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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

東山花灯路2008 月光を浴びる法観寺五重塔

2008-03-21 16:01:51 | 写真

■東山花灯路撮影紀行

 古都の路地を仄かな光で灯す、東山花灯路。昨日、Hakase氏とともに撮影に赴いた。三脚の準備が無かった為(小型三脚はあったんだけど、人が多くて置く場所が確保できない)、やや粗い写真なのはご容赦の程を。

Img_9468  今年も3月14日から23日までの間、京都東山において恒例の花灯路が開催された。これは花形の灯を路地に並べたもので、1800~2130時の間に点灯しており、古都ならではの町家が集まる地域をやさしく照らしている。今度の日曜日が最終日ということだが、昨日は祭日ということで、かなりの賑わいだった。

Img_9420  東山花灯路の開催にあわせて、夜間特別拝観や夜間開館、ライトアップなどが、東山にある寺院で行われている。ざっと列挙しただけでも清水寺、高台寺、法観寺、八坂神社、青蓮院というように京都を代表する寺院の名前をみることが出来る。

Img_9431  本来、こうした夜景撮影は、三脚の上にリモートシャッターを取り付けたカメラを設置し、ISO感度を100程度まで落として長時間露光撮影を行うのだが、何分三脚の準備が小型のものしかなく、小型三脚とセルフタイマーによる長時間露光の撮影を行おうにも、これを載せることができる適当なものが無いため、いつもとは異なる撮影方法により撮影した。

Img_9445  Canonのデジタル一眼レフカメラEOS Kiss Digital N は、ISO感度を100から1600までの間で設定できるので、やや粒子は粗くなるが、1600に設定して撮影した。シャッター速度は1/15までであれば、しっかりと構えれば手ブレはなんとか防げるものの、シャッターを押した瞬間に数ミル単位でぶれてしまう為、二枚連続で撮影する。そうすると2枚目はシャッターの押した瞬間のブレが無い。

Img_9486  三脚を利用した長時間露光の場合、たとえば少なくない観光客が居る場合でも、長時間立ち止まらなければ写真に写りこんでしまうことが無い。また、ISO100で撮影した場合、非常に鮮明な写真とすることができる(フィルターなんかで、さらに鮮明さを追求することも可能)。しかしながら、三脚が無くともこの程度の写真であれば、手ブレ補正のISレンズが無くとも撮影できた次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸上自衛隊 大久保駐屯地創設50周年記念行事 詳報

2008-03-20 00:52:54 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事

大久保駐屯地祭07 式典編

 大久保駐屯地祭詳報第一回は、部隊入場、指揮官巡閲などの記念式典編である。(http://blog.goo.ne.jp/harunakurama/d/20080314)

Img_2160  陸上自衛隊駐屯地祭としてカテゴリ化しているが、写真数の多量化によりデータ量が巨大化、閲覧にも支障を来すほどとなっていることから、新カテゴリとして、今回から詳報のリンク集を設置した。この大久保駐屯地祭詳報第一回の掲載は2008年3月14日掲載の記事にて特集され、14枚の写真が用いられている。

大久保駐屯地祭07 観閲行進編

 大久保駐屯地創設記念行事の詳報特集第二回目は観閲行進を特集している。(http://blog.goo.ne.jp/harunakurama/d/20080316)

Img_2259  大久保駐屯地には第4施設団、第3施設大隊など、施設科部隊が駐屯しており、渡河・築城・障害除去・架橋・補給路整備・拠点建設といった様々な任務に対応する為に、多種多様な装備を有している。第二回の詳報では、観閲行進に参加したこれらの装備を29枚の写真とともに解説している。

大久保駐屯地祭07 訓練展示編

 大久保駐屯地祭詳報第三回は、訓練展示を掲載している。50周年ということで、規模が大きく、模擬戦とは回を分けて掲載することとなった。(http://blog.goo.ne.jp/harunakurama/d/20080317)

Img_2325  訓練展示は、小川祥一駐屯地司令自ら矢を射たアーチェリー、304保安中隊によるライフルドリル、チアリーディングに銃剣格闘展示である。この第三回詳報には19枚の写真を用いて解説した。最後には模擬戦に先立って、各種装備の解説をグラウンドにて実施している様子までを掲載した。

大久保駐屯地祭07 訓練展示模擬戦編

 大久保駐屯地祭07詳報、第四回の掲載は、模擬戦である。(http://blog.goo.ne.jp/harunakurama/d/20080318)

Img_2507  模擬戦は、施設団駐屯地というだけあって、様々な工夫が凝らされており、航空偵察、斥候、レンジャー部隊降下という定石を踏まえつつ、架橋作業、地雷処理、障害除去などの一連の施設科部隊任務を再現している。また、砲焔の撮影にも数多く成功しており、この迫力を28枚の写真とともに掲載している。

大久保駐屯地祭07 装備品展示・試乗編

 大久保駐屯地祭07詳報、この装備品展示や試乗を扱った第五回が最終回である(http://blog.goo.ne.jp/harunakurama/d/20080319)。

Img_2636  大久保駐屯地ならではのものとして、渡河訓練用の池を用いた渡河ボート体験試乗(92式浮橋も登場)、そして94式水際地雷敷設車の体験乗車や高機動車の試乗などが行われた。特に、観閲行進では正面からしか観ることの出来なかった装備などの紹介や、ヘリコプターの着陸風景などを撮影、これらを22枚の写真により紹介している。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸上自衛隊大久保駐屯地創設50周年記念行事 装備品展示・試乗編

2008-03-19 00:04:37 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■ようこそ大久保駐屯地祭2007へ

 大久保駐屯地祭07詳報、記念式典編、観閲行進編、訓練展示編、模擬戦編と続いた特集も今回で最終回である。最終回の今回は、装備品展示と、試乗の特集である。施設団駐屯地ならではの大久保駐屯地祭特集を最後までお楽しみ下さい。

Img_2165_1  大久保駐屯地には、海外派遣任務を無事遂行し帰る、という縁起で、“蛙”の像が置かれている。1992年6月に国会で自衛隊のカンボジアPKO派遣が決定したが、その第一次派遣隊600名は、ここ大久保の第4施設団を中心に編成された(大隊長以下370名が4施設団、中方第3師団より57名、同第10師団より43名、同13師団より42名、中部方面直轄部隊より64名、施設学校・陸幕から24名)。以後、自衛隊の海外での活動は恒常化したが、一名の戦死者も出さず今日に至ることは、一つの誇りとしてみたい。

Img_2245_1  さて、訓練展示終了後、大久保駐屯地祭は装備品展示という流れで推移していったのだが、なにぶん、物凄く広い駐屯地である。装備品展示会場と式典会場が異なるので、混雑する装備品展示会場をあえて避け、訓練展示参加車輌の撤収を撮ろうと待機していると、94式水際地雷敷設車が会場に入ってくるではないか。なるほど、この車輌は水際地雷を収容する大きな後部区画を利用して試乗を実施するようだ。

Img_2239_1  水際地雷を敷設する為に水上航行が可能な装備であるが、製作は日立造船となっており、確か制式化当時は世界の艦船誌に“これもフネ!”ということで写真が掲載されていたように記憶する。全長11.8㍍というから船舶としては小型かもしれないが、車輌としては、かなりの大きさである。

Img_2249_1  この種の水際地雷は、CH-47JAのような輸送ヘリコプターで一気に空中から敷設した方が早いのではないか、と思ったりもするが、まあ、敵早期警戒機などにより察知される可能性が否定できないヘリコプターで敷設するよりも、車輌で敷設した方が、水際防御体制を暴露しにくく、抑止効果が期待できるのだろうか、ヘリ数に余裕が無いからであろうか。なお、個人的には沿岸の津波災害のときに大きな威力を発揮するのではないか、と思ったりする。

Img_2583  体験乗車の準備が進む中、先ほどの訓練展示にて架橋を展示した81式自走架橋柱装置が撤収を開始している。ところで、この自走架橋柱装置、作業に必要な油圧装置などが露出している部分があり、敵前渡河の際には砲弾片により機能を喪失する可能性があるのではないかという指摘を聞いたことがある。新自走架橋柱装置の開発が進められているというが、個人的には、前述の部分はもちろん一部の施設科装備はキャビンの装甲化を図ってもいいのでは、と考えたりする。

Img_2555  反対側を見渡すと、観閲行進や訓練展示における大型車輌移動により生じた轍や起伏を整地し、散水している。散水しているということは、ここにヘリコプターが着陸するのだろう。つまり、それまでの間、擬爆筒の破片などを回収したり、作業が続くのだとみえる。邪魔してはいけないと思い、撮影位置の移動を決意する。

Img_2626  途上、第7施設群のモータープールなどの隣を通る。最大積載量20000kgとあるので、タンクトランスポーターではなくトレーラのようだ。かなりの数の車輌が並べられている。この種の車輌は、観閲行進でも速度的に自走できない車輌を展示する際などに使われる為、注目されない装備ではあるが、一台一台入念に整備されており、隅々まで行き届いた備えが、自衛隊の精強さを物語っているようにみえる。

