北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】清水寺,ここは京都が今の京都となった分水嶺ではないか-揺籃期の首都造営その秘められた背景

2022-04-13 20:22:15 | 写真
■桓武天皇の軍事と造作
 京都には秘密がある、その秘密を紐解きますと日本の在り方というものがおぼろげながらみえてくるのです。

 清水寺、ここは音羽山という東山の美しい高台で東山区清水はこの当たりを示す。宝亀9年こと西暦778年、延鎮により開山となりました十一面千手観世音菩薩を奉じる寺院です。京都観光の定番とも言い、かの坂上田村麻呂が帰依した事で壮大伽藍を有するに至ります。

 京都は京都であったのか、この素朴な疑問は日本の歴史を見てゆきますと実は偶然が重なって武家政治や天皇制の今日に至る歴史、律令制度や摂関政治さえ必然ではなく、日本特殊論的な経緯を辿っています、そしてこの京都というものも今に至るのは奇跡が在った。

 清水寺というのは、昨今歴史を考えるなかで京都が京都たりえた一つの分水嶺にあるようにも思える為でした。そもそも平安遷都、京都が京都たり得るのはこの延暦13年こと西暦794年、時の桓武天皇が和気清麻呂と藤原小黒麻呂の助言を受けての遷都が背景に在ります。

 奈良から京都そして東京へ。日本の首都は簡単に言えばこう説明されるのですが、これは簡略化しすぎたものというべきでして、日本の首都は何度も遷都を重ねています、聖武天皇は朝鮮の白村江の戦いに敗北すると一時的に防御の堅い大津京に遷都した程なのだから。

 藤原京に平城京と長岡京を経て平安京、桓武天皇の時代にはこれだけ遷都を重ねています、そしてこのころの皇統は揺動期にあるのですね、天武天皇流と天智天皇流の皇統がありましたし、奈良仏教は影響力が増大しており、逃げ回るように何度も遷都を重ねていました。

 秦氏が造営したという藤原京は山城の山間部にありまして首都には適していませんでしたが、元々の首都である平城京には仏教勢力が強く政治介入も頻発、そこで藤原京に見切りをつけて延暦3年こと西暦784年に長岡京を造営します、阪急京都線や東海道線沿いの。

 長岡京ですが、いまでこそ美しい長岡天神と落ち着いた街並みは広がるのですが、それは治水事業の成功ゆえであり奈良時代の長岡は湿地帯、夏は蒸し暑く奈良仏教といいますか寺院は無かったかもしれませんが人が住める立地も無かったところにまた遷都した訳です。

 揺動期の天皇制といますが、上記の通り天武天皇流と天智天皇流の皇統に揺れ動いていましたので、偶然が重なれば断絶や分裂の可能性は充分有りました、そして桓武天皇は聖武天皇や天智天皇の系譜に在りながら、一時崩壊していた律令国家の再建を図るのですが。

 大陸型中央集権国家の造営、桓武天皇は渡来系氏族を重用し百済との関係を強化しつつ、百済王を外戚扱いするなど、日本版中華思想という施策を進め、大国を目指します。しかしそれは聖武天皇治世との決別で、中堅国家から新興国家へ不安定な転換期を意味します。

 軍事と造作、この二つの施策は桓武天皇の基本施策でもありましたが。軍事とは蝦夷討伐、造作とは首都造営を意味します。律令国家体制という原初の日本中央集権体制は奈良時代の天然痘流行などにより後退期を迎えているのですが、この再興に軍事と造作をかかげた。

 中華思想的な施策ともいえるのですが、問題は蝦夷討伐について膨大な軍事費を必要とします、いまほど東北地方は近い所ではなく、紀古佐美を征東大使とした延暦8年こと西暦789年の討伐は惨敗、延暦13年征夷大将軍大伴弟麻呂遠征軍もまたしても惨敗を喫します。

