■平成三〇年度富士学校祭
先々週の挙行となりましたが16式機動戦闘車/16MCV初登場となった富士学校祭の様子を本日、コンパクトデジカメG7X写真にてお伝えしましょう。
富士学校創設記念富士駐屯地祭、台風七号接近の報道とともに天候が絶望視されていました行事ですが、徐々に予報は好転となりまして週半ばには曇天予報に。ご承知の通り当方が舞鶴と沼津で撮影している間に、西日本豪雨災害はここを突かれた構図となりました。
静岡県と隣県は幸い大きな被害もなく無事挙行となりました次第です。富士学校祭、平成三〇年度記念行事は同時に今上陛下の御退位と上皇猊下への御譲位にあたり、平成最後の行事となります。そして自衛隊改編における過渡期の行事、ともなっているわけですね。
90式戦車、89式装甲戦闘車、99式自走榴弾砲、優秀装備を一手に集めた、との説明は数年前まで、軽装甲機動車と96式装輪装甲車が加わった過渡期経て、現在は更に10式戦車、16式機動戦闘車、12式地対艦誘導弾が加わり、新しい時代の新しい脅威へ備えています。
戦車教導隊の戦車が中隊単位で多数行進する様子はなかなか一見の価値があるといいますか、日本の機械化部隊も富士教導団は北海道並の水準を維持しているのだなあ、と感慨深いものがあります。戦車の迫力を感じる事が出来る場所、日本にはなかなかありません。
須走に今年も一泊しました。須走は富士浅間神社の門前町に多くの旅館がならんでいます、富士浅間神社は富士登山口として参拝の後に登山、江戸時代から門前町が広がっていたと言います。例年は御殿場駅付近に一泊し、ゆったりと御殿場の宵の口を満喫していました。
御殿場の夜、美味しい天麩羅と大浴場を楽しんでいたのですが年々、富士学校祭の来場者が増大していまして、御殿場からの始発バスでは乗り切れないほどに多くの方々が集います。御殿場の天麩羅は蝦紫蘇に冥加や人参に丸十、そして遠州灘の海の幸を焼酎等と頂く。
富士学校祭、しかし始発バスに乗り遅れる問大変ですが乗るには長蛇の列に挑むべくさらに早起きせねばならない。早起きは大変だ、しかし、須走、つまり富士学校の隣ですが、ここに一泊してしまいますと、ゆっくり朝食を頂いてから並ぶことができるというわけ。
富士学校隣とあり、其処は兵隊横町広がり、お酒も楽しい。一泊した前夜はNHKにてドラマバカボンのパパよりバカなパパ、楽しみにしていたドラマを視聴していたところいきなりの緊急地震速報、千葉県沖で震度五の地震が発生し番組が中断の為、赤提灯へ転進した。
富士教導団は首都防衛無言の鎮め、日本の平和主義が周辺国からの軍事恫喝に曝された際に2000万首都圏に重厚機械化部隊が威容を示すことで平和主義を鼓舞し、軍事恫喝に主権を揺るがす策謀を一蹴する重責があります。朝一番に朝湯で身を清め朝餉を経て駐屯地へ。
平和主義とは無抵抗主義ではなく、即ち周辺国の軍事圧力に世論が怯み、平和主義の礎を軍事圧力に売り渡すことがあってはなりません、無抵抗主義ではなく盤石な平和創造への哲学を諸国民の繁栄に寄与させるための広場として平和主義は無ければそではどうなるか。
平和主義は支える実力を兼ねなければ、文字通り風前の灯火に祈るだけの理想郷への偶像崇拝にすぎません、だからこそ無言の鎮めには意味がある。首都近郊の富士教導団はこの意味があるのですが、いやあ、今年も行列が凄い、駐車場にて東京の友人と合流しました。
西日本豪雨、鴨川氾濫水位という状況が現在進行形とは思えないほどの穏やかな曇天でしたが、友人で12年間自衛隊行事に一緒にカメラを並べる、お天気運が、翔鶴さん並の友人がタブレットPCで油断無く雨雲動向を監視していますと、凄い雨雲が向かっているという。