Img_2175_1  装備品展示会場。92式浮橋の車輌展示。きくところではつい第4施設団へは最近配備された装備のようだ。この種の装備は、護岸工事された日本の河川では使いにくいといわれていたが、92式は本体・動力ボートともに水面まで護岸工事部分を乗り越えて展開させる伸縮式レールが装備されている。他方、護岸工事って、浮航性能を有する装甲車の渡河には妨げとなるらしい。結果的に意図せずして国土の要塞化してたような印象も。

Img_2182_1  92式浮橋、後ろから一枚。ところで、米軍演習の映像をみていると、このタイプの浮橋を大型ヘリコプターで次々と河川に展開させ、迅速に架橋を行う様子が収録されていた。この装備も、基本的に74式特大トラックに搭載されているので、第1ヘリコプター団のCH-47J/JAでも輸送は可能な筈。大規模災害において迅速に橋梁を回復する為に、運用試験など、実施してみてはどうかな、と考える。

Img_2180_1  道路障害作業車。観閲行進では良く見えなかった角度から掲載。この車輌を用いれば、中央分離帯を対戦車バリケートに変えたり、アスファルトの底に対戦車地雷を巧みに秘匿敷設したり、様々な運用が可能である。この種の障害構築装備は、米軍装備やNATO軍装備などの中にも見られないものがあり、注目したい。他方、地雷除去装備などは、爆導索に重点を置いており、耐爆圧型の地雷を充分に除去できない可能性がある。チェーン方式(高速回転軸に錘の装着されたチェーンを無数に配して地雷を叩き潰す装備)などの装備化も検討しては、どうだろうか。

Img_2179_1  道路障害作業車について、一つだけおもうのは、部隊撤収の際に時間を稼ぐ殿としての運用が為されるわけで、装甲化を検討しても良かったのでは?と思ったりする。必然的に価格は上昇するが、普通科は高機動車よりも高価な軽装甲機動車の装備を行っている。施設科もトラックよりも高価であっても生き残れそうな車輌が広範に必要では、と思ったりする。例えば米軍がイラク軍のIED(仕掛爆弾)対処用に導入した南ア製キャスパーシリーズの派生型のような車輌などのように。

Img_2259_1  という感じで、装備品展示について色々なことを書いてみたが、お気付きだろうか、92式にしても、回りに人が少なすぎないか?ということ。スマン、実は上の四枚は早朝、大久保駐屯地に入った直後に撮影したもの。装備品展示の会場は、式典と並行して開いているので、訓練展示終了後は火砲や車輌も加わり、大変な盛況だった。

Img_2636  大久保駐屯地名物、渡河ボートによる体験乗船。2007年の大津駐屯地祭でも、琵琶湖を利用して渡河ボートによる体験乗船が行われていたが、大久保駐屯地には渡河訓練、架橋訓練を行う為に大きな池があり、ここに渡河ボートを浮かべて体験乗船を行っている。ダンプ中隊の観閲行進とならんで、この駐屯地ならではのものである(施設学校でもこうしたことが行われてるというはなしで、すると他の施設団の駐屯地にもボート試乗は出来るのかな?)。

Img_2231_1  体験試乗の池はかなり大きい。一周するには思いのほか距離があり、ライフジャケットを着込んで乗船した皆さんも、充分楽しめたようだ。二艘の渡河ボートが試乗に参加していた。この渡河ボート、複数を横に繋いで導板を渡せば、高機動車などの車輌も輸送可能である。2006年の大津駐屯地祭では、琵琶湖上からこの方法で増援部隊を送るという離れ業をやってみせた。

Img_2257_1  一周すると艀(はしけ)からボートへ交代。施設科隊員は、架橋作業などのために櫓や櫂の操作にも習熟しているとのこと。体験乗船では、モーター動力で前進しているが、夜間渡河などではエンジン音を立てるわけには行かず、手動で動かすという。更に、夜間における架橋作業でも殆ど照明を用いず、作業をこなしてしまうという。

Img_2254_1  で、まあ、皆さん、渡河ボートスゲー!っていう印象で写真を撮っていたようだが、実はボートへの乗り換えに使う艀、実は最新の92式浮橋だったりする。最新鋭の渡河装備と知ってか知らずか、あまりこの艀には注意を払っていなかった。ううむ、訓練展示では81式自走架橋柱装置に美味しいところをもっていかれたので(浮橋は水上に浮かせて使うので地上での展示には使えないのだ)、こんなところで大活躍。

Img_2169_1  渡河ボートの撮影を終えて、そろそろヘリコプターが着陸する時間帯となってきたのだが、その途中には、パネル橋が分解した状態で置かれてたりした。このパネル橋、さすがに駐屯地祭では組み立てに時間が掛かるので見ることは出来ないが、例えば富士総合火力演習では、道路の立体交差に、さりげなく使われてたりもする。

Img_2605  砂塵を巻き上げて着陸する観測ヘリコプターOH-6D、あれだけ散水したのだが、この日は五月末という割には既に日差しは初夏で、水は地面に吸い込まれ、乾ききった大地は容赦なく砂塵を周囲に吹き付ける。しかし、砂塵を透かしてヘリを撮ってみると、着陸寸前の航空機という迫力が伝わる。ほぼ同時にUH-1Jの方も着陸していた。

Img_2590  対戦車ヘリコプターAH-1Sが着陸する。この時点では、まだAH-64Dが生産中止になるという決定は無く、数年後には明野のAH-64Dがここで見られるようになるのでは、と期待していたりした。AH-64Dは単なる空中打撃の手段ではなく、索敵情報のデジタル化による全部隊への共有、無人機の管制などにも使える新世代機で、イージス艦が海上自衛隊に、AWACSが航空自衛隊にもたらした躍進と同等のものを得られるはずだったのだが。

Img_2593  AH-1Sがグラウンドの中央に着陸すると、残った砂塵が一気に飛沫と化してグラウンドを覆った。訓練展示の際にUH-1Jが、木立の向こう側に着陸したのは、この砂塵が訓練展示の状況を覆ってしまうことを避けるためであろうか。砂塵はデジタル一眼のCCDには天敵となるため、望遠レンズで撮影するとともに一時後退(転進)である。

Img_2645  ちょうどこの期間、小生は多忙であり、ヘリの見学や車輌の試乗を諦めて撤収を開始する。そのとなりをデコレーションで飾った試乗の高機動車が目の前を通り過ぎる。普通科部隊小銃班の機動力向上を目指し高機動車の配備が開始されたのが1992年。今日では、高機動車は普通科部隊以外にも広範に配備されている。更に進んだ軽装甲機動車が、普通科連隊から偵察隊にまで配備されている。

Img_2634  さて、五回に分けて掲載した大久保駐屯地祭創設50周年記念行事、いかがだったろうか。戦車部隊や特科部隊に比べれば、一見地味そうな印象があるが、そういったステレオタイプなイメージは、一転したのではないだろうか。施設科は全部隊の先頭に立って困難に立ち向かう為、必然的に機械化されている観閲行進、敵前で後方で責務に向かう施設科部隊ならではの模擬戦。2008年大久保駐屯地祭は5月末に予定されている。大久保駐屯地までは、京都駅から近鉄奈良線で、京阪からは京都市営地下鉄東西線から烏丸線に乗り換えて直接大久保駅へ、阪急線も烏丸駅から近鉄線乗り入れ電車ですぐ行くことができる。皆さんも興味をもたれた方は、大久保駐屯地祭へ足を運ばれてみては如何だろうか。

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陸上自衛隊大久保駐屯地創設50周年記念行事 訓練展示 模擬戦

2008-03-18 16:26:02 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■訓練展示 状況開始!

