上航空自衛隊の所管とすべきという議論が巻き起こり、野戦防空は陸上自衛隊の所管とし、移管の可否と装備関連予算を巡り激論となりました。
要するに地対空ミサイルが迎撃機の補完に当たる補助装備であるのか、高射砲と高射機関砲の圏外を狙う野戦防空火器なのか、との討議ですが、1965年に射程の大きなナイキエイジャックスミサイルを航空自衛隊が所管する決定となり、陸上自衛隊は防空装備を一つ失った訳です。そこで、恐らく作中の世界ではホークミサイルを補完する防空装備として、開発中の66式メーザー殺獣光線車を陸上自衛隊の所管としたのでしょう。ただ、現実世界の陸上自衛隊には、そもそも66式メーザー殺獣光線車等開発していませんでしたので、野戦防空用に1969年よりスイス製L-90/35mm高射機関砲の大量配備を開始しています。
ただ、野戦用として視た場合の66式メーザー殺獣光線車には少々問題が残ります、車高が高すぎるので遠距離から容易に発見されますし、対戦車戦闘に用いるには防御力が不足しています。実際、ゴジラの熱線に61式戦車やM-4戦車は数秒とはいえ耐えている描写があるのですが、66式メーザー殺獣光線車は、他の作品において怪獣の攻撃により簡単に破壊されています。
原子炉を搭載しているのですから地上で破壊された場合の被害を考えますと憂鬱となりますが、防御力が低い、また、様々な脆弱部分を露出しており、対戦車戦闘にも適さない構造であるほか、メーザーは直進するため、榴弾砲等による間接照準射撃に対しては、砲弾を命中以前にミリ波レーダー等で探知しメーザーにより迎撃無力化しなければ、容易に破壊されてしまうでしょう。ミサイル迎撃用に特化した装備なのです。
66式メーザー殺獣光線車は、ミサイル迎撃用という位置づけが様々な資料により示されますが、制式化された1960年代は、現代程ミサイルが広範に試用されていた訳ではありません。勿論、ミサイルは当時既に大陸間弾道弾が実用化されていますが、ミサイル迎撃用といっても弾道ミサイルの他に正式か間もない初期の対艦ミサイルや巡航ミサイル等が実用化されており、66式メーザー殺獣光線車のメーザーがどの程度の威力を有するかが不明確であるため、どのミサイルを念頭としていたかは定かではありません。
しかし東宝映画の世界観では1961年に公開された松林宗恵監督の“世界大戦争”において自衛隊が東京ミサイル防衛司令部を置き、弾道ミサイルを早期探知する警戒網を有している為、終末段階迎撃にメーザー兵器を使用する公算であったのかもしれません。“世界大戦争”では東京ミサイル防衛司令部を置いていたのですが、作中では探知と警報を出すのみ、しかし、防衛司令部という位置づけなのですから、迎撃手段なども模索されていたと考えるのが自然でしょう。
当時一般的な迎撃手段は、核弾頭ミサイルへ正確に命中させるには強力な弾頭を搭載する他なく、MIM-14 ナイキハーキュリーズ地対空ミサイルに40キロトンのW31核弾頭を搭載し、最大到達高度45000mでの核爆発により成層圏で核爆発を引き起こし、その強力な破壊力により核弾頭を多少離れたところでも破壊半径に含ませて破壊していましたが、日本は迎撃用を含め核武装を防衛の選択より省いていたことから、高性能爆薬T-45弾頭型を採用しており、ミサイルに対する地対空ミサイルでの迎撃は不可能でした。
もちろん、この種の装備には原子力を用いる以上、日米動力協定、日米原子力研究協定、日米の原子力に関する非軍事化という国際法上の枠組が課題ではありますが、巨大生物災害対策という位置づけで開発を行い、終末段階迎撃にメーザー兵器を使用する作中の選択肢は、その苦肉の策として導き出されたものなのでしょうか。しかし、核の脅威へ通常兵器により立ち向かうという姿勢があるならば、これは評価されるべきでしょう。この視点、踏み込みますともう少し奥が深く、機会を改めもう少し考えてみようと思います。
北大路機関:はるな くらま
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