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【京都発幕間旅情】犬山城,日本最古の天守閣である十二現存天守閣に二〇二〇年代の新発見

2024-06-26 20:00:37 | 旅行記
■日本最古の天守閣
 高すぎない山の上の城郭というのは絵になるし上る際にもあまり気負わずに愉しく探訪できるのです。

 犬山城、犬山という地名は城郭の知名度と共に小京都と呼ばれ観光地を形成するとともに、犬山橋は2003年まで鉄道自動車併用橋として長大な編成のパノラマカーやパノラマSuperが橋梁狭しと自動車と並び行き交ったことでも知られるところなのですが。

 城郭こそやはり、犬山城あってこその犬山なのではないかなあ、と考えさせられるところでして。そして実際探訪してみますと、木曽川の雄大な流れと、岐阜基地に発着するF-15やC-2などなど平日限定でみられますし、なかなか心ひく城郭とおもう。

 COVID-19,先日個人的に病院でも医師の先生と違いまして幸いと日常の会話に紛れ込む言葉なのですが、実はこの犬山城、ロックダウンこそなかったものの社会の多くを自粛で行動ごとウィルスを押し込んだ全てが緩慢な時代に、大きな研究の進展がありまして。

 日本最古の天守閣である、これが具体的に明らかになったのが、COVID-19猛威振るう2021年のことでした。日本には現存天守閣が十二ありまして、これらは国宝重文併せて現存十二天守閣と呼ばれているのですが、難しいことの正確な建築年数は不明が多い。

 十二現存天守閣は、明治維新と戊辰戦争に廃藩置県で先ず多くが破却されていまして、残った僅かな天守閣も太平洋戦争で、岡山城や名古屋城のように空襲で焼かれたり、広島城のように核攻撃で吹き飛ばされたり、首里城のように艦砲で破壊された事例さえ。

 核攻撃も艦砲も空襲も無かった幸いというべき十二天守閣ですが、古い城郭ほど資料が散逸してしまいますので、明らかに新しいものは別として長らく、見た目が古い福井の丸岡城とかなり古くから存在すると二次資料の多い犬山城どちらかが最古といわれていて。

 最古の天守閣であると判明したのは2017年に丸岡城が、古い天守閣ではあるもののそれは北陸の厳寒つづく冬季に氷結欠損しないよう石瓦を多用したことで外見が古そうに見えただけ、ということで、犬山城の方が古いとだけは判明していたのですけれども。

 年輪年代法、この数年間で犬山城に関する研究が大きく進みまして、建築部材として用いられた木材を判定する技術からほぼ生活な木材の伐採時期が判明するところとなりまして、天正13年から16年にかけて、西暦だと1585年から1588年頃の伐採だ、と。

 天守閣造営は1590年頃であるという事がこの分析により判明したのでした。これまでは最上部が元和年間造営という説が主流ではあった。安土城のほうが古い、と叫ばれた方は落ち着け、伊勢戦国時代村の安土城は安土町から移築したものじゃあない。

 三層にわたる天守閣は四階と地下二階から構成されている城郭でして、長らく言われていて、わたしもそう理解していたのは、二層まで櫓状のというよりも寺院の法堂のような天守閣が造営されて、後世に改めて三層目を増築し現在の姿になった、というもの。

 しかし、この2021年の研究報告によれば年輪年代測定法により、三層目の部材と一層目二層目の部材は同時期の物であることが判明したのでした、つまり今まで主流であった三層目後付け説は否定され、加工法の共通性から同時期に加工された部材と判明する。

 犬山城、科学万能と言われた時代は一周してまだまだ分からないことだらけだという達観の時代に入っているのですけれども、こうした中で定説が覆す発見がありました故に、この美しい城郭を、また久々に散策してみよう、とおもいたったわけなのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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