 本日は、大久保駐屯地祭2007詳報、訓練展示模擬戦編である。施設団や施設大隊が駐屯している大久保駐屯地祭は、観閲行進などでも施設団駐屯地でしかみれないような迫力であったが、模擬戦も一工夫も二工夫もある見応えである。では、喇叭とともに、いよいよ状況開始だ。

Img_2382  こちら、観測ヘリ・・・、東台周辺の丘陵地帯に敵らしきもの見ゆ、現在陣地構築中、さらに南側平野部に敵トーチカ・・・、さらに情報収集を続ける・・・、終わり。大阪の八尾駐屯地より飛来した観測ヘリコプターOH-6が索敵飛行を展開。武装が無い観測ヘリはその機動性を活かし、地上のどこかに隠れている敵を探し、反撃を受ければ報告し飛び去ってゆく。実戦では、ここ以外にも当然敵が潜んでいる為、更に情報収集を行うべく駐屯地の彼方に索敵飛行を続けた。

Img_2388  出動する偵察オートバイ。ヘリコプターが発見した敵のようなものでは何かわからないので、敵なのか識別するべく第四施設団本部管理中隊より派遣された情報小隊の出動である。なんとなれ、情報が現代戦では最も重要であるが、レーダーや熱画像暗視装置などの各種センサーも有用性も確かだが、偵察員の五感による情報も侮れないものがある。

Img_2460  訓練展示なんだから敵に決まっているのだが、斥候に展開する情報小隊の偵察オートバイに向かって仮設敵の64式小銃が火を噴く。敵の規模を軽攻撃により図る偵察と、敵の有無を図る斥候が情報収集の手段として挙げられるが、偵察は師団などに編成されている偵察隊が行い、情報小隊の任務は火力に限界があることから、専ら斥候に限られる。この斥候部隊に仮設敵が発砲したのだ。

Img_2431  敵陣地に向けて我が方の榴弾砲が火を噴く。姫路駐屯地第3特科隊の155㍉榴弾砲FH-70が制圧射撃と陣地攻撃を行う。敵の火器が火を噴けば必然的にその位置を暴露してしまう。位置が判ってしまった敵は一刻も早く撤収しなければ、その位置には試射、そして効力射の砲弾が降り注ぐ。

Img_2433  FH-70榴弾砲は、最大射程が通常榴弾で24km、特殊装薬使用時で31km。発射するM-107榴弾は155㍉の砲弾内部にTNT火薬6.62kgを内蔵しており、着弾すると長径45㍍×短径30㍍の範囲内にカミソリのように鋭い有効弾片をばら撒く。対コンクリート信管を装着すれば82㌢の強化コンクリートに浸徹する。

Img_2395  ここで残念なお知らせ。なんと仮設敵は我が増援部隊が必ず通らなければならない橋梁を爆破していたのだ!、これでは増援部隊が送れない!そういう訳で、第3施設大隊より81式自走架柱橋が天下し、迅速に渡河作業を行う。橋は重要な戦術拠点となる為、破壊されやすい。ここで、陸上自衛隊の渡河装備が役立つのだ。92式浮橋などもあるが、敵前渡河では、やや性能は劣るが手早く架けられるこの装備が役立つ。

Img_2399  橋梁が破壊されたということは、航空偵察により判明した敵以上に多くの仮設敵部隊が潜んでいるのではないか?、こうして更なる敵を発見するべく、多用途ヘリコプターUH-1Jより信太山駐屯地の第37普通科連隊から展開したレンジャー隊員がロープにより降下した。敵の背後に展開した隊員は身に着けた体力と小銃だけを頼りに、音も無く徒歩により情報収集を行う。

Img_2402  こちら降下部隊、東側丘陵地帯に陣地発見!、なるほど、あからさまに敵が潜んでる想定のトーチカが見つかった、ここに重火器が据えられていれば、81式自走架柱橋による渡河作業にも重大な脅威を及ぼす。川を渡った瞬間に横から待ち伏せされれば目も当てられない状況になってしまう。

Img_2452  敵は、まとめて、消毒だ!携帯放射機が火焔を吹く。ゼリー状のガソリンを引火させつつ高圧ガスで相手に吹き付ける火焔放射機は、第一次世界大戦以来、機銃陣地や塹壕などの掃討に威力を発揮してきた。何分、至近距離ならば面で制圧することが出来るし、放物線を描いて放射できるので、機銃のような直接照準火器の死角から狙い撃つことができる。渡河地点周辺へは架橋に先立って渡河ボートなどで人員や対戦車装備、ジープなどの軽車輌などを送ることが出来る。

Img_2451  火焔放射機は射程が短い印象があるが、最大射程は55㍍ほどある(ただし、老朽化が進んでいる)。後ろのクレーン車がどうしても気になるが、これは火焔放射部隊を上空から金タライ攻撃でドリフのコントみたく撃退する為では決してなく、後々使用する為に待機しているクレーン車である。

Img_2455  トーチカ炎上。完全に炎上ですよ。ただ、この火焔放射機による陣地掃討やトーチカ攻撃であるが、確実に一度発射すると火焔放射機の位置が暴露してしまい、なおかつ背中に背負った燃料タンクに命中すれば大変なことになってしまう。こうした理由から、特に1982年のフォークランド紛争以降は携帯対戦車ミサイルによる機銃陣地攻撃が行われるようになっている。なんとなれ、焼く身分にも焼かれる身分にもなりたくないものだが、幸い、防衛力と予防外交によって抑止力を維持したことで、日本では訓練標的以外焼かずに今日に至っている。

Img_2502  渡河拠点に脅威を及ぼすトーチカが排除されたことで、完成した81式自走架柱橋の上を軽装甲機動車が展開する。第37普通科連隊の車輌だ。軽装甲機動車は、01式軽対戦車誘導弾など火力装備の重量化や指揮通信能力向上を目的とした器材その他の搬送を行うには徒歩では限界があり、車輌化の必要が生じた点、大型装甲車ではなく小型装甲車とすることで、火力拠点の複数化を実現することに主眼を置いて開発された国産小型装甲車である。細い橋と車輌、けっこう危なっかしい情景にみえるが、落ちにくい構造になっているので、安心とのこと。

Img_2496  続いて渡河する96式装輪装甲車。一個小銃班を輸送する装輪装甲車として開発された車両で、主に73式装甲車の後継という位置づけで配備が進められている。火力拠点という乗車戦闘に主眼を置いた軽装甲機動車に対し、降車戦闘に重点を置いた車輌。この種の装甲人員輸送車は、普通科の機動を支援する車輌で、戦闘には適さないという評価があるが、近接戦闘などでは狙撃に対処できる装甲などを有し、降車戦闘を遂行する上で充分な人員を輸送できるという評価も高い。

Img_2217_1  渡河した車輌群を待ち構えるのは、先ほど(前回掲載)の装備品紹介の際に、裏でコッソリ敷設していた地雷原である。もう点々と点在している。例えば92式対戦車地雷は作動させた場合、なにも無かった場合、真上に2000㍍程度(十年くらいまえの軍事研究に書いてあった)までジェット熱流を発し、戦車が相手の場合はこの熱エネルギーにより車体下部から車内に浸徹し、破壊するという。

Img_2459  この地雷原を処理するべく、92式地雷原処理車が登場した。箱型の発射機には26個の爆薬を繋いだロケットが内臓されており、これにより地雷もろとも爆薬で吹き飛ばすという処理方式をとる。富士総合火力演習などでは、火薬をやや減らした状態で実爆展示を行うが、大気状態によっては衝撃波がはっきりと見える。このように、施設科が運用する爆薬は、実は特科よりも遥かに多量の爆薬が使用されるという。

Img_2443  戦車砲で敵を射撃し、地雷除去作業を支援する第3戦車大隊の74式戦車。地雷原というものは、基本的に待ち伏せしやすく、また、遠方からの火砲支援が届きにくい地形に敷設される。このため、地雷原に接したらば、同時に地雷に併せ攻撃が仕掛けられるとみなければならない。地雷除去作業は、こうして危険を孕んでおり、戦車は施設科部隊を支援するべく、敵火力拠点を直接照準により無力化する。

Img_2480  戦車や普通科部隊の射撃支援の下で、いよいよ92式地雷原処理車が発射機を発射態勢に・・!ここでまさか撃つのか!?と観客がどよめくが、会場端っこで撮影していたので、角度的に小生撮影位置からは発射機とは別のものが見える。発射機の後方では先ほどのクレーン車がアームを高々と伸ばし、その後ろに、なにやら正体不明の物体がもくもくと煙を上げている。

Img_2481  非常にコメントに困る描写ではある。2006年の大久保駐屯地祭では、同日行われていた東千歳駐屯地祭を撮影していたため、92式地雷原処理車がロケットを発射する様子を撮影した。が、しかし、である。むろん、大久保ではコレの実射は面積の関係上難しい。で、苦肉の策が、これ。そのうち、青野原駐屯地祭や下志津駐屯地祭なんかで実射できないホークミサイルの射撃展示がクレーンで行われるようになったりして・・・。ただ、これはこれで面白い!。

Img_2463  ハリボテ地雷処理!って、そんなんありかー!?といわんばかりに仮設敵は小銃で反撃(ツッコミ)する。ちなみに、このハリボテロケットはそのまましゅるしゅると着地して、会場でお子さんを中心に笑い声が出ていたが、爆薬はしっかり別の場所に予め演出用TNTが設置、爆発すると、わーんゴメンなさーい!って子供たちを大いにビビらしていた。

Img_2507  咆える105㍉戦車砲!。

 74式戦車が、仮設敵のハリボテネタに対するツッコミの為に思わず射撃した瞬間に暴露した陣地に向けて攻撃を加える。74式戦車の空包射撃写真のなかで、これまででいちばん良く映った一枚である。この前撮影にせいこうしたのは大津駐屯地。なぜか、第3戦車大隊の戦車と相性がいいらしい小生である。

