■筑波山望むは百里基地
筑波山を借景にRF-4戦術偵察機も懐かしいですし百里基地にF-15が居られた時代も懐かしいという情景です。
航空自衛隊は2021年にF-4EJ改及びF-4EJ戦闘機について、すべての運用を終了しました。最初は制空戦闘機として、また航空自衛隊初の真の意味での全天候戦闘機として、また初の中距離空対空ミサイルによる視程外交戦能力を持つ戦闘機として配備されました。
三菱重工においてファントムはF-104スターファイターやF-86セイバーと同じ様にライセンス生産を実施、ライセンス生産は日本での運用基盤固めに寄与しその生産数は141機に上るとともに、後継となるF-15戦闘機が導入されますと能力向上改修を実施しています。
F-4EJからEJ改へ。国産対艦ミサイルをASM-1やASM-2を搭載する支援戦闘機の役割も担い、またF-15やF-2戦闘機が不具合の際には日本本土防空の主力となる時機もあり、古いことは確かですが防空に対艦用に航空阻止にと重要な戦闘機として活躍しています。
戦闘機の寿命はF-4が開発された1950年代当時では20年程度、人間でいうならば90歳いや100歳を超えて現役の古豪というところでしょうか。自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という一種自虐的である表現を用いられなくなったのは少し寂しいですが。
自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という表現は使えませんが、全機抑止力の維持という重要任務を完遂し遂に退役しました。このファントムは原型機の初飛行が1959年と非常に古く、そしてもともとは海軍の空母艦載機として開発された歴史があります。
F-4ファントムがアメリカ空軍において高く評価された背景には元々がアメリカ海軍が運用する空母艦載機として設計された為、艦隊防空システムとの連接性の高さが空軍の自動防空管制システムSAGEとの連接性や良好な第一線での運用能力と共通したためでした。
F-106デルタダート、アメリカ空軍が真剣に検討したのはデルタ翼を持つ美しい設計の超音速戦闘機F-106とF-4ファントムの二機種でした。F-106は離陸さえするならばそのまま操縦士はSAGE自動迎撃管制システムが誘導する目標までの経路を自動操縦で展開する。
F-106は、そこからファルコン空対空ミサイルやジーニ空対空核ロケットを自動発射する、こうした自動の極致というべき性能を有していて、操縦は高度に自動化されているという部分が特色でした。高空を超音速で飛行するという性能からはみおとされがちですが。
デルタダートの名の通りのデルタ翼によりF-106は、機動性も思われるほど低くはなく、逆に後にF-15イーグルが開発されますとDACT異機種間戦闘訓練に際しては機動力の高さでF-15を練度を錬成することとなりました。しかし、運用想定が一種極端ではあった。
F-106は搭載兵器にジーニ空対空核ロケットが含まれているように、核兵器が開戦第一撃で大量使用されるという東西冷戦下のきわめて厳しい、そして第三次世界大戦に勝ち抜く、極端な戦争観のもとに設計され、地域紛争をそこまで検討していたものではありません。
ジーニ空対空核ロケット、これは今考えてみると凄い、核爆発により空中の敵爆撃機の編隊を一掃するというもので、ミサイルではなくロケットと云うのは正確に命中させる必要が無い程の弾頭威力がある為という。冷戦時代はこれを一機数発の単位で使う計画でした。
ファントムかデルタダートか、空軍は結局2機種を比較検討することとなりますが、デルタダートはファントムに特にレーダー運用の面で全く勝負になりませんでした、デルタダートのレーダー運用は高度に自動化されていましたがファントムには勝てなかったのです。
デルタダートは単座戦闘機でありレーダーは操縦士が操作せねばなりません、このために自動化を進めているのですが逆にデルタダートが設計された1950年代の機械操作自動化技術は言い方が悪いですが知れている範疇でした、煩雑なのですね。発想の逆転が必要です。
1950年代のコンピュータは自動化に限界が在った、しかしファントムは操縦士とともに後部座席にレーダー管制士官が搭乗しています、自動化には限度があるのだからもう一人乗せろ、レーダー操作専用要員を一人乗せる、これではデルタダートに勝ち目はありません。
こうしてデルタダートはアメリカ本土防空専用機という、限られた生産、200機に満たない生産にとどまる一方、ファントムは実に4000機も生産がされる事となりました。自衛隊のファントム、航空自衛隊はF-104スターファイターの後継としてファントムを採用します。
実は原型初飛行が1959年のファントムは1954年に初飛行したスターファイターとはそれほど開発時期が違わないのですが、冷戦時代の戦闘機開発は日進月歩、とはいかずとも月進年歩、くらいの頻度では開発されていた構図の証左といえるのかも知れません。
