■ファントム編隊飛行
編隊飛行と云うものは数が揃って迫力ある構図を誰でも簡単に撮影できるという正に航空祭の華というものでしょう。

航空祭の本番、うわあ飛んできたなあ、という瞬間です。この瞬間で青空を順光の環境で撮影できますと、もうこの茨城までやってきてよかったなあ、と痛感するものでして。なにしろ天気予報が晴天でもこの瞬間に雲が太陽を遮るということは希にあるのですから。

ファントム編隊飛行、ぜいたくを言えば小出しに編隊飛行するのではなく一つの大編隊を組んでほしかったなあ、とは思うところです、そうF-15戦闘機にF-4EJ改戦闘機にRF-4偵察機で11機編隊飛行、可能なら航空団に配備されるT-4練習機も編隊に加わってほしい。

航過飛行は一航過しか行われない、つまり撮影の瞬間は貴重なので集中します、岐阜基地航空祭では編隊飛行が編隊を組み直して二回三回と飛行してくれますが、あれは飛行開発実験団の名物的な飛行なのですから、一航過だけは寧ろ普通、さあカメラを構えよう。

快晴とはこういうことをいうのでしょうね。一方で編隊飛行がどの規模なのか、これは予行を撮影しなければわからない、とも思うのですが総合予行と本番で編隊の組み方が微妙に違うこともありますし、風向き一つで滑走路離陸方向も変わってきます、運が必要だ。

青空というのも、とにかく航空祭へ撮影計画を立てる際に、その基地は何処から撮影すると順光で撮影できるのか、基地のエプロンか、思い切って滑走路の反対側か、反対側に出ると角度から撮影できなくなるものはどう行ったものがあるのか、撮影計画を練り上げる。

イーグルとファントム、2021年にファントムが完全退役してしまいましたので、まさに過去の映像というところですが、これを考えるだけに一つの編隊で飛行してほしかったものです、岐阜基地では普通にやっていますし新田原基地の編隊もなかなか迫力があった。

広角レンズで撮影するか望遠レンズに切り替えるか、これはもう本当に緊張するのですよ、意外に編隊が広がりますと望遠レンズでは肝心なときにフレームから出てしまうことがある、広角レンズですと編隊が小さければ望遠不足に泣く事にもなります、どうするか。

地上に並ぶ航空機を構図に入れるならば広角レンズもよい、しかしCANONは高倍率ズームが苦手なのか、18-200mmを廃盤にして18-135mmとしてしまいました、そして望遠ズームの28-300mmも後継機種が出ない、撮影しますと、ズームの便利さはありがたい。

ファントム後継にライトニング、F-35戦闘機を選んだ航空自衛隊ですが、F-35戦闘機の能力は非常に高く多用途で、F-4EJ戦闘機やF-15J戦闘機のステルス版としてもちいるようなことは、その運用に留めてしまうことはないのだろうというのは安堵するところです。

専守防衛は、F-35をどこまで受け入れられるのかという視点で示しました。内閣法制局の統一解釈では相手国土を専ら完全に破壊するものを保有できないとしているものの、こういったもの等をのぞけば策源地攻撃は、可能であると解釈できます。敢えて曖昧なのだが。

相手国土を専ら完全に破壊するものを以外、と。当時の解釈には戦術核に含みを残すとも残さないとも解釈されうる表現で、もっとも個人的には日本はB-61核爆弾のような戦術核兵器であっても保有すべきではないと考える、こうしたものまで含まない限り、どうか。

敵基地攻撃能力については冷静にその能力整備の強化を考えるべきなのかもしれません、すると、専守防衛は周辺国の領土を併合する施策の否定という、新しい解釈の元で展開すべきなのでしょうか。専守防衛、しかしもう一方の視点、平和を買った認識はなかったか。

日本は1968年に当時の西ドイツの国民総生産GNP、最近はGNIと表現するようですが、抜き去り1968年から東日本大震災の2011年まで長らく世界第二位の経済大国となっていましたが、経済大国の“金持ち喧嘩せず”“金で解決できないものはない”驕りを感じる。

日本の平和主義には世界第二位の経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢りがあったのではないでしょうか、平和を札束で買う、こうした表現は好きではないのですが、現実の国際政治と平和主義の理念には現実的に大きな隔たりがあったように思えまして。

経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢り。このあたりが、日本も平和を札束では買えない、平和の値段が高くなりすぎて日本の経済力では買いたたけず、防衛力を整備する必要が突きつけられている構図なのか、とも考えるのですね。すると思う点がひとつ。

F-22、日本の伝統的な平和主義を考えるのであれば日本は無理をしてでもF-22戦闘機の導入を交渉すべきでした、あれこそが制空戦闘機の理想型、確かに2035年より用途廃止がはじまるとアメリカ空軍が2021年に発表していますが、これは生産数が少なく、特殊性が。

