■ウクライナ危機を無視する日本
室町将軍足利義政には芳しい歴史的な評価が無いように見えるのですが、歴史を鏡として現代日本に重ねた場合に低く評価する事は自己評価にもつながるのではないでしょうか。
絶望の楽園にこもったのは足利義政、銀閣寺をこう表現したのですが、今の日本は世界政治の混迷と大戦への危機と云い得る厳しい状況、日本と云う絶望の楽園へ日本国民が現状を無視して籠っている構図そのものではないか、ふと歴史書を時事に置換えた際に思う。
足利義政、応仁の乱の時代には室町殿を将軍本陣としていましたが、此処が火災に見舞われますと義尚と共に小川殿に遷座し、しかし側室を義尚と取り合う事になり、その混乱から義政は隠遁所として造営していた東山殿に遷り、ここで自分の世界に籠ってしまうのだ。
歴史は足利義政を乱世の延焼するままに傍観し必要な措置を執らなかった無能の室町将軍として記憶しているのですが、しかし、これを今の日本社会、日本の私たちは揶揄する事は出来るのでしょうか。義政が銀閣寺に籠ったように、日本も世界から籠っていないか。
自由主義圏の安全保障に日本も貢献できる事はあるのではないか、それも工場としてではなく兵器廠としての役割は勿論、防衛力の展開も含めて必要ではないかと考えます。こう論説するだけで、いやしかし日本には憲法九条が云々、こうした反論が定番で戻りますが。
伝統芸能“ケンポーキュージョー”、率直に言いますと第二次世界大戦終戦が1945年、四捨五入すれば百年近く前の敗戦と共に築かれた国際公序に日本は載っているつもりなのかもしれませんが、レジームチェンジというものは冷戦時代と冷戦後と、幾度か起きている。
ウクライナ危機と米中対立の構造は、人間の安全保障としての自己実現への権利を国家が成約するか人間は自由であるべきか、人間の価値基準をその人の個性が画定するのか国家が命じるのか、この対立でもあるのですね。この点で両側は相いれない関係がるのです。
憲法九条を理由に日本と云う国家に引きこもり、最低限の防衛協力は行うよ的な施策は、あたかも足利義政が築いた絶望の楽園、銀閣寺にこもった構図を憲法と云う国内法を盾に世界政治を無視し日本国家が国家単位で行おうとしている様にしか、見えないのですよね。
国際貢献、こう表現すればPKO,こればかりを思い浮かべられる方が多いのも事実ですが、例えば現在の陸上自衛隊は空挺団や水陸機動団などのごく少数を除き、地域配備部隊が連隊毎の管区を都道府県単位で有しています、北海道では支庁単位か、ここが少し違和感が。
連隊戦闘団、現在の連隊戦闘団は人数の多い師団普通科連隊が戦闘団を組める戦車部隊が北海道以外師団に無くなりつつあり、特科大隊は特科代替で師団特科が廃止され方面特科に転換しつつある過渡期です、しかし、ここをまともな装備に置換え、主役とする必要が。
防衛協力、日本が同盟国は勿論、安全保障包括協定を結んだ英仏や豪州、NATO諸国や東南アジア諸国と協力を強化するには、水陸機動団や空挺団だけが自衛隊ではない訳で、全国の普通科連隊を連隊戦闘団として、規模は小さくとも各国と防衛協力を行う必要もある。
太平洋地域で極東ロシア軍の演習に対して厳しく牽制するなど、強い行動をとる選択肢も有る筈ですし、何よりもう少し政府の情報収集能力を、組織の拡大など対応し、大規模地域紛争は許さない姿勢を鮮明とするだけでも、日本にできる事は多いように思えるのです。
義政は応仁の乱の後の荒廃や混乱を無視して隠遁所として造営していた東山殿に遷り自分の世界に籠ってしまった。これを無責任と考えるならば今の日本を見ていない事になるのですね。日本の世界への影響力は依然として高い、問題は影響力を行使しない事に在る。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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室町将軍足利義政には芳しい歴史的な評価が無いように見えるのですが、歴史を鏡として現代日本に重ねた場合に低く評価する事は自己評価にもつながるのではないでしょうか。