Img_2488  戦車砲による直接照準射撃により、地雷除去に脅威を及ぼす目標はほぼ全滅した。しかし、92式地雷原処理車の地雷除去は、木々や建造物、電線などの地形障害により着地しないまま爆発し、地雷の除去が不完全な地域もある。更に地隙などの障害も戦車の攻撃には妨げとなるわけで、そういった場所では、この75式装甲ドーザーが活躍する。装甲により防御されているため、小火器による狙撃程度ならば、無視して作業を遂行可能だ。

Img_2477  地雷除去により、わが部隊は仮設敵陣地に対する突撃の準備にはいる。特科部隊の155㍉榴弾砲は攻撃準備射撃として射撃を開始した。次々と撃ち込まれる砲弾に併せ、仮設敵陣地でも演出用のTNTや擬爆筒は破裂音と煙を上げ、火砲周辺も空包の硝煙に包まれてゆく。

Img_2524  攻撃準備射撃が終了すると同時に、戦車大隊の96式装輪装甲車、普通科連隊の軽装甲機動車が普通科隊員を満載して、高々なエンジン音とともに、仮設敵陣地に向かって前進を始める。戦車も同軸機銃を射撃しつつ、正確に敵の抵抗拠点を無力化し、普通科部隊の攻撃前進を支援する。装甲車も敵影を求めて機銃を盛んに振り、戦機は熟しつつあった。

Img_2515  特科部隊が攻撃準備射撃とともに猛烈な勢いで支援射撃を行う。こちらが攻撃前進を始めれば、仮設敵も(会場には居ないので想定仮設敵ってことで)砲迫により、突撃破砕射撃を行う。この砲迫を対砲兵戦により叩き潰すのも、特科部隊の重要な任務の一つである。砲焔の閃光とともに一瞬遅れて砲声と衝撃波が空気を震わせる。

Img_2530  最後の特科支援が終了し、砲弾落着を演出する擬爆筒が仮設敵陣地近くで炸裂した。一瞬の静寂とともに会場に硝煙の煙が流れ込むその刹那、後方から砂塵とともに一塊の車輌群がグラウンドを横切り、全速力で仮設敵陣地に向かって殺到する。それは、今まさに装甲車部隊が降車戦闘により陣地占領に移ろうという戦機熟した瞬間であり、後方からの機動支援が、陣地攻略に参加するという状況だ。

Img_2541  12.7㍉重機関銃を搭載し、車体に偽装網を纏った73式小型トラックが次々と見学者の前を通り過ぎてゆく。12.7㍉重機関銃は、46.8㌘の弾丸を初速853㍍/秒で撃ち出し、その威力は、二発命中すれば胴体が千切れるといわれる。軽装甲車にも威力を発揮し(各国の大半の装輪装甲車の装甲は、7.62㍉徹甲弾レベル耐弾が標準)対地、対空射撃までをこなす傑作重機関銃である。

Img_2543  上空からはAH-1S対戦車ヘリコプターが飛来する。対戦車ミサイルやロケット弾、20㍉機関砲を搭載し、稜線から突如ミサイルを浴びせ、戦車の天敵と呼ばれるAH-1Sは、もともとヴェトナム戦争における対地掃討用に開発されたAH-1Gの発展型(対戦車ミサイル運用能力の付与)であり、こうした航空支援もAH-1Sの得意とすることろである。

Img_2545  仮設敵が爆破した橋梁は施設科の架橋により復旧され、仕掛けた地雷原も地雷原処理車と装甲ドーザーにより排除、その上特科部隊と戦車砲の射撃により戦意を喪失した仮設敵は、この車輌部隊の一斉突撃を前に、ついに降伏した、という想定。状況終了の喇叭が鳴り響く。

 こうして模擬戦は終了した。状況開始は1155時、状況終了は1212時であった。次回は装備品展示編。お楽しみに。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸上自衛隊大久保駐屯地創設50周年記念行事 訓練展示

2008-03-17 12:14:13 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■50周年の大久保駐屯地祭2007

 大久保駐屯地祭2007詳報、第三回目は訓練展示編である。今回は50周年ということで、趣向を凝らした式典となった。例えば観閲行進ではダンプ中隊が横断幕を展示したように、である。

Img_2325  保安中隊のライフルドリル。さて、大久保駐屯地祭詳報の第一回目には、四回で全て掲載したいと記載したが、なるほど、よくよく写真を選定すると、どうしても枚数が多くなる。このため、訓練展示編をライフルドリル、アーチェリー、銃剣格闘、車輌紹介で前半とし、模擬戦を後編として二回に分けて掲載したい。

Img_2211_1  74式戦車の上空を行くヘリコプターの編隊。観閲行進は、戦車の殿とヘリコプターによる祝賀飛行により終了し、いよいよ訓練展示である。

Img_2304  訓練展示として、まず並べられたのは風船が置かれた台。まさかこれを戦車の空包至近距離で吹き飛ばす?などと想像を巡らせるが、なにぶん、吹き飛ばすだけならポールと風船だけで事足りる、火炎放射機の標的にしても妙である。いったい何に用いる為の標的なのだろうか。

Img_2302  入場してきたのは第4施設団のアーチェリー名手二名。

 なんと、アーチェリーの訓練展示を行うのだ。

Img_2307  風船に矢が命中すると、破裂することで紐に重石の重量がかかり、的から字が書かれた板がせりあがって来る仕組み。名手というだけあって、必中である。

 しかし、射手は二人、看板は三枚、最後の一つはどうするのだろうか。

Img_2303  そこに歩み出たるは、大久保駐屯地司令、小川祥一陸将補その人だ!。なんと駐屯地司令自ら、最後の射を行うという。会場アナウンスによれば、小川司令はアーチェリーの名手というわけではなく、この50周年の式典のために密かに練習を積んだのだという。

Img_2310  指揮官先頭、精神集中と研ぎ澄まされた感覚、射る事、的へ一寸のくるいもなし!命中である。大・久・保、見事に描かれる的の標語。

Img_2312  そんな中、訓練展示模擬戦に備え待機する仮設敵の皆さん。これから敵役で小銃を以て戦車や大砲に立ち向かう役目の方々。

Img_2337  第304保安中隊のライフルドリルが、アーチェリーに続いて行われる。

 第304保安中隊は中部方面隊直轄の警務隊で、儀仗部隊として、また有事の際には司令部警備や捕虜取り扱い、交通整理などを行う部隊である。

Img_2318  ライフルドリルとは、規則正しい行進とともに複雑な妙技を展示する手法である。ただし、このライフルドリルは、警務隊の陸海空統合や情報保全任務対処強化などの改編を受ける為、訓練時間などの関係もあり、保安中隊によるライフルドリルの演技展示は、今年度で廃止されるとのこと。

Img_2332  保安中隊、米軍編成をみると、軍団直轄で憲兵旅団があったりする。さすがに方面隊に警務旅団は人員編成上編成は難しいかもしれないが、駐屯地警備や弾薬庫警備など、警務隊の保安中隊は各方面隊にもうすこしあってもいいのでは、と思ったりする。また、師団、旅団にも有事の際には交通統制、捕虜管理など人員が不足するということで音楽隊の支援をうけるのだとか。警務隊の陸海空統合とともに、抜本的な人員見直しも必要なのではないかな、と。

Img_2342  こちらは、民間大学のチアリーディング。パンサーズというチーム名。本論の主旨とはやや外れるが、伊丹駐屯地祭などでも実施されることで有名、これ目当ての人いるらしい。

Img_2326  訓練展示模擬戦に備え、待機する74式戦車。観衆もこの時間帯になるとかなりの人数だ。式典は1000時からであるが、模擬戦をみるために来場する人も少なくないようだ。この日は快晴に恵まれ、日傘などもちらほら。ちなみにこの会場、売店のある地区とは車輌用通路で隔てられており、観閲行進や訓練展示の時間帯は往来できない。そういった理由から、ジュースやペット緑茶などの購入はお早めに。

Img_2359  銃剣格闘展示が続いて行われる。鞘に収められた64式銃剣が物々しい。64式銃剣は、ゴボウのように長いことからゴボウ剣と呼ばれた旧軍の30年式銃剣と短いM-1カービン用の銃剣の中間の長さを考えて開発されたため、長さは41㌢もある。着剣した64式小銃の迫力はかなりのものである。

Img_2353  銃剣格闘は、火力が発達した今日の先頭においては無用のものではないか、との議論も一部であるようだが、陣地占領や掃討戦などの近接戦闘では重要性は変わりなく、特にイラク治安作戦における米軍の報告書にも、近接戦闘や非正規戦では全ての戦闘要員や後方要員の個々人の戦闘技量をいかに高めるかが重要という報告が出されている。一つの武道として体系化された陸上自衛隊の銃剣道や銃剣格闘術は、今後も連綿と極みに向け進んでゆくことと思う。