F-22は更に災害による保有機一割以上がハリケーンにより破損し稼働状態にない中での空軍保有機の稼働率評価を受け、稼働率が低いと評された背景があります。F-22,これは仮に航空自衛隊が無理に採用したらば、アメリカ空軍でも再生産の模索はあったのですから。

日本採用でその総生産数は若干変わっていたのかもしれません。イージスシステム。さてF-22に関してはアメリカ政府に導入を打診したものの議会が輸出を認可しなかったという背景があるためにそもそも保有できなかったのだろうという反論はあるのかもしれません。

しかし、これはイージスシステムも同様の背景があったのです、しかしイージスシステムは導入できた。イージスシステムを導入した背景にはその必要性もさることながら太平洋軍と海上自衛隊の伝統的な関係がありまして、結局は粘り強い交渉の成果といえましょう。

イージスシステムは最後、海上幕僚長がアメリカ海軍作戦部長に日米海軍トップ同士の直談判で日本への供与を切り開いたというねばり強い交渉結果がありまして、F-22の導入まで踏み込んだ交渉があったようには聞きません。ただ、専守防衛を考えるのであれば。

専守防衛を真剣に考えるならばJSF統合打撃戦闘機としてその名称からも打撃を含んだ戦闘機よりは、純粋な航空支配戦闘機、制空権を獲得するために必要な能力に特化したF-22を政治が推すべきだったとも考えています。もっともF-22はF-35よりも取得費用は高い。

戦闘機取得費用は確実に増大します、維持費用も比較にならない水準でしょう。このためには防衛費を高く確保する必要があります、日本が経済成長を続けているならば、たとえば年間10%の経済成長を続ければ七年でGDPは倍増する、経済成長があれば、とも思う。

F-15,なにしろ中曽根内閣時代に一機180億円と、当時は円安だ、高価な戦闘機を導入決心したのです、F-22も普通に選択肢に入ったのでしょうか。F-22をF-35よりも優先する、専守防衛を考えるならば与党はもちろん野党もこう推すべきだったと考えるのですが。

F-35は日本の平和主義の限界、札束で平和を買える時代は終わり、専守防衛は防衛任務での領域外作戦も含まれる、こうした状態となっている象徴のようにも、思えてならないのですね。平和も高くなったもの、ここまで世界が発展した事は喜ばしいが、ここは寂しいものですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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編隊飛行と云うものは数が揃って迫力ある構図を誰でも簡単に撮影できるという正に航空祭の華というものでしょう。

航空祭の本番、うわあ飛んできたなあ、という瞬間です。この瞬間で青空を順光の環境で撮影できますと、もうこの茨城までやってきてよかったなあ、と痛感するものでして。なにしろ天気予報が晴天でもこの瞬間に雲が太陽を遮るということは希にあるのですから。

ファントム編隊飛行、ぜいたくを言えば小出しに編隊飛行するのではなく一つの大編隊を組んでほしかったなあ、とは思うところです、そうF-15戦闘機にF-4EJ改戦闘機にRF-4偵察機で11機編隊飛行、可能なら航空団に配備されるT-4練習機も編隊に加わってほしい。

航過飛行は一航過しか行われない、つまり撮影の瞬間は貴重なので集中します、岐阜基地航空祭では編隊飛行が編隊を組み直して二回三回と飛行してくれますが、あれは飛行開発実験団の名物的な飛行なのですから、一航過だけは寧ろ普通、さあカメラを構えよう。

快晴とはこういうことをいうのでしょうね。一方で編隊飛行がどの規模なのか、これは予行を撮影しなければわからない、とも思うのですが総合予行と本番で編隊の組み方が微妙に違うこともありますし、風向き一つで滑走路離陸方向も変わってきます、運が必要だ。

青空というのも、とにかく航空祭へ撮影計画を立てる際に、その基地は何処から撮影すると順光で撮影できるのか、基地のエプロンか、思い切って滑走路の反対側か、反対側に出ると角度から撮影できなくなるものはどう行ったものがあるのか、撮影計画を練り上げる。

イーグルとファントム、2021年にファントムが完全退役してしまいましたので、まさに過去の映像というところですが、これを考えるだけに一つの編隊で飛行してほしかったものです、岐阜基地では普通にやっていますし新田原基地の編隊もなかなか迫力があった。

広角レンズで撮影するか望遠レンズに切り替えるか、これはもう本当に緊張するのですよ、意外に編隊が広がりますと望遠レンズでは肝心なときにフレームから出てしまうことがある、広角レンズですと編隊が小さければ望遠不足に泣く事にもなります、どうするか。

