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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

広島原爆慰霊の日-全世界を揺るがした"核の九日間"と二〇二〇年代の核軍備管理への課題

2021-08-05 20:09:04 | 国際・政治
■明日は広島原爆慰霊の日
 世界から社会まで様々な命題が山積するのですが先ず必要なのは関心を持つ事だと思う。

 広島原爆の日、明日また我が国は2021年の原爆慰霊の日を迎えます。広島では夏休みの期間中でも小中学校児童生徒は登校し、黙祷を捧げる。1945年8月6日、核兵器が史上初めて対人使用され、続いて8月9日に長崎も核攻撃に晒され、無差別にも多数の非戦闘員が核爆発の熱線と放射線に晒され溶かされ、そして強烈な爆風に四散し吹き飛ばされました。

 核兵器は、その強力な破壊力から広島と長崎へ使用、終戦まで九日間の惨禍が、結果として次の核攻撃を為政者に躊躇させることとなりましたが、核不拡散条約が発効する1970年までの間に核兵器は各国での開発が進められるに任され、また1968年までに公然と核武装を実現した核兵器国とその後の核保有国、非核保有国の格差を生み、そのまま今日に至る。

 核の九日間、広島が核攻撃を受けポツダム宣言受諾を表明するまでの九日間は、次の核攻撃がどこに加えられるのかという緊張の九日間であり、核分裂を用いた破滅的な爆発力を持つ兵器が理論上あり得ることは科学者の間では広く認識されていたものですので、非常な緊張の九日間であった。そして戦争の概念を根本から変えてしまったのは前述の通り。

 核兵器はなくなるのか、それは確実になくなると断言できます。ただ、その核兵器が無くなる手段としてもっとも蓋然性の高いものが全面核戦争です、恐らく全面核戦争の終戦の後には核兵器は地上に残らないでしょう。しかし文明もまた残るかは未知数で、残った文明は恐らく核兵器と警戒管制機構を管理できる水準を維持するのは難しいかもしれません。

 しかし、核兵器については、全面核戦争を通じて核廃絶を行ったとしてもそれほど大きな意味は持ちません、すると世界政治の課題は、核兵器の大量使用という懸念を避けた上で核兵器を如何に減らすか、そして核兵器が削減される期間において、如何に使用されないよう軍備管理の枠組みを構築するかという命題こそが、世界政治の課題といえましょう。

 核兵器を廃絶するには核兵器を恐れない必要がある、この大きな矛盾に応えなければなりません。大きな矛盾、この背景には核兵器は相互確証破壊、使えば双方が確実に破滅する、この緊張が使用を核兵器国の為政者に躊躇させてきましたが、この枠組みを一時的に切り替えるのであれば、核兵器を超える兵器が開発されない限り、均衡を破綻させ得るのです。

 日本は国際法上の核兵器国でも核保有国でもありません、ただ、核兵器を恐れない選択肢というものであれば、ミサイル防衛技術について制約はありません。核兵器国ではありませんし核兵器を保有していませんので、相手の核攻撃を防衛できるとしても、相互確証破壊秩序を破綻させる、日本は相手国を核攻撃で破壊する選択肢と手段がないのだから、ね。

 ミサイル防衛。日本が核兵器による恫喝を恐れることなく、核兵器が存在する世界において核廃絶を主張する選択肢があるとすれば、核攻撃を恐れないことです。しかし、次の核攻撃が大都市に行われた場合の膨大な死傷者と被曝者を許容するほどの世論もありません。すると核攻撃は無視できない、受けた場合でも国土に落下させない選択肢が不可欠となる。

 ミサイル防衛といえば、イージスアショア陸上配備型ミサイル防衛システムとイージス艦からのイージスミサイル防衛システムの連接が挙げられます。もちろん、これに反対するならば、スイスやイスラエルのように新築住宅への核シェルター設置義務化と公共核シェルター建設、という代替案もあるのですが、なにかしらの核攻撃への対策は不可欠です。

 しかし、核兵器廃絶は我が国で広い支持を集めているものの、現実的な核の脅威に対しては現実的な議論が進んでいるようには思えません、これは一例として、イージスアショアミサイル防衛システムへ反対を視ても明らかであり、核兵器による恫喝を受けたとしても断固として跳ね除ける覚悟と実体がなければなりません。この議論は進めねばなりません。

 核兵器を廃絶する為には、核兵器の傘が差されなくなった際の核兵器の脅威を現実のものとしなければなりません。これには費用も技術も必要となるものですが、この論点を省いている現状は、結果論として“核兵器反対”は国際政治上の必要や平和への祈念からというものではなく、単に時論時流に乗りたい、思想のお洒落、と批判されても致し方ない。

 核の九日間、これを経験した我が国ですが、祈るような核廃絶、これにのみ依存している現状では核軍縮は進みません。一方、核兵器への軍備管理国際公序は現在、二分される危機にあります。一つは核不拡散条約、もう一つは核兵器禁止条約です。二つとも将来の核廃絶を期すのですが、前者は着実、後者はラジカル、そして対立する枠組みとなりました。

 核不拡散条約は核軍縮義務と新規開発を禁止したものであり、査察措置と罰則が明示されるとともに、現在全ての核兵器国が批准し、また推進しています。そして核不拡散条約は国際法上のユスコーゲンス強行規範であるとの理解があり、脱退を理由に核兵器保有が正当化される秩序ではありません。緩やかでも機能している核軍備管理といえるのですね。

 核兵器禁止条約は、新しい枠組みで核兵器を禁止する枠組みです。罰則も査察措置もありませんが、核兵器国と核保有国は批准できません。これが強行規範となれば、理想なのかもしれませんが、査察措置が無いために批准国が核開発を進めても発見できませんし、核実験の瞬間に脱退表明したとして罰則もありません。ただ、罰則が無い分、批准しやすい。

 核不拡散条約、その功績はソ連からの核兵器を継承したウクライナに核兵器の廃棄を決意させ、そして、強行規範として核開発を行ったインドとパキスタン及び北朝鮮へ経済制裁を行い、特に北朝鮮への経済制裁は大きな効果がありました。しかし、核兵器国以外のこの三カ国は依然として核兵器を保有しており、核放棄したウクライナの現状は見ての通り。

 しかし、核不拡散条約は核軍縮義務として将来のゼロは確証していないものの削減を盛り込んでいるものの、即座の廃絶は明記しておらず、削減幅も国連軍縮会議始め機会毎の合意に基づくものです。核兵器禁止条約は、地球が二つの惑星に二分できるのであれば核兵器の無い半分を構成する事は出来るのですが、機能するか、許容するかで枠組が対立する。

 願わくば、核兵器禁止条約へ、宣言的な核兵器禁止に留まらず、核兵器開発の隠れ蓑と悪用されない枠組、核兵器禁止条約機構を確立させ、例えば化学兵器禁止条約におけるチャレンジ査察のような核開発監視枠組、また疑わしい核開発への批准国間での渡航禁止などの制裁枠組を構築し、実効性ある枠組構築が望ましいのですが、現状、その動きはない。

 思想のお洒落、こう甘んじることなく、核兵器の問題と向き合うには、何が必要か、知識も行動も必要なものは数多あるのですが、まず最初に必要と考えるものは、関心を持つ事でしょう。前述しましたが核兵器はいずれ消滅し得ます、しかしその過程が核兵器の大量使用にて在庫が払底するのか、次の兵器に淘汰されるのか、第三の道によるか、なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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コメント (2)
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