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【映画講評】ゴジラvsビオランテ(1989)【1】岐阜の名画座ロイヤル劇場にて上映中

2018-09-12 20:13:10 | 映画
■平成ゴジラが挑む科学の倫理
 平成も本年で新しい元号へ転換する訳ですが、今回の映画講評は平成元年の映画、今週いっぱいリバイバル上映中の名画を考えてみたい。

 激動の昭和史沖縄決戦、先月岐阜市の岐阜駅より繁華街高島屋方面へ15分の映画館ロイヤル劇場にてリバイバル上映されました話題を紹介しました。今回も同じ映画館で娯楽の中に社会的命題を織り込み改めて観ますと考えさせられる映画という表現手段から考えてみようと思います。この映画は娯楽作ですが“科学の暴走と科学の倫理”を織り込んでいる。

 ゴジラvsビオランテ、1989年12月16日に公開されたゴジラシリーズ第17作です。間もなく公開から30年となりますが、この程岐阜県岐阜市の名画座ロイヤル劇場にてリバイバル上映となり、9月8日土曜日から今週金曜日まで公開されています。名画座へ延々と電車、青春18きっぷ期間が9月10日までで、木更津駐屯地祭が中止となった為、行ってみた。

 東宝映画を名画座で。北海道胆振東部地震災害派遣の影響で木更津駐屯地創設50周年記念航空祭が中止となりました、この為に代わりにゴジラの名画座へ、木更津よりも随分近い所へ休日を過ごしたわけですがこのゴジラvsビオランテでは木更津駐屯地格納庫が無人攻撃機スーパーX2格納庫として登場しています。大雨警報発令下で帰れるか心配でしたが。

 ゴジラシリーズ、平成ゴジラシリーズと後に区分される本作は1984年の“ゴジラ”続編に当り五年ぶりの制作となりました。“ゴジラ”は其の前作が1973年公開メカゴジラの逆襲、作中にF-4戦闘機が活躍し一方東宝映画名物ともなったメーザー兵器を登場させない等のリアル路線を“ゴジラ”は継承したものですが、事実上9年ぶりの制作という背景もある。

 ゴジラ、1984年世界観は1954年に初めてゴジラが出現して以降に一度も巨大生物が出現していないという平和裏な世界で、東宝映画が培った日本沈没や地震列島に東京湾炎上といった災害主題映画の描写様式を元に巨大生物災害という、1995年以降の平成ガメラシリーズが描いた状況を彷彿とさせる内容で描かれ、社会派作品ともなっている作品でした。

 冷戦時代の1984年、ソ連原潜をゴジラが撃沈し米軍攻撃と誤解したソ連軍が欧州NATO正面で第三次世界大戦一歩手前の緊張状態となる、1962年キューバ危機や1983年大韓航空機撃墜事件という偶発核戦争危機をゴジラに絡め、そして当時のSDI構想も絡め事故により東京へ向け発射されたソ連核ミサイルを米軍が宇宙空間で迎撃する踏み込んだ描写が。

 ゴジラvsビオランテはその続編に当るという世界観で、前作では晴海埠頭の自衛隊防衛線を突破し上陸したゴジラは国産VTOL攻撃機スーパーXの攻撃も排除し新宿副都心を蹂躙、動物科学に基づきゴジラを伊豆大島三原山へ誘導、大量爆薬同時炸裂により局所人口噴火を誘発させゴジラを三原山河口へ転落、一時的に脅威から回避、という終幕を迎えました。

 1986年チェルノブイリ原発事故では爆散した原子炉四号機を石棺として大量の鉛とコンクリートで封印しましたが、ゴジラvsビオランテの世界観は此れと似たもの。四号炉は黒鉛減速炉であった為に軽水炉の福島第一原発以上に被害は燦々たるものでしたが、ゴジラvsビオランテの世界観では、ゴジラが一時的に火口中に停滞しているのみ、という状況です。