地上に並ぶ航空機を構図に入れるならば広角レンズもよい、しかしCANONは高倍率ズームが苦手なのか、18-200mmを廃盤にして18-135mmとしてしまいました、そして望遠ズームの28-300mmも後継機種が出ない、撮影しますと、ズームの便利さはありがたい。

ファントム後継にライトニング、F-35戦闘機を選んだ航空自衛隊ですが、F-35戦闘機の能力は非常に高く多用途で、F-4EJ戦闘機やF-15J戦闘機のステルス版としてもちいるようなことは、その運用に留めてしまうことはないのだろうというのは安堵するところです。

専守防衛は、F-35をどこまで受け入れられるのかという視点で示しました。内閣法制局の統一解釈では相手国土を専ら完全に破壊するものを保有できないとしているものの、こういったもの等をのぞけば策源地攻撃は、可能であると解釈できます。敢えて曖昧なのだが。

相手国土を専ら完全に破壊するものを以外、と。当時の解釈には戦術核に含みを残すとも残さないとも解釈されうる表現で、もっとも個人的には日本はB-61核爆弾のような戦術核兵器であっても保有すべきではないと考える、こうしたものまで含まない限り、どうか。

敵基地攻撃能力については冷静にその能力整備の強化を考えるべきなのかもしれません、すると、専守防衛は周辺国の領土を併合する施策の否定という、新しい解釈の元で展開すべきなのでしょうか。専守防衛、しかしもう一方の視点、平和を買った認識はなかったか。

日本は1968年に当時の西ドイツの国民総生産GNP、最近はGNIと表現するようですが、抜き去り1968年から東日本大震災の2011年まで長らく世界第二位の経済大国となっていましたが、経済大国の“金持ち喧嘩せず”“金で解決できないものはない”驕りを感じる。

日本の平和主義には世界第二位の経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢りがあったのではないでしょうか、平和を札束で買う、こうした表現は好きではないのですが、現実の国際政治と平和主義の理念には現実的に大きな隔たりがあったように思えまして。

経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢り。このあたりが、日本も平和を札束では買えない、平和の値段が高くなりすぎて日本の経済力では買いたたけず、防衛力を整備する必要が突きつけられている構図なのか、とも考えるのですね。すると思う点がひとつ。

F-22、日本の伝統的な平和主義を考えるのであれば日本は無理をしてでもF-22戦闘機の導入を交渉すべきでした、あれこそが制空戦闘機の理想型、確かに2035年より用途廃止がはじまるとアメリカ空軍が2021年に発表していますが、これは生産数が少なく、特殊性が。

F-22は更に災害による保有機一割以上がハリケーンにより破損し稼働状態にない中での空軍保有機の稼働率評価を受け、稼働率が低いと評された背景があります。F-22,これは仮に航空自衛隊が無理に採用したらば、アメリカ空軍でも再生産の模索はあったのですから。

日本採用でその総生産数は若干変わっていたのかもしれません。イージスシステム。さてF-22に関してはアメリカ政府に導入を打診したものの議会が輸出を認可しなかったという背景があるためにそもそも保有できなかったのだろうという反論はあるのかもしれません。

しかし、これはイージスシステムも同様の背景があったのです、しかしイージスシステムは導入できた。イージスシステムを導入した背景にはその必要性もさることながら太平洋軍と海上自衛隊の伝統的な関係がありまして、結局は粘り強い交渉の成果といえましょう。

イージスシステムは最後、海上幕僚長がアメリカ海軍作戦部長に日米海軍トップ同士の直談判で日本への供与を切り開いたというねばり強い交渉結果がありまして、F-22の導入まで踏み込んだ交渉があったようには聞きません。ただ、専守防衛を考えるのであれば。

専守防衛を真剣に考えるならばJSF統合打撃戦闘機としてその名称からも打撃を含んだ戦闘機よりは、純粋な航空支配戦闘機、制空権を獲得するために必要な能力に特化したF-22を政治が推すべきだったとも考えています。もっともF-22はF-35よりも取得費用は高い。

戦闘機取得費用は確実に増大します、維持費用も比較にならない水準でしょう。このためには防衛費を高く確保する必要があります、日本が経済成長を続けているならば、たとえば年間10%の経済成長を続ければ七年でGDPは倍増する、経済成長があれば、とも思う。

F-15,なにしろ中曽根内閣時代に一機180億円と、当時は円安だ、高価な戦闘機を導入決心したのです、F-22も普通に選択肢に入ったのでしょうか。F-22をF-35よりも優先する、専守防衛を考えるならば与党はもちろん野党もこう推すべきだったと考えるのですが。

F-35は日本の平和主義の限界、札束で平和を買える時代は終わり、専守防衛は防衛任務での領域外作戦も含まれる、こうした状態となっている象徴のようにも、思えてならないのですね。平和も高くなったもの、ここまで世界が発展した事は喜ばしいが、ここは寂しいものですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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