さて。自衛隊行事にこの燃油費高騰はどう影響するのか。影響しない、ということだけはあり得ません。戦闘機も護衛艦も戦車も動かすにはアブラが要る。そして過去の燃油費高騰の時代には、確かに自衛隊行事に影響は及んでいましたたことは写真などからわかります。
はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦はるな、その除籍は2009年でした、乗員の方に聞きますと風通しのよい、雰囲気が良い護衛艦であったという。乗りたいというよりも帰りたくなる我が家のような雰囲気があったという、その護衛艦も2009年に、と。
護衛艦は退役前に、例えば近海練習航海に参加するなど、全国を一周してお世話になった方がたへ最後の挨拶をするものです、こう昔艦長のかたにお教えいただきました、ただ、はるな、は。そう続くのですね、2008年は歴史的燃油費高騰により、できなかったという。
師団祭なんかも燃油費は響く、例えば例年は軽装甲機動車や高機動車による車両行進を行う普通科部隊は、徒歩行進が主体に、流石に重迫撃砲や対戦車ミサイルを手押しはしないが、徒歩行進の比率が高くなったりするのです。人員だけ駐屯地からトラックで運んだ。
戦闘機は、これもある種例外的なのだが、写真としては仕上がっているものの、機動飛行の回数が減ったりしている、のだろうか。確信できないのは上記の通り機動飛行のない航空祭は無いが、実施されていますとしっかり撮影しているので、気付きにくいのやも。
自衛隊行事、なるほど任務は国家の防衛ですので、安全保障情勢というものは確実に響きます、しかし、アブラの価格もまた、響いているわけでして、ロシア軍ウクライナ侵攻を受け始まった燃油高騰、これはどのていど長期化するのでしょうか、一つの関心事です。
もうひとつ。これはわたしの生まれる前の世代の話ですが、1973年オイルショックの際には装備品がインフレで調達価格が凄いことに。それも割り増し程度ではなく倍増という装備もあったようで、これは当然、調達数の削減へと響きました。今回はどうなるのか。
自衛隊観閲式なんかはオイルショック前は毎年実施していました、これが隔年となりましたのも、オイルショック後ですので燃料と関係がある、デフレデフレといわれていたものですので、インフレに実感がわかないが、また厳しい時代がやってくるのは残念ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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筑波山を借景にRF-4戦術偵察機も懐かしいですし百里基地にF-15が居られた時代も懐かしいという情景です。
航空自衛隊は2021年にF-4EJ改及びF-4EJ戦闘機について、すべての運用を終了しました。最初は制空戦闘機として、また航空自衛隊初の真の意味での全天候戦闘機として、また初の中距離空対空ミサイルによる視程外交戦能力を持つ戦闘機として配備されました。
三菱重工においてファントムはF-104スターファイターやF-86セイバーと同じ様にライセンス生産を実施、ライセンス生産は日本での運用基盤固めに寄与しその生産数は141機に上るとともに、後継となるF-15戦闘機が導入されますと能力向上改修を実施しています。
F-4EJからEJ改へ。国産対艦ミサイルをASM-1やASM-2を搭載する支援戦闘機の役割も担い、またF-15やF-2戦闘機が不具合の際には日本本土防空の主力となる時機もあり、古いことは確かですが防空に対艦用に航空阻止にと重要な戦闘機として活躍しています。
戦闘機の寿命はF-4が開発された1950年代当時では20年程度、人間でいうならば90歳いや100歳を超えて現役の古豪というところでしょうか。自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という一種自虐的である表現を用いられなくなったのは少し寂しいですが。
自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という表現は使えませんが、全機抑止力の維持という重要任務を完遂し遂に退役しました。このファントムは原型機の初飛行が1959年と非常に古く、そしてもともとは海軍の空母艦載機として開発された歴史があります。
F-4ファントムがアメリカ空軍において高く評価された背景には元々がアメリカ海軍が運用する空母艦載機として設計された為、艦隊防空システムとの連接性の高さが空軍の自動防空管制システムSAGEとの連接性や良好な第一線での運用能力と共通したためでした。
F-106デルタダート、アメリカ空軍が真剣に検討したのはデルタ翼を持つ美しい設計の超音速戦闘機F-106とF-4ファントムの二機種でした。F-106は離陸さえするならばそのまま操縦士はSAGE自動迎撃管制システムが誘導する目標までの経路を自動操縦で展開する。
F-106は、そこからファルコン空対空ミサイルやジーニ空対空核ロケットを自動発射する、こうした自動の極致というべき性能を有していて、操縦は高度に自動化されているという部分が特色でした。高空を超音速で飛行するという性能からはみおとされがちですが。
