■米海軍イージス艦ベンフォード
横須賀サマーフェスタ、後篇です。米軍基地ではロナルドレーガンとブルーリッジが一般公開、しかし、吉倉桟橋でも米海軍イージス艦が。
横須賀サマーフェスタ、本年は吉倉桟橋にてアメリカ海軍駆逐艦ベンフォードが一般公開されていました。朝現地の友人からは試験艦あすか一般公開も行われていると通信を頂きましたが、静岡は清水港いずも一般公開を探訪しての後ですので出遅れてしまいました。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦ベンフォード、DDG-65,海軍の主力、アーレイバーク級ミサイル駆逐艦の15番艦として1996年に竣工しました。イージス艦としては舞鶴基地が母港の海上自衛隊の護衛艦こんごう型三番艦みょうこう、と同世代の水上戦闘艦ですね。
1998年にイージス艦みょうこう、が北朝鮮の長距離弾道ミサイル実験を日本海海上で探知しますとイージスBMDというイージス艦による弾道ミサイル防衛技術の開発が開始される事となり、ベンフォードも2009年までにイージスBMD対応能力の改修を受けています。
横須賀サマーフェスタでは、アメリカ海軍艦艇が一般公開される年度も稀にありまして、過去にも乗艦見学する機会に恵まれているのですが、127mm単装砲とイージスシステムを撮影できるという機会、毎年ではありませんので本年は当たり年だった、といえましょう。
満載排水量8362t、全長153.9m、全幅20.1m、海上自衛隊のイージス艦こんごう型よりもひとまわり小型ですが、LM 2500-30ガスタービンエンジン四基により最高速力31ノットを発揮し、航続距離は20ノットの巡航速度で4400浬という性能を有しているとのこと。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦は80隻近くが既に建造されている第二次世界大戦後最も成功したアメリカ海軍の駆逐艦です。一方、アメリカ製の駆逐艦ですが高度なイージスシステムを搭載し建造費は諸外国の水上戦闘艦よりも非常に高く輸出などは実現していない。
フライトⅠとよばれるアーレイバーク級の初期型に類別されるベンフォードですが、ヘリコプターは搭載していません。フライトⅡA以降からアーレイバーク級にもヘリコプター格納庫とLAMPSのSH-60BかMH-60R哨戒ヘリコプターが搭載されるようになっています。
ベンフォードは名誉勲章叙勲のエドワードクライド-ベンフォード三等衛生水兵の名を冠した駆逐艦です。ベンフォード三等衛生水兵は海軍衛生兵、父親は太平洋航路の一等機関士、船乗りでしたが、父親は1942年に大西洋航路にてドイツ軍に殺害される事となりました。
潜水艦U-107の雷撃により乗船が撃沈、エドワードクライド-ベンフォードはこの時11歳でした。彼はこの五年後の1949年に海軍入営、イリノイ州グレートレイウス海軍衛生学校に進み海軍衛生兵となりました。海軍衛生兵は艦隊勤務の他に海兵隊衛生兵の任務を担う。
ベンフォード三等衛生水兵は第3海兵師団、現在沖縄に駐留する師団で北東アジア地域最大の米軍抑止力の一翼を担っていますが、この第3海兵師団に配属され朝鮮戦争に従軍します。朝鮮半島で第1海兵師団へ転属、仁川上陸作戦後の北上にも衛生兵として従軍しました。
しかし、平壌北方のバンカーヒル高地にて熾烈な白兵戦となり、重迫撃砲の斉射で穿たれた着弾地にて負傷者第一線救護中、ベンフォード三等衛生水兵は負傷兵へ投げ込まれた敵の手榴弾数発を受け何発かは投げ返しましたが限度があり、負傷兵を庇って戦死しました。
ハリーSトルーマン大統領が議会名誉勲章を故ベンフォード三等衛生水兵へ授与すると共に、海軍善行章、韓国大統領部隊褒章勲章、大韓民国戦争勲章、国連勲章等を授与されています。そして名はアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の艦名として受け継がれた訳ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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横須賀サマーフェスタ、後篇です。米軍基地ではロナルドレーガンとブルーリッジが一般公開、しかし、吉倉桟橋でも米海軍イージス艦が。
