■青空を往くイーグル飛行展示
岐阜基地航空祭、XASM-3初公開とともに装備品展示を眺めていますと、同時並行してF-15飛行展示が始まりました。

岐阜基地航空祭は撮影ポイントから見ますと、北側メイン会場の最新鋭機が並ぶ情景と南側会場の順光の環境がある。その移動にはシャトルバスを利用する事で、滑走路の向かい側にも素早く移動する事が出来る。これで人一倍航空祭を愉しめるという話題の続き。

シャトルバスが混雑している場合には、シャトルバスを断念して徒歩で南側会場に移動するという選択肢があります。滑走路の信号が赤信号のうちに急いで歩行者信号を横断、ということではありません。当たり前ですが、基本徒歩で滑走路は入ることができません。

滑走路は、落下物確認の要員かランウェイウォークという滑走路散策の専門行事がありますが、航空祭では絶対滑走路立ち入り禁止、誘導路とを結ぶ安全ロープを越えてはなりません、ではどうするか、簡単です、歩いてゆけばいい、基地外周道路を徒歩で移動する。

滑走路は安全帯含め3km以上ありますので一周したならば幅を含め8kmになってしまいますが、メイン会場から南側会場まで2kmから3kmほど、歩いて40分前後です。利点は天井が無い点、歩いている最中に飛行展示が始まりましても、歩きながら撮影すればよい。

誘導路沿いに撮影する事もできます。絶対混雑しませんので純粋に家族や友人と航空祭を楽しむには誘導路沿いを敢えて選ぶ航空愛好家も少なくありません。少なくないならば結局混雑するのでは、と思われるかもしれませんが、実はこの撮影位置、全長は非常に長い。

誘導路沿いは2kmから3km、1mに2人で並んだ場合でも最前列だけで数千名が最前列に並ぶことができる。もちろん、飛行展示は遠いです、また滑走路北側の誘導路沿いですので確実に逆光となります。誘導路沿いで撮影最適の位置というと限られるのですが、ね。

それでも混雑しない、人混みは疲れるという方々には理想的な場所でしょう、お弁当を持ち込んで家族で楽しむこともできる、最近は誘導路沿いにお手洗いも配置されるようになりました。どのくらい余裕がある場所かと問われれば、脚立を使っている人が居ません。

誘導路は、着陸した航空機がメイン会場へ戻る経路でもあります。その誘導路を進む様子は、この誘導路沿いの撮影位置から航空機の優美な姿を間近に写すことができる好立地です。また、制動傘、ドラッグシュートともいわれますが、この撮影にも理想的な場所だ。

ドラッグシュート、着陸後これを切り離す瞬間も写すことができます。誘導路は一機二機ではなく、編隊飛行に参加した航空機が一斉に着陸しますので、誘導路を曲がり込む瞬間に複数航空機が重なる瞬間を望遠レンズで撮影しますと、これはなかなか迫力があります。

躍動感ある航空機写真へ、敢えてこの場所で撮影するという方々の話も頷けるものです。そして北側と南側の中間にあり、歩いて南側会場へ向かう場合はこの誘導路沿いを通りますので、敢えて一回二回、誘導路を進む航空機撮影へ歩みを止めてみるのも一興でしょう。

かかみがはら航空宇宙博物館、岐阜基地に南側から隣接する博物館ですが、この周辺から撮影するという方法もあります。撮影位置としては遂に基地を出てしまった、という立地ですが、ここはここで興味深い、もちろん民有地に隣接しますのでマナーには注意したい。

特に総合予行などの際には基地にはいることができない航空機愛好家の定番撮影位置といえるでしょう。実際、日曜日に休むことができない業種の人たちにはここから予行を撮影することで本番のメイン会場より遙かに優美な編隊飛行や機動飛行を撮影する方々も多い。

ただ、距離がありますので若干長めの望遠レンズが必要となります。一方、編隊飛行については多数の航空機が参集する異機種大編隊を中心に、南側会場の真下から仰ぎ見るよりも、少し距離をおいた航空宇宙博物館側から撮影した方がまとまってみることができる。

南門が開放されている年度には、岐阜基地でメイン会場を撮影した後に、南門へシャトルバスで移動するという行動が可能でした。ただ、南門は開放されない年度も多く、この場合は一旦、正門から基地を出まして基地外周と工業団地を抜けて歩かなければなりません。

博物館へは、若宮神社と切り通しを経て移動することになりまして、徒歩では正門から40分ほど要します、この長時間、しかも外周道路は電線や建物等の障害物も多いのでこの間、飛行展示を撮影する事はかなり厳しい。しかし、予行を撮影するには理想的でしょう。

南側会場に到着しますと、最初に出迎えてくれるのは保存展示航空機です。C-46輸送機が間近に雨が降った際には雨宿りできるほどに近くへ寄る事が出来ます。そしてこの機体は他の基地からの転用ではなく、岐阜で評価試験に用いられていた航空機、他にも多数並ぶ。