Img_2365  ずらりと整列する、第4施設団、第3師団の各種車輌装備や火砲。銃剣格闘の展示が終了すると、いよいよ模擬戦である。大久保駐屯地の模擬戦では、参加する各種装備が、まずその広いグラウンドに整列し、どういった用途に用いられるのかを説明する。

Img_2372  自衛隊装備というのは、どれも同じに見えることがあるそうだ。一般の人への広報が目的のこうした行事では、戦車や火砲とともに装備されている装甲ドーザー、地雷原処理車、架橋装置なども解説することで、より一層の理解が得られることとなる。アナウンスが順番に車輌や火砲を解説し、解説を受けている装備は旗を高らかに揚げて、装備を示している。

Img_2371  その解説を行っている背後では、これから始まる模擬戦にそなえて、仮設敵が戦車の大敵、模擬地雷を敷設中である。この大きさだと対戦車地雷であろう。早くしないと模擬戦が始まってしまうので、模擬地雷を設置したら仮設敵は速やかに撤収する。

Img_2375  そして仮設敵はライナープレート(地下陣地などを構築する際に天井などが崩落しないように設置する装備、太平洋戦争で敵の火力に散々な目にあわされた日本では、高度な陣地の地下化や野戦築城技術を受け継いでいる)に潜み、状況開始を待つ。

 その訓練展示模擬戦は、次回の詳報にて掲載したい。お楽しみに!。

HARUNA

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陸上自衛隊大久保駐屯地創設50周年記念行事 観閲行進編

2008-03-16 07:24:58 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大久保駐屯地祭2007 観閲行進

 2007年5月27日に開催された大久保駐屯地創立記念行事、大久保駐屯地祭2007詳報第二回は、前回の記念式典編に続き、観閲行進編である。施設団、施設大隊の迫力ある観閲行進の一端を写真にて紹介したい。

Img_2259  ダンプ中隊の観閲行進。このように、施設団ということもあり、築城、架橋、障害構築、道路整備、渡河という様々な任務に対応する為に必要な各種多様な装備が観閲行進に姿を現す。さらに大久保駐屯地には、第4施設団のほか、近畿地方の防衛警備を担当する第3師団隷下にある第3施設大隊も駐屯しており、この関係で師団が有する各種装備も観閲行進に参加する。

Img_2192  観閲行進の冒頭に姿を現したのはダンプ中隊の車輌群である。工事現場などでみかける民間のダンプカーと基本的に構造は同じであるはずなのだが、こうしてオリーブドラブ一色のダンプカーが整然と行進してくる様子は中々見ることが出来ない。第3音楽隊の演奏とともに、一列に会場に入場してくる。昨年とは行進の順番が違うな、誰にとも無い呟きが周りから耳に届く。

Img_2196_1  ダンプ中隊の車輌は、一斉に観閲台正面で向きを換えると、ダンプ台を一斉に持ち上げ始める。なぜ方向転換を、と思う間もなく、荷台に巨大な文字が書かれているそこには、“50・周・年・お・め・で・と・う”!。そう、今回の大久保駐屯地祭は、大久保駐屯地創設50周年記念行事。その観閲行進冒頭を務めたのが、このダンプ中隊による巨大横断幕というわけだ、湧き上がる拍手と歓声。

Img_2207  観閲行進の徒歩行進は、大久保駐屯地において前期教育中の共通教育中隊の新隊員。先週は第2教育団の大津駐屯地祭において行進に参加した隊員たちである。64式小銃を肩に担ぎ、66式鉄帽を身につけ、機械化部隊に先立っての観閲行進を進んでゆく。黒光りする小銃が精悍さを印象付ける。

Img_2211  車両行進が中心の観閲行進であるため、第4施設団本部管理中隊の幕僚、施設群や第3施設大隊の司令部要員も73式小型トラック(通称パジェロ)により観閲行進に参加する。大所帯の部隊が参加するとあって、並ぶパジェロの数もかなりの数に及んでいる。テンポの速い音楽演奏とともに観閲台前を通過する、それと同時に敬礼し、指揮官も答礼で応える。

Img_2218  施設科部隊といえば、後方で工事をしているような印象を受けるが、旧軍風の呼称を用いれば戦闘工兵、れっきとした戦闘職種。最前線での作業は小銃を手にし、普通科隊員とともに脅威を実力で排除しながら任務を着々と遂行する。車輌に取り付けられた12.7㍉重機関銃は、彼らが誇り高き戦闘職種の一員であることを端的に示している。

Img_2222  第379施設中隊の車輌。後方に牽引しているのは人命救助システムが収容されたコンテナ。この装備は阪神淡路大震災を教訓に、災害派遣において必要となる装備を一通りセットとしたもの。主に初動72時間において不可欠なものが厳選されており、倒壊家屋の下敷きとなった人の捜索救出や、初期消火活動に必要な装備である。写真のような牽引の他、輸送ヘリコプターによる空輸や輸送艦による輸送を想定している装備だ。

Img_2226  第380施設中隊の観閲行進。行進の後ろには、掩体掘削機が搭載された車輌が参加している。通常の油圧式ショベルと異なり、アーム部分が中間から回転式となっていることから効率的な作業が可能であり、加えて、サスペンションを可動式とした姿勢制御装置の採用により左右35°までの傾斜地において作業が可能となっている。

Img_2227  83式地雷敷設装置。73式大型トラック他に73式装甲車などでも牽引が可能。地雷を牽引車輌からベルトコンベアーにより供給、敷設装置先端に取り付けられた器材により地面に溝を掘り、地雷を設置し、敷設後埋め戻す。対戦車地雷の敷設に用いられ、毎時300個の敷設が可能である。自衛地雷原、地域地雷原、陣地地雷原、妨害地雷原、偽地雷原などと教範には多岐に及ぶ運用法があるが、敷設を人力から機械化したことで迅速な作業が可能となった。

Img_2231  381施設中隊の92式地雷原処理車。26個の爆薬をロケットにより迅速に直線展開させ、爆破させることで200×5.5㍍の地雷原を俊次に無力化、戦車用通路を構築する。本車2輌と弾薬運搬車(73式大型トラック)二両で一個小隊を編成。これにより、人力では危険な地雷原処理を広域的且つ迅速に実施できる。反面、除去できる地雷の割合には限度があり、民生支援における地雷処理には不向きな装備ではある。

Img_2200_1 同じく第381施設中隊に所属する75式装甲ドーザー。装甲を施した中型ドーザーで、重量は11.5㌧。機械化部隊に追従するため、45km/hでの自走が可能。主に地形障害や地隙などを突破する為の用途に用いられ、写真の状態が前進。ドーザーブレードを有する部分が後方で、後退状態で作業を行う。現在は新型の施設作業車に代替が開始されているが、当分は現役にある装備といえる。

Img_2232  和歌山駐屯地の第304水際障害中隊が運用する94式水際地雷敷設車。36基の水際地雷を搭載しており、敷設には20分。水際地雷は、小型機雷に相当し、ビーチング方式であれば中型戦車揚陸艦に対しても大きな威力を発揮する。その用途から、水上航行も可能であり、陸上は50km/h、水上では11km/hでの航行が可能である。

Img_2242  第102施設器材隊の92式浮橋。橋間橋節12基、末端橋節2基、動力ボート7基、道路マット車21輌の41輌で1セットを構成する。これにより、60㌧級の車両が通行可能な104㍍の橋梁を二時間程度で設営可能である。施設器材隊の架橋装備として、この92式浮橋と、観閲行進には登場しないが1997年より装備化が開始された60㌧用MGBパネル橋を各一セットが配備されている。

Img_2245  施設器材隊は、隊本部、パネル橋を装備する架橋中隊、そして浮橋を装備する浮橋中隊、整備中隊より編成されている。この中で、浮橋は、敵前渡河作業、若しくは競合地域(彼我勢力混合の状態)における架橋に用いられる応急的なもので、他方パネル橋は、後方地域において、基本的に遊撃戦以外の脅威が無い地域に造られる、半恒久的な強度を有している。

Img_2201_1  92式浮橋は、河川に浮力がある橋間橋節を投下し、これを連結。そのままだと下流に流れてしまう為、動力ボートにより流失しないよう押す方式を採用している。動力ボートの燃料が切れてしまうと使えない難点があるが、夜陰に乗じて短時間で設営できるという利点がある。したがって、必要な部隊を渡河させ、敵勢力を一掃した後は、パネル橋を構築し、92式浮橋は更に前進という運用形態が採られているようだ。

Img_2249  第102施設器材隊特殊器材小隊の車輌。ローラー車、アスファルトフィニッシャーなどの舗装用装備を運用している。これは、旧軍において第一線で行動する部隊を戦闘工兵と表現するのに対して、後方の補給路や集積所の設営を行う部隊を建設工兵としていたが、その建設工兵にあたる部分を担当する部隊。有事の際には航空攻撃などで補給路が寸断される可能性があり、装輪式のトラックに依存する補給体系維持には重要な装備である。