横須賀サマーフェスタ、本年は吉倉桟橋にてアメリカ海軍駆逐艦ベンフォードが一般公開されていました。朝現地の友人からは試験艦あすか一般公開も行われていると通信を頂きましたが、静岡は清水港いずも一般公開を探訪しての後ですので出遅れてしまいました。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦ベンフォード、DDG-65,海軍の主力、アーレイバーク級ミサイル駆逐艦の15番艦として1996年に竣工しました。イージス艦としては舞鶴基地が母港の海上自衛隊の護衛艦こんごう型三番艦みょうこう、と同世代の水上戦闘艦ですね。
1998年にイージス艦みょうこう、が北朝鮮の長距離弾道ミサイル実験を日本海海上で探知しますとイージスBMDというイージス艦による弾道ミサイル防衛技術の開発が開始される事となり、ベンフォードも2009年までにイージスBMD対応能力の改修を受けています。
横須賀サマーフェスタでは、アメリカ海軍艦艇が一般公開される年度も稀にありまして、過去にも乗艦見学する機会に恵まれているのですが、127mm単装砲とイージスシステムを撮影できるという機会、毎年ではありませんので本年は当たり年だった、といえましょう。
満載排水量8362t、全長153.9m、全幅20.1m、海上自衛隊のイージス艦こんごう型よりもひとまわり小型ですが、LM 2500-30ガスタービンエンジン四基により最高速力31ノットを発揮し、航続距離は20ノットの巡航速度で4400浬という性能を有しているとのこと。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦は80隻近くが既に建造されている第二次世界大戦後最も成功したアメリカ海軍の駆逐艦です。一方、アメリカ製の駆逐艦ですが高度なイージスシステムを搭載し建造費は諸外国の水上戦闘艦よりも非常に高く輸出などは実現していない。
フライトⅠとよばれるアーレイバーク級の初期型に類別されるベンフォードですが、ヘリコプターは搭載していません。フライトⅡA以降からアーレイバーク級にもヘリコプター格納庫とLAMPSのSH-60BかMH-60R哨戒ヘリコプターが搭載されるようになっています。
ベンフォードは名誉勲章叙勲のエドワードクライド-ベンフォード三等衛生水兵の名を冠した駆逐艦です。ベンフォード三等衛生水兵は海軍衛生兵、父親は太平洋航路の一等機関士、船乗りでしたが、父親は1942年に大西洋航路にてドイツ軍に殺害される事となりました。
潜水艦U-107の雷撃により乗船が撃沈、エドワードクライド-ベンフォードはこの時11歳でした。彼はこの五年後の1949年に海軍入営、イリノイ州グレートレイウス海軍衛生学校に進み海軍衛生兵となりました。海軍衛生兵は艦隊勤務の他に海兵隊衛生兵の任務を担う。
ベンフォード三等衛生水兵は第3海兵師団、現在沖縄に駐留する師団で北東アジア地域最大の米軍抑止力の一翼を担っていますが、この第3海兵師団に配属され朝鮮戦争に従軍します。朝鮮半島で第1海兵師団へ転属、仁川上陸作戦後の北上にも衛生兵として従軍しました。
しかし、平壌北方のバンカーヒル高地にて熾烈な白兵戦となり、重迫撃砲の斉射で穿たれた着弾地にて負傷者第一線救護中、ベンフォード三等衛生水兵は負傷兵へ投げ込まれた敵の手榴弾数発を受け何発かは投げ返しましたが限度があり、負傷兵を庇って戦死しました。
ハリーSトルーマン大統領が議会名誉勲章を故ベンフォード三等衛生水兵へ授与すると共に、海軍善行章、韓国大統領部隊褒章勲章、大韓民国戦争勲章、国連勲章等を授与されています。そして名はアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の艦名として受け継がれた訳ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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