岐阜基地は航空自衛隊技術開発の拠点です。並ぶ多くの保存機が物語り、そして日本の航空技術は第二次世界大戦後に連合国により航空機開発を禁止された空白の時代があるため、ジェット機の草創期という最も重要な時期に技術開発から取り残されることとなりました。

十年程度の空白期間ですが、航空機開発で十年間というものは特に転換期にあっては致命的です。エンジン開発一つとっても空白は厳しく、そして航空自衛隊を筆頭に日本の航空産業はこの十年間を取り戻すために今なお苦闘しているといっても過言ではありません。

第二次世界大戦中と冷戦初期の軍事技術発展は、今日の視点から見ても異常としか言いようがない速度でした、超音速爆撃機B-58や核攻撃用爆撃機を運用可能なフォレスタル級空母の出現、なにしろゼロ戦が制式化されてからファントムが出来るまで僅か十数年です。

航空開発十年の空白、思い出すべきは日本が敗戦を迎えた1945年、その十年前の1935年は複葉機と単翼機の過渡期であり、実用機では第一線用戦闘機を含め複葉機がまだ多数を占めた時代で、例えば日本海軍の主力艦載機であった九五式戦闘機も複葉機でした。

単翼機もあるにはありましたが、海軍九六式戦闘機は一見近代的な単翼機でありながら、車輪の脚部は固定脚であり、風防も密閉式ではなく、文字通り正面部分の風除けでしかありませんでした。ゼロ戦と愛称される零式艦上戦闘機の開発は九六式戦闘機の後継です。

ゼロ戦誕生、固定脚と半密閉風防、それが零式艦上戦闘機から一挙に近代化、1945年には旧式化が著しく、高出力の小型エンジンと高高度飛行に必須の排気タービンの連接技術に苦闘しつつ、同時に陸軍は一式戦隼から毎年新型戦闘機を制式化してゆきました。

欧州では初期のジェット戦闘機メーッサーシュミットMe262とイギリスのミーティアが実用化され一方は爆撃機迎撃に威力を発揮し、もう一方は巡航ミサイル迎撃に奮闘、アメリカも数年でP80戦闘機としてのちにF80へと発展する航空機を開発しているわけです。

朝鮮戦争緒戦で活躍するジェット戦闘機の原型が初飛行を待っていました。ジェット戦闘機の時代、日本もキ20エンジンとしてドイツより潜水艦を用いジェットエンジンの導入に成功、この国産化を図ると共に国産初のジェット機、特殊攻撃機橘花を開発しています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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岐阜基地航空祭、XASM-3初公開とともに装備品展示を眺めていますと、同時並行してF-15飛行展示が始まりました。

岐阜基地航空祭は撮影ポイントから見ますと、北側メイン会場の最新鋭機が並ぶ情景と南側会場の順光の環境がある。その移動にはシャトルバスを利用する事で、滑走路の向かい側にも素早く移動する事が出来る。これで人一倍航空祭を愉しめるという話題の続き。

シャトルバスが混雑している場合には、シャトルバスを断念して徒歩で南側会場に移動するという選択肢があります。滑走路の信号が赤信号のうちに急いで歩行者信号を横断、ということではありません。当たり前ですが、基本徒歩で滑走路は入ることができません。

滑走路は、落下物確認の要員かランウェイウォークという滑走路散策の専門行事がありますが、航空祭では絶対滑走路立ち入り禁止、誘導路とを結ぶ安全ロープを越えてはなりません、ではどうするか、簡単です、歩いてゆけばいい、基地外周道路を徒歩で移動する。

滑走路は安全帯含め3km以上ありますので一周したならば幅を含め8kmになってしまいますが、メイン会場から南側会場まで2kmから3kmほど、歩いて40分前後です。利点は天井が無い点、歩いている最中に飛行展示が始まりましても、歩きながら撮影すればよい。

誘導路沿いに撮影する事もできます。絶対混雑しませんので純粋に家族や友人と航空祭を楽しむには誘導路沿いを敢えて選ぶ航空愛好家も少なくありません。少なくないならば結局混雑するのでは、と思われるかもしれませんが、実はこの撮影位置、全長は非常に長い。

誘導路沿いは2kmから3km、1mに2人で並んだ場合でも最前列だけで数千名が最前列に並ぶことができる。もちろん、飛行展示は遠いです、また滑走路北側の誘導路沿いですので確実に逆光となります。誘導路沿いで撮影最適の位置というと限られるのですが、ね。

それでも混雑しない、人混みは疲れるという方々には理想的な場所でしょう、お弁当を持ち込んで家族で楽しむこともできる、最近は誘導路沿いにお手洗いも配置されるようになりました。どのくらい余裕がある場所かと問われれば、脚立を使っている人が居ません。

誘導路は、着陸した航空機がメイン会場へ戻る経路でもあります。その誘導路を進む様子は、この誘導路沿いの撮影位置から航空機の優美な姿を間近に写すことができる好立地です。また、制動傘、ドラッグシュートともいわれますが、この撮影にも理想的な場所だ。