デルタダートの名の通りのデルタ翼によりF-106は、機動性も思われるほど低くはなく、逆に後にF-15イーグルが開発されますとDACT異機種間戦闘訓練に際しては機動力の高さでF-15を練度を錬成することとなりました。しかし、運用想定が一種極端ではあった。
F-106は搭載兵器にジーニ空対空核ロケットが含まれているように、核兵器が開戦第一撃で大量使用されるという東西冷戦下のきわめて厳しい、そして第三次世界大戦に勝ち抜く、極端な戦争観のもとに設計され、地域紛争をそこまで検討していたものではありません。
ジーニ空対空核ロケット、これは今考えてみると凄い、核爆発により空中の敵爆撃機の編隊を一掃するというもので、ミサイルではなくロケットと云うのは正確に命中させる必要が無い程の弾頭威力がある為という。冷戦時代はこれを一機数発の単位で使う計画でした。
ファントムかデルタダートか、空軍は結局2機種を比較検討することとなりますが、デルタダートはファントムに特にレーダー運用の面で全く勝負になりませんでした、デルタダートのレーダー運用は高度に自動化されていましたがファントムには勝てなかったのです。
デルタダートは単座戦闘機でありレーダーは操縦士が操作せねばなりません、このために自動化を進めているのですが逆にデルタダートが設計された1950年代の機械操作自動化技術は言い方が悪いですが知れている範疇でした、煩雑なのですね。発想の逆転が必要です。
1950年代のコンピュータは自動化に限界が在った、しかしファントムは操縦士とともに後部座席にレーダー管制士官が搭乗しています、自動化には限度があるのだからもう一人乗せろ、レーダー操作専用要員を一人乗せる、これではデルタダートに勝ち目はありません。
こうしてデルタダートはアメリカ本土防空専用機という、限られた生産、200機に満たない生産にとどまる一方、ファントムは実に4000機も生産がされる事となりました。自衛隊のファントム、航空自衛隊はF-104スターファイターの後継としてファントムを採用します。
実は原型初飛行が1959年のファントムは1954年に初飛行したスターファイターとはそれほど開発時期が違わないのですが、冷戦時代の戦闘機開発は日進月歩、とはいかずとも月進年歩、くらいの頻度では開発されていた構図の証左といえるのかも知れません。
さて。自衛隊行事にこの燃油費高騰はどう影響するのか。影響しない、ということだけはあり得ません。戦闘機も護衛艦も戦車も動かすにはアブラが要る。そして過去の燃油費高騰の時代には、確かに自衛隊行事に影響は及んでいましたたことは写真などからわかります。
はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦はるな、その除籍は2009年でした、乗員の方に聞きますと風通しのよい、雰囲気が良い護衛艦であったという。乗りたいというよりも帰りたくなる我が家のような雰囲気があったという、その護衛艦も2009年に、と。
護衛艦は退役前に、例えば近海練習航海に参加するなど、全国を一周してお世話になった方がたへ最後の挨拶をするものです、こう昔艦長のかたにお教えいただきました、ただ、はるな、は。そう続くのですね、2008年は歴史的燃油費高騰により、できなかったという。
師団祭なんかも燃油費は響く、例えば例年は軽装甲機動車や高機動車による車両行進を行う普通科部隊は、徒歩行進が主体に、流石に重迫撃砲や対戦車ミサイルを手押しはしないが、徒歩行進の比率が高くなったりするのです。人員だけ駐屯地からトラックで運んだ。
戦闘機は、これもある種例外的なのだが、写真としては仕上がっているものの、機動飛行の回数が減ったりしている、のだろうか。確信できないのは上記の通り機動飛行のない航空祭は無いが、実施されていますとしっかり撮影しているので、気付きにくいのやも。
自衛隊行事、なるほど任務は国家の防衛ですので、安全保障情勢というものは確実に響きます、しかし、アブラの価格もまた、響いているわけでして、ロシア軍ウクライナ侵攻を受け始まった燃油高騰、これはどのていど長期化するのでしょうか、一つの関心事です。
もうひとつ。これはわたしの生まれる前の世代の話ですが、1973年オイルショックの際には装備品がインフレで調達価格が凄いことに。それも割り増し程度ではなく倍増という装備もあったようで、これは当然、調達数の削減へと響きました。今回はどうなるのか。
自衛隊観閲式なんかはオイルショック前は毎年実施していました、これが隔年となりましたのも、オイルショック後ですので燃料と関係がある、デフレデフレといわれていたものですので、インフレに実感がわかないが、また厳しい時代がやってくるのは残念ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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