Img_2255  第307ダンプ中隊。続々と進入する車輌が順次、荷台を持ち上げてゆく。中隊は36両のダンプを運用しており、施設団の作業にひつような砂利や砕石などを運搬し、これまでに記載した架橋装備や舗装作業などを支援する。第一線の任務を維持するには、後方支援が絶対不可欠である、これを支えるのも施設科部隊の任務である。最前線から後方まで、施設科部隊は非常に多くの任務を負っているわけだ。

Img_2258  この補給路は師団主後方連絡線という。師団主後方連絡線を維持する場合、一個施設小隊での補修維持能力は15~20km程度とされている。基本的にこの連絡線は50km程度が想定されており、三個小隊で対応できるようにみえる。しかし、施設大隊は第一線の支援も同時に展開する必要がある点、そして補給線は寸断された場合に備えて複数を整備する必要があり、師団施設大隊に協力する形で、施設団がその任務にあたる。

Img_2260  陸上自衛隊といえば、疾風の如く敵陣になだれ込む軽装甲機動車、地鳴りとともに駆け主砲が標的を貫く90式戦車、FH-70や99式自走榴弾砲の轟く雷鳴と遥か先の着弾閃、疾風迅雷の如く低空から襲い掛かるAH-1Sといったものを連想する方も多いやも知れないが、その任務を支えるのが、障害を除去して通路を啓き、逆襲に備え築城、撤収時は障害を構築して時間を稼ぐ戦闘工兵であり、建設工兵として後方支援を担う施設科部隊。陸上自衛隊という組織体系における重要性は、このダンプの迫力を更に越えたものであるわけだ。

Img_2268  第3施設大隊の車輌がつついて観閲行進を実施する。写真は本部管理中隊の81式自走架橋装置。主として第一線の渡河支援などの機動支援用に用いられ、1セット六両で、74式戦車が通行可能な60㍍の橋梁を設置可能である。本部管理中隊は、中隊本部、偵察班、通信小隊、補給小隊、器材小隊、渡河器材小隊、整備小隊などから成る。

Img_2269  第3施設大隊第1中隊の資材運搬車。施設中隊は、施設大隊隷下に三個乃至四個(第3師団は三個)編成されている。施設中隊の編成は、中隊本部と二個施設中隊、器材班より成る。普通科連隊を中心とした連隊戦闘団に配属される。文字通り最前線で作業し、彼らが障害を除去しなければ戦車が通行できない、彼らが地雷を処理しなければ普通科部隊は攻撃に移れない、など、最先頭に立つ部隊。

Img_2272  第3施設大隊第2中隊の道路障害作業車。施設科部隊の重要な任務に、障害構築というものがある。これは、我が方の部隊が後方において再編成を期して撤収中に、地雷や障害物により敵の前進を遅らせる任務であり、この道路障害作業車は、クレーン、地表用ドリル、コンクリートカッター、チェーンソー、ブレーカー、ダンパーなど六種類のアタッチメントを駆使し、障害を形成する車輌である。

Img_2206_1  第3施設大隊第3中隊の83式地雷敷設車。オタワプロセスに基づく対人地雷全廃条約に批准したことで、陸上自衛隊には訓練目的での装備以外対人地雷は装備されていないが、この地雷敷設装置により対戦車地雷を敷設し、地雷原を防護する管制式指向性対人地雷により、必要な任務遂行能力は維持されているといえる。

Img_2207_1  第104施設直接支援第1整備大隊の重レッカー車。桂駐屯地に置かれた中部方面後方支援隊隷下の部隊で、大久保駐屯地に展開している。後方支援部隊を一括管理することにより、部隊整備を円滑化する試み。この重レッカー車は、重量物持ち上げのほか、戦車エンジン交換などにも多用される装備である。後方支援部隊の再編は2000年ごろから各部隊で行われている。

Img_2284  信太山駐屯地から参加した第37普通科連隊第3中隊所属の軽装甲機動車。普通科部隊を中心に大車輪で配備が進められている小型装甲車。陸上自衛隊装甲車両の代名詞といっても過言ではない車輌で、簡便な装甲車は二輌で小銃班を輸送する。通信機、ミサイルなど重量化する普通科部隊を木目細かな単位で支援することが目的の装甲車で、遠からず施設科部隊にも配備されるのではないだろうか。

Img_2285  今津駐屯地の第3戦車大隊から参加した96式装輪装甲車。10名の人員を輸送する装甲車で、戦車大隊では、本部管理中隊の要員を戦車に追従させる際や、場合によっては戦車を支援する普通科隊員を輸送する装甲車。価格が軽装甲機動車の三倍程度するため、この装甲車により装甲化された普通科部隊は北海道や富士教導団の一部となっているが、乗車戦闘に主眼を置いた軽装甲機動車を補完するためにも、もっと数が必要な車輌。なお、北海道の施設科部隊にはこの装甲車が配備されている部隊もあるようだ。

Img_2289  姫路駐屯地から展開した第3特科隊のFH-70榴弾砲。特科隊とは特科連隊が特科大隊を基幹としたのに対して、特科中隊を基幹とした編成を採用している。155㍉榴弾砲による対砲兵戦、普通科部隊火力支援などを任務としている。後方には第3高射特科大隊の93式近距離地対空誘導弾が続く。特科隊などと連隊と大隊の間の新単位を創設するのではなく、昔のように高射特科大隊を編成に組み込んで、規模を連隊とした方が良いのでは、と思ったりする。

Img_2296  観閲行進の殿を務めるのは74式戦車。滋賀県の今津駐屯地から展開した車輌である。陸上装備体系にあって最大の防御力と高い機動力、火力を備えており、直接照準による対戦車戦闘を主任務とし、近年では市街地における近接戦闘に際しての火力支援や、ゲリラコマンド対処任務における監視手段としてなど、運用の幅が広げられている。

Img_2297  観閲行進とともに祝賀飛行が三機編隊により行われる。ヘリコプターの、団扇を叩くような音とともに重なったエンジン音。先頭から八尾駐屯地の第3飛行隊、観測ヘリコプターOH-6,多用途ヘリコプターUH-1J,そして明野駐屯地から飛来したAH-1S対戦車ヘリコプターの順に飛行している。祝賀飛行を以て、観閲行進は終了し、いよいよ訓練展示、模擬戦の準備へと進んでゆく。これについては、次回掲載したい。

 昨日一日当たりのアクセス数は、初めて2000の大台を超え2104、ユニークユーザ数でも1403、検索からのアクセスでブルートレイン関係を中心に738と多くのアクセスがありました。ありがとうございます。

HARUNA

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技術研究本部XP-1(次期固定翼哨戒機) 随伴機T-4は高速度試験用?

2008-03-15 00:04:20 | 先端軍事テクノロジー

■XP-1試験飛行順調

 Weblog北大路機関の緊急用として設置されている第二北大路機関(http://harunakurama.blog10.fc2.com/)では、定期的に舞鶴基地・岐阜基地・阪急電車・名鉄電車について掲載しているが、2月28日の“XP-1試験飛行()”に関する補足記事を掲載したい。

Img_9651  XP-1は、海上自衛隊の次期固定翼哨戒機として川崎重工を主契約企業とし、開発が進められている次世代航空機である。現在は、川崎重工岐阜工場が隣接する航空自衛隊岐阜基地において防衛省技術研究本部による試験飛行が繰り返し行われており、2月には三回の試験飛行が実施されている。次期輸送機C-Xとの最大限の部品共通化を期しており、冷戦後における航空機開発プロジェクトを列挙しても、世界的に見て最大規模の軍用機開発プロジェクトとなっている。

Img_0012  2007年9月の初飛行では基地周辺を一回りした程度の飛行時間であったが、一時間半程度の試験飛行が行われ、今年からは六時間程度の長距離飛行試験が実施されている。さて、2月28日に実施されたXP-1飛行試験は、9月のXP-1初飛行から数えて八度目の試験飛行となったわけだが、その様子を写した写真にはXP-1の他にもう一機の機体が確認できる。

Img_0019  これまでの飛行試験では随伴機に、海上自衛隊の固定翼哨戒機P-3Cが飛行していたが、上記写真と同アングルの写真を大きくトリミングしてみると、機体の特色などから、これが航空自衛隊の中等練習機T-4であることがわかる。第二北大路機関記事における分析では、これはいわゆるフォトミッションの機体ではないかと記したが、部内での検討の結果、本機は高速度試験の支援に飛行しているのではないかとの結論に達した。