 国民負担、繰り返される首都造営も蝦夷討伐も巨大な予算を投じる国家事業ですが、体制強化を目指す施策ではあるものの当時の日本国家財政は安泰ではなく、巨大な負担である事は云うまでもありません、誰かが終止符を打たねば日本はどうなるか分らないほどです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】清水寺,桜咲く音羽山に臨む京都洛中の俯瞰風景と思い起こす散策のカメラたちの思い出話

2022-04-13 20:00:16 | 写真
■春の清水寺を巡る
 四月初旬に清水寺を散策しましたがやはりというか此処は素晴らしい風景情景が一歩歩むごとに深まる。

 清水寺は散策にめぐると案外と坂道である事に気付かされます、音羽山というほどですので山頂に在るのですけれども、しかしその山内も御寺を御山と云う事はその通りだと理解するところですが。文字通り観光寺院と云う印象です、しかしそれで良いのだともいう。

 興福寺が清水寺の本山というかたちですが、信仰を広め多くの方に拝観してもらい観音信仰を広めるという役割が清水寺であり、修行の場が興福寺、このような考え方があると清水寺貫主のかたが著している事を知りまして、なるほど観光寺の観音寺なのだと知った。

 十一面千手観世音菩薩を奉じる寺院ですですが、縁結び観音に大黒様、奉じられる数多の信仰は、考えればその清水寺と興福寺の関係を示しているのだと感心してしまいます。多くの方に拝観してもらう為に、清水の舞台と音羽の滝だけ拝観料が必要、あとは自由です。

 観桜というものは不思議なもので、あの神社この寺院は果たして桜の木はあっただろうか、こう考えてみますと、何かあるものなのですね。もちろん禅寺の中には遊興の場とならぬようすべて引き抜いている寺院もあるのですけれども、そこは紅葉名所となっている。

 夜の特別拝観、実は夜間撮影のほうほうというものを実地で学んだのはここ清水寺であったりします、デジタルカメラが普及して良かったのは答え合わせといいますか、今の撮影手法は正解であったのか不正解なのかということを即座にその場にて知ることができます。

 フィルム式カメラの時代にはこれが難しかった、結局、露出や露光時間ではなくレリーズの取り扱いや三脚の角度、現像するまでわからないものですし、仰角何度方位何ミル、なんて特科部隊ではないのですから撮影の都度一枚一枚記録はしません、標桿も立てない。

 現像、聞けばその場でフィルムを現像することは可能といいます、光を遮断する袋を頭からかぶり即席の現像室を、という。ただ、これでは安定しませんし清水寺で現像液をつかって現像なんて迷惑でしょう、そんなことはグリーンベレーの偵察任務でもなければ、ね。

 デジタルカメラは本当に写真における革命というものを示したように見えまして、しかもこの普及が本格化したころ、入門機種が10万円を切ったころというのは2000年代初頭、まだ観光客が今ほど多くなかった。今ほど、といわれるかもしれないが、今ほど、ですよ。

 2005年にWeblog北大路機関は創設されましたが、このころの清水寺夜間特別拝観はといいますと、悠長に三脚を立てられるほどの入場者でした、拝観料を収めるにも並んだ記憶がない、行列が嫌いですからそんなときは知恩院や八坂さんに転進していた気もしますが。

 三脚禁止のところでは使わない、けれども、ハンカチを敷いてその上にカメラを直に置けば三脚は不要、ということも学びました。そしてその場で画像を確認する、いまのは失敗だったのか、それならばこうして設定を変えもう一枚、そんな試行錯誤ができたのですね。

 東山の清水寺は夜が一番美しい、こういうのも清水寺は東山に立地していますので午後には逆光となる、珈琲を嗜んでいる隙に時間はどんどんと逆光の時間帯となりますので、散歩の先に撮影という手法ですと、残念ですが夜景を撮るからいいよね、ともなってゆく。

 音羽山というほどですから眺望は最高です、そしてどう撮影をするか考えているうちに、平成の大修理が始まりまして、この撮影が難しくなる、そしてコロナがやってきた。その最中に漸く時代は令和となり平成の大修理が終わった訳です、さあ、春の清水寺を歩こう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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スターリンク衛星とバイラクタルTB-2無人機,無人機運用に冷淡とされる自衛隊を変え得るウクライナの戦場

