■徳川城使洛列と七卿落
平安神宮へと至る時代祭行列は徳川城使洛列と七卿落へと進んでゆきます。
時代祭、河原町御池での撮影と共に京都を象徴する近代的建築物の一つ、京都市役所を波形に収める撮影位置に陣地変換しました。時代祭の時代行列は長大であり、その撮影時間は祇園祭を越える程、それならば、撮影位置を時々少し移ってみるのも、また趣き深い。
京都市役所庁舎、1927年に竣工しました。現存する政令指定都市の市役所では最も古い建築物という。市役所と市会議場の機能を有する庁舎は本庁舎に北庁舎および西庁舎から構成されていまして、重厚なつくりはRC造の地上4階地下1階建として建築されています。
武田五一博士、大阪現代都市計画で知られる武田博士がこの京都市役所庁舎を設計しました。京都市役所は現在耐震補強工事中です、工事は予定よりも時間を要するとの事で管制は2023年を待たねばならないとも。そしてこの京都市役所は数多の変遷を経て参りました。
本庁舎は地上4階地下1階建として建設されましたがこの1927年完成の時点では現在の荘園に当る部分が庁舎として用いられたのみであり、実は本庁舎工事は二期に分けて工事が進められてきます、本庁舎工事落成を迎えるのは四年後の1931年を待たねばなりません。
西庁舎は本庁舎より若干遅れて建設が進められていまして、1931年にRC造地上3階建として落成されています。ただ、京都市役所界隈を散策されますと分かります通り、現在は4階建てとなっています。これは1966年の市役所庁舎拡張工事と共に増築されたものという。
大阪現代都市計画に大きな影響を及ぼした武田五一博士、1872年の広島県福山市生まれで帝国大学工科大学造家学科出身、イギリスカムデン美術学校へ官費留学を経て1915年に工学博士となりました。桜之宮公園の造営を経て都市計画と公園を組み合わせた事で有名だ。
都市計画は美観と機能性の調和を尊ぶと共に大阪市営地下鉄御堂筋線の路線画定や中之島開発にも影響を及ぼしたという事ですが、妥協を許さない設計は美観と共に機能性の部分、特に耐震構造を早い時期から研究し、建築に取り入れていたという。そして今も京都に。
京都帝国大学本館、要するに京都大学ですが、時計台と云われる今日の京都大学百周年時計台記念館は1925年に当時京都帝国大学教授の武田博士が設計したもの、京都らしさの一つ、京都市役所と色彩は異なりますが重厚な気風な何か通じるものがあるかもしれません。
関西電力京都支店、京都駅前にモダンアールデコ様式、と言えば言い過ぎでしょうか、気風を漂わせるビルがありますが、こちらも武田博士の設計で1937年に落成式を迎えました。京都市役所の管制から10年を経て完成した建物ですが、戦前の重厚さを今に伝えている。
古都京都ですが、その古刹名所旧跡の保存にも手腕を発揮し、平等院鳳凰堂や鹿苑寺金閣の保存事業、奈良県の法隆寺国宝保存工事所長も関わっています。それもそのはずで、なんと帝国大学の学位論文は“茶室の沿革”といい、和魂洋才の建築博士といえましょう。
北庁舎についてはもう少し複雑な歴史を辿っていまして、やはり1931年に落成されたシンメトリー様式の建築物となっていますが、京都市の行政能力は人口増大と共に大きく増大し、武田五一博士の没後、やはり戦後1960年代に大きく拡張工事を迎えることとなります。
2023年に予定されている京都市役所耐震補強工事、西庁舎と北庁舎については建て替えられる事となっています。平成最後の時代祭ですが、今年らしさ、という情景としてはこの京都市役所の変わりゆく姿を、江戸時代行列とともに記録した後、次へと進んでゆきます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
平安神宮へと至る時代祭行列は徳川城使洛列と七卿落へと進んでゆきます。
時代祭、河原町御池での撮影と共に京都を象徴する近代的建築物の一つ、京都市役所を波形に収める撮影位置に陣地変換しました。時代祭の時代行列は長大であり、その撮影時間は祇園祭を越える程、それならば、撮影位置を時々少し移ってみるのも、また趣き深い。
京都市役所庁舎、1927年に竣工しました。現存する政令指定都市の市役所では最も古い建築物という。市役所と市会議場の機能を有する庁舎は本庁舎に北庁舎および西庁舎から構成されていまして、重厚なつくりはRC造の地上4階地下1階建として建築されています。
武田五一博士、大阪現代都市計画で知られる武田博士がこの京都市役所庁舎を設計しました。京都市役所は現在耐震補強工事中です、工事は予定よりも時間を要するとの事で管制は2023年を待たねばならないとも。そしてこの京都市役所は数多の変遷を経て参りました。
本庁舎は地上4階地下1階建として建設されましたがこの1927年完成の時点では現在の荘園に当る部分が庁舎として用いられたのみであり、実は本庁舎工事は二期に分けて工事が進められてきます、本庁舎工事落成を迎えるのは四年後の1931年を待たねばなりません。
西庁舎は本庁舎より若干遅れて建設が進められていまして、1931年にRC造地上3階建として落成されています。ただ、京都市役所界隈を散策されますと分かります通り、現在は4階建てとなっています。これは1966年の市役所庁舎拡張工事と共に増築されたものという。
大阪現代都市計画に大きな影響を及ぼした武田五一博士、1872年の広島県福山市生まれで帝国大学工科大学造家学科出身、イギリスカムデン美術学校へ官費留学を経て1915年に工学博士となりました。桜之宮公園の造営を経て都市計画と公園を組み合わせた事で有名だ。
都市計画は美観と機能性の調和を尊ぶと共に大阪市営地下鉄御堂筋線の路線画定や中之島開発にも影響を及ぼしたという事ですが、妥協を許さない設計は美観と共に機能性の部分、特に耐震構造を早い時期から研究し、建築に取り入れていたという。そして今も京都に。
京都帝国大学本館、要するに京都大学ですが、時計台と云われる今日の京都大学百周年時計台記念館は1925年に当時京都帝国大学教授の武田博士が設計したもの、京都らしさの一つ、京都市役所と色彩は異なりますが重厚な気風な何か通じるものがあるかもしれません。
関西電力京都支店、京都駅前にモダンアールデコ様式、と言えば言い過ぎでしょうか、気風を漂わせるビルがありますが、こちらも武田博士の設計で1937年に落成式を迎えました。京都市役所の管制から10年を経て完成した建物ですが、戦前の重厚さを今に伝えている。
古都京都ですが、その古刹名所旧跡の保存にも手腕を発揮し、平等院鳳凰堂や鹿苑寺金閣の保存事業、奈良県の法隆寺国宝保存工事所長も関わっています。それもそのはずで、なんと帝国大学の学位論文は“茶室の沿革”といい、和魂洋才の建築博士といえましょう。
北庁舎についてはもう少し複雑な歴史を辿っていまして、やはり1931年に落成されたシンメトリー様式の建築物となっていますが、京都市の行政能力は人口増大と共に大きく増大し、武田五一博士の没後、やはり戦後1960年代に大きく拡張工事を迎えることとなります。
2023年に予定されている京都市役所耐震補強工事、西庁舎と北庁舎については建て替えられる事となっています。平成最後の時代祭ですが、今年らしさ、という情景としてはこの京都市役所の変わりゆく姿を、江戸時代行列とともに記録した後、次へと進んでゆきます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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