絶望の楽園にこもったのは足利義政、銀閣寺をこう表現したのですが、今の日本は世界政治の混迷と大戦への危機と云い得る厳しい状況、日本と云う絶望の楽園へ日本国民が現状を無視して籠っている構図そのものではないか、ふと歴史書を時事に置換えた際に思う。
足利義政、応仁の乱の時代には室町殿を将軍本陣としていましたが、此処が火災に見舞われますと義尚と共に小川殿に遷座し、しかし側室を義尚と取り合う事になり、その混乱から義政は隠遁所として造営していた東山殿に遷り、ここで自分の世界に籠ってしまうのだ。
歴史は足利義政を乱世の延焼するままに傍観し必要な措置を執らなかった無能の室町将軍として記憶しているのですが、しかし、これを今の日本社会、日本の私たちは揶揄する事は出来るのでしょうか。義政が銀閣寺に籠ったように、日本も世界から籠っていないか。
自由主義圏の安全保障に日本も貢献できる事はあるのではないか、それも工場としてではなく兵器廠としての役割は勿論、防衛力の展開も含めて必要ではないかと考えます。こう論説するだけで、いやしかし日本には憲法九条が云々、こうした反論が定番で戻りますが。
伝統芸能“ケンポーキュージョー”、率直に言いますと第二次世界大戦終戦が1945年、四捨五入すれば百年近く前の敗戦と共に築かれた国際公序に日本は載っているつもりなのかもしれませんが、レジームチェンジというものは冷戦時代と冷戦後と、幾度か起きている。
ウクライナ危機と米中対立の構造は、人間の安全保障としての自己実現への権利を国家が成約するか人間は自由であるべきか、人間の価値基準をその人の個性が画定するのか国家が命じるのか、この対立でもあるのですね。この点で両側は相いれない関係がるのです。
憲法九条を理由に日本と云う国家に引きこもり、最低限の防衛協力は行うよ的な施策は、あたかも足利義政が築いた絶望の楽園、銀閣寺にこもった構図を憲法と云う国内法を盾に世界政治を無視し日本国家が国家単位で行おうとしている様にしか、見えないのですよね。
国際貢献、こう表現すればPKO,こればかりを思い浮かべられる方が多いのも事実ですが、例えば現在の陸上自衛隊は空挺団や水陸機動団などのごく少数を除き、地域配備部隊が連隊毎の管区を都道府県単位で有しています、北海道では支庁単位か、ここが少し違和感が。
連隊戦闘団、現在の連隊戦闘団は人数の多い師団普通科連隊が戦闘団を組める戦車部隊が北海道以外師団に無くなりつつあり、特科大隊は特科代替で師団特科が廃止され方面特科に転換しつつある過渡期です、しかし、ここをまともな装備に置換え、主役とする必要が。
防衛協力、日本が同盟国は勿論、安全保障包括協定を結んだ英仏や豪州、NATO諸国や東南アジア諸国と協力を強化するには、水陸機動団や空挺団だけが自衛隊ではない訳で、全国の普通科連隊を連隊戦闘団として、規模は小さくとも各国と防衛協力を行う必要もある。
太平洋地域で極東ロシア軍の演習に対して厳しく牽制するなど、強い行動をとる選択肢も有る筈ですし、何よりもう少し政府の情報収集能力を、組織の拡大など対応し、大規模地域紛争は許さない姿勢を鮮明とするだけでも、日本にできる事は多いように思えるのです。
義政は応仁の乱の後の荒廃や混乱を無視して隠遁所として造営していた東山殿に遷り自分の世界に籠ってしまった。これを無責任と考えるならば今の日本を見ていない事になるのですね。日本の世界への影響力は依然として高い、問題は影響力を行使しない事に在る。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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