2022-04-13 07:00:00 | 先端軍事テクノロジー
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ロシア軍は艦隊戦闘において苦手とするデータリンクでのC4I戦闘を避けるべくムルマンスクBNという広範囲を無力化する電子攻撃装備を開発しNATOや日米のC4I戦闘の無力化を狙っていた。

 自衛隊は無人航空機について冷淡であった、これは自衛隊の防空能力が超音速巡航ミサイルを想定したBGM-174無人標的機を撃墜している点と、そして想定される厳しい電子戦環境には、いわゆるクワッドドローンのような市販無人機は機能できない、GPSに依存せず慣性航法装置の搭載が必須であり、それは費用が高い、こうした認識が、あったのですね。

 ロシア軍は電子戦能力が高く、実際2014年クリミア併合ではロシア軍は大規模な電子攻撃を加えており、ウクライナ軍は軍用通信網が麻痺し、個人携帯電話を使わざるを得ず、これがハッキングされ展開状況が暴露し、また偽メールにより弾着地域へ誘導された部隊が大損害を被るなど散々なめに遭わされています、ウクライナ軍にはこの過去がありました。

 しかし、今回はロシア軍が2014年とは比較にならない規模で全面侵攻したことで、ロシア軍自身が民間無線機や携帯電話に依存することとなり、逆にこれが、ロシア軍の電子攻撃を封じる、使えば自分たちが通信できない、こうした状況に追いやられた構図です。反省している、ロシア軍の通信機不足は想定外、その結果としての電子攻撃不能が想定外です。

 スターリンク衛星、これをウクライナ軍が使用できたことも、無人機が活躍できています大きな背景となっています、アメリカのスペースX社が開発した、一機のロケットにより、あたかも南京玉簾のような、土星の衛星のような、低軌道衛星を大量に一直線に展開させ、次々と頭上に衛星を廻し宇宙空間からインターネットサービスを提供、イーロンマスク社長はこのサービスを即座に提供した。

 540基ほど打ち上げられていまして、天体観測にはかなり邪魔になるという事で悪評が高く、なにかSFの大家小松左京氏の短編小説に、もうすべての広告を遣り尽くした広告会社の社長が満月の日に空に広告を打ち上げたというものがありましたが、その勢い、最終的には1万2000基を軌道上に展開させるという、SFに現実が追い付いたような通信サービスです。

 ロシア軍は宇宙条約を無視するならば彼らが保有するS-500地対空ミサイルはスターリンク衛星を撃墜することは可能です、高度100kmまでは簡単に到達する、しかしスターリンク衛星は文字通り次々とリング状に続いていますので、飽和状態となる、おそらく個々のスターリンク衛星一機はS-500ミサイルよりも安価、必要ならば次を打ち上げるという。

 無人機はこのサービスを利用し、民生用のものでもウクライナ軍は情報を共有することができています。電子戦を行わないという前提で通信網が維持でき、またスターリンク衛星のような妨害を受けない常時持続的通信インフラが整備されているならば、アナフィなど自衛隊が大量に取得した災害派遣用無人機でも十分活躍できるのでしょう。凄い時代です。

 バイラクタルTB-2無人機、もう一つは、トルコ製の無人機です。これは電子妨害を想定しているもので、指向性ビームを用いて遠隔操作しています、つまりあまり遠くまでとばすものではなく、無人機が地上管制装置から見えている距離、40km程度、ミサイルに狙われる覚悟で高高度を飛行するとそれでも150km、限られた性能ではありますが此処が肝要だ。

 指向性ビームは、しかしVHF電波などと比べ 妨害を受けないばかりか、空中で偶然検知でもできなければどこに管制施設があるのか、暴露しない利点がある。つまり最悪の電子戦環境でも運用可能という点が、このトルコ製無人機の想定した、いかなる場合にも飛行可能、という部分なのでしょう。当初考えられたよりも遥かに実戦的な要求仕様でした。こうした事情があれば将来戦場でも無人機は多用し得る、自衛隊はこう知見を持ったのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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