Img_6159  写真は、2007年10月25日に撮影したT-4である。これは他のT-4と比べ、機首部分に大型の計測用ピトー管を搭載した機体で、岐阜基地に所在する飛行開発実験団に配備された機体である。XP-1は、P-3Cの後継機であるが、同時に進出速度と高高度飛行能力の充実を設計要求に記しており、特に最高速度や巡航速度ではP-3Cの機体性能がXP-1に追従できないという点がある。

Img_7920  XP-1とともに写ったT-4には増槽が取り付けられており、これはXP-1の長距離飛行に随伴するためのものとみられる(機体重量が増加するため、必要が無ければ増槽が取り外される)。写真は2月13日撮影のもの。他方で、2月28日のXP-1では後方にP-3Cが随伴していたことで、おそらく飛行試験の支援に用いられていたと推測される(第二北大路機関当該記事作成段階では、速報性を重視したため充分な検討が行われなかったのだが、XP-1とP-3Cが同時に飛行していたため、フォトミッションの可能性を記した)。

Img_0020  海上自衛隊次期固定翼哨戒機P-X&航空自衛隊次期輸送機C-Xとして並行し開発が進められている一方で、C-Xに関しては機体強度に問題があるとの報道が一部で為されており、今後の状況を冷静にみてゆきたいところだが、一方で、XP-1は、高速度試験へと試験飛行を進めており、初飛行以降の飛行試験に関する進捗状況は順調といって過言ないようだ。

HARUNA

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陸上自衛隊大久保駐屯地創設50周年記念行事 記念式典編

2008-03-14 19:31:23 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■2007年度第4施設団創立記念行事

 今回から、5月27日に実施された大久保駐屯地祭詳報を掲載したい。大久保駐屯地祭詳報は、記念式典編、観閲行進編、模擬戦闘訓練展示編、装備品展示編の四回に分けて掲載する予定である。

Img_2160  京都府宇治市にある陸上自衛隊大久保駐屯地は、中部方面隊直轄の施設科部隊である第4施設団が駐屯しており、陸上自衛隊初の国連平和維持活動への参加となったカンボジアPKO派遣に際しては、その中核部隊を編成したことで、この第4施設団大久保駐屯地を自衛隊国際貢献活動発祥の地、とする人も多い。

Img_2164_1  大久保駐屯地は近鉄大久保駅から程近く、近傍には、関西補給本処が駐屯する宇治駐屯地、弾薬補給処が置かれた祝園分屯地があり、京都市の桂駐屯地とともに中部方面隊の後方支援部隊中枢を形成する地域であるが、同時に実戦部隊である第4施設団が、この大久保に駐屯している。

Img_2123  0935時頃から式典参加部隊が会場に入場を開始する。第4施設団は、人員1900名。隷下に団本部、第6施設群、第7施設群、第304施設隊、第305施設隊、第102施設器材隊、第307ダンプ車輌中隊より編成された部隊で、施設団とは、部隊の英語表記が4th Engineer Brigadeとあるので、旧軍呼称を引用すると工兵旅団にあたる。

Img_2136  0951時、徒歩部隊の入場が完了するとともに群長、各中隊長、部隊幹部が73式小型トラックにて一斉に入場する。車輌には施設団旗、施設群旗を初めとした部隊旗が掲げられており、一糸乱れず迅速に展開、隷下部隊まえで各車輌が停車、部隊長が旗とともに降車した。

Img_2145  第4施設団長兼ねて大久保駐屯地司令が車輌により観閲台まえに展開。車輌から降車し観閲台に足を進める。同時に何台かのバスが式典会場に入場する、こうして貴賓席には市町村長、国会議員や代議士代理が車輌にて到着した。五月のやや強い日差しの下で、いよいよ大久保駐屯地祭が開始される瞬間である。

Img_2148  第4施設団長に敬礼!部隊旗が勢い良く掲げられる。施設群は本部管理中隊の下で三個施設中隊と器材中隊より成り、施設器材隊は本部付隊、架橋中隊、浮橋中隊、整備中隊より成る。その部隊旗が一斉に舞うこの瞬間は、施設団の力強さを垣間見えさせる瞬間だ。

Img_2189_1  1005時、国旗入場。着剣した小銃隊員に護られつつ、日章旗が会場に厳かに入場する。その背景には整列した部隊が望見できる。大久保駐屯地は、中部方面隊管区内ではかなり規模の大きな駐屯地であり、正門から会場までは徒歩だと、慣れない事もあり十分ほどかかる。途中、小さな駐屯地の式典会場に匹敵するグラウンドがあり、会場の隣には渡河訓練に用いる池が水を湛えている。

Img_2153  部隊巡閲!1010時、小川祥一陸将補が整列した部隊を車上から巡閲する。施設団旗を掲げた小川施設団長の車輌が進むとともに部隊が旗を掲げ、隊員は敬礼し指揮官に応える。大久保駐屯地祭式典編のハイライトとなる瞬間である。

Img_2162  部隊巡閲を終えて訓示を行う小川陸将補。第4施設群は、京都府南部と奈良県全域の防衛警備及び災害派遣任務を担っている。東海地震、東南海地震、南海地震という、京阪神中京圏に計り知れない脅威をもたらす地震災害に睨みをきかせる中部方面隊の直轄施設部隊であり、同時に国際人道支援任務をも担うべく日々訓練を重ねている部隊である。施設科部隊の任務は、野戦障害構築、野戦築城、渡河、障害処理、道路整備補修、架橋、拠点建設など多岐に及ぶが、師団施設大隊が築城や障害構築、障害処理などの第一線を担うのに対して施設団は、これら全般を前線から後方に至るまで、任務担当とする。このマンパワーは大きく、したがって災害時にも期待される部隊である。小川団長は使命の自覚、団結の強化、個人の充実などを挙げ、一層の精強化を訓示とした。

Img_2173  代議士による祝辞。90年代初期まで、陸上自衛隊では民間企業によってでは採算が取れない山間部や沿岸の道路工事を部外委託業務として請け負っており、地元との結びつきが強い部隊でもある。更に、部隊の性格上、迫る大震災の脅威に対して、官民一致協力で臨む必要があり、この日の来場者の多さが、何よりもその重要性を反映しているように見える。

Img_2177  整列した部隊。大久保駐屯地所在部隊のほか、富山駐屯地第7施設群第382施設中隊、和歌山駐屯地第304水際障害中隊、豊川駐屯地第6施設群、鯖江駐屯地第6施設群第372施設中隊、岐阜分屯地第369施設中隊、出雲駐屯地第304施設隊、三軒屋駐屯地第305施設隊から代表が、さらにここ大久保駐屯地にて前期教育中の新隊員が参加している。

Img_2179  観閲行進準備!

 号令とともに訓示、祝辞、祝電披露が終了し、大久保駐屯地祭は静から動に転じる。それは観閲行進である。観閲行進の待機位置まで、整列部隊は駆けて行く。施設科部隊ということで完全に機械化されており、待機位置までは入場と同様に車輌により展開する。

Img_2184  次々と入場し、幹部が車輌に乗り込む。大久保駐屯地祭では大規模な観閲行進が有名であるが、今回は50周年ということで、どういったことが行われるのだろうか、そうした観覧者の期待を背に受けつつ、迅速かつ速やかに部隊が観閲行進待機位置に向かってゆく。

Img_2187  音楽隊が演奏位置に向かって行進してゆく。併せて観閲行進では大規模な車両行進が行われる為、部隊により砂埃がたたないように散水が行われる。そしてその後方に続々と観閲行進参加車輌が集結を始めた。車輌ランプが砂煙の向こうに重なってみえる。遥か遠方に聞こえるエンジン音は装甲ドーザーか、はたまたヘリコプターか。その観閲行進編は次回に詳しく掲載したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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さよなら!ブルートレイン『なは・あかつき』号 明日最終列車運行

2008-03-13 18:51:07 | コラム

■寝台特急『なは・あかつき』号いよいよ廃止!