当方はHARUNAなので榛名さん並にお天気が良いのですが、翔鶴さんなみにお隣の状況が懸念されましたので、大丈夫天気は保つ、と当方は拳を高らか振り上げて力説しつつ、年には念のための雨具を着用する。ゴアテックス雨衣を上下着用し、準備は一応行います。
ゴアテックス雨衣にこの日のためにモンベルで購入した靴用雨衣も装着、カメラバックは全部二重のポリ袋に密封し、カメラはビニールの完全防滴カメラカバーで覆う。千僧駐屯地で滝のような雨に打たれながら僥倖にも雨衣を分けていただき、地獄の仏と感謝でした。
千僧駐屯地はあの日当然晴天の予想、予報ではなく予想しただけに雨に無防備、あとは伊丹市指定ポリ袋を両足に長靴代わりに押し込んで水深9cmの池のような水溜まりの中で撮影していた様子を知る皆様からは、おお、千僧の反省活きた防滴装備、と喝采されました。
山の天候は変わりやすい、と護衛艦かが大阪港入港の際に、天保山で毎日登山しているという方に聞きましたが、富士学校は標高940m、つまりここは富士の裾野ではなく富士の斜面、ほぼ富士登山に近い場所なのですね。山なので、天候に用心するに越したことはない。
しかし翔鶴並の友人、雨具を車両においてきてしまったといい、こちらは予備の雨具は、といいますか富士学校祭前のロシア艦隊舞鶴入港の際に全部濡れてしまったので、持ってきた雨具が雨衣以外全部予備、カメラバック収める大洗町指定ポリ袋も使い果たしている。
京都市指定ポリ袋くらいしか予備はない。仕方なくポリ袋だけわたしますと、とりあえず雨衣を買ってくるという。保つかお天気くるか悪天候、戦々恐々と周囲のオッチャンたちと雨天の怖い思い出話で交流を深めていますと、雨衣を手にお友達帰ってきまして、で。
雨衣買っているうちに雨雲どっか行った、と。うむ、あるある話、まえ、総火演や今津でもあったなあ。雨天でも航空祭ですと肝心の飛行展示がすべて中止となり、何も撮影できなく帰途に就く事となりますが、基本駐屯地祭は予定通り行われ準備次第で写真は撮れる。
戦車教導隊は東部方面混成団隷下の第1機甲教育隊と統合され機甲教導連隊へ発展的に再編されることとなり、駐屯地も富士駐屯地から富士岡の駒門駐屯地へ移駐となります。駒門駐屯地は第1機甲教育隊本部がおかれる共に第1師団隷下の第1戦車大隊が駐屯です。
富士地区唯一の戦車実戦部隊が駐屯、最新鋭10式戦車と74式戦車を混成運用している。駒門に移駐したならば来年度の富士学校祭では毎年のように多くの戦車を式典に参加させることはできないのではないか、思い出すのは真駒内の第11戦車大隊が移駐したおはなし。
第11戦車大隊が旅団司令部置かれる札幌市内の真駒内駐屯地から遠く空港快速で千歳空港近くまで行く北恵庭駐屯地に移駐となり、真駒内での旅団行事に僅かな戦車のみ派遣する事が限界となった為です。来年はどれだけの戦車が参加できるのか、考えてしまいました。
16式機動戦闘車、戦車教導隊第4中隊へ配備となりました。待機列から74式戦車は遂に第4中隊から用途廃止となったのかと思いましたが、観閲行進が開始されますと戦車教導隊の先頭に陣取り安心、聞けば第4中隊は16式機動戦闘車と74式戦車の混成編成という。
しかし戦車教導隊の先頭を行進するということは、いよいよ74式戦車の戦車教導隊での有終の美も近いか、873両の多数が量産され冷戦時代のもっとも厳しい安全保障情勢を鋼の身を持って守った戦車と戦車教導隊最後の記念式典を飾る戦車乗りならではの戦車へ感謝かもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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先々週の挙行となりましたが16式機動戦闘車/16MCV初登場となった富士学校祭の様子を本日、コンパクトデジカメG7X写真にてお伝えしましょう。