 新宿副都心1985年、ゴジラvsビオランテ冒頭は前回のゴジラ被害後、廃墟の中から飛散したゴジラ外皮破片を自衛隊化学防護部隊が回収する描写から始まります。強力な自己修復力と全ての現代兵器や核爆発にも耐え溶岩中にも生存可能なゴジラ細胞は遺伝子工学上の革命をもたらす可能性を秘めており、各国遺伝子資本もこれを狙い、戦闘さえ起きた。

 抗核エネルギーバクテリアANEB、放射性物質を短時間で分解無力化する一種の生物兵器、放射性物質を熱量に転換する生物ゴジラの細胞からはこうした新遺伝子兵器を開発できる構図となる、仮に実現していれば福島第一原発事故も鎮静化出来たでしょう、付随被害が無ければ、という前提で。ゴジラvsビオランテはこの架空の遺伝子兵器が軸となります。

 核兵器は圧倒的破壊力や防護手段不在という視点から絶対兵器であり、また一旦使用すれば相互に非常な被害を及ぼすという最終兵器でもあります。抗核エネルギーバクテリアANEB、しかし核関連施設に対し散布したならば核兵器そのものを発射前に無力化する事が可能ですし、広範囲が放射性物質で汚染された場合にも短期間で完全除染が可能となる。

 相互確証破壊に依拠した核兵器秩序を根本から破綻させる可能性がある、ゴジラvsビオランテにおける抗核エネルギーバクテリアANEBとはこうした意味があった訳ですね。勿論、作品世界ではゴジラは1954年と1985年に出現したのみ、培養しようにも原料はゴジラが握っており、しかし、核兵器国を含め抗核エネルギーバクテリアANEBを欲する声は強い。

 産油国にもゴジラ細胞を核兵器、むしろ原子力という石油資源への脅威への牽制手段として、同時に自己修復力を持つ穀物細胞を開発出来れば砂漠を穀倉地帯に代えられるという建前とともに抗核エネルギーバクテリアANEBを手中にしようとする動きがあり、ゴジラvsビオランテは遺伝子戦争という、既に1980年代に現出した将来の不安を描いている。

 日本政府のゴジラ災害への取り組み、三原山火口直下にはゴジラが眠り、対策は画定されていました。ゴジラ対策立法が1985年のゴジラ災害後に制定、国土庁特殊災害研究会議として各省庁横断型の対策機構を設置、防衛庁も、統幕会議直轄の、しかしゴジラが出現しなければ全く仕事が無い防衛庁特殊戦略作戦室を置き統合運用体制と新装備を開発します。

 1990年に入り、三原山直下のゴジラに僅かな蠢動が確認されるようになり、ゴジラ再出現という脅威が現実鉄橋意図して認識されるようになります。抗核エネルギーバクテリアANEBの実用化を急ぐ必要が生じるのですが、一旦完成させてしまえば科学者の手を離れ政治の道具として暴走しかねない、1954年ゴジラのオキシジェンデストロイヤーと重なる。

 抗核エネルギーバクテリアANEB争奪戦は、しかし各国情報機関や遺伝子巨大資本との摩擦と衝突が結果的に日本国内での最初の完成に至るのですが、この強奪を巡る衝突の中で三原山火口部分が大規模なテロ攻撃を受け爆破、ゴジラが再出現してしまう。しかしその頃、抗核エネルギーバクテリアANEB開発を托した研究所近傍の芦ノ湖に巨大な植物が。

 科学の暴走と科学の倫理、とはANEBという本作の中軸そのものの背景にあります。信仰のない科学は不完全だ-科学のない信仰は盲目だ,とのアインシュタインの名言がありますがANEB開発を引き受けた日本人科学者は招聘先の海外研究所にて最愛の長女をゴジラ細胞巡るテロで失い、失意の中で遺伝子だけ生かしていたという、バラの細胞と融合させて。

 本作は防衛庁の協力を受け木更津駐屯地や東富士演習場でのロケ実施、実物装備が多数登場します。これはつまり富士総合火力演習が聖地巡礼になるということか。また演習画像などの提供を受け制作されています。そして、その場面想定にはいろいろ考えさせられる描写もありまして、勿論謎新兵器や謎の無人攻撃機も登場しますが、お勧めできる映画です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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