 京都駅ゆかりのブルートレイン特集。『イージス艦あしがら就役』『ミサイル護衛艦あさかぜ除籍』というニュースを差し置いて、いよいよ14日に廃止されるブルートレインの特集を掲載したい。

Img_0836  寝台特急『なは・あかつき』京都行きが山崎駅を通過する。EF66電気機関車に取り付けられたヘッドマークが早朝の新鮮な朝日を浴びて輝き、間もなく到着する終点に向け、ラストスパートを掛けている。まもなく廃止を目の前にしつつも、格調高きブルートレインの一員として、最後の終点まで、鉄路の上を快走し続けることだけは確かである。

Img_1612  東海道山陽新幹線開業とともに、太平洋ベルトから北九州工業地帯までの1000kmが高速鉄道網にて結ばれた。山陽新幹線開通までは、博多から新大阪、部分開業の時点でも岡山までを、始発新幹線にあわせ結ぶ寝台特急や夜行急行、夜行列車に対する需要はあった。お世話になった国際経済学権威の先生も、東京まで夜行を新大阪で新幹線に乗り継いで行った時代のお話を聞いた事がある。

Img_1606  ブルートレイン最盛期は、山陽新幹線開通とともに、特に九州ブルートレインは斜陽の時代を迎え、乗車率の低迷とともに編成は短縮化。食堂車、サロンカーが削られ、車輌も老朽化が進んだ。寝台特急『さくら』号が舞台となる映画『皇帝のいない八月』など、九州ブルートレインは社会派映画に推理小説と多くの舞台に選ばれながら、編成が短縮化され、寝台のみとなった最近の編成では展開に困る始末なのだとか。

Img_1925  寝台特急『なは・あかつき』号は、京都~熊本を結ぶ『なは』、京都~長崎間を結ぶ『あかつき』を併結した特急である。この『なは』号は1968年に大阪と鹿児島を結ぶ列車として誕生した経緯がある。鹿児島港から沖縄県の那覇市に向かう旅客船への連絡を期した列車で、同時に当時米軍管理下にあった沖縄県の本土復帰を願った命名でもあった。長く、80系気動車(絶滅)や485系電車(雷鳥などと同型)の運用を経て1975年より583系(きたぐに、と同型)により寝台車化され、のちに14系客車によるブルートレイン化、運行を熊本までと短縮したうえでも乗車率が低迷し、廃止を目前とした今日に至る。

Img_1914  『あかつき』号は、1965年に誕生。新幹線が東京大阪間を、こだま号五時間、ひかり号四時間で結ぶなか大阪から九州への寝台特急として誕生した。C60蒸気機関車で牽引されていた時代から非電化区間向けにディーゼル機関車による牽引運転を実施していた。この経緯から判るように、寝台特急最盛期を迎えた時点でのデビューであった。乗車率低迷後は寝台特急『彗星』などとの併結運転を行い、『彗星』廃止後は、『なは・あかつき』号として運行された。

Img_2827  私事ながら、遠方での所用を済ませ、京都駅に到着した小生に、『なは・あかつき』号は最も馴染みのある列車である。1930時頃に0番ホームと2番ホームの中間にある貨物線で待機しており、2000時頃に寝台特急ホームである7番ホームに停車している。この時間帯に停車している『なは・あかつき』号は、もっとも目にする機会が多いわけだ。何より『京都行きの寝台特急』という京都が始発駅であり、終点駅であることからの親近感が背景にあるのだと思う、そしてなにより停車時間が長い。

Img_0823  これは、最近気付いたのだが、EF66系電気機関車は、車体先頭の角度がついた運転台ガラス、逆さ富士山型の形式表示板、左右に突き出た前照灯など、個人的にいちばん好きな名鉄7000形と面影が重なる部分もある。そんな理由で、ほぼ平らな先頭のEF65系やEF81系電気機関車と比べると、このEF66系は好きである。

Img_0801  山崎駅の撮影スポットは京都や大阪からも程近く、撮影環境が良好であることから早朝にも関わらず(ギリギリに来ると人垣で撮れないので早朝に集まる)、多くの列車ファンがカメラを並べている。この日も間近に迫るブルートレインの雄姿を写真に収めるべく集った同好の方々がみえる。

Img_6174 京都駅貨物線に待機する『なは・あかつき』号。帰路、京都駅に到着するとよく眺めた光景の一つだ。ホームの向こうには新幹線ホームがみえる。2002時の寝台特急発車以降に発車した新幹線は、その夜の内に九州博多駅に到着する。新幹線により速度性で対応できなくなり、サロンカーや食堂車の廃止により車輌アコモが低下した寝台特急の終着は、早くから見えていたのやも知れない。

Img_1908  奈良線より九州に向かう『なは・あかつき』号を撮影。ウグイス色の電車は103系。奈良線(というよりJR西日本でのアーバンネットワーク以外の路線)では103系電車を初めとした国鉄時代の電車が多く運用されていることもあり、ブルートレインと並ぶこの一瞬、国鉄時代に戻ったかのような錯覚をうける。

Img_6181  流し撮りで撮影した一枚。三脚にてカメラを固定撮影している方も多く見かけるが、折角露光時間の長い夜間である。三脚では撮れないような流し撮りで一発決めたい。横軸さえあっていればシャッター速度1/25~1/10での流し撮りは案外容易だ。しかしこのときは非常に列車は低速、1/6というシャッター速度での撮影となった。

Img_1913  京都駅跨線橋コンコースの下で発車を待つ『なは・あかつき』号。発車を待つブルートレインは、新幹線、在来線、近鉄線、地下鉄線が交わる複合駅京都駅の消えつつある日常風景だ。仄かな赤信号の照り返しが、群青のブルートレインを黄昏のごとくそめている。

Img_1931  ソロB寝台の車体には薄っすらとヒビが浮き上がり、塗装の剥離も一部にみえる。こうした車体の老朽化は、『なは・あかつき』のみならず、『日本海』に『北斗星』といった、他のブルートレインにもみることができ、更新か廃止かというブルートレインの存在そのものの分岐点は間近なのだが、転轍機は必ずしも車体更新には傾いていないのが現状だ。

Img_6193  巨大な京都駅ビルを見上げるブルートレイン。新幹線が整備され、京都駅ビルも大きく変わってしまったが、伝統あるブルートレインは、車体そのものも代わるべき部分を旧態依然としたまま、結果的に飼い殺しにされるかたちで廃止までのラストスパートに向かっている。

Img_1932  信号が青となった。電気機関車は、まず極低速で前に進み、車体に惰性をつけたのちに本格的に加速し、京都駅を熊本へ、長崎へ向けて発車してゆく。残り少ない本数を最後まで駆けるべく、特急は発車する。なお、早朝に到着する『なは・あかつき』号にくらべ、やや遅れて到着する最後の東京~九州ブルートレイン『富士・はやぶさ』も来年には廃止されるとのこと。

Img_6195  『なは・あかつき』号は、京都駅ビルを目上げながら徐々に加速し、遠い九州に向かってゆく。車窓から、暁の朝焼けが見える頃には、もう切り離され、『なは』号、『あかつき』号ともに九州の終点に到着しかけていることとなるのだろう。

Img_6196  レガートシート車を最後尾に、山陽路を一路九州に向かう。機関車の維持や夜間人員確保、さらに長大な列車の長距離運行に伴う諸々の問題と乗車率低迷、ブルートレイン全体が整備新幹線構想とともに種別としての終点に到着しようとしている。そして明日、そのうちの二つ、『なは』号、『あかつき』号がさよなら運転というべき最後の発車を行う。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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EF65系電気機関車の客車牽引と団体列車のボンネット489系

2008-03-12 18:12:35 | コラム

■偶然遭遇機会一瞬

 Weblog北大路機関は昨日1600時頃、アクセス解析開始から36万アクセスを突破しました。たくさんのアクセスありがとうございます。そんな中、多忙につきコネタ記事なのは恐縮の極み。

Img_0925  京都に向かう特急雷鳥。485系の全力運転だ。鉄道の写真を撮っていると、狙いの車輌を理想的なアングルで撮影できるのはファン冥利に尽きるものだが、そんな中で、なんでこんなのが此処に!?と驚かされることがある。早朝の駐屯地祭に行く途中、名古屋駅に到着した名鉄の電気機関車や知らなかった私鉄新型特急などとの遭遇がまさにそれである。

Img_0951  上の特急雷鳥を撮影した後、山崎駅を去ろうとホームを歩いていると京都方面から電気機関車がやってきた。みてみると何の変哲も無いEF65系電気機関車なのだが、よくよくみてみると、後部に一両だけ何故か客車を牽引している。通過した時間は0834時、通勤ラッシュもひと段落した時間帯である。

Img_0953  一瞬、早朝に大阪に到着した寝台急行『銀河』が回送でやってきたのかとも思ったが、京都方向からやってきたので方向が逆だし、なにより牽引しているのは客車、しかも一両である。ここは京都線。電気機関車で客車を牽引しなければならないほど、電車は不足していないわけで、この列車はいったい何物なんだろう、と。北びわこ号とかにつかうSL用の客車を回送?もしご存知の方、いらしましたらコメントにカキコしていただければ幸い。

Img_1645  もう一枚は1月20日に撮影した一枚。なぜか489系ボンネット車が。いやあ、これは謎も何も、団体列車なんで、489系が新大阪駅にいましたよ、という話なのだが、プレートは特急と書かれていたり団体専用とかかれていたり。なんとなれ、ボンネットで団体、これはちょっと羨ましいかも。

Img_1649  こうした電車は、普段電車に乗っていて、山崎駅とかを通過するときにやたら電車ファンがカメラの三脚を林立させているときなんか、よく行き違いになる(ただし、単に目的の電車を撮って、そのあとでも皆が帰路に就かないので釣られて一緒にカメラ構えてる、ということもたまにあるので要注意)。この他、寝台特急“あさかぜ”や“出羽”表示の列車が上野に到着したり、油断は禁物である。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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