富士学校創設記念富士駐屯地祭、台風七号接近の報道とともに天候が絶望視されていました行事ですが、徐々に予報は好転となりまして週半ばには曇天予報に。ご承知の通り当方が舞鶴と沼津で撮影している間に、西日本豪雨災害はここを突かれた構図となりました。
静岡県と隣県は幸い大きな被害もなく無事挙行となりました次第です。富士学校祭、平成三〇年度記念行事は同時に今上陛下の御退位と上皇猊下への御譲位にあたり、平成最後の行事となります。そして自衛隊改編における過渡期の行事、ともなっているわけですね。
90式戦車、89式装甲戦闘車、99式自走榴弾砲、優秀装備を一手に集めた、との説明は数年前まで、軽装甲機動車と96式装輪装甲車が加わった過渡期経て、現在は更に10式戦車、16式機動戦闘車、12式地対艦誘導弾が加わり、新しい時代の新しい脅威へ備えています。
戦車教導隊の戦車が中隊単位で多数行進する様子はなかなか一見の価値があるといいますか、日本の機械化部隊も富士教導団は北海道並の水準を維持しているのだなあ、と感慨深いものがあります。戦車の迫力を感じる事が出来る場所、日本にはなかなかありません。
須走に今年も一泊しました。須走は富士浅間神社の門前町に多くの旅館がならんでいます、富士浅間神社は富士登山口として参拝の後に登山、江戸時代から門前町が広がっていたと言います。例年は御殿場駅付近に一泊し、ゆったりと御殿場の宵の口を満喫していました。
御殿場の夜、美味しい天麩羅と大浴場を楽しんでいたのですが年々、富士学校祭の来場者が増大していまして、御殿場からの始発バスでは乗り切れないほどに多くの方々が集います。御殿場の天麩羅は蝦紫蘇に冥加や人参に丸十、そして遠州灘の海の幸を焼酎等と頂く。
富士学校祭、しかし始発バスに乗り遅れる問大変ですが乗るには長蛇の列に挑むべくさらに早起きせねばならない。早起きは大変だ、しかし、須走、つまり富士学校の隣ですが、ここに一泊してしまいますと、ゆっくり朝食を頂いてから並ぶことができるというわけ。
富士学校隣とあり、其処は兵隊横町広がり、お酒も楽しい。一泊した前夜はNHKにてドラマバカボンのパパよりバカなパパ、楽しみにしていたドラマを視聴していたところいきなりの緊急地震速報、千葉県沖で震度五の地震が発生し番組が中断の為、赤提灯へ転進した。
富士教導団は首都防衛無言の鎮め、日本の平和主義が周辺国からの軍事恫喝に曝された際に2000万首都圏に重厚機械化部隊が威容を示すことで平和主義を鼓舞し、軍事恫喝に主権を揺るがす策謀を一蹴する重責があります。朝一番に朝湯で身を清め朝餉を経て駐屯地へ。
平和主義とは無抵抗主義ではなく、即ち周辺国の軍事圧力に世論が怯み、平和主義の礎を軍事圧力に売り渡すことがあってはなりません、無抵抗主義ではなく盤石な平和創造への哲学を諸国民の繁栄に寄与させるための広場として平和主義は無ければそではどうなるか。
平和主義は支える実力を兼ねなければ、文字通り風前の灯火に祈るだけの理想郷への偶像崇拝にすぎません、だからこそ無言の鎮めには意味がある。首都近郊の富士教導団はこの意味があるのですが、いやあ、今年も行列が凄い、駐車場にて東京の友人と合流しました。
西日本豪雨、鴨川氾濫水位という状況が現在進行形とは思えないほどの穏やかな曇天でしたが、友人で12年間自衛隊行事に一緒にカメラを並べる、お天気運が、翔鶴さん並の友人がタブレットPCで油断無く雨雲動向を監視していますと、凄い雨雲が向かっているという。
