■T-3との遭遇
先月、T-3ラストフライト?として報じたT-3初等練習機であるが、三月一日にはT-3二機編隊での飛行を確認し、こんどこそT-3ラストフライトか、と考えたものだが、三月十三日、また、T-3練習機の飛行に遭遇した。
13日の撮影であるが、やや遅れて記載する。イタリアの哲学者、GIORGIO AGAMBENの“State of Exception”という非常に難解な書物を読解するべく院生の合宿研究会があったのだが、その読解の途上、おおT-3だ!と騒ぎ、小生区分の全訳は遅れ、皆さんには迷惑をかけてしまった(例外状態の要訳欲しい方なんているかな?、また全部理解した!というかたがいらしたらコメント欄に何か書いていただければ幸いです)、I様、T様、皆々様、ご迷惑おかけしました。申し訳ない。あと、アガンベンはもう勘弁!。
さてさて、今回撮影したT-3であるが、静浜基地にてラストフライトを実施した機体で、まだ飛行時間が構造寿命の関係で残っていたものが岐阜に回航されたというもののようで、雑誌“高空ファン 通巻652号”の『自衛隊航空2007(P73)』には、飛行開発実験団の部分に“T-3は3月末で退役しT-7が配備予定”とあるため、まだ飛行を見ることが出来るかもしれない。しかし、同じ頁に静浜基地の第11飛行教育団で“T-3は3月末で退役”とあり、既に2月22日に退役している為、この情報は書類上のものといえるのかもしれない。
栃木県の宇都宮飛行場に隣接する富士重工宇都宮製作所南工場において生産されたT-3は、“隼”“疾風”などの名機を生み出した中島飛行機が財閥解体に際して12の企業に分割された後、五社が協同して1953年に富士重工業を設立、鉄道車両の製造を行っていた宇都宮工場において航空機の製造を行い、T-1練習機などを開発した。定期整備にあたるT-1やKM2の整備とともに銀翼を連ねて生産されたT-3であるが、いよいよ最後のときが近付いているようだ。
T-3について、基本的にT-34練習機の機体に新型のライカミングIGSO-480エンジンを搭載したものであり基本的に古い設計の機体である、という人もいるが確かにその通りであるものの、米軍の初等練習機T-34CもT-34に新型エンジンを搭載したものであり、あたかもT-3が設計当時から時代遅れというような論評には若干の疑問を感じるのは小生だけであろうか。また、T-3の設計には富士重工自慢の軽飛行機FA-200エアロスバルの技術や経験が一部応用されたという。
静浜基地は流石に遠征も大変であり、岐阜基地や小牧基地に来なければもう見れまいとのことで、航空祭などでT-3を見る度に、これが見納めかと考えたのだが、縁があるというのだろうか、今度こそ飛んでいるT-3を撮影するのは今度こそ最後の機会と思うが、レシプロエンジンの音がいつまでも大空に響いていた。
HARUNA
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T-3も本当だったらターボプロップだったのかもしれません。しかし当時T-3に合うターボプロップエンジンが無かった為T-34と同様にレシプロ機になりました。
長い間T-3を見続けてきた身としては引退というのは寂しい限りです
本当は、岐阜基地のいつもの場所で撮影出来れば言うことなかったのですが、全訳が手間取りましてね・・・。小生としては静浜に行ったことがないので、特別塗装の旧帝国海軍風T-3を見れたひろさんが少し羨ましかったりします。