■寝台特急『なは・あかつき』号いよいよ廃止!
京都駅ゆかりのブルートレイン特集。『イージス艦あしがら就役』『ミサイル護衛艦あさかぜ除籍』というニュースを差し置いて、いよいよ14日に廃止されるブルートレインの特集を掲載したい。
寝台特急『なは・あかつき』京都行きが山崎駅を通過する。EF66電気機関車に取り付けられたヘッドマークが早朝の新鮮な朝日を浴びて輝き、間もなく到着する終点に向け、ラストスパートを掛けている。まもなく廃止を目の前にしつつも、格調高きブルートレインの一員として、最後の終点まで、鉄路の上を快走し続けることだけは確かである。
東海道山陽新幹線開業とともに、太平洋ベルトから北九州工業地帯までの1000kmが高速鉄道網にて結ばれた。山陽新幹線開通までは、博多から新大阪、部分開業の時点でも岡山までを、始発新幹線にあわせ結ぶ寝台特急や夜行急行、夜行列車に対する需要はあった。お世話になった国際経済学権威の先生も、東京まで夜行を新大阪で新幹線に乗り継いで行った時代のお話を聞いた事がある。
ブルートレイン最盛期は、山陽新幹線開通とともに、特に九州ブルートレインは斜陽の時代を迎え、乗車率の低迷とともに編成は短縮化。食堂車、サロンカーが削られ、車輌も老朽化が進んだ。寝台特急『さくら』号が舞台となる映画『皇帝のいない八月』など、九州ブルートレインは社会派映画に推理小説と多くの舞台に選ばれながら、編成が短縮化され、寝台のみとなった最近の編成では展開に困る始末なのだとか。
寝台特急『なは・あかつき』号は、京都~熊本を結ぶ『なは』、京都~長崎間を結ぶ『あかつき』を併結した特急である。この『なは』号は1968年に大阪と鹿児島を結ぶ列車として誕生した経緯がある。鹿児島港から沖縄県の那覇市に向かう旅客船への連絡を期した列車で、同時に当時米軍管理下にあった沖縄県の本土復帰を願った命名でもあった。長く、80系気動車(絶滅)や485系電車(雷鳥などと同型)の運用を経て1975年より583系(きたぐに、と同型)により寝台車化され、のちに14系客車によるブルートレイン化、運行を熊本までと短縮したうえでも乗車率が低迷し、廃止を目前とした今日に至る。
『あかつき』号は、1965年に誕生。新幹線が東京大阪間を、こだま号五時間、ひかり号四時間で結ぶなか大阪から九州への寝台特急として誕生した。C60蒸気機関車で牽引されていた時代から非電化区間向けにディーゼル機関車による牽引運転を実施していた。この経緯から判るように、寝台特急最盛期を迎えた時点でのデビューであった。乗車率低迷後は寝台特急『彗星』などとの併結運転を行い、『彗星』廃止後は、『なは・あかつき』号として運行された。
私事ながら、遠方での所用を済ませ、京都駅に到着した小生に、『なは・あかつき』号は最も馴染みのある列車である。1930時頃に0番ホームと2番ホームの中間にある貨物線で待機しており、2000時頃に寝台特急ホームである7番ホームに停車している。この時間帯に停車している『なは・あかつき』号は、もっとも目にする機会が多いわけだ。何より『京都行きの寝台特急』という京都が始発駅であり、終点駅であることからの親近感が背景にあるのだと思う、そしてなにより停車時間が長い。
これは、最近気付いたのだが、EF66系電気機関車は、車体先頭の角度がついた運転台ガラス、逆さ富士山型の形式表示板、左右に突き出た前照灯など、個人的にいちばん好きな名鉄7000形と面影が重なる部分もある。そんな理由で、ほぼ平らな先頭のEF65系やEF81系電気機関車と比べると、このEF66系は好きである。
山崎駅の撮影スポットは京都や大阪からも程近く、撮影環境が良好であることから早朝にも関わらず(ギリギリに来ると人垣で撮れないので早朝に集まる)、多くの列車ファンがカメラを並べている。この日も間近に迫るブルートレインの雄姿を写真に収めるべく集った同好の方々がみえる。
京都駅貨物線に待機する『なは・あかつき』号。帰路、京都駅に到着するとよく眺めた光景の一つだ。ホームの向こうには新幹線ホームがみえる。2002時の寝台特急発車以降に発車した新幹線は、その夜の内に九州博多駅に到着する。新幹線により速度性で対応できなくなり、サロンカーや食堂車の廃止により車輌アコモが低下した寝台特急の終着は、早くから見えていたのやも知れない。
奈良線より九州に向かう『なは・あかつき』号を撮影。ウグイス色の電車は103系。奈良線(というよりJR西日本でのアーバンネットワーク以外の路線)では103系電車を初めとした国鉄時代の電車が多く運用されていることもあり、ブルートレインと並ぶこの一瞬、国鉄時代に戻ったかのような錯覚をうける。
流し撮りで撮影した一枚。三脚にてカメラを固定撮影している方も多く見かけるが、折角露光時間の長い夜間である。三脚では撮れないような流し撮りで一発決めたい。横軸さえあっていればシャッター速度1/25~1/10での流し撮りは案外容易だ。しかしこのときは非常に列車は低速、1/6というシャッター速度での撮影となった。
京都駅跨線橋コンコースの下で発車を待つ『なは・あかつき』号。発車を待つブルートレインは、新幹線、在来線、近鉄線、地下鉄線が交わる複合駅京都駅の消えつつある日常風景だ。仄かな赤信号の照り返しが、群青のブルートレインを黄昏のごとくそめている。
ソロB寝台の車体には薄っすらとヒビが浮き上がり、塗装の剥離も一部にみえる。こうした車体の老朽化は、『なは・あかつき』のみならず、『日本海』に『北斗星』といった、他のブルートレインにもみることができ、更新か廃止かというブルートレインの存在そのものの分岐点は間近なのだが、転轍機は必ずしも車体更新には傾いていないのが現状だ。
巨大な京都駅ビルを見上げるブルートレイン。新幹線が整備され、京都駅ビルも大きく変わってしまったが、伝統あるブルートレインは、車体そのものも代わるべき部分を旧態依然としたまま、結果的に飼い殺しにされるかたちで廃止までのラストスパートに向かっている。
信号が青となった。電気機関車は、まず極低速で前に進み、車体に惰性をつけたのちに本格的に加速し、京都駅を熊本へ、長崎へ向けて発車してゆく。残り少ない本数を最後まで駆けるべく、特急は発車する。なお、早朝に到着する『なは・あかつき』号にくらべ、やや遅れて到着する最後の東京~九州ブルートレイン『富士・はやぶさ』も来年には廃止されるとのこと。
『なは・あかつき』号は、京都駅ビルを目上げながら徐々に加速し、遠い九州に向かってゆく。車窓から、暁の朝焼けが見える頃には、もう切り離され、『なは』号、『あかつき』号ともに九州の終点に到着しかけていることとなるのだろう。
レガートシート車を最後尾に、山陽路を一路九州に向かう。機関車の維持や夜間人員確保、さらに長大な列車の長距離運行に伴う諸々の問題と乗車率低迷、ブルートレイン全体が整備新幹線構想とともに種別としての終点に到着しようとしている。そして明日、そのうちの二つ、『なは』号、『あかつき』号がさよなら運転というべき最後の発車を行う。
HARUNA
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