当方はHARUNAなので榛名さん並にお天気が良いのですが、翔鶴さんなみにお隣の状況が懸念されましたので、大丈夫天気は保つ、と当方は拳を高らか振り上げて力説しつつ、年には念のための雨具を着用する。ゴアテックス雨衣を上下着用し、準備は一応行います。
ゴアテックス雨衣にこの日のためにモンベルで購入した靴用雨衣も装着、カメラバックは全部二重のポリ袋に密封し、カメラはビニールの完全防滴カメラカバーで覆う。千僧駐屯地で滝のような雨に打たれながら僥倖にも雨衣を分けていただき、地獄の仏と感謝でした。
千僧駐屯地はあの日当然晴天の予想、予報ではなく予想しただけに雨に無防備、あとは伊丹市指定ポリ袋を両足に長靴代わりに押し込んで水深9cmの池のような水溜まりの中で撮影していた様子を知る皆様からは、おお、千僧の反省活きた防滴装備、と喝采されました。
山の天候は変わりやすい、と護衛艦かが大阪港入港の際に、天保山で毎日登山しているという方に聞きましたが、富士学校は標高940m、つまりここは富士の裾野ではなく富士の斜面、ほぼ富士登山に近い場所なのですね。山なので、天候に用心するに越したことはない。
しかし翔鶴並の友人、雨具を車両においてきてしまったといい、こちらは予備の雨具は、といいますか富士学校祭前のロシア艦隊舞鶴入港の際に全部濡れてしまったので、持ってきた雨具が雨衣以外全部予備、カメラバック収める大洗町指定ポリ袋も使い果たしている。
京都市指定ポリ袋くらいしか予備はない。仕方なくポリ袋だけわたしますと、とりあえず雨衣を買ってくるという。保つかお天気くるか悪天候、戦々恐々と周囲のオッチャンたちと雨天の怖い思い出話で交流を深めていますと、雨衣を手にお友達帰ってきまして、で。
雨衣買っているうちに雨雲どっか行った、と。うむ、あるある話、まえ、総火演や今津でもあったなあ。雨天でも航空祭ですと肝心の飛行展示がすべて中止となり、何も撮影できなく帰途に就く事となりますが、基本駐屯地祭は予定通り行われ準備次第で写真は撮れる。
戦車教導隊は東部方面混成団隷下の第1機甲教育隊と統合され機甲教導連隊へ発展的に再編されることとなり、駐屯地も富士駐屯地から富士岡の駒門駐屯地へ移駐となります。駒門駐屯地は第1機甲教育隊本部がおかれる共に第1師団隷下の第1戦車大隊が駐屯です。
富士地区唯一の戦車実戦部隊が駐屯、最新鋭10式戦車と74式戦車を混成運用している。駒門に移駐したならば来年度の富士学校祭では毎年のように多くの戦車を式典に参加させることはできないのではないか、思い出すのは真駒内の第11戦車大隊が移駐したおはなし。
第11戦車大隊が旅団司令部置かれる札幌市内の真駒内駐屯地から遠く空港快速で千歳空港近くまで行く北恵庭駐屯地に移駐となり、真駒内での旅団行事に僅かな戦車のみ派遣する事が限界となった為です。来年はどれだけの戦車が参加できるのか、考えてしまいました。
16式機動戦闘車、戦車教導隊第4中隊へ配備となりました。待機列から74式戦車は遂に第4中隊から用途廃止となったのかと思いましたが、観閲行進が開始されますと戦車教導隊の先頭に陣取り安心、聞けば第4中隊は16式機動戦闘車と74式戦車の混成編成という。
しかし戦車教導隊の先頭を行進するということは、いよいよ74式戦車の戦車教導隊での有終の美も近いか、873両の多数が量産され冷戦時代のもっとも厳しい安全保障情勢を鋼の身を持って守った戦車と戦車教導隊最後の記念式典を飾る戦車乗りならではの戦車へ感謝かもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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