ドラッグシュート、着陸後これを切り離す瞬間も写すことができます。誘導路は一機二機ではなく、編隊飛行に参加した航空機が一斉に着陸しますので、誘導路を曲がり込む瞬間に複数航空機が重なる瞬間を望遠レンズで撮影しますと、これはなかなか迫力があります。

躍動感ある航空機写真へ、敢えてこの場所で撮影するという方々の話も頷けるものです。そして北側と南側の中間にあり、歩いて南側会場へ向かう場合はこの誘導路沿いを通りますので、敢えて一回二回、誘導路を進む航空機撮影へ歩みを止めてみるのも一興でしょう。

かかみがはら航空宇宙博物館、岐阜基地に南側から隣接する博物館ですが、この周辺から撮影するという方法もあります。撮影位置としては遂に基地を出てしまった、という立地ですが、ここはここで興味深い、もちろん民有地に隣接しますのでマナーには注意したい。

特に総合予行などの際には基地にはいることができない航空機愛好家の定番撮影位置といえるでしょう。実際、日曜日に休むことができない業種の人たちにはここから予行を撮影することで本番のメイン会場より遙かに優美な編隊飛行や機動飛行を撮影する方々も多い。

ただ、距離がありますので若干長めの望遠レンズが必要となります。一方、編隊飛行については多数の航空機が参集する異機種大編隊を中心に、南側会場の真下から仰ぎ見るよりも、少し距離をおいた航空宇宙博物館側から撮影した方がまとまってみることができる。

南門が開放されている年度には、岐阜基地でメイン会場を撮影した後に、南門へシャトルバスで移動するという行動が可能でした。ただ、南門は開放されない年度も多く、この場合は一旦、正門から基地を出まして基地外周と工業団地を抜けて歩かなければなりません。

博物館へは、若宮神社と切り通しを経て移動することになりまして、徒歩では正門から40分ほど要します、この長時間、しかも外周道路は電線や建物等の障害物も多いのでこの間、飛行展示を撮影する事はかなり厳しい。しかし、予行を撮影するには理想的でしょう。

南側会場に到着しますと、最初に出迎えてくれるのは保存展示航空機です。C-46輸送機が間近に雨が降った際には雨宿りできるほどに近くへ寄る事が出来ます。そしてこの機体は他の基地からの転用ではなく、岐阜で評価試験に用いられていた航空機、他にも多数並ぶ。

岐阜基地は航空自衛隊技術開発の拠点です。並ぶ多くの保存機が物語り、そして日本の航空技術は第二次世界大戦後に連合国により航空機開発を禁止された空白の時代があるため、ジェット機の草創期という最も重要な時期に技術開発から取り残されることとなりました。

十年程度の空白期間ですが、航空機開発で十年間というものは特に転換期にあっては致命的です。エンジン開発一つとっても空白は厳しく、そして航空自衛隊を筆頭に日本の航空産業はこの十年間を取り戻すために今なお苦闘しているといっても過言ではありません。

第二次世界大戦中と冷戦初期の軍事技術発展は、今日の視点から見ても異常としか言いようがない速度でした、超音速爆撃機B-58や核攻撃用爆撃機を運用可能なフォレスタル級空母の出現、なにしろゼロ戦が制式化されてからファントムが出来るまで僅か十数年です。

航空開発十年の空白、思い出すべきは日本が敗戦を迎えた1945年、その十年前の1935年は複葉機と単翼機の過渡期であり、実用機では第一線用戦闘機を含め複葉機がまだ多数を占めた時代で、例えば日本海軍の主力艦載機であった九五式戦闘機も複葉機でした。

単翼機もあるにはありましたが、海軍九六式戦闘機は一見近代的な単翼機でありながら、車輪の脚部は固定脚であり、風防も密閉式ではなく、文字通り正面部分の風除けでしかありませんでした。ゼロ戦と愛称される零式艦上戦闘機の開発は九六式戦闘機の後継です。

ゼロ戦誕生、固定脚と半密閉風防、それが零式艦上戦闘機から一挙に近代化、1945年には旧式化が著しく、高出力の小型エンジンと高高度飛行に必須の排気タービンの連接技術に苦闘しつつ、同時に陸軍は一式戦隼から毎年新型戦闘機を制式化してゆきました。

欧州では初期のジェット戦闘機メーッサーシュミットMe262とイギリスのミーティアが実用化され一方は爆撃機迎撃に威力を発揮し、もう一方は巡航ミサイル迎撃に奮闘、アメリカも数年でP80戦闘機としてのちにF80へと発展する航空機を開発しているわけです。

朝鮮戦争緒戦で活躍するジェット戦闘機の原型が初飛行を待っていました。ジェット戦闘機の時代、日本もキ20エンジンとしてドイツより潜水艦を用いジェットエンジンの導入に成功、この国産化を図ると共に国産初のジェット機、特殊攻撃機橘花を開発しています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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