2月25日伊豆高原、夜明け前に眼が覚める。空には三日月と明星が、まるでアラブ諸国の旗のように寄り添って見える。悪天候と思っていたのに、何たる幸せ、美術館にでも行く予定を急遽やめて、伊豆一周のドライブを断行することにした。
晴天の国道135号線を石廊崎に向かって南下する。熱川をとおり、河津桜で混み始めた河津をとおりすぎ、今井浜を通る。
今井浜は私にとって思い出深いところで、小学校3年ごろ、両親に連れられて海水浴にいったところである。旅館に到着してから、父と回り将棋をしたが、そのルールをめぐって口論になり、父に叱られて、悔し涙を流した記憶がある。その翌日、海水浴に家族でいき、私は飛び込み台のそばを浮き輪で海面を漂っていた。丁度台風が近づいてきたこともあり、高波が来て、浮き輪がひっくり返り私は、材木で組んだ飛び込み台の海面下の材木に引っかかり危うく水死するところであった。偶然、父が気がつき、水中に決死の覚悟で泳ぎ来て助けてくれた。父は命の恩人でもあった。
その恐ろしい記憶は、父との回り将棋の記憶とともに抑圧されたのか、その後殆ど忘れていた。しかし、確実に父のイメージを歪める結果を招いていたように思える。そして、今井浜は、私にとって二度といきたくないところであり、溺れかけた翌日に台風の高波で飛び込み台が無残に波打ち際にひっくり返っていた景色とともに暗いイメージとなった。
その父は今から14年前に他界した。
今井浜を国道135号線から眺めた。すばらしい海岸で、今までの悪いイメージが消し飛んでしまった。ふと、当時仕事一途であった父が親心から、今井浜を選んだ経緯を想い感謝の念を抱いた。
晴天の国道135号線を石廊崎に向かって南下する。熱川をとおり、河津桜で混み始めた河津をとおりすぎ、今井浜を通る。
今井浜は私にとって思い出深いところで、小学校3年ごろ、両親に連れられて海水浴にいったところである。旅館に到着してから、父と回り将棋をしたが、そのルールをめぐって口論になり、父に叱られて、悔し涙を流した記憶がある。その翌日、海水浴に家族でいき、私は飛び込み台のそばを浮き輪で海面を漂っていた。丁度台風が近づいてきたこともあり、高波が来て、浮き輪がひっくり返り私は、材木で組んだ飛び込み台の海面下の材木に引っかかり危うく水死するところであった。偶然、父が気がつき、水中に決死の覚悟で泳ぎ来て助けてくれた。父は命の恩人でもあった。
その恐ろしい記憶は、父との回り将棋の記憶とともに抑圧されたのか、その後殆ど忘れていた。しかし、確実に父のイメージを歪める結果を招いていたように思える。そして、今井浜は、私にとって二度といきたくないところであり、溺れかけた翌日に台風の高波で飛び込み台が無残に波打ち際にひっくり返っていた景色とともに暗いイメージとなった。
その父は今から14年前に他界した。
今井浜を国道135号線から眺めた。すばらしい海岸で、今までの悪いイメージが消し飛んでしまった。ふと、当時仕事一途であった父が親心から、今井浜を選んだ経緯を想い感謝の念を抱いた。